百九十六話 教えてくれたもの⑦
「……いいんですか? 彼女はきみの大切な人なのでしょう」
「それでも、だ」
訝しむハーヴェイに、アレンはゆっくりとかぶりを振る。
すこし俯いて、そこでようやく初めて涙がひとしずくだけこぼれた。
「怖がらせてしまったから……そんなこと、こいつには覚えていてほしくない」
「ふむ」
ハーヴェイはしばし黙り込んだ。
弱い風がふたりの間に咲く草花を揺らす。
やがてハーヴェイは腰をかがめ、アレンの顔をのぞき込む。
その腫れた顔をじっと見つめて、にっこりと破顔した。
「私を襲撃した暗殺者のきみと、今のきみ。まるで別人のようですね」
「……そうか?」
「ええ。今はとても優しい目をしている。その子のおかげでしょうか」
シャーロットに目をやって、ハーヴェイは軽くうなずく。
「分かりました。きみの一途なその願い、叶えてさしあげましょう」
「ほ、本当か!」
「ええ、そのかわりと言っては何ですが……いくつか質問に答えてください」
「何でも話す。こいつらの素性のことか?」
「そんなものとうに調査済みですよ。私が潰そうとしていた人身売買組織でしょう? すでに頭を押さえています」
ハーヴェイはあっさりと言って、指を三本立ててみせる。
「きみに聞きたいことは三つだけ。きみ、名前と年は?」
「は……? アレンで、年は九歳だが……」
「では、実のご両親にまた会いたいですか?」
「……顔も見たくない。苦しんで死んでほしいと思う」
「それは好都合! 合格です!」
歓声を上げ、ハーヴェイはアレンの両肩をがしっと掴む。
目を白黒させるアレンに、にっこりと言い放った。
「今日からきみは、私の息子です」
「は…………っ!?」
そこで、アレンの全身から力が抜けた。
すやすやと眠るシャーロットの隣にうずくまりながら、目の前のハーヴェイを睨む。
「おまえ、《幻夢》を俺に……!?」
「使いましたよ、ええ。それもとびきり強固なやつを」
悪びれることもなく言ってのけ、ハーヴェイはアレンの頭をそっと撫でる。
「その子のことは心配しないでください。あとでちゃんと記憶を消してから送り届けます。だから、きみは安心して眠りなさい」
「どう、して……」
「きみがこれからどう変わっていくのか、見てみたくなったからですよ。悪党の末端として腐るには、あまりに惜しい」
「ば……か…………」
目を閉じ、アレンは眠りに沈む。
意識が途切れるその直前――彼は後に自身の父となる男の声を聞いた。
「嫌なことはすべて忘れて、一からやり直しなさい。きっときみは、いい魔法使いになる」
◇
「っっ……!」
意識が戻るなり、アレンはその場で跳ね起きた。
全速力で走ったあとのように息が切れ、動悸が収まりそうにない。汗もずいぶんかいてしまったようで、全身ぐっしょりと不快な感触で覆われている。
額ににじむ汗を乱暴に拭い、あたりを見回す。
そこは見知らぬ家の中だった。物が少なくて埃っぽい。
アレンはその片隅にある、古びた寝台に寝かされていた。寝台は身じろぐ度に軋みを上げて、長い間放置されていたことが分かる。
「ここは……」
「あっ、アレンさん!」
そこで部屋の扉が開かれて、シャーロットが顔を出した。
アレンのことを見るなり血相を変え、慌ててベッドのそばまで駆け寄ってくる。
「よかった、気が付いたんですね! どこか痛いとか、苦しいとかありませんか!?」
「い、いや……別に」
「本当にだいじょうぶですか……? なんだかぼんやりしていますけど」
シャーロットはアレンの額や頬をぺたぺたと触る。
その顔は真剣そのものだ。
そんな彼女のことを、アレンはじっと見つめ続けた。
次第に胸の奥底から、こみ上げてくる物がある。
シャーロットは不安そうに眉を寄せ、ため息をこぼす。
「突然倒れたんですよ。もうびっくりしちゃって……でも、お家が残っていて本当に――」
そこでとうとう、思いが溢れた。
アレンはシャーロットの肩をぐっと掴み、唇を重ねた。
彼女の体がびくりと跳ねるが逃がさない。そのまま抱き寄せれば、すんなり身を委ねてくれる。それが何よりも嬉しかった。
