百五十話 彼女が大切にするもの②
この世界で言うところのダンジョンというものには、さまざまな種類が存在する。
はるか昔からその地方にあるもの。魔物が住み着いた結果ダンジョン化したもの。
なりたちは多種多様だが、中でも珍しいのは人工的に作られたダンジョンだろう。広大な空間に魔物を放し飼いにして、ある程度人の手で管理されるビオトープのような場所だ。
研究や鍛錬のために作られることが多く、どれだけの規模の人工ダンジョンを所有しているかが、学校の力を示す指標のひとつになっているくらいだ。
このアテナ魔法学院もいくつかのダンジョンを所有している。
なかでも難易度が高いのは先日、ナタリアとニールが対決した洞窟型のひとつだろう。
ゴツゴツした岩肌の迷宮が地下深くまで続いている。あちこちに灯された魔法の光が闇を払うものの、魔物の鳴き声や、何かが這いずり回る音などが四方から響いて侵入者を脅かす。もちろんトラップも満載だ。
それゆえ、入る場合には学院の許可をもらって監視員を付けてもらう必要がある。
だがしかしそんな決まりなど今はガン無視だ。
立ち入り禁止の看板を通り過ぎ、しばらく進んだ先の開けた場所で、アレンは無事に目標を発見できた。巨大なキマイラが、今にも岩陰に飛びかかろうとしていて――。
「見つけた!」
「っ……!」
「ギャウッ!?」
叫ぶと同時に、魔法の火球をぶちかます。
火の玉は狙いを違わず魔物の横っ腹を直撃して、巨体が勢いよく吹っ飛んだ。キマイラはよろよろと起き上がると、そのまま洞窟の奥へと逃げていった。
この階層に棲まう一匹である。そこそこの驚異として有名だが、ボスは他にいる。
まあ、それはともかくとして――。
「だ、大魔王……どうしてここに」
岩陰の隅。うずくまっていた影が、ぽかんと目を丸くしてこちらを見ていた。
ナタリアだ。
あの鍵付きの旅行鞄をぎゅっと胸に抱きしめており、そのすぐそばには気を失ったニールが倒れていた。
どちらにも一目で分かる怪我はない。血の臭いもしないが……ひとまずアレンはナタリアの前にしゃがみこみ、その顔をのぞきこむ。
「まずは俺の質問からだ。怪我はないか」
「え、えっと、足をくじいてしまって……」
ナタリアは腰を落としたまま、自分の右足首を見やる。
擦り傷だらけで赤く腫れており、大事はなさそうだが……シャーロットが見れば悲鳴を上げていたことだろう。そのままニールを忌々しげに睨みつける。
「そっちのバカは転んで頭を打ちましたけど……命に別状はなさそうです」
「なら両方とも俺が治療してやる。だが、その前に……」
「へ、な、なんですか」
アレンはナタリアの目の前に手をかざす。
無事がわかった子どもにするべきことなど、ひとつだけだ。
「てりゃっ」
「ぴゃっ!?」
だいぶ加減して、デコピンを食らわせてやった。
子猫のような悲鳴を上げてナタリアはうずくまる。そのまま目の端に涙を溜めて、きゃんきゃんと吠え猛った。
「な、何をするのです!」
「それはこっちのセリフだ、大馬鹿者め」
アレンはてきぱきと治療魔法をかけてやりつつジト目を向ける。足の赤みは瞬く間に引いていった。
「おおまかな事情はニールのところの奴らから聞いている。ずいぶんな無茶をしたじゃないか。産卵期の魔物の巣に突っ込むことがどれだけ危険か、おまえも分かっているだろうに」
「うぐっ……で、でも、そもそもはニールが……」
「それにしたって、一言くらい俺に相談しろ」
言葉を詰まらせるナタリアの頭を乱暴にがしがしと撫で回す。
「俺はそんなに頼りない教師だったか? シャロも舎弟たちも、みんな心配していたぞ」
「……すみません」
ナタリアは首を垂れてうなだれて、震えた小声を絞り出した。
ぎゅっと鞄を抱きしめながら続けることには――。
「でも、これだけは……これだけは、自分の力で取り戻さなければいけなかったんです」
「……なるほどなあ」
アレンは目を細めて、ため息をこぼす。
そこまで思い詰めるほどの中身が入っているのだろうと窺い知れた。
そしてその中身に――アレンはひとつしか思い当たらなかった。
「中身を当ててやろうか」
「へ」
「おまえの姉……シャーロットに関するものだろう?」
「っ……」
ナタリアははっと息を呑み、アレンのことを見上げる。
その顔は今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。ナタリアは鞄を抱きしめながら、かすれた声をこぼす。
「あなたは……エヴァンズ家に起きた事件を知っているんですよね」
「まあ、おおまかにな」
アレンは肩をすくめ、わざと飄々と言うのだが――。
「おまえの姉がさんざんな悪事を働いて――」
「それは違う!」
洞窟内にこだまするほどの大声で、ナタリアは叫ぶ。
とうとうその瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。嗚咽で声を震わせながら、ナタリアは怒号を轟かせる。
「虫も殺せないようなねえさまが、そんな大それたことをするものですか……! あのど腐れ王子が、ねえさまを陥れるために仕組んだことに決まっています! それなのに、エヴァンズ家ときたら……汚名を晴らす労力よりも、姉様を切り捨てる道を選んで……!」
「やはり、そうか」
アレンはその頭をそっと撫でる。
薄々分かっていたことだった。それが昨日、ナタリアの部屋に足を踏み入れて確信に変わっていた。
ナタリアの部屋に大量に貼られていたメモ。
あれはすべて失せ物探しや、失踪人捜索のための魔法……その研究の形跡だった。
「おまえは、姉のことを憎んでなどいなかったんだな」
「わたしがねえさまを憎む……? バカを言わないでほしいですね」
目尻を乱暴に拭って、ナタリアは重いため息をこぼす。
「わたしが許せなかったのはエヴァンズ家と……ねえさまを助けられなかった、わたし自身ですよ」
続きは明日更新します。
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