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正常な世界にて  作者: やまさん(発達障害者)
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【第8章】

 約束のクリスマスイブ。私と坂本君は、リア充で賑わう電車内にいた。まあ傍から見れば、私たちもそう見えるだろうけど、クラスメートには目撃されたくない。

「堂々としていればいいんだよ? クリスマスイブデートが初めてだからって、恥ずかしがらなくても」

「デートじゃないでしょ。それに恥ずかしいのは、私たちが座っている場所のこと」

珍しく小声で話す私たち。

 なにせ、私たちが今いるのは優先席なのだ……。私のすぐ隣には熟睡中のおばあさんがいて、目の前にはおじいさんが立っている。

「ボクたちは優先席に座っていいんだってば。一応障害者なんだから」

「そうかもしれないけど、周りの人にはわからないよ……」

現に周囲の人々から、チラチラと見られているのだ。すごく気まずい……。沸き立つ罪悪感で苦しいぐらいだ。

「信子さんや。お昼はまだですかの?」

どうやら、目の前にいるおじいさんはボケているらしい。耳も遠いらしく、両耳に補聴器が入っている。小便でも漏らされたら嫌だな……。


 ある駅で電車が停まり、ドア付近で人々が行き来する。そして、電車は再び走り出す。

「ハイ、お待たせ」

声をかけられたのはそのときだ。

 おじいさんの真横に、仕事場でメモを渡してきたあの男が立っていた……。今の駅で乗ってきたんだろう。

「一人で来たんじゃないのか」

坂本君を見るなり、男が言った。ふと考えてみれば、そのほうが気楽かもね。

「なんだ、やっぱりナンパ目的?」

「……そうじゃない。真面目な話だから頼むよ?」

坂本君のからかいを受け流す男。口が軽いし、彼は信頼されていないらしい。

「赤の他人にも聞かれてほしくない、大事な話なんだよ」

男はそう言うと、隣りのおじいさんの両耳から、補聴器のイヤホンをササッと抜いてしまう……。よほど鈍いらしく、おじいさんは全く気づいていなかった。


「ウン、まあこれで大丈夫だろう」

男は一安心している。予想してたけど、それほど大事な話なんだね。当然、身構えざるをえない私。

「悪いけど、オレの名前はIというイニシャルで頼む。キミらの名前は……」

「森村です」

「坂本だよ。このジジイみたいにボケてるの?」

「信子さんや。お昼はまだですかの?」

「すぐに思い出せなかっただけだよ」

ガチでボケているおじいさんが、さりげなく言葉を挟んできたけど無視する。

「それで大事な話というのは? 早く聞かせてください!」

「わかったから大声を出すな」

つい急かしてしまった私。Iという男は、周囲に目を配る。警戒しているようだ。走る電車の中だから、小声なら話しても大丈夫だろうに。


 ……ところが彼は、「警戒対象」をさっそく発見したようで、私たちを知らぬ存ぜぬの調子を取り始めてしまう。ようやく本題を聞けそうだったのに。

「気にする必要あるか?」

そう言った坂本君は、後部車両のほうを見ている。誰かいるのだろうか?

「ウーウー」

大男がノシノシと歩いてきている……。可哀想なタイプの人間だとすぐわかり、私は目を逸らした。一目見た姿を脳裏に浮かべる。

 キャップ帽子にリュックサックという、時代遅れのダサいファッションだった。おまけに今日は雨降りじゃないのに、雨傘を持っている。先端を前へ向けた、危ない持ち方で……。

 発達障害者や精神障害者とは違い、知的障害者だった。いわゆる「パワー系池沼」と呼ばれてしまう人間……。彼が「迷い」的な何かを起こさない限り、こっちの車両へ来るだろう。

 チェーンソー男のときのように、脳内に緊急信号が走る。別に珍しい現象じゃなく、あのパワー系男は悪くないけど、嫌な予感は拭えない。湧き上がるばかりだ。

「見て見ぬフリすれば平気さ」

坂本君はそう言うと、スマホをいじりだす。普通の人間らしく、見て見ぬフリしろというわけだ。


 隣りの車両にいた人々は、そのパワー系男をさりげなく避けていく。反発し合う磁石のようにね。もちろん人々は、彼と目を直接合わせないようとしない。「触らぬ神に祟りなし」という調子だ。


