百九十四話 教えてくれたもの⑤
その日も、シャーロットは朝食後すぐに支度を調えた。
「行ってきます!」
「こら、待ちなさい。シャーロット」
飛び出そうとしたところで、母親に制止されてしまう。
母はもじもじするシャーロットに、にっこりと笑いかける。
「持っているもの、見せてくれるかしら」
「え、えっと……これ、です」
おずおずと見せるのは、ハンカチに包まれたパンだった。
朝食の残りで、端っこをちょっとかじっただけでほとんど手付かずだ。
それをじっと見つめる母親に、シャーロットはあわあわと弁明する。
「お天気もいいし、お外で食べようとおもうんです。ダメ、ですか……?」
「……いいえ」
母親は優しく笑って、シャーロットの頭を撫でてくれた。
戸棚を開き、真新しいリンゴを取り出してみせる。
「そういうことなら、これも持って行きなさい」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんよ。パンだけじゃお腹が空くわ」
母親はパンとリンゴを真新しい布で包んでくれた。
それをシャーロットに手渡して、キラキラと目を輝かせる。
「で、どんな子と仲良くなったの? 色は?」
「えっと……白と、黒?」
「まあ、ぶち模様なのね。さぞかし可愛いお友達なんでしょう」
母親は笑みを深め、シャーロットのことを外まで見送ってくれた。
「そのうち会わせてちょうだいね。ああでも、あんまり遠くまで行っちゃダメよ?」
「どうしてですか?」
「近くの町で、何か事件が起きたそうなの。だから変な人を見かけても近付かないこと、いいわね?」
「はい! いってきます!」
シャーロットは母親に手を振って、一目散に川辺を目指した。
やはり今日も、他に人影は見当たらない。あたりをキョロキョロと見回してから、シャーロットはすーっと大きく息を吸い込んで、その名を呼ぶ。
「アレンくーん! 来ましたよー!」
「……うるさい」
川辺の茂みがかすかに揺れて、仏頂面の少年が顔を出した。
これがここ一週間ほど続く、ふたりの朝の挨拶だった。
茂みの隅にいつものようにふたり並んで座る。
パンとリンゴを渡すと、アレンはすこし躊躇ってからおずおずと口を付けた。
あの日からずっと彼はこのあたりに隠れていて、怪我もすっかり治ってしまっている。そんな彼にこっそりと食料を届けるのが、シャーロットの日課となっていた。
一心不乱に食べるアレンのことを、隣でにこにこと見守るのも日課のひとつだ。
そのついで、先ほど母親と交わした会話を報告すると、パンをかじりながら彼はしかめっ面をしてみせた。
「おまえの母親……俺のことを犬か猫だと勘違いしてるんじゃないのか」
「そうなんですか?」
きょとんと目を丸くすると、アレンは盛大にため息をこぼした。
シャーロットは首をひねる。
「アレンくんのこと、おかあさんに言っちゃダメなんですか?」
「……大人は絶対にダメだ」
アレンは苦々しい面持ちで絞り出した。
そのまま無言でリンゴをかじりながら、小川の水面をじっと睨む。子供とは思えないほどの険しい顔だ。出会ったとき、シャーロットを追い払おうとしたあのときと似ている。
あのときは怖いばかりだったのだが――。
(アレンくん……かなしそう)
シャーロットはそんなふうに感じた。
出会ってもう何日も経つが、彼は自分のことをほとんど何も喋らない。シャーロットが食事を届けるにつれて多少口数は増えたものの、いまだに教えてもらえたのは名前だけだった。
(こまってる人には、やさしくしなきゃ。おかーさんが、いつも言ってます!)
