百八十二話 陰謀の証明①
極北の行楽地、竜宮郷。
それは大陸の果て、閉ざされた氷河を越えた先に存在している。
元は氷河を収める大海神がたわむれに温泉を作ったのが始まりだった。
本来ならば生物が生存できない極寒の地だが、大海神の加護によりほどよい環境が維持されている。世界中からアクセス可能ということもあって人気も高い。
特に権力者から人気なのは、敷地内に点在するコテージだ。グレードは様々だが、どれも常に埋まっている。人気の理由はその秘匿性にあった。
世界のどこからでも訪れることができて、他の者と一切接触せず過ごすことができる。セキュリティも大海神の配下によって万全だ。
それゆえ、密会にはうってつけの場所なのである。
ここで世界の歴史が大きく動くこともある――そうまことしやかに囁かれているほどだ。
今宵もそのコテージのひとつで、秘めやかな逢瀬が行われていた。
白く輝く月が見下ろす中、人影が玄関のドアを叩く。分厚い毛皮のコートを着込み、頭の先からつま先までをすっぽりと覆い隠した人目を忍ぶ出で立ちだ。
「……私よ」
小声で絞り出すのは女の声。
すぐにコテージの中から足音が響き、勢いよく扉が開かれる。
女を出迎えたのは赤茶の髪をした青年だった。わずかに息を切らしていたものの、気品ある面立ちに浮かべるのは満面の笑みだ。そのまま青年は女を抱き寄せ、熱い口づけを交わした。
あたりは息が凍るほどの寒気に包まれている。
それでもふたりは長い間、互いの体温を分け合った。
しばらくして青年が体を離し、女のフードをそっと上げる。
棘を孕んだ美しい顔と、豊かな紫色の髪が露わになった。ふたりは月明かりの下で見つめ合い、甘い声で相手の名を呼ぶ。
「よく来てくれたね。愛しい人、コーデリア」
「お招きありがとう、セシル王子」
ニールズ王国第二王子、セシル王子。
エヴァンズ公爵家夫人、コーデリア・エヴァンズ。
露見すれば国を揺るがすスキャンダル待ったなしの密会だった。
セシルはコーデリアを屋敷の中へと招き入れる。
すでにリビングには暖炉が灯されており、あたたかな光で満ちていた。コーデリアをひとまず暖炉の前に案内し、セシルは背後を振り返る。
「おまえたちは引き続き外を見張っていろ。竜宮郷の者も入れるなよ」
「承知しております」
それに軽くうなずいてみせるのは、重装に身を包んだ戦士たちだ。その身のこなしには一切の無駄がなく、どれも一線級の実力を有しているとうかがい知れる。
男たちはセシルに一礼して音もなく部屋を辞す。
コーデリアはそれを睨み付けるようにして見送った。
「私兵なんて信用できるの?」
「相応の金を渡しているから安心しておくれ。君との密会に、国の兵を連れて来るわけにもいかないしな」
それにセシルは肩をすくめて答えてみせる。
ワインの瓶を開けてグラスを手渡すものの、コーデリアは顔をしかめるだけだ。
「嫌よ、そんな安物。久々に竜宮郷まで来たっていうのに、もう少しマシな品はないの?」
「あいにく、ここのグレードは下から数えた方が早くてね。備え付けの品も低俗だ。懇意にしている商人が融通してくれたんだが」
「ふん、三流商人ね。付き合うのは考えた方がいいわよ」
「もちろんそのつもりさ」
屑籠に開けたばかりの瓶を無造作に捨て、セシルはコーデリアの手を取る。
その手の甲に軽い口づけを落とし、ニヤリと笑った。
「だが、きみとこうして誰の目も気にせず過ごせるのはありがたい。きみは大丈夫だったかい? いくらなんでも公爵家の奥方が夜に出歩いちゃマズいだろ」
「問題ないわ、いつものように使用人は口止めしてあるから。万が一に備えて、影武者も立ててきたし」
コーデリアはふんっと鼻を鳴らす。
「当主様は相変わらずあちこちに出かけてばかりよ。まったく、あの老いぼれときたら……仮にも妻を放っておいて、いったいどこで何をやっているのだか」
「ふっ、外で女でも作っているんじゃないのか。かつて侍女なんかに手を出した男だぞ、エヴァンズ卿は」