 パワー系男は奇声を発しながら、私たちの前を通過していく。座った私は目を伏せ、Iはサッと避ける。

 ところが、ボケてるおじいさんは、男に勢いよく押し退けられ、無惨に転んでしまう……。しかし、何事もないかの如く、パワー系男はそのまま歩き続ける。

「信子さんや。お昼はまだですかの?」

幸い、おじいさんは何事も無かったかの如くボケたままで、大丈夫そうだった……。


「連中による巡回だ。敵だと思われたら面倒だから気をつけろ」

Iがそっと私たちに教えた。いったい何の「連中」なのかな?

「そんな高尚なことをしているようには見えないけど?」

坂本君は本気にしていない。たぶん、このIを信用できないヤツだと踏んでいるようだね。とはいえ、私も彼をまだ信用しているわけじゃないけど。

「信じられないなら、アイツをからかってみろ。殺す勢いで襲ってくるから」

Iにそう言われた坂本君は、お安いご用というノリで立ち上がり、パワー系男のほうへ向かっていく……。冗談で言ったかもしれないのに。

 ……私が止める間もなく、彼は男の尻を思い切り蹴り上げてしまう。サッカーで鍛えられたキックのお披露目だ。蹴られた勢いで、男は前のめりに転ぶ……。付き添い役がいれば、転ばずには済んだかもしれない。


「ウーーー!」

パワー系男は、立ち上がるとすぐに、坂本君のほうを向き直る。彼の声には、猛烈な威圧感が含まれていた。まるで怒り狂う猛獣が、攻撃の構えを取っているよう……。

 けれどこれは、健常者だろうと障害者だろうと怒っていい状況だ。理由はさておき、暴力を振るったわけだからね。

 バチンと緊張が走る車内。人々は一斉に顔を背け、空気との一体感を示す。これ以上ないほど強烈に。

「ええっ? これヤバい系?」

坂本君は、自身がとんでもない窮地に陥った現実は理解していた。手遅れという点も含めてね。

「ウーーー!」

パワー系男が、傘を振り回しながら、坂本君に突撃していく……。乱暴に振り回される傘からは、絶対に殺してやるという強い意気込みが伝わってくるね。

「うわっ! うへっ! おっと!」

必死の形相と動きで、の攻撃を避け続ける坂本君。宙を切った傘の先端が、吊り革をバチンと弾き飛ばす。

 座っていた人は、巻き添えを喰らいたくないと、体を小さく縮こませる。また、立っていた人は、素知らぬ顔を見せながら、坂本君と男から離れていく。他の車両へさっさと逃げる人もいた。この様子だと、誰も車掌さんを呼んでくれそうにない……。

「今のうちに大事な話をする」

Iはそう言うなり、私の隣りに座る。言うまでもなく、坂本君が座っていた席だ。坂本君は彼に、見事乗せられてしまったらしい……。


「まず、あそこの仕事について教えるから」

「やっぱり、ただの封筒じゃなかったんですね」

「そういうこと。内容はまだ覚えてる?」

「確か、障害関係のものでした」

「オレが書いたものを入力していて、何か違和感なかった?」

そう聞かれたので、とりあえず思い出してみる私。

「……そういえば、変な改行だらけでしたね。そのせいで空きスペースが」

「今度、縦読みか斜め読みをしてみ、一応文になってるから」

「えっ?」

まさか、そんなのが含まれているとは思っていなかったので、私はつい驚いてしまう……。今度確認してみないと。

「送り先への煽り文句になってるんだ。それも特定の奴の名前を騙ってな」

「特定? どういうこと?」

「君が目撃した一件が、まさにそういうことなの。送り先の統合失調症患者が、うるさいおっさんを殺したろ? あれはつまり、患者におっさんをこっそり殺させたというわけだから」