彼の力になりたいと思った。
だからシャーロットは真剣にうなずく。
「それじゃ、アレンくんのことはだれにも言いません。約束です」
「ふん、どうだか」
アレンは口の端を持ち上げて皮肉げに笑う。
乱暴にリンゴを食べきると、その残りかすをぽいっと空へと投げ上げた。
まっすぐ人差し指を向け、呪文を唱える。
「《火炎》」
「わっ!」
その瞬間、食べかすは勢いよく燃え上がった。
地面に落ちる寸前にはすっかり黒い灰となっており、風に吹かれて跡形もなく消えてしまう。
アレンはシャーロットを振り返り、凄むようにして言うのだが――。
「いいか、いつだって俺はおまえをこうできるんだ。だから絶対に――」
「アレンくん、まほうつかいなんですか!?」
「っ……!?」
それを遮って、シャーロットはずいっと彼に近付いた。
彼の右手をぎゅっと握ると、アレンの顔が真っ赤に染まる。
そんなことにはおかまいなしで、シャーロットは目をキラキラさせるのだ。
「すごいです! ねえ、ほかにはどんなまほうが使えるんですか!」
「……やっぱり変なやつだな、おまえ」
アレンは投げやりに言ってのけ、シャーロットの手を振り払って草原に寝転がった。
ぼんやりと空へと手を伸ばし、まぶしそうに目を細める。
「こんな魔法、すごくもなんともない。俺より強いやつなんて、世界中にいくらでもいるんだからな」
「でも、すごいのはすごいです。こどもなのに、まほうが使えるんですから」
「俺は九歳だぞ。子供じゃない。おまえより四つも年上だ」
「おまえじゃなくて、シャーロットですよ」
「うるさい、ちび」
「むうー」
アレンは寝返りを打ってこちらに背を向けてしまう。
そんな彼に、シャーロットは首をひねるのだ。
「アレンくんのおかーさんは、まほうが使えてもほめてくれないんですか?」
「っ……」
シャーロットの母親なら、目を丸くして驚いて、頭をたくさん撫でてくれるだろう。
会ったことのない父も優しいというし、きっと褒めてくれるはず。
母親、父親というのはそういうものだと、シャーロットは信じていた。
だがしかし、アレンは背を向けたままぽつりと言う。
「……俺に親はいない」
「えっ」
シャーロットは目を瞬かせる。
「親も家族も、誰もいないんだ。帰る場所も、もう……って」
ぽつぽつと語り続けたアレンだが、ふと気付いたようにシャーロットを振り返る。
そうして、彼は思いっきり顔をしかめてみせた。
「なんで泣くんだ」
「だって、だって……!」
シャーロットはぽろぽろと涙を流した。
もしも母がいなくなったら、父が迎えに来てくれなかったら、シャーロットはひとりぼっちだ。そんなのは耐えられない。アレンの境遇を想像して、ひどく胸が締め付けられた。
シャーロットは目元をぐっとぬぐい、決心する。
「っ……わ、分かりました!」
「何がだ」
「わたしがアレンくんの、かぞくになります!」
「……はあ?」
堂々と言い放ったその言葉に、アレンは目を丸くした。
思い付きを口に出すと、それはとても素晴らしい考えのように思えた。
「かぞくになったら、アレンくんはもうさびしくありません! だからかぞくです!」
「別に……俺は寂しくなんかない」
つーんとそう言って、アレンはそっぽを向いてしまう。
口ぶりは冷たい。しかしその台詞に隠された本当の心を、シャーロットは機敏に感じ取った。アレンの手をぎゅっと握って、にっこりと笑う。
「かぞくになったら、毎日いっしょに、楽しいことをたくさんしましょう! なにをするのもいっしょじゃなきゃダメですからね!」
「楽しい、こと……?」
まるで初めて口にした単語だとばかりに、アレンは不思議そうな顔をする。
そうしてしばし視線をさまよわせ、小さく肩を落としてみせた。
「そんなの知らない。楽しいと思ったことなんて、一度も……って、また泣くのか!?」
「ううううっ……! な、泣いてなんかいません!」
目の奥がじんと痛くなって、涙はなかなか止まらなかった。
シャーロットにとっては毎日が楽しいことの連続だ。歌ったり、花を摘んだり、母とおしゃべりしたり――そんなキラキラ輝くものたちを知らないなんて、勿体ないと思えた。
シャーロットはぼろぼろと涙を流したまま、固い決意を口にする。
「それなら、わたしがアレンくんに楽しいことを教えてあげます! だってかぞくですから!」
「だから、家族になった覚えは……って、こら! 引っ張るな!」
それから、シャーロットはアレンをあちこちへと連れ回した。
町の老人から教えてもらった秘密の場所でノイチゴを採ったり、町外れの花畑で花冠を作ったり、歌って、踊って、意味もなくくるくる回ったり、草原に寝転がったり。
とにかく楽しいと思えることをいっぱいした。
気付けば、空は茜色に染まりはじめている。
ふたりだけがいる草原の真上を、鳥たちが巣に戻るべく飛んでいった。
シャーロットは有意義な一日を送れたことにとても満足していた。
それなのに、アレンは花冠を頭に乗せたまま首をひねるのだ。
「何が楽しいんだ……?」
「えええっ!?」
ふたつ目を作っていたシャーロットは、あまりの衝撃に声を上げた。
続きは明日更新します!本章は残りあと二話。
発売日まで残りわずか!次にくるマンガ大賞投票もよろしくお願いします!





