百七十四話 リディ・クロフォード①
屋敷の片隅に存在する、アレンの研究室。
そこでは本日の仕上げが行われていた。
「よし、体に違和感はないか?」
「む……う」
アレンの問いかけに、相手は両手をにぎにぎしながら小さくうなずく。
見た目年齢十歳ほどの女児だ。
髪は透けるような銀で、瞳は鮮やかな真紅。
それ以外の点を除けば、シャーロットをそのまま幼くしたような容姿である。
着せる物が無かったので、アレンのシャツをぶかぶかのワンピースのようにまとっていた。
可憐で、守ってあげたくなるような少女ではあるものの――アレンを見上げる目はひどく鋭い。
「この肉体はホムンクルスじゃな。わらわの仮の器とするためにわざわざ作成したというのか」
「も、もちろんその通りだ! それ以外にこんなものを作る理由などあるわけないだろ!」
「何故おぬし、今ちょっと動揺したのじゃ……?」
ますます目をすがめるリディリアだった。
シャーロットの魂からリディリアの人格部分を分離して、それをそっくりそのまま仮初の肉体へと封じ込める。
言うは易いがそれなりにテクニックを必要とする処置である。
とはいえ、大魔王の名をほしいままにするアレンにとっては朝飯前の作業であった。
(シャーロットへの誕生日プレゼントのつもりが、まさかこんな使い道が生まれるとはなあ……)
あのときお蔵入りにして、本当に良かった。
しみじみしつつも、諸注意を簡単に説明する。
「ホムンクルスではあるが、成長もするし病気も怪我もする。さらに、魔力は元の十分の一ほどだ。これから訓練次第で伸びるだろうが、慣れるまでは注意しろよ」
「その程度なら問題はないじゃろう」
リディリアは鷹揚にうなずいてみせるものの、最後にほんの少し足元に目線を落とし、小さな人差し指をすりあわせる。
「それより、今一度聞くが……おぬし、本気でわらわを――」
「アレンさん、終わりましたか?」
「ああ。問題ないぞ」
控えめなノックが、リディリアのセリフを遮った。
アレンが応えれば、ゆっくりと扉が開かれてシャーロットが部屋の中をのぞき込んでくる。
最初は心配そうに眉を寄せていたものの――。
「わあ、可愛いです!」
「ひゃっ」
リディリアの姿を見て、パッと顔を輝かせる。
その声に驚いてリディリアはアレンの陰に隠れてしまうのだが、後から後から野次馬が入ってきてすぐに取り囲まれてしまう。
「へー、なかなかやるじゃん。さすがはおにいだよね。こんな短時間でホムンクルスを作っちゃうとかさー」
「ふむふむ、わたしよりほんの少し背が低いのが気に入りました。よしよししてあげましょう」
「こ、これ! 頭を撫でるな! わらわを誰と心得て……きゃっ!?」
エルーカとナタリアに揉みくちゃにされて、リディリアは悲鳴を上げて逃げようとする。
しかし後ずさった先にルゥとゴウセツがいたので、完全に退路は断たれてしまった。
『ほんとだ、ちっいゃーい! これならルゥも丸呑みできるかも!』
『くくく。いけませんぞ、ルゥどの。食べるならもっと育ってからの方がお得でございますゆえ』
「ひいいぃっ!? た、助けるのじゃアレン!」
こうして完全に縮み上がったリディリアが足にしがみついてくるので、アレンは片眉を上げて訝しむ。
「さっきまで普通に接していただろ。そんなに怯えるものか?」
「体が小さくなったせいで、こいつらが大きく見えて怖いのじゃ! そもそもその地獄カピバラはわらわに対して敵意ビンビンじゃし……!」
『まあ、シャーロット様を牢獄より救い出した恩人とはいえ、迷惑をかけたのも事実でございますしなあ。良い子にしておかねば、この儂が取って食ってしまうのでそのつもりで』
「うううっ……め、目力がすごいのじゃあ!?」
目をかっ開いたゴウセツに凄まれて、リディリアはますます半泣きになる。
精神は肉体に左右されるというし、今は享年相応くらいの精神年齢になってしまったようだ。
そんなリディリアを見下ろして、アレンはふむと顎に手を当てる。
「変に大人ぶるより、こちらの方がはるかに健全だな。やっぱりこれで正解だったか」
「納得しとらんで助けよ! わらわ、肉体を得て即座に命の危機なんじゃが!?」
「もう……ダメですよ、ふたりとも」
じりじりと距離を詰める二匹の頭をぽんぽんし、シャーロットは苦笑する。
「仲良くしてくださいね、今日から家族の一員なんですから」
『うん! ルゥ、たくさんめんどーみる! だって、ルゥのがおねえちゃんだもんね!』
『シャーロット様の頼みとあらば、委細承知いたしました』
「……家族、なあ」
盛り上がる二匹を前に、リディリアはふたたび神妙な面持ちを作った。
伏し目がちにアレンを見上げて、軽く首をかしげてみせる。
「その、本当に良いのじゃろうか……? はるか昔に死んだわらわが、第二の人生を歩むなど……自然の摂理に反するのではないか」
「何を言うか。この程度の事例ならいくらでも存在する」
不安げなリディリアに、アレンは肩をすくめてみせる。
前世の記憶が完全に蘇ることは多いし、遺灰から雛となって復活する不死鳥もいる。
自らの身体を新調し続け、千年という長きを生きた魔法使いの逸話もある。
