百八十五話 報復のとき②
アレンの隣でそれを見ていたナタリアもご満悦だ。
(ふふふ、ねえさまが主役の喧嘩なんてどうするものかと思いましたが……考えましたね、大魔王。ドロテアさんから魔法道具を借りるなんて)
(なあに、使える物はエルフでも使う主義だからな)
ドロテアが出歯亀に使っていた、姿を消す魔法道具である。
姿も気配も消せて、調整次第で今のシャーロットのように姿を透けさせることも可能。それを人数分借りたのだ。
シャーロットが幽霊として奴らを脅かし、姿を隠したアレンらが敵を排除する。
役割分担のはっきりした奇襲作戦である。
(おまえにも先日教えただろう、何も物理だけがケンカの手段ではない。多種多様な手立てを知っておくに越したものはないぞ)
(ふん、言われなくとも日々勉強中で……あっ! リディさん、ずるいですよ!)
(わはは、ぜーんぶわらわの獲物じゃー! 肩慣らしにもならーぬ!)
まだセシルの雇った腕利きたちは人数が残っている。
そのうちのひとりが暗器を繰り出そうとしたのだが、そこを容赦なくリディが風の魔法で吹っ飛ばした。無駄のない身のこなしと魔法の使い方に、アレンも舌を巻く。
(ほうほう。あいつはまだまだ伸びるなあ。ナタリアもうかうかしていられないぞ)
(ふっ、好敵手にとって不足はありません。わたしもやります! とーう!)
ナタリアも飛び出していって、敵のひとりを蹴り飛ばした。
瞬く間に廊下は倒れた男たちまみれになって、シャーロットはひどく歩きづらそうだった。
「くっ……ここは任せた! コーデリア、行くぞ!」
「い、行くってどこへ……!?」
分が悪いと判断したのか、セシルはコーデリアの手を取って屋敷を飛び出していった。
それもアレンの予想の範疇だ。
(よし、ならばフォーメーションその二だな)
ぱちんと指を鳴らせば、アレンの頭上を風の塊が飛び越える。
ルゥとゴウセツである。二匹はシャーロットのもとに颯爽と駆け付けて、向かってきた敵をそれぞれ蹴り飛ばした。
ゴウセツが前足で器用にサムズアップして決め顔を作る。
『反撃開始でございます。適度な速度で追いますぞ、ルゥどの』
『はーい! えものを疲れさせるのは、狩りのきほんだもんね! ママ、乗って!』
「は、はい!」
ゴウセツが先導役を務め、ルゥが乗り物役。役割分担も完璧だ。
二匹はシャーロットを伴って一気に廊下を駆け抜けていった。
「に、逃がすな! 必ずしとめ――ごほっ!」
残った者たちが色めき立って追おうとするが、全員数秒足らずで床へと沈んだ。
廊下はすっかり静かになった。ヴェールを取り払い、アレンは手に付いた埃を払う。
「ふう。雑魚はこれで終わりだな」
「ああっ!? 見てください、大魔王!」
ナタリアが慌てて窓の外を指す。
吹雪がうなりを上げる中、地面に描かれた魔法陣のゲートにセシルたちが吸い込まれていくのが見えた。シャーロットらもそれを追いかけて姿を消す。
竜宮郷のあちこちに繋がる移動用ゲートだが、世界中の各地に転送も可能だ。
ナタリアは血相を変える。
「やつら、まさかニールズ王国へ逃げたのでは……!? 大勢の兵がクソ王子に味方しますよ!」
「あー……それはマズいかもしれぬな。ゴウセツが何をするか分からない、って意味で」
リディも顔を曇らせる。ニールズ王国ではシャーロットは依然としてお尋ね者だ。そんな中に姿を現せば最後、大騒ぎになるのは間違いない。
しかしアレンは不敵に笑うだけだ。
「あれがニールズ王国に通じていれば、の話だろう。ついて来い」
ちびっこふたりを伴って、魔法陣ゲートに悠々とした足取りで歩み寄る。
複雑な紋様と魔法文字が書き連ねられたそこには、赤い線と文字が付け足されていた。
「先にゲートを弄っておいた。この先に通じているのは俺たちの屋敷の付近だ」
「本当に抜かりがないですね……味方で心底良かったと思いますよ」
「ふはは、そう褒めるな。見習うというのなら側で見て学ぶがいい」
「まあ、その性格の悪さは多少参考にしていますけど」
ナタリアはため息交じりにぼやいてみせた。
そんな中、リディが腕まくりをして意気込むのだが――。
「よーっし、それじゃわらわが一番乗りで――」
「っ……待て!」
ぴょんっと魔法陣に飛び乗ろうとしたリディを、アレンは慌てて抱き上げた。
一拍遅れ、そこに光弾が降り注ぐ。光が弾けた後には、凍てつく氷が魔法陣を覆っていた。
息を呑む三人の前に、天から大勢の者たちが降り立つ。
亜人や獣人、竜人にエルフ……顔ぶれは多種多様だが、総じて竜宮郷スタッフの制服を身に纏っている。皆が皆武装しており、鋭い目をアレンへ向けた。
