二話 隠居魔法使い、悪役令嬢を拾う①
ことの始まりは、春初めのある日のことだった。
「やあやあ、《魔王》さん! 今日も郵便をお持ちしましたのにゃ!」
「……その名で呼ぶのはやめろと、何度言えばわかるんだ」
その日の朝、アレンの屋敷のドアベルを鳴らしたのは、いつもの郵便配達人だった。
ふんわりしたコバルトグリーンの髪。その上には同じ色をしたケモノの耳が生えている。お尻から生えるのは長い鍵尻尾。この国では珍しくもない、猫種の獣人である。性別は女性。
郵便屋の制服に身を包んだ彼女は「にゃあー」と困ったように小首を傾げる。
「そうは言われましても。ミアハだけじゃなく、みーんな《魔王》さんのことは《魔王》さんと呼んでいますのにゃ」
「ちっ……いいから早く郵便を渡せ」
「はいですにゃ」
アレンが受け取ったのは二通の手紙とひとつの小包、新聞一部。
「で、今日の荷物はどれですにゃ?」
「これだけだ」
そう言って、アレンはひと抱えの箱を渡す。
「中身はいつもの魔法薬だ。瓶だから割らないように気をつけてくれ」
「もちろんですにゃ。迅速・安全・超かわいい、がミアハ属するサテュロス運送社のモットーですからにゃ!」
ミアハはビシッと敬礼してみせる。
口ぶりはふざけたものだが、実際のところ仕事は確かなものだ。これまで何度も彼女に荷物を頼んでいるが、一度たりとも不備はない。
「しかし、こんなに出来のいい魔法薬を作れるのに、どうして街に住まないのですにゃ? そっちの方が簡単に稼げますのに」
「……」
この森を東に行けば、そこそこ大きな街に出る。
ミアハの属する運送社もここにあり、数多くの人々が暮らしている。
アレンはそこの魔法店に薬を卸して生計を立てているのだが……彼女の言う通り、街に住んだ方が手っ取り早いだろう。
だが、ひとつだけ大きな問題があった。
アレンは足先に視線を落とし、ポツリと言う。
「街は……人が多いだろう」
「はあ~。相変わらずの人嫌いですにゃあ」
ミアハは肩をすくめてみせる。
この屋敷は街道から外れた場所に建っているので、迷い込む者もほとんどいない。訪問者はミアハのような業者のみ。
つまり……アレンのような非社交的な人間にとってはうってつけの居場所なのだ。
だがしかし、ミアハはそれが不満らしい。
「《魔王》さん、まだ二十一歳でしたよね? 人間としても、まだ若い方ですにゃ。もっと活発に生きないと、すーぐに干からびてお爺ちゃんですよ」
「余計なお世話だ」
「ほーら、そんなに眉の間にしわ寄せちゃって。だから街の人たちに《魔王》って呼ばれてるんですよ」
街外れに住む人相の悪い魔法使いが、人々の噂になるのは当然だ。
アレンは重いため息をこぼす。
「単に一人で暮らしているだけで、何故そんな物騒な名で呼ばれねばならんのだ……そのせいか最近は子供たちが肝試しにやって来る始末だし……」
「ありゃりゃ……大変ですにゃ」
「ああ。その通りだ」
アレンはうなずき、顔を覆う。
「このあたりは野生動物も多いし、子供だけで来るのはあまりに危険だ。だから見つける度に注意しているんだが……毎度悲鳴を上げて逃げられてしまう」
「……《魔王》さん、人嫌いのお人好しとか難解すぎますにゃ」
ミアハが苦笑を浮かべてみせる。
人と関わりたくはないが、だからと言って人を見捨てられない。アレンは、そんなややこしい性分の男だった。
「まあともかく、ほかに趣味とか生き甲斐とか見つけた方がいいですにゃ! それじゃ、また明日!」
「だから余計なお世話だと言うに」
ミアハは手を振り駆け出して、あっという間に姿が見えなくなる。
「さてと、そろそろ飯でも……っと」
ばさっ。
家に戻りかけたとき、新聞を落としてしまった。
広がった一面には『隣国の毒婦、消息不明に! 国外逃亡か!?』というセンセーショナルな見出しが踊る。
アレンはそれを拾おうと身を屈めて――。
「…………おや?」
屋敷のすぐ正面。
膝丈まで伸びた草むらに隠れるようにして、誰かが倒れているのが見えたのだった。