「……まさか、いくらなんでもそんなこと!」

声の勢いが強くなってしまう。Iが口の前で人差し指を立てた。できるだけ落ち着かないと、できるだけ……。

「縦読みという形とかで、コッソリ煽ってやれば、疑心暗鬼な連中は意気揚々と殺意に目覚めてくれるさ。まあ、確実な方法じゃないことは、高山も認めているけど」

覚悟はしていたけど、高山さんは関係者なんだ……。彼女との信頼関係に、大きなヒビが入る。

「君と坂本は、高山と仲がいいみたいだけど、嫌な目に遭わされたりしてないか? 嘘をつかれたりとか」

「そ、そんなことはされてません! ……でも、変なときに笑っていたことはあります」

言わざるをえない。この「変なとき」とは、木橋が転落死したときのことだ。彼女の不気味な笑顔は、まだ記憶に残っている……。

「それなら、これからはよく気をつけてろよ」

でも、彼女にも何か事情があったに違いない。私や坂本君を、自分の問題に巻き込みたくないとかで……。きっとそうだ!


「嫌だろうけど、高山から離れたほうがいい。少なくとも、あの仕事は辞めろ」

そんなことを言い出したI……。なんとも簡単に言ってくれるね。まるで親みたいな態度だ。

「精神病質、つまりサイコなだけでもやっかいなのに、高山は美人で話し上手だ。ぶっちゃけ、いつ殺されてもおかしくないんだよ、おまえら?」

ただのからかいに決まってる! この人はきっと、頭が猛烈におかしいせいで、高山さんのことをこんなに悪く言うのだ! 健闘中の坂本君を放置してでも、この人から早く離れないと!


「安心しろって。オレはキチガイじゃない。おまえや坂本と同じ発達障害者なんだよ。しかも、まだまともである証の三級だ」

精神障害者手帳を、目の前に突きつけるI。坂本君が持っていた物と同じだから、まず本物だろう。

「えっと、ADHDなんですか?」

「それプラスでアスペルガーもある。たぶん、あの坂本もそれっぽいな」

ええ、そうなんだ。でも坂本君は、ADHDであることしか言っていなかったな……。

「それより、高山はマジで危ないから気をつけろ。けっこう上のほうにいる人間だから」

「……上のほうってどういうこと?」

実は高山さんは、どこかのお偉いさんということなのだろうか? まだ高校生なのに?

「信じないかもしれないけど、この世界を全然違う感じに変えようとしている連中がいるんだよ。高山は、そこの中の下らへんにいるらしい」

「……世界を……全然違う……感じに? 中の上らへん?」

頭がすっかり混乱してきた。まさか、ここまでカオスな話を聞かされるとは思ってもみなかった。もしIが冗談を言っているのだとしたら、ただじゃおかない。

「これ以上詳しく話しても、意味がわからないだろうからやめとく。とにかくオレが伝えたいのは、高山とあの仕事場はヤバい。忠告はしたからな?」

Iはそう言うと、席から立ち上がり、坂本君とパワー系男のほうへ向かう。あの二人はまだ熱いファイトを繰り広げている。巻き添えを喰らった中年会社員が、床に倒れていた……。

「信子さんや。お昼はまだですかの?」

そして、あのおじいさんは、まるで家にいるかのごとく、床にちょこんと正座していた……。


「こういうタイプはちょっとだけでいい」

Iは坂本君にそう言うと、パワー系男の右側にさっと移動した。そして、男の右膝裏を蹴った……。だけど、本気の強いキックではないようだ。音はそんなに立っていない。

「ウ、ウーー!」

すると男は、右足からバランスをがくんと崩し、無様に転んでしまった……。大柄な男が転倒したせいで、電車が少し揺れた。

 Iは男に、いわゆる「膝カックン」に近い攻撃を加えたということだ。普通の人なら、なんとか転ばずにすむだろうけど、知的水準が確実に低いパワー系男には難しいことだったらしい。

「ウウウーーー!! ウウウーーー!!」

大声で泣き出したパワー系男……。その場で転んだだけなんだから、そんなに痛くないだろうに。

 坂本君はというと、奇妙な展開にポカンとしていた。それでも必死に攻撃を避け続けていたので、息苦しそうにはしている。


「次で降りるんだけど、お前らもそうしたほうがいいよ」

Iはそう言うと、ドアの前へ移動した。ちょうど電車が、その駅のホームに入り込む。名古屋駅だった。

「ちょっと待ってよ! 聞きたいことがたくさんできたんだけど!」

私は声を呼び止めようとしたけど、Iは素知らぬ顔をしている。もうすでに、「赤の他人」を決め込んでいるらしい……。ラインのIDを教えてもらっているとはいえ、直接話を聞きたかった。