「お客様……これはどういうことでしょうか?」
「ごっめーん、おにい。結界が破られちった」
彼らに連行されたエルーカが、両手を合わせて軽く謝ってみせた。
アレンはざっと人数を確認しつつ、ちびっこふたりを背中に庇う。
(ふむ……ここの警備は想定以上だったか)
エルーカの魔法の腕は、アレンには劣るとはいえかなりのものだ。
それが本気で展開した結界を破ってここまでたどり着くとは、並大抵のことではない。相当の遣い手が中にまぎれていると見えた。
とはいえ、こんな場所で足止めを食らっている場合ではない。
どこから敵陣を切り崩すかをざっと頭の中で計算しながら、重心をわずかに低くして臨戦の構えを取る。
「悪いが急いでいるんだ。邪魔立てするなら――」
「あら、クロフォード様?」
「うげっ!?」
しかし、その戦意が一瞬でかき消えた。
スタッフらをかき分けて、顔なじみの人魚が顔を出したからだ。
ユノハ地方の温泉宿で世話になり、ここでもまた例に漏れず多分なサービスをしてくれるコンシェルジュだ。
彼女はアレンを前にして、困ったように小首をかしげてみせた。
「ひょっとして、こちらのコテージを襲撃されたのはクロフォード様なのですか?」
「ぐっ……それに関しては申し開きできん」
アレンは口ごもるしかない。
もともとスタッフらを傷付けるつもりは毛頭なかった。
軽く洗脳魔法でもかけて追い返すか、眠ってもらうか。とはいえそれも荒っぽい手段には違いなく……知人にそんな無体が働けるほど、アレンは横暴でもなかった。
どうするか考えあぐねた末に、深々と頭を下げる。
「おまえと事を荒立てたくはない。頼む、何も言わずに見逃してくれ」
「……何やら事情がおありのようですね」
人魚のコンシェルジュは、しばしじっと考え込む。
その間、他のスタッフらは一切動こうとはしなかった。
やがて人魚が小さく息をこぼすと同時、彼らは一斉に武器を収める。
「分かりました。どうぞご自由にお通りください」
人魚の彼女がにっこりを笑う。
魔法陣ゲートに人差し指を向けると、覆っていた氷が一瞬で溶け消えた。
あまりにもすんなりと進んだ話し合いに、アレンは目を丸くする。
「い、いいのか? おまえがここの主に大目玉を食らうのでは……」
「ご安心くださいませ、そんなことは万に一つもありません」
人魚はくすりと笑う。
さらには恭しく胸に手を当ててこう続けた。
「それではどうぞ行ってらっしゃいませ。このヴィノス・ダゴルミョス、皆様のお帰りを心よりお待ちしております」
「っ……感謝する!」
アレンはナタリアとリディを連れ、魔法陣ゲートに飛び込んだ。
竜宮郷に来たときと同じで、淡い光が視界を覆ってぱっと晴れた瞬間、そこは見慣れた森の中だった。すっかり夜闇に沈んでしまっているものの、遠く離れた向こうに馴染みの街の光が見える。
魔法陣を振り返って、ナタリアが物憂げに眉を寄せる。
「あの方、本当に大丈夫でしょうか……独断でわたしたちの味方をするなんて」
「大丈夫だろう。何せ、あいつが竜宮郷の主だ」
「……は?」
ナタリアがきょとんとしたところで、魔法陣が再び光る。
その光から飛び出してくるのはエルーカだ。頰をかきながら、苦笑する。
「いやはや……ヴィノスさんから、あたしも行っていいって言われたよ。シャーロットちゃんと出会ってから、おにいは妙な縁ばっかり結んでるねえ」
「そろそろ己の引きが怖くなってきたころだ」
アレンはため息をこぼす。
オーナーが平然と接客対応するだろうか、普通。よほど仕事が好きなのかもしれない。
「ちなみに、ドロテアはどうしたんだ?」
「別行動して望郷の鏡で見てるってさ。なんかインスピレーションがビビッときたみたいで、原稿が捗りそうだとかなんとか」
「……あとで燃やすべきかなあ、その原稿。いったいどんな代物が出来上がるのやら」
気分が沈みそうになったところで――。
「きゃあああああ!?」
「っ……!」
街の方から、夜の静寂を切り裂くような悲鳴が轟いた。
うかうかしている暇はなさそうだ。
「時間がない! 俺たちも行くぞ!」
「はい!」
アレンがいち早く駆け出すと、ナタリアとエルーカがそれに続いた。
深まる闇の中、一行は一目散に街の明かりを目指して駆け出したのだが――。
「……おや?」
リディは足を止め、首をひねりながら街を眺めるのだった。
続きは来週木曜日更新します。
本章はあと四話。それが終わったら一日開けて、第一部ラストの次章は毎日更新予定(全七話)です。