百六十六話 聖女リディリア③
前回までのあらすじ……聖女様はやさぐれている。
『そういえば牢屋の中で食事が出されて、それに口をつける前に眠くなって……』
「まったく。おぬしときたら警戒心がないのだから焦ったぞ」
青ざめるシャーロットとは対照的に、リディリアはくつくつと喉を鳴らして笑う。
「……リディリア、ひとつ聞かせてくれ」
そんな彼女に、アレンは問う。
確認しておかねばならないことは、もうひとつあった。
「どうしてそのままシャーロットの体を乗っ取らなかったんだ」
「なに……?」
「いや、そのときだけじゃない。機会はいくらでもあったはずだ。シャーロットの体を奪って、屋敷を飛び出せば……おまえは聖女でも公爵家令嬢でもなんでもない。自由を手にすることができただろうに」
転生者の中で、前世の人格と現世の人格――このふたつが同居してる現象は極めてまれだ。
その理由は単純明快。ふたつの人格がぶつかり合った場合、強い力を持つ方がもう片方を吸収統合してしまうからである。
それゆえ二重人格のようになっている転生者は珍しい。
リディリアほどの力を持った人格なら、シャーロットの意識を完全に眠りにつかせ、体を乗っ取ることなど造作もなかったはずだろう。
「なぜそうしなかったんだ? 非業に終わった人生をやり直すチャンスじゃないか」
「馬鹿を言え。わらわは二度目の人生などいらぬ」
リディリアはあっさりと首を横に振った。
そこには何の躊躇いも、苦悩もない。シャーロットの顔に、彼女は色濃い諦念をうかべてみせる。
「わらわはもう疲れてしもうた。できればゆっくり眠りたい」
「……ひょっとして、それがおまえの望みなのか?」
「そのとおり」
リディリアは鷹揚にうなずく。
「あのとき牢屋でシャーロットを救うために、久々に力を使ったからのう。わらわは疲れ果てて眠ってしもうた。しかし、それも時が経つにつれて回復して……気付いたときには、もうこの娘は幸福を手に入れていた」
何ものにも脅かされない穏やかな日々と、心強い理解者の数々。そして心の底から愛する人。
そうしたものに囲まれるシャーロットを知って、リディリアは決意したという。
「ならば、わらわが見守る必要はない。こうして表に出て来てしまったのは事故ではあるが……これもいい機会じゃ」
リディリアはアレンの目を真っ直ぐに見据え、胸に手を当てて告げる。
「アレンとやら。おぬしほどの力があるならば、わらわを完全なる眠りにつかせる術を当然知っておろう。頼めるか」
「あるにはある、が……本当にいいのか? それはもう完全なる消滅だぞ」
前世と現世の人格がひとつの肉体に同居した場合、さまざまな問題を招く。肉体の主導権をめぐる争いから、精神不安……そして現行の法律では、主権を握るのは現世の人格だ。前世の人格は過去の亡霊でしかなく現世を生きる権利を有さない、というのが解釈の根幹である。
そこで邪魔になった前世の人格を消去する魔法という、あまりに使い所の限られる術が存在する。
アレンも論文を昔読んだくらいで習得はしていないが……論文を取り寄せ、独自に改良を加えればリディリアほどの強い力を有した人格ですら消し去ることは造作もないだろう。
だが、それはさすがに躊躇われた。
相手は享年十歳の少女の人格、しかもシャーロットの恩人だ。
酷なことはしたくない。しかしリディリアはあっさりと言う。
「かまわん。こんなくだらない世界に未練などない。かと言って、自分で自分を消そうにも上手くいかん。それゆえおぬしの力を借りたいのじゃ」
「しかし……」
アレンは渋る。
ナタリアやルゥも納得できる話ではないらしいが、口を挟める空気でもないのか顔を見合わせるばかりだった。
リディリアの気が今後変わらないとも限らない。
シャーロットの害になる可能性があるのなら、排除すべきであることは重々承知していた。
それでも決断することは難しかった。
だからアレンは――判断を委ねることにした。
「おまえはどう思う、シャーロット」
『そんなの……もちろんダメに決まっています!』
