百五十一話 彼女が大切にするもの③
それからナタリアは、姉のことをぽつぽつと語った。
腹違いだが、生まれたときからずっとナタリアに優しくしてくれたこと。
それがいつの頃からか、家で奴隷同然の扱いを受けていたこと。
そんな姉の現状をなんとかしたくて、自分にできるかぎりの手助けをしていたこと。
しかし家の者の目を盗んで、傷みかけた果物をそっと渡すくらいのことしかできなくて、ずっと悔しい思いをしていたこと。
アレンはただ静かに耳を傾け続けた。
その声は震えていて、深い後悔が滲んでいた。
しゃくり上げながら、腹の中のすべてをぶちまけるようにして、ナタリアは続ける。
「わたしは、大きくなったらねえさまを助けるんだって、ずっとずっと、思っていました。でも……それが間違いだった」
姉がいなくなって、この学院に送られて。
そこでナタリアは自分に眠る魔法の才能に気付いて……絶望したという。
「あのころすぐに立ち上がっていたら、わたしはねえさまを救えたんです。なのに子供だからと言い訳して、わたしは何もしなかった。だからねえさまは国を追われる羽目になったんです」
「……おまえのせいではないだろう。そもそもその、陥れた王子とやらが悪いんだ」
「ですが……わたしに罪がないとは言えません」
ナタリアは力なく首を振る。
ただの無力な子供であったのなら、ここまで後悔に苛まれることもなかっただろう。
なまじ才能に恵まれてしまったからこそ、姉を救えたはずだという確信が少女の心を苛み続ける。
「あの一件があって、ねえさまの私物は家からすべて処分されてしまったんです。これだけが……わたしがずっと預かっていたこれだけが、唯一残されたものでした」
ナタリアは指先が白くなるほどに件のカバンを抱きしめる。
「これがあるおかげで、今もねえさまがどこかで生きていることだけはわかるんです。誰の手にだって、触れさせるわけにはいきません」
「失せ物探しの魔法か……私物の痕跡を頼りにサーチをかけたな?」
「ええ。でも、居場所まではまだ……」
「……そうか」
物に残った思念を辿り、持ち主の居場所を探る魔法というものがある。
しかし、これがかなりの難易度を誇るのだ。物に残された思念が古い物であれば追跡困難だし、たとえ思念が新しくてもその方角にダンジョンなどの何か大きな力があれば阻害されて辿れなくなる。
ナタリアの部屋に残されていたメモからは、かなりの試行を重ねたことがうかがえた。
(姉に会いたい一心で……藁にもすがる思いだっただろうに)
そのことに、アレンは胸がいっぱいになるのだが――。
「まったくもって忌々しい……どこの誰か知りませんが、ねえさまを捕らえている不届き者を早くこの手で八つ裂きにしてやりたいですよ」
「…………うん?」
ナタリアが忌々しげに舌打ちして、さっと肝が冷えた。
シャーロットを捕らえる不届き者……とは?
「えーっと……どうして姉が囚われの身だと思うんだ?」
「毎度毎度、何か強い力のせいで追跡が阻害されるんです。最近じゃ、ねえさまはわたしのすぐ近くにいるなんてふざけた反応を示すし……わたしが探していることに気付いて、邪魔しているに違いないんです」
「はあ……」
「まったく、どこのどいつがねえさまを……絶対に見つけ出して、この手で始末してやります。必ず、この手で」
ナタリアは鬼気迫る形相で、ぐっと拳を握ってみせた。
どうやらアレンがすぐそばにいたせいで、追跡魔法の邪魔になっていたらしい。
(俺……八つ裂きにされるのかー……)
無実とも言い切れないので、たちが悪かった。
これは大人しく運命を受け入れるしかないかもしれない。
遠い目をしていると、ナタリアが拳を解いて、件の旅行鞄をそっと撫でる。
「邪魔者はいますが……わたしはいつかねえさまを探し出します。憎まれていても、恨まれていてもかまいません。これを返して……ねえさまに、ちゃんと謝るんです」
絞り出す声はとても固く、相当な覚悟がうかがえた。ナタリアはボロボロと涙をこぼしながら、最後の決意を口にする。
「だから、そのためにも、わたしはもっと、もっと強くならなきゃいけないんです……!」
「……おまえの気持ちはわかった」
アレンはその肩をぽんっと叩いた。
姉に会って謝りたい。その思いは本物だろうし、尊重すべきものだ。
「だが、あまり無茶はするな。そんなことでは、おまえの姉だって悲しむに違いない」
「ふん……陳腐なセリフですね。あなたに、ねえさまの何が分かるというんですか」
「分かるとも」
不満げなナタリアの涙を拭ってやりながら、アレンはさっぱりとした笑みを返す。
ナタリアが口にした覚悟は、奇しくもシャーロットが先日妹へ向き合う決意を固めたときと、よく似通ったものだった。
だから――この姉妹なら大丈夫だと、心からそう思えた。
「断言しよう。おまえたち姉妹は、昔よりずっと自然に笑い合えるようになる」
「……まさか」
「信じられないか? なら、その目で確かめさせてやろうじゃないか」
「まるでねえさまと会わせてやるとでも言いたげな口ぶりですね……」
ナタリアは渋い顔でアレンを見つめる。その真意をはかりあぐねているようだった。
「どうしてそこまでするんですか。あなたとわたしは、つい先日会ったばかりの他人なのに」
「なに、簡単な話だ」
大事な人の妹だから。
それももちろんあるが、この一週間でアレンにとってナタリアはまた違った特別な存在に昇華していた。頭をぐしゃぐしゃと撫で回し、ニヤリと笑う。
「おまえは俺の生徒だからな。生徒のために身を粉にするのが教師というものだろう」
「……アレン先生」
続きは明日更新します。本章あと残り三話です。
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