「な、なあ? 何かいろいろ話を聞いたんだろ? ボクにも教えてよ!」

彼を説得しようと席から立ち上がった私の前に、坂本君が通せんぼみたいな形で立ってしまった。

 おまけに、名古屋駅で降りる人は多いため、ドア付近にいたIの姿が見えなくなってしまう……。そして、その次の瞬間には、電車は駅に停まっていた。


 電車のドアとホームドアが同時に開き、たくさんの人々が電車から降りていく。

「のぶぅこさんや。おひりゅはまだでしゅかのぉ?」

あのおじいさんは降りる人々に踏まれつつも、ボケ続けていた……。まあ喋れているから大丈夫だろう。

「坂本君! 後で話すから後で!」

私は坂本君を無理やり脇へどかすと、Iを追いかける。

 ホームは降りたばかりの人々でごった返していた。しかも、後ろから来る人々に押されてしまうので、この状態で彼を探すことは、とても無理なことだ……。


 I探しを諦めた私と坂本君は、どこかで休むことにした。まあ、坂本君が話を聞かせろと言ってくるからでもあるんだけどね。

 とはいえ、さすがにクリスマスイブなので、コメダなどは満員御礼の状態だった……。仕方がないので、桜通口二階の広場っぽい場所へ行き、植栽のフチに並んで座った。同じ考えのカップルが周囲にたくさんいたので、少し落ち着かないね……。


「それで、あいつとどんな話をしたのさ?」

坂本君が、少しムスッとした感じで聞いてきた。別に私は、Iと楽しくお喋りしてたわけじゃない。

「あの仕事場や高山さんのことだよ。かなりヤバい話だったんだけど、それでも聞きたい?」

「聞きたい! 聞きたい!」

坂本君は本当に素直だね。私も素直に話してあげることにしよう。



「……その話がマジだとすれば、今に大変なことになるな」

私の話を聞いた坂本君は、すぐにそう言った。深刻げな表情を浮かべている。

「でも、そう簡単に高山さんから離れられるとは思えないんだよね……」

「まあ、友達であることは確かだしな。かといって、うまく説得できるとは思えない。高山、すごく頭いいし」

「でも話してみるしかないとないと思う。無視したりするのは可哀想だし……」

「か、可哀想!? 高山が!?」

坂本君は、苦笑いを浮かべながら言った。彼女と一体何があったんだろうか……。

「……ちょっといい? 高山は精神病質で、つまりサイコパスなんだよ? 高山がヤバい奴だってことは、マジのマジな話だ!」

熱弁を奮う坂本君。彼が高山さんを恐れていることが、よくわかる迫力だ……。

「イジメと思われても仕方がないけど、あいつの言う通り、高山から離れるしかないよ!」

「でも」

正直不安だ……。

「ボクが森村を守るよ! 高山ほどじゃないけど、手帳とかのことはよく知ってるし」

こんなときでなければ、これはプロポーズだろうね。

「……でも、坂本君。私のことを信頼してくれてるの? Iさんは、あなたはアスペルガーの症状もあると言っていたけど、これは本当?」

私に嫌われると思って、マイナスイメージな症状を黙っていたのではないだろうか?


 ……数秒後、私は坂本君に抱きつかれていた。座ったままの抱擁とはいえ、私の心は急沸騰してしまう。乙女心は、最高潮を軽々と越え、オーバーヒート状態に陥っていた。自分はピュアな人間だと勝手に思っていたけど、それは事実だったようだ……。

 周囲にはクリスマスイブを楽しむカップルがたくさんいたので、恥ずかしさは湧いてこない。羞恥心が不要であるという事実が、乙女心を堂々と燃え上がらせるのだ。


「怖かったんだよ……。せっかく出会えた発達障害者の女の子に逃げられてしまうのが……」

やっぱりそうだったんだね。でも、私は平気だよ。私からしても、坂本君はせっかく出会えた存在だもの。


 そして、私は抱きつき返した……。大丈夫。彼といっしょなら、この世界がどんなに変わったとしても、なんとかやっていけるはず。

 そう思うことに決めた私。

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