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【第一話】冬・時雨 一

 老人が病院に連絡してくれたおかげで、俺は一命を取り留めた。らしい。というのも、それは病院で医師に言われたことだからだ。俺が無事だと分かると、老人はすぐに去って行ったらしい。目を覚ました時、老人の姿はなかった。そうして、病院で数日が過ぎた。





 さて、困ったことになったぞ。


 俺は金を持っていない。この病院に、誰が金を払うんだ。逃げるか? 逃げるのか?


 病室に医師が入ってきた。看護師と共に俺を見て、頷き合う。なんだ。何する気だ。


「もういいでしょう」

「よかったですね、退院ですよ」


 金を払わなくては。だがその金がない。金を出してくれる親もいない。怒られるのか。罰せられるのか。生体実験の被験体にでもされるのか。様々な悪い結果が頭に浮かぶ。


 悶々と考えている間に、俺は病院の外に連れ出された。


「おだいじに」

「車には気を付けてくださいね」

「ああ、はい。ありがとうござ……ええ?」


 タダでいいのか?


 医師と看護師は病院の中に戻ってしまい、玄関の前にはぽかんと口を開ける間抜け面の男が一人取り残された。玄関前に置かれた、看板を抱えた犬の置物が笑顔でこちらを見ている。タダでいいのか、お前の笑顔を信じよう。





 しかし、退院しても俺には行く場所がない。どうしたものか。……そうだ。あの老人に礼を言わなければいけないな。一体どこの誰なのだろう。


 初めて歩く道だったが、俺の元々住んでいたところからはさほど遠くないらしく、ブナの林を切り開いて道路が走る様には見覚えがあった。ほとんど葉の散ったブナが冷たい風に晒されている。


 しばらく道なりに歩いていくと、数日前車に激突したあの場所に辿り着いた。林の奥のほうに空巣に入った家が見えるから、おそらくこの辺りだ。


 ならば、あの時通りかかった老人の家もこの近くではないだろうか。老人が徒歩で遠出しないだろう。たぶん。


 林の中にちらほらと家屋が見える。


「あ……あのう、すいません」


 近くを通りかかった若い男に声をかける。男は物珍しそうに俺を見て、「何か?」と首を捻った。おおぅ、すごくいい声だな。


「え、ええと、あの……」


 父親が死んでから人とまともに会話をしていないからか、なかなか言葉が出てこない。何だこれ、もしかして変な人だと思われてるか?


「ええと、私に何か御用ですか」


 もうどうにでもなれ。


「あ、あのっ、この辺りに、おじいさんは住んでいますかっ」

「どのようなおじいさんでしょうか」

「丸い眼鏡のおじいさん……のはず?」

「丸眼鏡」


 男はすうっと目を細めた。夜の闇のような漆黒の瞳に、吸い込まれそうになる。


「……陽一郎(よういちろう)さんのことかな」


 そういう名前の人なのか!


「その人の家どこですか教えてください!」


 俺は男に詰め寄る。男はおっかなびっくりという様子で俺から少し退いた。


「ええ、いいですけど……」


 そう言いながらも視線はどこか中空を彷徨っている。変な人だと思われてるな、これは。


「俺は怪しい者ではありません!」

「は、はあ……?」


 余計怪しまれた気がする。


「こちらですよ」


 いい人だ。一見怪しく見える黒ずくめの男だが、丁寧だし親切だ! しかも美形だ。


 男に案内され、とある家に辿り着いた。絵本に出てきそうな感じのかわいらしい一軒家だった。(こき)()の屋根に、(たん)(こう)の壁がいかにもといった感じだ。


「ここですよ。あ、ほら、いらっしゃいましたよ」


 庭で老人が落葉の掃除をしていた。丸眼鏡をかけたやさしそうなその顔は、まさしくあの時の命の恩人だった。


「陽一郎さん、こんにちは」


 老人が顔を上げる。


「ああ、(ゆう)ちゃんか。こんにちは。おや、横にいる子は……?」

「お客さんですよ」

「はて」

「では、私はこの辺で失礼致しますね」

「あ、はい。ありがとうございました」


 男が去っていく。老人はしばらく男の後ろ姿を見送って、


「なんだ、夕ちゃんもう行ってしまうのか」


 と小さく呟いた。そして、改めて俺を見る。


「はじめまして、ではなさそうだね。しかしすまんね、最近物忘れが多くて。いやあ、困った困った。どこかで会ったよねえ」

「あ、ええと。先日助けていただいた者でして」

「ああ! あの時の! 確か時雨の降っていた夜だ。道路にきみが倒れていて……。そうかそうか、元気になったんだね。よかったよかった」

「その節はお世話になりました」

「車には気を付けるんだよ。そうだ、退院祝いに何かあげようかね」

「いえ、お構いなく」


 老人は家の中へ入ってしまった。


 お礼を言いに来ただけなのに、退院祝いなんて貰っていいんだろうか。いや、ダメなはずがない。いいに決まってるだろ。


 カゴを抱えた老人が出てくる。


「こんなものしかないけど」


 カゴから出てきたのは木苺だった。


「ラズベリー、食べられるかい」

「食べます! ありがとうございます!」


 誘惑に勝てない俺死んでくれ。


「はっはっは、おいしいかい?」

「はいっ、すっごくうまいです!」

「よかったよかった。気が向いたらいつでもおいで」

「あ、はいっ」


 成り行きで返事をしてしまった……。





 次の日、行くあてのない俺は再び老人の家を訪れた。気に入られてしまったのか、老人に笑顔で出迎えられた。そして、今度は山葡萄を貰った。


 なんていい人なんだ。


 ひもじいホームレスの前に現れた救世主か。


 毎日のように老人の家を訪ね続けた。結果、俺は老人宅の裏庭でひっそりと野宿を始めることになった。なぜこうなったのかは分からない。ただ、この人に寄生していれば餓死せずに済むのではないかと、俺の馬鹿な脳味噌が馬鹿な判断をしたのだということだけは分かっていた。落ちぶれたなと自分でも思う。今の所、俺が裏庭にいることを老人は知らないようだった。




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