百九十五話 教えてくれたもの⑥
「アレンくんは楽しくなかったんですか……?」
「何というか……慌ただしかったなあ、としか」
「がーん!」
世界がひっくり返るような衝撃だった。
シャーロットはしょんぼりとうなだれる。
そうすると作りかけの拙い花冠が目に入った。母は上手くできるのに、手の小さい自分ではまだちゃんと作ることができずにいる。それが今日は特に悲しかった。
(笑ってくれると思ったのに……)
うつむいて黙り込むシャーロット。
そこに、アレンは深々とため息をこぼしてみせる。
「だが、まあ……《創樹》」
「きゃっ」
短い呪文を唱えれば、シャーロットの花冠がぽんっと跳ねる。
空を飛んでアレンの手元に落ちたときには、すでに完成してしまっていた。シャーロットが作ったものよりも、ずいぶん大きくて丁寧な造形だ。
アレンはそれをシャーロットの頭にそっと載せる。
シャーロットがきょとんと見上げると、ふっと表情をゆるめてみせた。
「おまえを見ているのは、悪くなかった」
「それってどういう意味ですか?」
「さあな、俺にも分からん。こんなことを思ったのは初めてなんだ」
アレンはぐりぐりとシャーロットの頭を撫でる。母親がいつもやるような優しい手付きではなく、それは少しだけ乱暴で髪がすぐにぐちゃぐちゃになってしまった。
それがなんだかくすぐったくて、シャーロットは嬉しかった。
「えへへ……アレンくん、ようやく笑ってくれました」
「笑ってない。やっぱり変なやつだな、おまえ」
「おまえじゃなくて、シャーロットですってば」
「うるさい。おまえなんか、おまえで十分だ」
そう言いつつも、アレンはますます破顔した。
ふんっと鼻を鳴らして不敵に笑う。
「だが、こんなのが楽しいことなら簡単だな。俺ならもっとすごい楽しいことを見つけられそうだ」
「じゃあ、次はアレンくんが教えてください!」
「俺が……?」
「はい!」
シャーロットは立ち上がり、アレンの手をぎゅっと握る。
彼はすごい魔法使いだ。そんな彼が見つける楽しいことなんて、きっとすごいものばかりに決まっている。シャーロットはキラキラと目を輝かせる。
「いつかわたしに、アレンくんが見つけた楽しいことを教えてください。そうしたら、ふたりいっしょに楽しくなれます!」
「……一緒に、か」
アレンは難しい顔で考え込む。
しかし、すぐに力強くうなずいてシャーロットの手を握り返した。
燃えるような夕日に照らされながら、彼は固い覚悟を口にする。
「分かった。たくさん見つけて、必ずおまえに教える。約束だ」
「ふふ、約束ですからね」
シャーロットは満面の笑みを返してみせた。
次第に東の空が藍色に染まりつつあった。
アレンは遙か遠方にそびえる山々を見つめてから、シャーロットに告げる。
「そろそろ日も暮れる。帰るぞ」
「はい!」
そうして手を繋いだまま、ふたり並んで歩き出した。
ぎゅっと握った手のひらはあたたかく、シャーロットは自然と笑顔になれた。
だから何度目かも分からないお誘いをするのだが――。
「アレンくんもうちに来ませんか? アレンくんみたいないい子なら、おかーさんも歓迎してくれます」
「……いい子、か」
アレンはふっと口元を歪めて笑う。
どこか泣きそうなその横顔に、シャーロットの胸はちくりと痛んだ。
しかし、それよりもっと衝撃的な言葉がアレンの口から発せられる。
「おまえの家には行けない。そろそろこの地を離れるつもりだからな」
「え……?」
思わぬ台詞に、シャーロットは足を止める。
アレンも同じように立ち止まった。
暮れゆく草原で、ふたりは顔をくしゃりと歪めて見つめ合う。
「アレンくん、どこかに行っちゃうんですか……?」
「……やらなきゃいけないことがあるんだ。自分のやったことのケジメを付けたい」
「けじ、め……?」
聞いたことのない言葉だった。
だが言葉の意味が分からなくても、アレンの覚悟は痛いほどに伝わった。
きっとそれは、彼にとってとても大切なものなのだろう。
だからシャーロットはぐっと唇を噛んだ。行かないで、と言いそうになるのを我慢する。
そのかわりに――そっと願いを口にする。
「……また、会えますか?」
「バカ。さっき約束しただろう」
アレンは不敵にニヤリと笑う。
彼の瞳には薄い涙の膜が貼っていた。シャーロットと同じく、彼もまた堪えているのだと分かった。強くうなずいて、言葉を続ける。
「今度は、俺がおまえに……っ、危ない!」
「きゃっ!?」
突然、アレンがシャーロットのことを突き飛ばした。目を丸くした次の瞬間――。
ゴウッッ!!
