百九十七話 順当な提案①
ニールズ王国は大陸の西に位置する大国だ。
各国へのパイプも太く、それなりの地位を築いている。
しかし今現在――そのポジションは、非常に危ぶまれるものとなっていた。
「ふざけるな!」
ガシャァン!
ニールズ王国北西。
避暑地として親しまれるこの地には数多くの別荘が建てられている。
そのうちのひとつ――王族から近しい血筋の某男爵家の別荘にて、耳をつんざくような破砕音が響く。
時刻は虫も鳴かない真夜中だ。
暗がりに沈む部屋の中、毛足の長い絨毯に赤いワインが染み込んで、どす黒い染みへと変わる。
「まったくもって苛立たしい……! どうしてこんなことになったんだ!」
グラスの破片を踏みしだくのは、この国の第二王子セシルだ。
かつてハンサムと謳われた顔を歪め、肩で息をして声を荒らげている。
明らかに乱心した彼へと、従者の兵はおずおずと進言した。
「せ、セシル様。どうかお静かに。コーデリア様がお休み中で――」
「そんなことは分かっている!」
屋敷中に響かんばかりの叫声を上げ、セシルは激昂を露わにする。
兵士らは顔を見合わせるばかりだった。
「どうして僕たちが軟禁されなきゃいけないんだ! 悪いのは全部あの女と……あの、いけすかない魔法使いのせいだというのに!」
彼の握りしめる新聞にはセンセーショナルな文字が並んでいた。
いわく――。
『シャーロット嬢を陥れた陰謀劇!』
『渦中の人、セシル王子はいずこへ!?』
『王家はこの疑惑を否定。しかし動かぬ証拠が』
セシルとコーデリアを糾弾する内容ばかりである。
すべての悪事が白日の下に晒されたあと。
ニールズ王国に連れ戻されたふたりは、王の名のもとに謹慎処分を言い渡された。王家は噂を揉み消そうと必死であり、渦中のセシルらを人々の目から遠ざけようとしたのだ。
だがそれは、セシルにとって非常に納得のいかないものだった。
「なぜ王子の僕がこんな馬小屋で過ごさなければならないんだ! そのせいで愛しのコーデリアは体を崩すし……だいたい、父上も父上だ! 僕の企みなんか最初からお見通しで、乗っかっただけだというのに!」
セシルの稚拙な悪巧みなど、王や他の王族、大臣たちにはお見通しだった。
それを第二王子のスキャンダルが明るみに出ることを恐れ、公爵家を切り捨てることを選んだのだ。
そういう意味ではセシルらと同罪だ。
それなのに、自分たちだけが割りを食っている。
「こんなことは許されない! あいつらさえいなければ……!!」
苛立ち紛れに絨毯を踏みしめれば、シミがますます広がった。
兵士らの顔色がそれに伴って青ざめる。
「お、王子、そろそろ――っ!?」
ひとりが歩み寄ろうとしたそのとき、その体がぐらりと揺れて床に倒れた。
どよめく他の兵たちも続々と崩れ落ちる。
あっという間に部屋で立っているのはセシルだけになった。
しかし、彼は慌てふためくこともなく、ただ舌打ちするばかりである。
「ふん、遅いぞ。そのうえ下らぬパフォーマンスときたか」
「我らの力を示すにはうってつけかと思いまして」
部屋の隅。
わだかまる夜闇が揺れて、人影と化した。全身黒ずくめの者たちだ。人影は続々と増えていき、あっという間に三十人近くの一個小隊を形成する。
セシルの前に跪き、男のひとりが言う。
「こたびの兵士らは眠らせただけです。ですが……我らにかかれば、どのような暗殺依頼も赤子の手をひねるようなもの。たやすく命を奪うことができるのです」
「……噂は本当のようだな」
セシルは口元を歪めて嗤う。
後ろ暗い家業を生業とする集団は世界中にいくつも存在する。
最強と名高い《灰色結社》。数多くの魔物を従えた《オッド・ビースト》。
今回セシルが雇ったのは、それらのうちどんなターゲットでも暗殺すると謳う名うての集団だった。
「いいか。高い金を積んでおまえたちを雇ったんだ。必ずや、奴らを血祭りに上げろ」
「承知いたしました」
男は重々しくうなずいてから、朗々と名乗る。
「我ら《奈落の蜂》。アレン・クロフォードとシャーロット・エヴァンズ両名を、この世から消し去ってご覧に入れましょう」
◇
それは奸計が巡らされてから、数日後のことだった。
つい先日まで雪のちらつく季節だったというのに、もうすっかり春の陽気があたりを包んでいる。鮮やかな緑がそこかしこに芽吹き、小鳥のさえずりもどこか浮かれていた。
そんな中。アレンは屋敷の玄関先に腰を下ろし、おだやかに微笑んでいた。
目の前にずらっと居並ぶのは、黒装束に身を包んだ暗殺者たち三十名ほど。
お手本のような土下座を披露する彼らに、アレンは今ふたたび静かに問う。
「……で?」
「ももももも、申し訳ございませんでしたぁ!!」
目の前のひとりが、ガクガクと震えながら悲痛な声を振り絞った。
この集団――《奈落の蜂》を取りまとめる頭領とかなんとか名乗った男だ。
とはいえ今となってはその他大勢の部下たち同様ズタボロで、精も根も尽き果てているように見える。今にも卒倒しそうだが、そうなったら水をぶっかけて起こすだけだ。
昨夜、暗殺者集団の襲撃を受け、あっさり返り討ちにした結果がこれだった。
もちろん被害はゼロ。何枚か皿が割れたくらいだ。
あっさり全員生け捕りにして、ひと晩中ここで土下座させている。
その間、アレンは見張りついでにずーっと心身共にネチネチといたぶったので、みな相当堪えているらしい。あちこちからすすり泣きすら聞こえてくる。
こっそり逃げようとする者もいるのだが――。
「かぴー」
「うぎょわあああああああっ!?」
ずががががっ、ごすっ、ばきどごがすべぎめきめきめきめきごりゅっっ!