「まあ、おまえはそう言うよなあ」
シャーロットは拳をぐっと握って断言してみせた。
あまりに予想通りの回答にアレンの頰がゆるむ。シャーロットはなおも声を荒げてみせるのだった。
『せっかくリディリアさんに会えたんです。まだお礼もできていないし……それなのにお別れなんて、寂しすぎます!』
「礼なぞいらぬ。わらわはただ、このくだらない世界を去りたいだけじゃ」
『それが間違っているんです!』
「ほう……? いったいどういうことじゃ」
いつになく強い語気のシャーロットに、リディリアはすこし興味を惹かれたとばかりに目をすがめる。
シャーロットは彼女をまっすぐ見つめて続けた。
『この世界には、たしかに酷いことも、辛いこともたくさんあります。でもそれ以上に……楽しいことも嬉しいことも、素晴らしいものがたくさんあるんです! くだらなくなんて、ありません!』
「ふむ、面白いことを言い出すやつよのう」
リディリアはくすりと小さく笑みをこぼす。
不敵な笑みを浮かべてみせて、彼女は朗々と謳うようにして言う。
「わらわは聖女と崇められた者。この世の贅も悦楽も、嫌と言うほどに味わった」
希少な食材をふんだんに使った高級フルコース。
最高級の絹で仕立てられた衣。
きらびやかな金銀財宝。
そうしたものを、リディリアは生前頻繁に献上されたという。
「だが、そのどれも我が心を動かすに値しなかった。そんなわらわに教えてくれるかのう。この世界に、いったいどんな素晴らしいものがあるのか」
『うっ、ううう……それ、は……!』
シャーロットは口ごもり、視線をさまよわせる。
しかしすぐにハッとしてアレンをまっすぐ指し示すのだ。
『それは、アレンさんが教えてくださるはずです!』
「予想はしていたが……すごい無茶振りを投げてくるな、おまえ」
『あうっ、す、すみません……』
分かっていた展開ではあるものの、おもわずぼやいてしまうアレンだった。
しゅんっと小さくなるシャーロットをよそに、リディリアは呆れたように肩をすくめてみせる。
「なんじゃ、おぬしがわらわに世界の素晴らしさを教えてくれるのか。たしか『イケナイこと』だったかのう」
「む、知っていたのか」
「当然じゃ。途中からはある程度こちらのことも覗いておったからのう」
リディリアは飄々と言ってのける。
(つまり、シャーロットとのあれやこれやを知られている……と、つまりはそういうことだな……?)
具体的には、昨夜シャーロットといい雰囲気になったことだとか。
すこしげんなりしてしまいそうになるものの、リディリアが続けた言葉によって心のもやが吹き飛んだ。
「はん。そんな子供騙し、わらわに通用するはずがなかろうに」
「なにぃ……?」
アレンのこめかみがピクリと動く。
それに気付いてか気付かずか、リディリアは小馬鹿にするようにしてせせら笑うのだ。
「おぬしがわらわの心を動かすなど、不可能に決まっておる。多少魔法の腕が立つようじゃが、こんな阿呆に絆されるなど、よほどのお人好しか世間知らずか、もしくは同じ阿呆くらいのものじゃろう」
「ねえさまを悪く言うのはいただけませんが……まあ、大魔王に対する評価はおおむね正しいですね」
『っていうか、アレンがバカなのは、見れば誰でもわかるんじゃない?』
「やかましいぞ貴様ら! どっちの味方だ!?」
しみじみ賛同するナタリアとルゥを一喝し、アレンはリディリアにのことを真っ向から睨め付ける。
「いいだろう、生意気なクソガキめ! 必ずやおまえにイケナイことを教え込み……ぴーぴー泣かせてやる! あまり大人を舐めるなよ!?」
「はっ、やれるものならやってみるがいいわ!」
『け、ケンカはいけません! 仲良くしなきゃですよ!』
シャーロットが慌てるのにもかまわず、リディリアもその挑戦を受け止めて、アレンと火花を飛ばすこととなった。
続きは7/16(木)に更新します。
一週間お休みしますが申し訳ない……!最悪再来週も休載しますが、なんとか頑張って上げたい所存。
本日はコミカライズが更新されております。下のリンクからどうぞ!サンドバッグ回です。