「ぐっ……!?」
熾烈な突風がアレンのことを打ち据えて、彼の体がはるか遠くの地面に叩きつけられる。
シャーロットは痛みも忘れて、声を上げる。
「あ、アレンく……」
「ようやく見つけたぞ、アレン!」
「っ……!?」
そこに、空が揺れるほどの怒号が響いた。
草原のすぐそばに立ち並ぶ木々の向こうから、いくつもの人影が現れる。
それは見知らぬ男たちだった。荒々しい風体に、険しい顔。全員目がギラギラと光っており、短剣などの武器を携えていた。ふたりが作った花冠を踏みつけて、こちらにまっすぐ歩いてくる。
「ひっ……!」
シャーロットは地面に転んだまま、小さく悲鳴を上げる。
(アレンくんの知ってるひとたち……? でも、かぞくはいないって……)
震えるシャーロットを横目に、アレンはよろよろと起き上がって、口の端ににじんだ血をぬぐった。近付いてくる男たちを睨み付ける。
「……ずいぶん早いお迎えだな」
「迷い犬を探し出すのは飼い主の務めだろう」
男たちの中からひとりが歩み出てくる。
顔に傷を持つその男は、アレンを冷たい目で見下ろした。
「任務に失敗したのはこの際いいとしよう。ターゲットが俺たちの想定以上だったからだ。だが、何故すぐ戻って来なかった。言え」
「……それは」
「やはり、逃げるつもりだったんだな」
「ちがっ……ぐっ!?」
男は表情を変えないまま、アレンのことを蹴り飛ばした。
耳を覆いたくなるほどの鈍い音が響き、小さな体がまた地面に沈む。
シャーロットは声も出せなかった。目を見開くその先で、男はなおも手酷い暴行を加え続ける。
「親に売られたおまえを拾ってやったのはどこのどいつだ! 恩を仇で返しやがって……また牢に繋がれて、豚のエサでも食わされてえのか!」
「……っ!」
アレンは魔法で抵抗することもなく、他の者たちもニヤニヤと笑うばかりで誰も止めようとしなかった。
(アレンくんが……しんじゃう……!!)
シャーロットは冷たい予感に息を呑んだ。
擦りむいた膝が痛いし、男たちは怖い。それでも――アレンを失うのはもっと嫌だった。
「やめて!!」
「ああ……?」
シャーロットはあらんかぎりの声で叫んだ。
男の注意が逸れる。その隙に、シャーロットは勇気を振り絞って、アレンのもとまで全力で走った。うずくまった彼を背中に庇い、短い腕を精一杯に伸ばして男の前に立ちはだかる。
「や、やめてください! アレンくんを、いじめないで……!」
「ああ? なんだ、このガキは」
「っ……ダメだ! 逃げろ、シャーロット!」
背後でアレンがひり付くような声を上げる。
初めて、ちゃんと名前を呼んでくれた。
それを嬉しく思うより先に、男の手がシャーロットに伸びる。
金の髪を乱暴に掴み、男はシャーロットの顔をまじまじと見つめた。
「ほう、田舎のガキにしちゃずいぶん綺麗な顔だな。育てば間違いなく客が付く」
「ひっ……は、放して! やだ、や……」
「黙れ。《睡臥》」
「うっ……」
男が短く呪文を唱えれば、シャーロットはがくりと意識を失った。
地面にくずおれ倒れたその横顔に、アレンは大きく目をみはる。
男はくつくつと喉を震わせて笑うのだ。
「こりゃいい、新しい商品を仕入れてくるとは。おまえも落とし前の付け方が分かっ――ぎゃあ!?」
その台詞は半ばで途切れた。
男は血で真っ赤に染まった腕を押さえて後ずさる。他の取り巻きたちも血相を変えた。
「アレン、てめえ……! やりやがったな!?」
「汚い手で、こいつに触れるな……!」
アレンはゆっくりと立ち上がる。