そうした者は、もれなくゴウセツの餌食となった。
華麗な投げ技からの空中十三連コンボを食らって、べちっと地に落ちる。
哀れな犠牲者を踏みしだきながら、ゴウセツはかぴぴと低く笑う。
『くくく……逃しませぬぞ。貴様らが暴れたせいで、シャーロット様より賜った餌皿が割れてしまったのです。殺すだけでは生ぬるいというもの』
その目は完全に復讐の鬼と化していた。
爽やかな光景を横目に、アレンはふっと微笑む。
あごに手を添えて震え上がる彼らへ語りかけた。
「ふむ。『申し訳ございませんでした』と言ったか。俺が聞きたいのはそういうことじゃないんだ。なあ、分かるだろう? うん?」
「は、はいぃいい! 二度と、二度とアレン様並びにシャーロット様たちに手出しすることはいたしません! もちろん関係者の皆さまにも一切危害は加えません!!」
「うんうん、いい返事だ」
ガタガタ震える男に、アレンは鷹揚に頷く。
そこで相手があからさまにホッとしたのが分かった。
だから、アレンはさらに笑みを深めてみせる。性格が悪いので。
「だが……まさかそれだけで許されるとは思っていないよな?」
「ととととと、当然でございます! 《奈落の蜂》は本日をもってして廃業し、すべての依頼を白紙に! ため込んだ財はすべて慈善事業へ寄付させていただきます!」
「うんうん。で、ほかには?」
「セシル王子様の潜伏先、並びに次に雇いそうな組織の情報をお教えいたします!」
「へえー。あとは?」
「うっ、ううううっ……なれば! あとはこの命を差し出すまでげばらっ!?」
「やめろ。うちの前を血で汚すな」
自決しようとした男をぶん殴って昏倒させると、残った全員が小さく悲鳴を上げた。
みな一層震え上がるのが分かり、アレンは晴れやかな気分となる。
しかし、そこでおずおずと声がかかった。
「あ、あのー……アレンさん?」
「おお、おはよう、シャーロット」
シャーロットだ。
起き出してすぐなのか、寝間着に薄いストールを羽織っている。
愛しい恋人の姿を目にしてアレンは相好を崩すのだが、シャーロットは浮かない顔だ。
ボロボロな暗殺集団を見やって眉を寄せる。
「もうそのへんで許してあげませんか……? 悪い人たちとはいえ、ちょっと可哀想になってきました」
「そうか? あと三日くらいはこのまま晒し者にするつもりなんだが」
「え、えええ……そうですよね、アレンさんならそうおっしゃいますよね……」
シャーロットはそっと目をそらした。
そこで家の中から出てきたルゥも、がうがう吼えて不満をこぼす。
『もー、そいつらクサいんだってば。はやくどっかにやってよね!』
「そうじゃそうじゃ! わらわの情操教育に悪い!」
ルゥの背中に乗ったまま、リディも怒り心頭だ。
ぷんぷんしながら暗殺集団を指し示す。
「だいたい、こんなのがいつまでも屋敷の前にいては、うちに遊びにくる動物たちがびっくりしてしまうではないか! せっかく仲良くなれたのに……あやつらが来てくれなくなったらどう責任を取ってくれるのじゃ、パパ上よ!」
「分かった分かった。それじゃ仕置きはこの辺にしておくか」
アレンは肩をすくめるしかない。
個人的にもう少し鬱憤を晴らしておきたかったが、家族から大不評なので仕方ない。
「ゴウセツもそれでいいな?」
『……儂はまだ鬱憤が晴れておりませんが』
ゴウセツがムスッとした声で鳴く。
いつもに比べて物分かりが悪いのは、ひとえに大事な皿の恨みによるものだろう。
そんなゴウセツに、シャーロットはおっとりと笑いかけた。
「お皿なら、また今度一緒に買いに行きましょうよ。付き合っていただけますか?」
『もちろん! 身に余る幸せでございます、シャーロット様!』
ゴウセツはぴしっと居住まいを正して、かぴーっと高らかに鳴いた。ちょろい忠臣である。
