プロローグ 雨
車に撥ねられた。
最初は何が起こったのか分からなかった。
茂みを抜けたところでライトに照らされ、その直後、体にものすごい衝撃を受けた。弾き飛ばされて、地面に転がった。去っていく車の走行音を聞いて初めて、自分が車に撥ねられたということに気が付いた。
ああ、畜生、なんでこんなことになったんだ。
母親は俺が幼い頃に病気で死に、男手ひとつでここまで育ててくれた父親も、先日不慮の事故で命を落とした。親戚もいなかった俺はホームレスと化した。父親の遺した財産も底をつき、ついさっき出来心から空巣に入ったのだ。しかし、食糧などを物色しているところに家主が帰ってきてしまった。追い掛け回され、命からがら逃げてきたのだ。
それなのに車に撥ねられては元も子もないだろう。馬鹿か。
体が思うように動かない。どこか痛めてしまったらしい。だが、このままここに落ちていると別の車に轢かれる。轢かれたら終わりだ。ぺしゃんこにはなりたくない。
降りしきる冷たい雨に打たれながら、どうにか移動しようとばたばたもがく。右腕からバキッという音がして、それと同時に鋭い痛みが走った。今のはさすがにヤバイ。変な方向に曲がって、動かなくなった。
もはや笑えてきた。冬の始まりを告げる雨の中、車道に横たわりながら自嘲気味に口を歪める今の俺の姿は、傍から見るとどれだけ滑稽なのだろう。空巣なんてことをやったのがよくなかったのだろうか。それとも、逃げ出したからだろうか。それとも、よく見もせずに道路に飛び出したからだろうか。それとも、それとも……。
色々考えているうちに、意識が朦朧としてきた。
「きみ、大丈夫かい」
え?
雨が止んだ。いや、違う。誰かが、俺に傘を差し出しているんだ。
「怪我をしているのかい」
老人だった。短い白髪に、それと同じ色の髭。丸眼鏡の奥に見える目が、やさしく笑った。
「かわいそうに」
何か答えようと思ったけれど、俺の口から出たのは「うぅ……」という小さな呻き声だけだった。そこで俺の意識は途切れた。