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命脈の石  作者: 三条龍樹
2/7

悩めるおかんに愛の手を

「まったく、あのダメ息子をどうやって立ち直らせようかしら……」


 パート先から帰る途中、女は悩みの種であるダメ息子を思ってため息をついた。

 父親である自分の旦那はあてにならない。

 お前が甘やかすから、悪いんだろう。

 前に相談した時は、その一言で終わりだった。

 まったく、愚痴ぐらい聞いてくれても罰は当たらないのに!


「はぁ、どこかにひきこもり歴5年の無職の男を雇ってくれる、夢のような就職先は落ちてないかしら……」

 

 本気で落ちていると思っているわけではないが、10円玉でも落ちているかもしれないと半ば自棄になって地面を見つめて歩いた。


「あっ!」


 その瞬間、何もない所で躓いた。

 あ〜あ、年って嫌ね。足までガタが来たみたい。

 苦笑を浮かべながらも、次に来る衝撃を覚悟して目を閉じた。


 しかし、いつまで待っても地面に激突することはなかった。


「大丈夫ですか?」


 下手をすると、息子よりも年の若い美形の男性に抱えられていたからだ。

 ハーフなのだろうか?

 薄い色素の茶色い髪と瞳に、10数年ときめいたことのない胸が弾んだ。


「だ、大丈夫です。ありがとうございます」


 焦って男性の腕から逃れると、赤くなった顔のまま勢い良く頭を下げた。

 あぁ、素敵。

 まるで、韓流ドラマみたい。

 自分がもう10歳若ければ、この人と恋に落ちたかもしれないわね。

 もう二度と見られないかもしれない美形を前に、女はうっとりと助けてくれた男性を見つめ続けた。


「怪我がなくて何よりでした」


 男性が微笑んで立ち去ろうとした瞬間、とっさに女は自身も思いがけない行動に出た。


「あっ、あの! お礼にそこでお茶でもどうですか?」


 指差した先は、近所でも評判のお洒落な喫茶店だった。

 わ、私ったら、一体何を?

 自分の言った言葉に、女は今更ながら動揺していた。

 会ったばかりの人なのに、この人と一緒にいたい。

 でも、断られたらどうしよう。

 まるで、初恋をした乙女のような女に、男性は優しく微笑んで言った。


「よろしいのですか? そのようなお気遣いはしなくても……」

「い、いえっ、それでは私の気がすみませんから!」


 慌てて言った女の言葉に、男性は上品にクスリと笑った。

 あぁ、どうしよう笑顔まで素敵。

 もしかしたら、韓流スターより素敵かも。

 呆然と自分を見つめる女を促すように、男は喫茶店に向かって歩き出した。


「そうですか? では、少しだけお茶でもしましょうか」

「ええ、では行きましょう!」


 赤くなった顔を誤魔化す為に、女は大股で店へと歩き出した。

 途中で追い抜かれた男性は、後を追いかけながらほくそ笑んでいた。

 

 繁盛している割に、喫茶店の席はいくつか空いていた。


「あ、ここです」


 女が手を上げると、男性がすぐに女の前の席に座った。


「何を頼みますか?」

「では、私はコーヒーをお願いします」

「じゃあ、私もコーヒーにしようかしら」


 注文を済ませコーヒーを待っている間に、女は自分のことを男性に語っていた。

 どんな話でも嫌な顔をせずに話を聞いてくれる男性は、最上級の話相手だった。

 時間を忘れて会話してしまったのは、話し相手が美形の男性だったからかもしれない。


 コーヒーが冷ちゃったけど、それだけの価値はあるわ。

 頼んであったコーヒーはいつの間にか冷めた状態でテーブルに置かれていて、経過した時間を感じさせた。

 女が感動したのは、男性がにこにこ話を聞いてくれるだけではなく、それとなく同情をしてくれているからだ。

 あぁ、なんて素晴しいの!

 パート先の話から、ダメ息子の話まで何でも聞いてくれるなんて!

 感動している女は、次第に話題が自分のダメ息子に移っていることに気付かなかった。


「ひきこもりなんて、大変なんでしょうね」

「ええ、そうなんです! 不景気だから、就職先も見つかりませんし……」

 

 女の言葉を聞いた男性は、自分の懐を探って一枚の紙を取り出した。

 取り出した名刺には、『(株)リライフ 取締役社長 結城進』と書かれていた。

 

「これも何かの縁です。よろしかったら、息子さんをわが社に預けてみませんか?」


 本来なら警戒する話だが、女にとって男性はいつの間にか信じるに足る人物になっていた。


「でも、いいんですか?」

「ええ、わが社ではひきこもりの方々の、立ち直りをサポートしておりますから。……ただ」

「ただ?」

「息子さんには二度と会えなくなりますが、よろしいですか?」


 その言葉には、流石に女も目をむいた。

 いくら可愛くなかろうが、いくらひきこもりだろうが腹を痛めて生んだ我が子なのだ。


「二度と会えないってどういうことですか?」

「会えないと言っても、これは息子さんの為なんです」

「…は?」

「親元に近い場所にいると、すぐに元のひきこもりに戻ることになる。ですから、我々は彼らに海外で働いてもらうことにしたんです」

「か、海外?」

「ええ、パスポートも会社が管理致しますから、勝手に家に戻ることも出来ません」

「でも、そこまでしなくても……」


 我が子の辿る道を考えて、女は少しやり過ぎではないかと思っていた。


「いいえ、こうする必要があるんです。いいですか? このままでは、息子さんは一生ひきこもりですよ。息子さんの為を思うなら、こうしなければいけないんです!」


 一生ひきこもりなんて、冗談じゃない。

 断言された言葉を聞いて、女もその気になり始めた。


「そ、そうですね。海外なら立ち直ってくれるかも……」

「それに息子さんがいなくなれば、あなたも第二の人生を歩き出すことが出来るじゃないですか」


 第二の人生…か。

 気の利かない旦那と離婚して、若い男と再婚するなんてことも…。


 滅多に見ることが出来ない美形に両手を握られた女は、即決した。


「分かりました。ウチの息子をよろしくお願いします」


 こうして、件の息子は強制的に脱ひきこもり作戦に引きずり込まれることになった。

 ついでに女と男性が密会している噂が流れたが、それも数日もしない内に消滅した。


「まぁ、あそこの奥様に限って、男と密会なんてありえませんわ!」

「そうですわね。あそこの奥さまは、鎌倉の大仏様にそっくりですものね」


 鎌倉の大仏様は、男性との密会がありえないらしい。

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