【第7章】
あさってはもうクリスマスイブだ。名古屋の街中はすっかりクリスマスムードでいっぱいだ。だけど、恋人のいない私にとっては、あまり楽しいイベントではないね……。
それはさておき、私はバイト先へ急いでいる。遅刻しそうだからではなく、大事な質問事があるからだ。質問相手は高山さんで、学校やラインでは、気軽にできる質問ではない……。話を蒸し返す形だから、気まずい空気に包まれることも覚悟しないとね。
なんとしても、あのバイト先で行われている事について、高山さんから答えを得なければ……。今度はごまかれさないように気をつけるよ。
バイト先のある建物に入り、エレベーターに乗り込む私。上昇するエレベーターの中で、私は呼吸を整える。こんなに本気で走ったのは久しぶりのことだ。
そして、エレベーターから降りた私は、仕事場へのドアの前で大きく深呼吸した。緊張して噛んだりしたら、恥ずかしいからね。
「ここの文章、遠回しすぎるから直しといて。あと、ここに誤字があるよ」
高山さんは原稿用紙を手に、仕事場の男性と話をしていた。どうやら、彼女はもう仕事に入っている様子だ。でも、仕事中だろうと構わない。私は、ズカズカと彼女の元へ向かう。
「高山さん! ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
早足で向かいながら、そう切り出す私。振り向いた高山さんは、何事かと驚いている。まあ当然の反応だよね。
「な、何? そんなに慌てて……」
「私がポストに入れて回っている封筒の件なんだけど!」
思わず強い口調で言ってしまう。これではクレーマーみたいだね……。
「……またその話? 今度はどうしたの?」
「あの封筒の送り先に行ってみたの! そしたら、こっちが一方的に送りつけまくっている感じだったよ!」
はっきりとそう言ってやった。
「えっ? わざわざ行ってみたの?」
呆れと驚きが混じる表情の高山さん。
「そうだよ! おとといの日曜日に坂本君と行ってきた!」
言い終わった後で、坂本君の事は言わないはずだったことを思い出す……。つい口が滑ってしまった。今日が彼の出勤日でなかったことは幸いだね。
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「……ダイレクトメールには違いないから、確かにこっちから送りつけていることにはなっちゃうね」
高山さんが、近くの机に積まれた封筒を眺めながら言う。
「ポストにたくさん残っているぐらいだったんだよ! しかも、地面に何通か散らばっていたぐらい!」
思わず興奮しながら話してしまう私。冷静に話す高山さんとは対照的だね……。
「ああ、引っ越しの手続きをちゃんとしていなかったのね、そこの人」
「違う、そこには人が住んでた! でも、送りつけられていることに怒ってたんだよ!」
ふと気がつけば、仕事場にいた全員の視線が私に集中していた……。恥ずかしいけど、この興奮は簡単には収まらない。
「送りつけていたっていうけど、中身はまともなものだよ。ちょっと読んでみて」
高山さんはそう言うと、封筒を華麗に素早く開けて、中身の書類を私に差し出す。いきなり目の前に突き出されたので、私はそれを受け取るしかなかった。とりあえず、一枚ずつペラペラと目を通すことにした。
……中身は、来年に施行される障害関係の法律について書かれたものだった。少し独特な文章と書き方だけど、怒りを誘う内容ではない。
「こっちも読んでみたらどう?」
別の封筒から取り出した書類を、私に差し出す高山さん。普段と変わらない堂々とした態度だ。
一応それにも目を通したけど、特におかしなところは無かった……。自分で言い出しておいてアレだけど、あのチェーンソー男は何で怒ったのだろうか? 頭がおかしいせいで、封筒に八つ当たりしていただけということかな? でも、なんとなく違和感は拭えない……。
「もっと読んでみる?」
封筒をさらに開けようとしている高山さん。悔しいけど、これ以上は時間の無駄だね。
「う、ううん。十分読んだから、もういいよ……」
興奮が冷めきった途端に、私は恥ずかしさでいっぱいになる。なにせ、仕事場で騒動を起こしてしまったわけだからね……。全員の視線が、まだ私に集中していた。
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「それで森村さん。もしこの封筒をポストに入れるのが嫌なら、別の作業をお任せしてもいいんだけど、どうする?」
気を遣うつもりなのか、高山さんはそう言ってきた。まだ心残りがあるぐらいだし、これ以上騒動を続けるわけにもいかなかったので、彼女の申し出を快諾した。
「じゃあ、この人から後で原稿を受け取ってね」
高山さんはさっきから近くにいた男性を指差し、彼に手元の書類を渡した。原稿を使うということは事務だろうか?