柔らかな感触を胸に刻みながら、そういえば次は自分から仕掛けてみせると宣言していたと思い出す。期せずして、意趣返しの完了だ。
やがてアレンはそっと唇を離す。
シャーロットの顔は、茹だったトマトのように真っ赤に染まっていた。
「え、えっ、ええ……きゅ、急にどうして――」
「シャーロット」
困惑気味の台詞を、アレンは真っ向から遮った。
あのとき、屋敷のそばで彼女を拾ってからずっと、自分は彼女を喜ばせることだけを考えてきた。
その理由を、アレンはこれまで一目惚れだったと思っていた。
だが、それは違った。真実はとても単純なことだったのだ。
(あのときの約束を……俺は守りたかっただけなんだ)
アレンはすべて思い出し、そのことを理解していた。
だからシャーロットに、こう問いかける。
「俺はおまえに、楽しいことを教えられたか?」
「へ?」
シャーロットはぽかんと目を丸くする。
しかし、すぐににっこりとした笑顔を浮かべて答えてくれた。
「はい。たくさん教えていただきました」
「……ありがとう」
「きゃっ!?」
堪らず彼女をぎゅっと抱きしめる。
シャーロットがまたあたふたするが、アレンは彼女を腕の中に閉じ込めたままだった。
そのまま――初めて出会ったあのときに、言いそびれていた言葉を口にする。
「俺と出会ってくれて、ありがとう」
「えっ……あ、あの、アレンさん……?」
シャーロットは戸惑いながらも、おずおずとアレンの背に腕を回す。
しばしふたりは無言のまま互いの体を抱きしめた。じんわりと体温が溶け合って、境目が分からなくなる。アレンは心の底から、満たされていると感じた。
(俺はやっぱり……幸せ者なんだな)
そんな思いを噛みしめた、そのときだ。
呆れたようなため息が聞こえてきた。
『まったくお熱うございますなあ』
「……む」
顔を上げれば、開いた扉の先でゴウセツとルゥがちょこんと座っていた。
二匹のまっすぐな視線に、アレンはぴしっと凍り付く。
「おまえたち……いつからそこにいたんだ?」
『最初からでございます。貴殿が倒れてからずっと、儂らもシャーロット様とともに介抱にあたっておりましたので』
ゴウセツは鼻をひくひくさせて事務的に告げる。
お座りしていたルゥが腰を上げ、興味津々とばかりにふたりの顔をのぞき込んできた。
『人間もルゥたちみたいに、鼻をくっつけてあいさつするんだねー。初めて見たよ!』
『他の方々に言ってはいけませんぞ、ルゥどの。アレンどのはともかく、シャーロット様がお困りになるでしょうからな』
『言っちゃダメなの? 秘密のあいさつなの? ねえねえ、ママ。どーなの?』
「あ、あうう……!」
無垢なまなざしが耐えきれなかったのか、シャーロットがばっと体を離す。
そのまま取り繕うようにして早口でまくし立てた。
「そ、それよりアレンさん、さっき突然倒れたんですよ! ちゃんとしたお医者さんに診ていただいた方がいいですよ!」
「そうだな……」
アレンはふむ、と考え込む。
結論はすぐに出た。ぽんっと手を叩いて告げる。
「よし、これからアテナ魔法学院に行こう」
「そ、そうですよね。ハーヴェイさんに診てもらえばきっと――」
「それで叔父上をぶん殴る。見届けてくれないか、シャーロット」
「どうして親子喧嘩が起きるんですか!?」
シャーロットが素っ頓狂な声を上げる。
ゴウセツとルゥもわけが分からないのかきょとん顔だ。
そんな中、アレンは爽やかな笑顔で言ってのける。
「あのクソ野郎を殴らなければならない理由が出来たんだ。なあに、叔父上も無抵抗で受け入れてくれるとも。何しろ、可愛い息子の拳なんだからな」
「な、何だかよく分かりませんけど……ダメですってば!」
シャーロットは慌てふためきながらも、びしっと人差し指を立ててこう言った。
「喧嘩はイケナイことじゃなくて、ダメなことです! いいですね!」
(一部・完)
これにて第一部完結です!お付き合いいただきましてありがとうございます!
次回、エルーカ番外編。来週くらいには始めたい……!
そして明日は原作&コミカライズ三巻発売です!
次にくるマンガ大賞への投票も明日の午前十一時までなのでお忘れなく。よろしくお願いいたします!