「死ねばそこで終わりだなんて誰が決めた。生者の権利を冒さぬ限り、おまえの人生はおまえだけのものだ。好きにするといい」
「そういうものなのかのう……?」
「うむ。それに、この通り。すでに役所にはおまえの市民登録届けを出してきたからな。もう後には引けんぞ」
「い、いつの間に!?」
アレンが取り出した書類を前にして、リディリアは目を丸くする。
役場が発行してくれる身分証明書である。
犯罪歴などを照会されるものの、他国の者でも市民登録は可能だ。人間以外の種族も、もちろん登録できる。
「さあ、これでもうおまえは腹を括るしかない。何でもしたいことをするといい」
「むうう……だから、急にそう言われても……あっ」
リディリアは目線をさまよわせ、ハッとする。
そうしてじっと、格式張った文字の並ぶ書類を見つめるのだ。
「では……文字を学んでみたいのう。聖女として生きたころは、そんな暇がなかったから」
「いい目標じゃないか。このくらいすぐに読めるようになるだろう」
「う、うむ。じゃが、今でも少しは読めるのじゃぞ。これはわらわの名か?」
「ああ」
指さした箇所には、とある名前が書かれていた。
リディ・クロフォード――とある。
それを横手からのぞき込み、ナタリアが不思議そうにする。
「あれ、名前はリディリアではないのですか?」
「一応変えておいたんだ。聖女の名だと、色々支障があると思ってな」
もしも、リディリアが成長して魔法使いとして大成したとき、かつての聖女と同じ名前では伝説と比較されてしまうかもしれない。
エヴァンズ家との繋がりを詮索されても厄介だ。
「ともあれ、気に入らなければ好きに名乗るといい。元の名前でもかまわんぞ」
「……いいや、これでいい。リディがいい」
リディリア――リディはゆっくりとうなずいた。人差し指をかざして呪文を唱えれば、そこには小さな炎が生まれる。しかしナタリアに攻撃を仕掛けたときのような、絶大な魔力はカケラも感じられなかった。
アレンをまっすぐに見上げて、ごくりと喉を鳴らす。
「聖女は死んだ。ここにいるのは……ただ少々魔法が使えるだけの聡明な子供。そういうことで、よいのじゃよな」
「その通り。聡明というか、単にクソ生意気なだけだがな」
「ふん。おぬしのようなガサツな男では、わらわの繊細さが理解できずとも無理はないのう」
がしがしと頭を撫でてやると、リディは不敵に鼻を鳴らしてみせた。炎を消した指先を、びしっとアレンに向ける。
「おぬしがそこまで言うのなら、リディとして生きてやろう。ただし、言い出したからには責任を持て。誠心誠意、わらわに尽くすがいい」
「拾ったからにはもちろん面倒を見るとも。まずはこいつで勉強しろ。文字を学べる絵本だ」
「なにっ! おぬしのくせに気が利くではないか、どれどれ……」
アレンが取り出した絵本を受け取って、リディはぺらぺらとめくる。もっと年少の子供が親しむような一冊だが、段々とその目には輝きが増していった。
それを見て、アレンはニヤリと笑うのだ。
「そいつはさっき、お前に読み聞かせてやるためにナタリアが買ってきた一冊だ。気に入ったのなら礼を言っておけよ」
「な、ナタリア……か」
リディはバツが悪そうに眉を寄せる。
絵本で顔を隠しつつナタリアのことを窺って、しばしまごまごしたものの……やがて覚悟を決めるように唇を噛んで、ぺこりと頭を下げてみせた。
「その、先刻はすまなんだ……頭に血が上ってしもうた。本当に申し訳ないことをした」
「き、気にすることはありません。あの程度なら大魔王がいなくても防げましたしね」
それに、ナタリアはふんっと鼻を鳴らして横柄に言ってのけた。リディの持った絵本を覗き込んでぶっきら棒に続ける。
「ところで……文字を学ぶというのでしたら、わたしが教えてあげてもかまいませんよ。舎弟たちの勉強を見てやることも多いですし、人に教えるのは慣れていますので」
「じゃが、わらわはおぬしより年上じゃぞ。年下に教えを乞うのはどうも座りが悪いというか……」
「細かいことはいいでしょう。学ぶことに年齢など関係ありませんから」
「む、むう……そういうものか。では、頼まれてくれるかのう?」
「まったく仕方ないですね。今日はもう遅いですが、あとで少し読んであげましょう」
ナタリアはふんぞり返ってニコニコする。妹のような存在ができて嬉しいらしい。
そんなちびっこ二人を横目に、エルーカがアレンの肩をぽんっと叩いてくる。
「よかったねえ、おにい。なんとか丸く収まって。でも、パパが見たらびっくりするだろうねえ」
「そうか、報告する必要があるか……絶対色々言われるよなあ」
「そりゃ報告はいるっしょー」
天井を仰ぐアレンに、エルーカは口元を隠してにまにま笑う。愉快で楽しくて仕方がないとでも言いたげに続けることには――。
「まさか、あのおにいがパパになるなんてねー」
「…………は?」
その台詞に、リディがぴしっと凍りついた。
続きは来週か再来週に……!
長くなりましたが、次回で聖女編終了予定。
ここ半月ほど風邪をこじらせ続けておりました。復活したので更新もぼちぼち再開です。
コミカライズ二巻はクリスマスに発売予定!特典情報などもそのうち活動報告に記載します。