「それなら……好都合だわ」
仮にも夫への侮辱に対して、コーデリアは口の端を持ち上げて笑う。
セシルの手を握り、甘く囁くように続けた。
「そろそろ当主様にも退場いただきましょうよ。娘があそこまで世間を騒がせたんだもの、どうとでも理由付けは可能でしょう」
「ああ、もちろんそのつもりで準備を進めているよ。近いうちにエヴァンズ公爵家は取り潰しとなる」
セシルはまるで天気の話でも口にするように軽く断言してみせた。
笑みを深め、コーデリアの顔をのぞき込む。
「何しろ国を騒がせた悪女、シャーロットを輩した家だ。この上さらに当主の素行に問題ありとなれば……過去の栄光も関係はない。あの家の命運は風前の灯火だ」
「ああ……! 嬉しいわ、セシル! やっと私は自由を手にすることができるのね!」
コーデリアは感極まったように声を上げ、セシルの首に抱き付いた。
うっとりと目を細める様は汚れを知らない少女のよう。
彼女は満面の笑みを浮かべてセシルの耳にささやきかける。
「これでようやくあなたと一緒になれるのね……六年前、お城のパーティーであなたと出会って一目で分かったわ。私と結ばれるべきなのはエヴァンズ卿なんかじゃなくて、あなただって」
「俺もまったく同じ気持ちだよ、コーデリア。俺に相応しいのは、生まれも気品も完璧なきみしかいない」
セシルも軽くうなずいてみせるものの、ふと眉をひそめてみせる。
「だが、あの女が万が一にも生きていたら厄介だ。探知魔法を使った城の魔法使いの内、何名かは『生きている』と主張したらしいんだが……」
「ふふ、それの何が問題だっていうの?」
女は唇をゆっくりとつり上げて嗤ってみせた。
「たとえ生きていたところで、あの愚図に何ができるのよ。何年にもわたっていびり抜いてやったっていうのに、一度も私に刃向かわなかったんだから」
「ふっ、きみも悪い人だな。いったいどれだけ彼女で鬱憤を晴らしたんだい?」
「だってあんな女があなたの婚約者だなんて……許せないもの」
「それは俺も同じさ。元々あの女は気に食わなかったんだ。下賎な生まれと分かって納得したくらいだよ」
「良かったわ、私の運命の人がきちんとした眼をお持ちで」
ふたりはくすくすと笑い合う。
やがてセシルは息を吐き、そっと窓の外を見やる。
「ま、俺もきみとほとんど同意見だが……万が一ということもある。あのとき牢を抜け出せた仕組みも、依然として分からないままだしな」
雪の吹きすさぶ外の景色をじっと見つめる目は、ひどく冷え切っている。
だが次に息を小さく吐いて浮かべた笑みは、勝利を確信したそれだった。
「明日からは懸賞金をさらにつり上げて、捜索隊も出す。そうして今度こそあの女の死体を、きみの前に差し出そうじゃないか」
「ふふ、待ち遠しいわ。ひょっとしたら化けて出るかもしれないわね」
コーデリアが声を弾ませて高笑いする。
それを聞いていたのは笑みを深めたセシルと、部屋で燃えさかる薪――そして。
「よし、落ち着いて決を採ろう」
一方そのころ、彼らのコテージから遠く離れた雪原にて。
大きなかまくらの中で、アレンらは車座になって手鏡を囲んでいた。
望郷の鏡と呼ばれる魔法道具で、遠く離れた場所の光景を映し出すことができる。
対象との距離が近ければ音声まで傍受可能だ。
先日、学院に赴いたとき、ナタリアの様子をこっそり窺うのに使ったことがある。
そして今、そこにはセシル王子とコーデリアが映し出されていた。
仲睦まじいふたりをじっと見つめたまま、アレンは人差し指をぴんと立てる。
「山に埋めるか、海に沈めるか、もしくはこの場で切り刻むか。おまえたちはどれがいいと思う?」
『とりあえず全部で』
「ぜ、全然落ち着いていませんよ、みなさん」
殺気全開の面々の中、シャーロットだけがあたふたしていた。
続きは来週木曜日更新します。わりと最初から決めていた展開だったりします。
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