十七話 イケナイ、ストレス発散方法③
シャーロットばかりか、ミアハも目を丸くして固まる。
しんと静まり返ったなか、アレンは首をひねる。
「む、聞こえなかったのか? 俺を殴れと言ったんだが」
「いやいや聞こえてましたけど! ど、どうしてですか!?」
「魔王さん……そういう趣味があったのですにゃー……」
「勘違いするな。これもイケナイことの一環だ」
じとーっと白い目を向けるミアハに、アレンは肩をすくめてみせる。
しかしシャーロットの顔は真っ青だ。グローブをつけた手を胸に抱いて、ぶんぶん首を横に振る。
「そんなことできません! アレンさんにはお世話になっていますし……無理です!」
「できないとか、できるとかじゃない」
アレンはにっこりと笑う。立てた人差し指をついっと曲げて『来い』と示す。
「やるんだ」
「はっ……!?」
刹那、シャーロットの右腕が突然跳ね上がる。
そのまま彼女は腰を沈めて思いっきり振りかぶり――。
「ごふっ!?」
「アレンさぁん!?」
アレンの頰に、綺麗なコークスクリュー・パンチが炸裂した。
おかげでアレンは三メートルほど吹っ飛んだ。せっかく掃除したリビングに、天井から埃が舞い落ちる。
床に転がりうめくアレンに、シャーロットが慌てて駆け寄ってくる。
「い、今のはなんなんですか……!? 勝手に、グローブが動いて……!」
「ふっ……魔法だ。お前の右腕を操って、俺を殴らせた……いいパンチだったぞ」
「ミアハはいったいなにを見せられているのですにゃ……」
ミアハがドン引きの目を向けてくるが、かまっている余裕はなかった。
アレンは怪我の具合を確かめる。口の中と唇を少々切ったが、歯も骨も無事。口の端ににじんだ血をぐいっと拭い、青い顔のシャーロットに笑いかける。
「いいか、シャーロット。これだけは言っておく」
「な、なんですか……!?」
「俺は殴られようと、踏まれようと、悪態をつかれようと。なにがあってもおまえを見捨てない」
「……っ」
シャーロットは言葉を失う。
伝えたかったのはこれだけだ。
アレンは彼女の味方である。どんなことがあってもそれは変わらないし、変えるつもりもない。
昨日今日出会ったばかりの少女に誓うにしては、あまりに度を過ぎた告白だとわかっていても。言わずにはいられない。
「ここはエヴァンズ家じゃない。おまえはなにを感じてもいいし、なにを言ってもいい。自由なんだ」
「じ、ゆう……」
シャーロットは初めて聞いた単語とばかりに、その言葉をぼんやりと口にする。
しかしすぐにハッとするのだ。
「それを言うために……ご自分を殴らせたんですか!?」
「当たり前だろう。ここまでしないとお前は考えを変えないだろうからな。ショック療法というのがあるだろう」
「捨て身にもほどがあります!」
シャーロットは顔を真っ赤にして怒る。
おかげでアレンはたじろぐしかない。
「そ、そうは言ってもな、この程度の怪我ならすぐ治せるんだ。ほれ」
簡単な治癒魔法を自分にかける。
すると頰の腫れは引き、口の中の鉄錆味も綺麗さっぱり消えた。
「このとおり。取り返しのつかないことなんて、なにもない。だからお前には、あらゆるものを怖がらずにいてほしいんだ」
「アレンさん……」
シャーロットはほんのすこし目を丸くするが……すぐにスッと素の怒り顔に変わる。
「でも、さっきアレンさんが痛い思いをした事実は変わりませんよね」
「うっ……それはまあ、そうだが」
「こういうことは今後一切やめてください。心臓がいくつあっても足りません」
「わ、わかった……」
アレンはおずおずと頷くしかない。
怖いもの知らずの彼ではあるが、シャーロットの本気の怒りが伝わってさすがに堪えた。
すると……シャーロットはわずかに相好を崩してみせる。
「……これまで、私は色んなことを怖がって生きてきました」
シャーロットはどこか遠い目をして言う。
「でも……もういいんですね」
「……もちろんだ」
その手をそっと握る。
グローブ越しに、シャーロットの緊張が伝わった。彼女は決意のこもった目でアレンを見つめる。
「すぐには無理かもしれませんけど……私、頑張ります。自分の思っていること、ちゃんと言えるようになりたいです」
「うむ。急がなくていいぞ。俺はいつまでだって付き合うからな」
アレンはそれに笑いかける。
ストレス発散という当初の予定からはずいぶん外れたが……まあ、最初のステップとしては悪くないだろう。
(シャーロットは、ここからやり直すんだ。俺はゆっくりそれを見守ろう)
そこでふと、所在なさげに佇むサンドバッグが目に入った。そのついで、そばのミアハに苦笑を向ける。
「すまないな、ミアハ。せっかく持ってきてもらったのに……こいつを使うのは当分先になりそうだ」
「いやいや、とんでもないですにゃ」
ミアハは、何故か満面の笑みでかぶりを振る。
アレンの顔を覗き込み、ゴロゴロとのどを鳴らしながら言うことには。
「それより、今後とも我がサテュロス運送社をご贔屓にお願いしますにゃ」
「うん? それはもちろんだが。なぜだ?」
「だって、これから色々ご入り用だと思いますからにゃ! ダブルベッドに指輪に……ベビーグッズも近々必要になりますかにゃ! やー、運び屋の腕がなりますにゃー!」
「なんでそんなものが必要に……?」
「さあ……?」
ひとり盛り上がるミアハとは対照的に、アレンとシャーロットは顔を見合わせるばかりだった。