ともかく話がまとまったところで、アレンは軽く手を叩いた。
「おーい、ミアハ。頼んでいた通りにこいつらを国境まで送ってやってくれ」
「お任せあれですにゃ!」
しゅたっと現れるのはもちろんミアハだ。
大仕事になるためか、他の職員らも一緒である。彼女らは暗殺者らを手早くロープで縛り上げ、巨大な檻に詰め込んでいく。見蕩れるほどの手際のよさだった。
ミアハは手揉みしながらアレンの顔を覗き込む。
「それじゃ『私たちは負け犬です』の看板付きで市中引き回し、その写真をビラにして国内外にばらまくコースでよろしいですかにゃ?」
「うむ、完璧だ。全員もれなく呪っておいたが、くれぐれも注意してくれ」
「もちろんですにゃ! にゃはは、久々の大仕事で腕が鳴りますにゃー!」
ミアハは目をキラキラさせて仕事に取り組み始める。
これで本件は終了だ。
だが、アレンは重いため息をこぼす。
「まったくあのゴミ虫め……暗殺者を差し向けるとは、なりふり構わなくなったな」
『とは言いますが、これも予想の内では?』
「その通りなのが癪だなあ」
ゴウセツの茶々に、アレンは空を仰ぐしかない。
セシルを退けたのがつい二ヶ月ほど前のことになる。ドロテアの書いた本によってシャーロットの無実が世界中に知らしめられ、人々の好奇の視線もようやく落ち着いてきた。
元通りの日常が戻ったことになるのだが――セシルはまるで反省していないらしい。
渋い顔で黙り込むアレンのそばに、シャーロットが歩み寄ってくる。
その顔はひどく浮かないものだった。暗殺者が怖い――というわけでもないらしい。
申し訳なさそうにぺこりと頭を下げてみせる。
「すみません、アレンさん……私のせいでご迷惑をかけてしまって」
「何を言うか。そもそも俺の撒いたタネだ」
そんな彼女の肩を、アレンはぽんっと叩く。
笑顔を向ければシャーロットの顔もいくぶん和らいだ。
アレンはホッとするのだが、問題は山積みだ。
(襲撃はこれで終わらないだろうなあ。こいつらがダメでも、他の暗殺集団を雇うだろうし)
何が来たところで返り討ちにする自信はある。
だがしかし、非常に鬱陶しいのは確かだった。せっかくシャーロットは無実が証明されて大手を振って歩けるようになったというのに、これでは気の休まる暇がない。
(シャーロットを安心させて、なおかつ向こうへの圧をかけるには……うん、これが一番か)
アレンはすこし考えて、結論を出す。
わりとシンプルな答えではあった。そのため軽い調子でシャーロットに話しかける。
「なあ、シャーロット。落ち着いたら言い出そうと思っていたんだが……ちょっと頼みがあるんだ」
「えっ、なんですか?」
シャーロットはきょとんと目を丸くする。
そんな彼女の右手を取って、アレンは簡潔に告げた。
「俺と結婚してくれないか」
「あ、はい。それくらいなら全然…………えっ?」
シャーロットはうなずいてみせるのだが、すぐにぴしっと固まった。
それどころか、周りの空気が完全に凍り付いている。
家族もミアハ一同も絶句して、アレンのことを凝視していた。
ぴちち、ちゅん、ちゅちゅん、ぴちゅん。
静まり返った場に、小鳥のさえずりが響き――。
「「「このタイミングでプロポーズ!?」」」
「うわ、なんだどうしたおまえたち」
シャーロットを含む全員が悲鳴のような声を上げたので、アレンは珍しくびくりとした。
だいぶお待たせしましたが、ぼちぼち二部を始めようかと……。
チューしたらもう次は結婚なんですよ。
他の執筆もあるので不定期ですが、毎月第一・第三木曜のコミカライズ更新日に合わせて更新していきたいです。願望。本当に出来るかどうかはさめにも分からない。
そういうわけで本日はコミカライズも更新されております!無慈悲なハイパワーラブコメがアレンを襲う!(?)