全身血だらけで、打撲の痕がひどい。顔も腫れていて、片目は半分塞がっていた。
それでもアレンは男たちを真っ向から睨み付ける。今度は彼が、少女を守る番だった。
「こいつは俺の、命の恩人だ! 傷付けるなら、容赦はしない……!」
「はっ……本格的に歯向かうって言うのかよ?」
男は短く呪文を唱える。瞬く間に腕の傷が塞がり、数秒も経たずに跡形もなくなった。
それをアレンに見せつけるようにして、男は嘲り笑う。
「多少魔法が使えたところで、おまえはただのガキだ。数で勝る俺たちに勝てると、本気で思うのか?」
「知るか! おまえたちは元々俺の口封じに来ただけだろう!」
アレンは血の混じった唾を飛ばして吼える。
敵は武器を持った大人、十数名。しかも一部はそれなりに魔法を修めている。
不利なのは誰の目から見ても明白だった。
だが、アレンは獰猛に笑う。
「どうせ奴隷の俺に未来はないんだ。それならいっそ……こいつを守って、死んでやる!」
それは決死の覚悟そのものだった。
男たちがじりじりと距離を詰めてくる。
緊迫の糸が、暮れゆく草原一帯に張り巡らされ――それは突然、間延びした声によって断ち切られた。
「いやあ、その年で人生を諦めるのはまだ早いのでは?」
「なっ……!?」
その瞬間、凍てつくような風があたりを襲った。
アレンが思わず目をつむり、そっと開いたときには……すでに男たちは大きな氷柱の中に囚われていた。全員驚愕に顔を歪めたまま、ぴくりとも動かない。
そして男たちのすぐそばには、黒いローブをまとった青年がいつの間にか立っている。
アレンはハッと息を呑んでその名を呼ぶ。
「ハーヴェイ・クロフォード……!?」
「どうも、こんにちは。暗殺者くん?」
ハーヴェイは場違いなまでのにこやかさで会釈する。
軽い足取りでアレンの目の前まで近付いてきて、やれやれと肩をすくめてみせた。
「いやはや、その年でまったく大したものですよ。不意打ちだったとはいえ、この私に深手を負わせただけでなく、追跡すら撒くんですから。片田舎の悪党が飼うには勿体ない逸材です」
「……だが、こうしておまえに見つかった」
「きみのせいじゃありません。そこの無能たちが、あからさまに怪しい動きを見せたのが悪いんですよ」
そうして、ハーヴェイはダメ押しとばかりに笑う。
「で、どうします? 抵抗するというのなら、一応相手になりますが」
「……いや」
アレンはかぶりを振って、どさっとその場に座り込む。
「どのみちおまえのところに行って、黒幕から何から全部洗いざらい吐くつもりだったんだ。手間が省けた」
「おや、そうでしたか。それなら私も助かります。素質ある若者の芽を摘むのは、教育者として心苦しいので」
ハーヴェイはにこにこと笑顔を崩さない。
目の前にいるのは自分を一度は殺そうとした相手だというのに、まるで警戒心を感じさせなかった。
アレンはそれにため息をこぼし、倒れ伏せたシャーロットにそっと手を伸ばす。
少女はまぶたを閉ざし、すやすやと眠っていた。
「よかった……本当に」
安らかな寝顔に、ほっと胸をなで下ろす。
彼女の頭を撫でてから、アレンは目の前の青年を見上げる。
「……ハーヴェイ・クロフォード。俺を連れて行く前に、頼みがある」
「何でしょう。恩赦ですか?」
「そんなものは必要ない」
アレンはためらいなく頭を下げる。
「おまえほどの魔法使いなら……人の記憶をいじる魔法が使えるはずだ。それをこいつに掛けて、俺のことを忘れさせてやってくれ」
続きは明日更新します。明日で一部ラスト!
発売日目前!よろしくお願いいたします!