「あそこのパソコンを使っての作業だけど、マニュアルは机の引き出しに入ってるから大丈夫だよ」
ワードとエクセルは何度か使ってみたことがあるから、たぶん大丈夫だろう。
私はデスクトップパソコンの前に座り、電源を入れる。そして、パソコンが立ち上がるまでの間、引き出しに入っていたマニュアルに目に通す。
手順通りにやれば、高校生の私でもなんとかできそうな作業内容だった。軽く一安心できた私。立ち上がりを確認してから、ワードを起動させた。それからマニュアル通りに、新規作成の手順を進んでいく。
「お願いしまーす」
そこに、先ほどの男性が原稿を持って現れた。
「は、はい」
突然現れたものだから、少し驚いてしまった。彼は二枚の原稿用紙を私に渡すと、すぐに戻っていく。たぶんバレちゃったね……。
……あれ? 二枚ある原稿用紙の間に、小さなメモ用紙が挟まっていた。貼りつけたままの付箋でもなく、それには文字が書かれている。
『恋愛以外で大事な話があるから、後で連絡して』
という一文と、ラインのIDが書かれていた……。「恋愛以外」と書かれているけど、嫌な予感しかしない。とはいえ無視はできないので、上着のポケットにメモを隠した。
周囲に気づかれないレベルで、あの男のほうを見る。私の視線に気づいたらしく、彼は一度チラ見した。しかし、それだけの反応だ。
すごく気になるけど、今は仕事に集中しかないね。キーボードをカタカタと鳴らす私。原稿の文章を入力するだけの簡単な仕事とはいえ、これ以上恥ずかしい思いはしたくない。
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終業時刻。パソコンの片付けに手間取り、ようやく帰れる頃には、あの男はもう帰っていた……。めんどくさいこともあり、直接話を聞きたかったのだ。
幸か不幸か、高山さんの姿もなかった。今日の事があるから、別々に帰ることになってよかったのかもしれない。寒風の中、一人寂しく帰るのは心地良くないけどね……。
その帰路で最寄り駅に着いたとき、チェーンソー男に殺された「生き残り男」のことを思い出した。彼とお仲間はついこの間、この駅前で、殺人事件遺族の広報活動をしていた。あんな特殊な演説ができるなんて、ある意味すごいと思ったものだ。
……あの惨劇の後、マスコミは発狂したかの如く、大ニュースとして取り上げた。ほとんどのチャンネルが通常の放送を取りやめて、この事件を報じた。まあ五人も殺されたのだから、この流れは当然のことだ。
ところが今朝になると、もうどこのチャンネルも続報を伝えていなかった……。ニュースのラインナップには、アメリカ大統領選挙や天気の話題が牛耳っている。まだ高校生の私にも、不自然であることを感じ取れた……。
ネット上はまだ、この話題のことで持ち切りだったけど、その勢いは弱まりつつある。しょせんは他人事というわけだね……。
帰宅して風呂と夕食を済ませた私は、ベッドに寝転がる。ここ数日分の溜まった疲労を、ベッドに沈む背中で感じた。
「……送ってみるか」
あの男からのメモを思い出した私は、クローゼットに仕舞った上着のポケットを探る。本当に恋愛以外の話だとありがたいね。
『クリスマスイブは空いているか? そちらの疑問に答えることができると思う』
メモに書かれたIDを登録し、挨拶文を送ると、こんな返事がきた。今の私にとって、シリアスかつ惹かれる内容だ……。油断はダメだけど、スルーするわけにはいかない。それに、クリスマスイブはフリーだったのだ。悲しいことにね……。
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私が了承したことを伝えると、時間や場所の詳細が送られてきた。また、高山さんを絶対に連れてくるなという注文も書いてある。事情が事情だから、これは当然だね。
私が理解した旨を送ると、既読がついたまま、もう送られてこなくなった。一応これで、クリスマスイブはフリーではなくなったわけだ。リア充のそれとは別物だけどね。
……少し悩んだものの、坂本君にこのことを相談することにした。頼りないけど、贅沢は言えない。
『クリスマスイブの予定ができてよかったな!』
私の相談を聞いてすぐの返信がコレだ……。彼の軽い調子には、もう慣れたぐらいだ。それに、高山さんに彼が同行していたことを喋ってしまった負い目があるから、今回は見逃してやることにした。
『仕方ないから、いっしょにまたついていってあげるよ!』
予想していたけど、彼はそう申し出てくれた。
とはいえ、彼はクリスマスイブは忙しいはずだ。嬉しいけど、罪悪感が湧いてくるね。キャンセルされた女の子たちに、もしバレれば、彼も私も八つ裂きにされるだろう……。