百四十八話 エヴァンズ姉妹②
その日の夜。
すっかり日も暮れた頃合いに、アレンたちはナタリアの寮を訪れていた。
「おーい、ナタリア。着いたぞー」
「むにゅ……う」
アレンの背中で、ナタリアは返事とも寝言ともつかない声を上げる。
食堂で作戦会議をしているとゴウセツや舎弟たちが遅れて合流し、そのまま宴会が開かれた。
さすがに学舎の食堂であるためアルコール類は提供されていなかったが、ジュースと菓子での宴はナタリアが寝落ちする夜中まで続いたのだった。
すでに覇者のオーラをまとっているものの、さすがにその辺りは年相応らしい。
安らかなナタリアの寝顔を見て、シャーロットが顔をほころばせる。
「ふふ、今日はずいぶんはしゃぎましたもんね」
「悪いなあ、大魔王。俺は親分背負うと鱗で怪我させちまいそうだから……」
「気にするな。それより早くドアを開けてくれ」
「へいへい」
付き添いできてくれた竜人族の舎弟が、ナタリアから預かった鍵を使って私室の扉を開く。
中はそこそこの広さがあって、テーブルには教科書が山積みになっていた。
壁には魔法の術式や数式の書かれたメモが大量に貼られており――アレンは思わず足を止め、それに見入ってしまう。
「ほう……? これはまた熱心な……」
「やっぱりすごく勉強してるんですねえ。私にはやっぱりよくわかりませんけど……」
シャーロットもそれを見上げて、感嘆のため息をこぼしてみせた。
どんな魔法の研究をしているかは分からないだろうが、その熱心さは読み取れたらしい。
そちらはひとまず置いておいて、アレンは窓際のベッドへ向かう。
「ほら、ナタリア。ちゃんとベッドで……おや?」
ナタリアを下ろそうとして、そこでふと目に留まるものがあった。
枕元に置かれてあった、ひと抱えほどの四角い旅行鞄だ。
革製の上等なもので、数多くの鍵が取り付けられていた。
「ぎゅう……すう……」
ナタリアはその旅行鞄に手を伸ばし、ぎゅっとしがみつくようにして抱きしめる。抱き枕としては寝心地が悪そうにしか見えないが、そのまますやすやと本格的な眠りに落ちていった。
そこで竜人族が慌てて声をかけてくる。
「おっと、その鞄には触るなよ。俺たちでも容赦なくボコボコにされるからな」
「なにか大事なものなんでしょうか……?」
「らしいな。魔法がかけられている」
覗き込んできたシャーロットに、アレンは事もなげに答える。
外側の錠前だけでなく、魔法による封印がかけられていることが一目でわかった。
「生体認証式だし、無理やり開けようとした場合にはトラップが発動するし……やけに厳重だな。いったい何が入ってるんだ?」
「さあ。親分、あんまり自分のことは話そうとしないからなあ……」
竜人族の青年は首をひねりつつ、ちらっと壁の時計を見やる。
「おっ、もうこんな時間だ。じゃあ俺はこの辺で……うわっ!」
「どうした?」
ドアを開けて廊下に出たところですっとんきょうな悲鳴を上げる。見てみれば廊下に小さな影が立っていた。くしゃっと手紙を握りしめているのは――ナタリアのライバルだ。
「おお、なんだニールか。またナタリアに果たし状か?」
「う、うるさい!」
アレンが声をかけると、ニールは手紙を握りしめたまま慌てたように逃げてしまった。
それを見送って、竜人族は呆れたようにかぶりを振る。
「まったくあいつも懲りないなあ。そんじゃ、俺はバイトがあるんで! 失礼しますよ、親分!」
「うみゅー……」
「おう、気を付けてな」
竜人族を見送れば、部屋はすっかり静かになった。
すやすや眠るナタリアの顔を覗き込み、アレンは苦笑する。
「まったく、こうしていると普通の子供だな」
「はい。昔を思い出します」
シャーロットもふんわりと笑う。どこか懐かしむように目を細めて続けることには――。
「もっとナタリアが小さかったころに、何度か絵本を読んであげたことがあるんです。この子ったら、いつも本の真ん中くらいで寝ちゃってたんですよ」
そこでシャーロットは言葉を切って部屋を見回す。
あちこちに積まれた専門書を見て、苦笑を浮かべてみせた。
「でも……もうこんなに難しい本が読めるんですから、絵本なんて読んであげられませんね。ほんとに大きくなりました」
誇らしげなような、置いて行かれた子供のような表情で――シャーロットは続ける。
「やっぱり私は……このまま、名乗らない方がいいのかもしれません」
「……どうしてそう思うんだ?」
アレンが静かに尋ねると、シャーロットはゆっくりとかぶりを振った。
ナタリアの寝顔を見つめるだけで、頭を撫でることもない。妹に触れることをぐっと堪えているようだった。
「この島に来て、ナタリアとはいろんな話ができました。でも……全然、家のことを話そうとしないんです。きっと、それが答えなんだと思います」
シャーロットは寂しげな笑顔を浮かべて、自分に言い聞かせるようにして言う。
「悪い思い出でしかない私のことなんて……忘れてしまった方がいいんですよ」
『……なんでそんな悲しいこと言うの?』
シャーロットにすり寄って、ルゥが不安そうに鳴く。
『ママとナタリアはなかよしじゃん。なのに忘れてほしいの……? へんなのー』
「それは私じゃなくて『アレンさんの助手のシャロ』だからですよ」
『でもママはママだし、ナタリアはナタリアじゃん。ふたりがなかよしじゃないと、ルゥ嫌だよ?』
「ルゥちゃん……」
ルゥの頭を撫でながら、シャーロットは苦しげに顔を歪めてみせた。
重苦しい空気が漂う中、アレンはわざと明るく言う。
「まあまあ、結論を急ぐ必要はないんだ。ゆっくり考えるといいさ」
「その通りでございますよ。シャーロット様」
ゴウセツもまたシャーロットのそばに歩み寄り、そっと肩を抱き寄せて笑う。
「この手の話は時間が解決するものです。ナタリアどののことも、長い目で見守っていけばよろしいのですよ」
「さすが最年長。こういう時のセリフは重みが違うな」
「かっかっかっ、儂も色々とありましたからなあ。その昔、うっかり寝ぼけて東国の火山帯を不毛の更地に変えてしまったことがありますが、今ではそこも立派に緑生い茂る平原に変わっております。時間はあらゆる物事への万能薬ということですな」
「ちょっと規模がおかしいし……おまえそれ、原因不明の天災として有名な話では……?」
いまだに議論が紛糾している大災害の真実が、ぽろっと判明してしまった。
ジト目でゴウセツを睨んでいると、シャーロットはくすりと笑う。
「そうですね……皆さんの言う通りです。もうすこし、考えてみますね」
「うむ。俺はいくらでも付き合うからな」
アレンは鷹揚にうなずいたものの――その次の日、事態が大きく進展するなんて、このときはまだ思いもしなかった。
ナタリアが忽然と姿を消してしまったのだ。
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外出自粛が叫ばれる中、すこしでもお家での暇つぶしになれば幸いです。よろしくお願いいたします。
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何も考えずに書いたらイケナイこととめっちゃ似てしまいました。こっちもぜひお願いします!