侵入者と妙な石
母親の梅子が部屋を出て行っても、思考回路は半分停止した状態だった。
日課であるネットゲームに手を伸ばすこともなく、万年床にゴロリと横になった。
「はぁ、明日のことを悩んでも仕方ない。今日は早く寝よう……」
寝ると言っても頭の中をマグロと蟹が舞い踊っていて、いつまで経っても眠くならなかった。
天井の染みを睨みながら考えているのは、明日からの過酷な労働である。
「漁船なんか、どう考えても無理だ」
体力には少しも自信がない。
母親が言う通り、人生で一番運動神経が良かったのは小学生の頃だ。
それ以降中学に入ってから、市販ゲーム機に夢中になって、どんどん視力が落ちていった。
当然、運動をしなくなった為、体力も急激に落ちた。
俺もそうだが、ひきこもりなんかを漁船に乗せても、体力がないから使い物にならないんじゃないだろうか?
考え事は、突然の闖入者に遮られた。
侵入口は義明の部屋の窓だと、はためいているカーテンで分かる。
「……すまない……無断で侵入した無礼を許してほしい……」
男の衣服も格好も異様だった。
顔や髪形は普通の日本人なのに、まるでファンタジーRPGの世界から現れたような格好だった。
ご丁寧にも、剣らしき物まで持っている。
「えっ、コスプレ大会? 誰だよ、あんた……って、血が出ているじゃないか! すぐに手当てを」
「……そ、それより……頼みを……頼みを聞いてくれ……」
突然の侵入者に驚いたものの、すぐに侵入している男が怪我をしていることに気付いた。
まずは手当をしよう。
警察を呼ぶのは、その後でも出来る。
不審者だろうが何だろうが、俺の目の前で死なれるのはだけは嫌だ。
「分かった。話を聞くから、横になってくれ」
話を聞くと聞いた侵入者は、ホッとしたように微笑んだ。
「……良かった……ゴホッゴホッ……これで……使命も」
侵入者の腹からは、おびただしい大量の血が出ていた。
酷い傷だ。
だが、まだ間に合うかもしれない。
顔色を失って紙のように白い男の顔色を見て、即座に救急車を呼ぼうと携帯に手を伸ばす。
義明の携帯に伸ばした手を重症の男が止めた。
「止めるな! 死にたいのか?」
「……いや……いいんだ……ゴホッ、俺はもう助からない……ゴホッガハッ」
咳きこむのと同時に、男は血の塊を吐いた。
「そんな諦めるようなこと言うな! すぐに、救急車を呼ぶから!」
「……それより……これを君……に……」
「これはビー玉か?」
男が手渡して来たのは、小さなビー玉のような赤い玉だった。
そのビー玉は、何故かドクリドクリと脈打っているような感触を伝えてきた。
「そ、それで……マー……さま……を……頼む……」
「お、おい! おい、死ぬな! 死ぬなよ!」
やる気のないひきこもりの俺に、何かを頼まれても困る。
しかも、マー様って誰だよ。
……それより、今気付いたんだが、このままこの人が死ぬと俺が殺人犯みたいじゃないか?
死にかけている男の前でそう思っていた俺の考え事は、またも遮られることになった。
「チッ、先手を打たれるなんて、不愉快だな」
「おいおい、また侵入者か?」
千客万来の俺の部屋に現れたのは、ライトブラウンの髪と瞳の美形の男だった。
人を蔑むような瞳と態度がいけ好かない。
美形なんて皆好きにはなれないが、こいつの第一印象は最悪だ。
「君にはそれは分不相応な代物だ。返してもらおう」
「返せも何も、これはこの人の物だ。」
血塗れの男を一瞥すると、美形男はふんっと鼻を鳴らした。
「そいつは盗人だ。元々それは、我々の物だったんだ」
「証拠はあるのか?」
「必要ない」
理不尽な言葉を言い切った美形男は、隠し持っていたナイフを俺に向けた。
「さぁ、それをこちらに」
美形男が一歩踏み出して来ると、俺の前に血塗れの男が剣を杖にして立ち上がった。
「……に……逃げろ……ゴホッ」
「でも、あんたを置いて行くのは!」
「いいから……逃げろ!」
叫んだ男は、美形男に剣を抜いて斬りかかった。
怪我人の男が気になったのもあるが、運動神経のない俺はとっさに逃げることなど出来なかった。
「無駄だよ」
ドスッと鈍い音を立てて、美形男のナイフが男の腹に深く埋まった。
死んだ……のか……。
安らかとは言い難い男の顔を見て、俺はにわかに死の恐怖を感じていた。
嫌だ。
まだ、死にたくない。
ドクリドクリドクリッ
強く思ったのに呼応するかのように、ポケットに入れていた石が熱くなってきた。
美形男がズルリとナイフを男の腹から抜くのを見て、更に強く思った。
【死にたくない】
その瞬間、眩い光が部屋中に溢れた。
ポケットの中の石は、何故か物凄い熱を発していた。
「チッ、石を使ったのか」
美形男の悔しそうな声が聞こえた気がした。
ざまぁみやがれ。
意味も分からずそう思ったのを最後に、俺という存在は世界から消えた。
マグロと蟹から逃れられたのだけは良かったが、これがこの先の運命を決める出来事になるなんてこの時は思ってもみなかった。