一話 悪い魔法使いと哀れな少女
森の奥にたたずむ屋敷。
そこでは今宵もまた、おぞましい調教が行われていた。
「くっくっく……観念するがいい、シャーロット」
カーテンを引き、月明かりすら差し込まない暗い部屋。
そこでは蝋燭を持った青年が立っていた。
年の頃は二十代前半。蝋燭の明かりに照らし出されるその面立ちは整っているものの、目つきがやけに鋭い。浮かべる笑みも凄惨なもので、気の弱い女子供が目にすれば悲鳴を上げていたことだろう。
右半分と左半分が、それぞれ黒と白の不思議な髪色。そして血のように赤い目。
長身かつ痩せ型。フード付きのローブをまとう、典型的な魔法使いスタイルだ。
「だ、駄目です……こんなこと、赦されるはずがありません……」
椅子に腰掛けた少女が、彼に震えた声をこぼす。
男とそう年齢の変わらない、見目麗しい少女だ。
腰まで伸びた金の髪はゆるやかなウェーブがかかっており、瞳は夏の空を思わせるような澄んだパステルブルー。
身にまとうのは一目で上質と分かる絹の寝間着だ。
顔立ちは人形のように整い、体つきも均整が取れていて非の打ち所がなく、あふれんばかりの気品に満ちている。
まさに深窓の令嬢と呼ぶに相応しい少女である。
だがしかし、その美しい相貌は恐怖によって歪んでいた。
暗い部屋の中、彼女の向かうテーブルだけが煌々と灯りで照らされる。
その上に乗っているものを見つめながら、彼女はなおも悲鳴を上げる。
「考え直してください、アレンさん! こんなの、ほんとはイケナイことなんですよ……!」
「ふん。そんなことを誰が決めた?」
アレンと呼ばれた男が、口の端を皮肉げに持ち上げる。
「この屋敷の主は俺だ。そしておまえは俺の支配下にある。主である俺の命令には、嫌でも従ってもらうぞ」
「そんな……!」
「ふはは! 泣いて叫んでも無駄なことだ!」
アレンは高らかな哄笑を上げる。
そこには無力な少女をいたぶる喜びが多分に含まれていた。
哀れな少女――シャーロットには、為す術もない。
ただ怯えを孕んだ眼差しを、テーブルの上にそそぐだけだ。
彼女が抵抗できないのをいいことに、アレンは追い打ちをかける。
「さあ! 早くその…………夜食のラーメンを食らうがいい!」
ビシッとアレンが指さすもの。
それは、ほかほかと湯気を立てる丼だった。
白く濁ったスープに浸かるのは黄色い縮れ麺。具材は豚肉をとろとろになるまで煮込んだものと、味付け卵とメンマである。
東方から伝わって、最近この国でブームになりつつある――ラーメンという料理だ。
丼から漂うのは、濃厚なスープの香り。
その匂いに責め立てられて、シャーロットの腹の虫がくうと鳴る。
しかし彼女はまだ抵抗の意思を見せた。真っ青な顔でかぶりを振る。
「もうベッドに入らなきゃいけない時間ですよ……! それなのにこんなコッテリした夜食をいただくなんて……イケナイことです!」
「ふっ、嘆くのはまだ早いぞ」
アレンはなおも嘲笑し、後ろに用意しておいた荷台をカラカラと引いてきて、彼女に見せつける。
「このとおり! ボックスでアイスを買い求めてきた! 食後に好きなだけ食うといい!」
「なっ……! しかもそこにあるのは、トッピングですか……!?」
「くっくっく……さすがはシャーロット。察しがいいな」
カットされた色とりどりのフルーツや、蜂蜜などのソースにチョコチップクッキーなどなど。
トッピングは幅広く揃っているし、肝心のアイスもバニラとチョコ、イチゴと三色あった。
「これでオリジナルのパフェも作り放題だ。すべて平らげたら、俺と一緒にボードゲームを遊ぶぞ! 夜更かしだ!」
「そ、そんなことをしたら、明日の朝起きるのが大変ですよ!?」
「あいにくだが、おまえに朝など来ない」
なにしろ――。
「この俺とともに……昼まで惰眠をむさぼる運命なのだからなぁ!」
「そんなぁ……!」
「くはははは! いいぞ、泣き叫べ! その悲鳴こそが、俺の求めていたものなのだ!」
ひときわ大きな笑い声に応えるように、窓の外で遠雷が鳴る。
稲光がスープの光沢を強くした。
ついに少女は耐えきれず、神への謝罪の言葉を口にして……レンゲと箸に手を伸ばす。
これは悪い魔法使いが、哀れな少女を堕落させる……イケナイ物語。