十一話 イケナイことを教え込む③
「それじゃ、いただきますけど……」
そこでシャーロットはアレンの顔をちらりとうかがう。
「アレンさんが先に選んでください。私は残ったものでかまいませんから」
「いや、いい。俺は甘いものは好かんからな」
「えっ」
シャーロットはぽかんと目を丸くする。さっきから驚いてばかりだ。
「ひょっとして……これ全部、私の、ために……?」
「今さら気付いたのか? そんなの当たり前だろう」
「大事な魔法道具を売ってまで……!? ど、どうしてそんなことをしたんですか……!」
「どうして、って」
アレンは首をひねりつつ、こともなげに告げる。
「おまえが喜ぶと思ったからだが?」
「は……」
とうとうシャーロットは言葉を失ってしまった。目を丸くしたまま凍り付いてしまう。
よくわからない反応に、アレンは首をかしげるしかない。
「どうした? ひょっとして甘いものは嫌いか?」
「い、いえ、そんなことは、ない……ですけど……」
「ならさっさと食え」
「は、い……」
どこかぎこちなく、心ここに在らずといった様子でシャーロットはフォークを握り直す。
「私の、ために……」
そんなことをぽつりとこぼしてから、シャーロットは生唾を飲み込む。それからショートケーキにそっとフォークを立てた。三角形の頂点。そこをほんの少しだけ切り崩し、ゆっくりと口へと運ぶ。
まるで亀の歩みのようなスピードだった。だがアレンはそれをじっと見守った。
シャーロットはその一口を、まるで最後の晩餐だとでも言うように慎重にかみしめた。やがてその喉が小さく鳴る。彼女はそのまま呆然と固まってしまって――。
「ど、どうだ。うまいか?」
アレンはオロオロと声をかける。
ひょっとして口に合わなかったのか、ケーキが傷んでいたのか。そう心配してシャーロットの顔を覗き込む。
すると――。
「おいしい、です」
そうか、良かった!
……という、アレンが用意していた言葉は喉の奥へと消えた。
彼女の頬を、ひとつの雫がこぼれ落ちたからだ。雫は後から後からひっきりなしに流れ落ち、やがてそれに嗚咽が混じる。
おかげでアレンは言葉を失うほかなかった。
シャーロットは顔をくしゃりと歪めて、流れる涙を必死に拭おうとする。だがしかし涙は一向に止まらなかった。
雫がテーブルに、膝に落ちるごと、彼女の震えた唇からはか細い声がこぼれ落ちた。
「誰かが私のために、なにかをしてくれるなんて……よろこぶと思って、優しくしてくれるなんて……そんなの、全然、これまで、なくって……!」
シャーロットは途切れ途切れに語る。
不明瞭な言葉の羅列は、魂から漏れ出た悲鳴そのもので。
その悲痛な叫びが、アレンの心に火を灯す。
シャーロットは涙に濡れた顔を上げ、アレンを見つめる。
「私なんかが、こんな幸せを感じても、いいんでしょうか……?」
「……バカを言え」
アレンは低い声を絞り出す。
多少値が張ったとはいえ、こんなの銀貨一枚程度のものだ。
そんな幸福で……足りるわけがない。
「この程度が『幸せ』だと? 笑わせるな。こんなのは序の口だ。これから俺は、おまえにこの世のすべての悦楽を教え込む。泣いても叫んでも容赦はしない」
美味しいものを食べさせて、いろんな場所に連れて行く。
楽しいことも嬉しいことも、飽きるまで味わわせる。
そしてゆくゆくは……世界で一番幸せだと、胸を張って言えるまでに変えてやる。
そう告げれば、シャーロットは顔をくしゃりと歪めてみせて。
「どうして……どうしてそんなに、見ず知らずの私に、優しくしてくれるんですか……?」
「さあな。俺にも分からん」
アレンは正直に胸の内を打ち明けた。
ケーキひとつでこんなにも泣くのか。
そう思うと、アレンは胃のあたりがムカムカした。
ただの同情心ではない。怒りだったり哀しみだったり、そんなものが複雑な配合でブレンドされた、生まれて初めて抱く感情だった。
それに付けるべき名前をアレンはついぞ知らない。
だが、そんなことは些細な問題だった。
やると決めたからには……徹底的にやる。
それが彼のモットーだったからだ。
「とにかく俺はおまえに誓おう。おまえが俺の前にいる限り、この世の全ての悦びを教えてやるとな!」
「でも……私は何もお返しできませんよ?」
「そんなものは必要ない。俺の趣味に嫌々付き合わされていると思えばいいだろう」
「ふふ……お優しいのに、変な人なんですね」
シャーロットは泣きながらくすくすと笑う。
アレンの調子に慣れてきたらしい。
おかげでアレンもほっと胸を撫で下ろす。泣き顔より、笑っている顔の方がずっと好ましい。なぜかはわからないが。
ともかくアレンは彼女に涙を拭うハンカチを手渡してから、ほかのケーキを次々と勧める。
「ほらほら、どんどん食え。それを食べたら次はどれだ? こっちのチョコレートケーキか?」
「そ、そんなにたくさん食べられませんよ……アレンさんも助けてください」
「だから俺は甘いものは……ああ、いや」
苦手だと言いかけた瞬間、シャーロットの顔色がすこし曇った。
だからアレンは言葉を切って、適当なケーキを手に取る。フルーツ多めのタルトだ。
「せっかくだしご相伴に与ろうか」
「はい! 一緒に食べたら、ずっと美味しいはずですよ」
シャーロットに笑顔が戻ったのを見て、アレンはこっそりと胸をなでおろす。
人付き合いは苦手だが……せいぜい頑張ろう。そう思えた。
しかしシャーロットは眉をへにゃりと寄せる。
「でも……ふたりでも、こんなに食べ切れませんね。どうしましょう」
「なに、毎日少しずつ食べればいいだろう」
「ですが、ケーキってそう何日も持つものなんですか……?」
「そこはこう……」
アレンはぼそぼそと呪文をつむぎ、ぱちんと指を鳴らす。
瞬間、チョコレートケーキを立方体の結界が囲い込む。
「時間を止めれば問題ない」
「……ほんとになんでもできるんですね」
「まあな」
アレンは飄々と肩をすくめ、タルトにフォークを突き立てる。
「俺は悪くて優秀な魔法使いだからな。時を止めることも、哀れな婦女子を誑かすことも、朝飯前だ。うむ。意外といけるな」
フルーツの適度な酸味のおかげで、甘いものが苦手なアレンでも美味しく食べられた。
あの店はこれから贔屓にしよう、と思いつつ。
「ほら、おまえも食べてみろ。あーん」
「あ、あーん」
シャーロットにもタルトを一口食べさせてやる。
おずおずと開けた小さな口に放り込んでやれば、しばしもぐもぐと真剣に咀嚼して、相好を崩す。その頰は、ほんのり朱色に染まっていた。
その色に名前をつけるとしたら――無難に『幸福色』あたりだろう。
「……美味しいです」
「それはよかった」
アレンもにやりと笑い、残るタルトをぱくついた。やっぱり、悪くない味だった。