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正常な世界にて  作者: やまさん(発達障害者)
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【第6章】

「……暇だなぁ」

私の視線の先には、殺風景な天井がある。

 自分の部屋で、ベッドに寝転がっている私。冬休み近くの日曜日で、予定は何も無いのだ。パソコンやスマホでダラダラと時間を潰してもいいけど、親に怒られるし、目に悪い……。だから今は、ただ時間をやり過ごしているというわけだ。


 しばらくそうしていたとき、ふと頭に浮かんだことがある。しつこい油汚れのように、頭の中に残っている疑問だ。その解決のために、この暇な時間を使えばいいのだ。

 ……その疑問とは、あの封筒の送り先についてだ。何度も封筒を見ているため、送り先の住所はもう覚えてしまっている。さっそく、枕元のスマホを手に取り、住所検索をする。


 その住所の場所はすぐにわかった。ある駅から少し離れた住宅街にある一軒家に、目的地を示すピンが刺さっている。この程度の距離なら、自宅から片道一時間ぐらいだ。

 ここでストリートビューを使えば、現場の写真をすぐに見られるけど、見ないでおく。せっかくの暇つぶしなのに、スマホで見るなんてつまらないからね。

 さて、善は急げだ。支度がさっさと済ませると、私は家を出る。……だけど、財布を忘れていることに気づき、取りに戻る羽目になった。少しでも急ぎ足だと、こういう具合に何か忘れ物をしてしまうのだ。財布を忘れるなんて、百回はやってることだろうね……。




「どういうことなの!?」

目的地の最寄り駅から出たところで、そんな大声が聞こえてきた。同い年ぐらいの女の子の声で、駅前のバスターミナルのほうからだ。

「い、いっしょに遊べば楽しいかなと思ってさ!」

もちろんすぐわかったけど、その男の子の声は坂本君だった……。今の彼の声は、狼狽え気味だ。

「はぁ!? デートのはずじゃん! 男女比が違うデートなんて、普通ありえないっしょ!?」

これは別の女の子の声だ。どうやら、痴話喧嘩になってるらしい。興味本位により、私の足は自然とその現場へと進む。女たらしの坂本君が無様に狼狽える姿なんて、めったに見られるものじゃない。この場に高山さんがいないのが残念だ。



 予想通り、この痴話喧嘩の主人公は坂本君だった……。彼と女の子二人は、バスターミナルのところで、激しい舌戦を繰り広げている。周囲にいた人たちは、関わりたくないという様子を出しつつ、野次馬になっていた。まあ私も野次馬の一人なんだけどね。

 坂本君に見つからないよう、私は人影にそっと隠れる形で、彼らの痴話喧嘩を見守ることにした。



______________________________



「こんな女といっしょに映画なんて、絶対嫌よ!?」

「私とこの女、どっちが大事なの!?」

お決まりのセリフを、二人の女の子は坂本君にぶつけた。

「そんなひどい質問をしないでくれよ……。二人とも大事なんだからさ」

本当に大事だと思っているなら、ダブルブッキングなんてしないよね? いったい彼は現在、何人の女の子と付き合っているんだろう……。こっそりスマホの電話帳をのぞきたくなったよ。


「ホントのこと言ってよ! 二股かけてたんでしょ!?」

もちろん正解だ。その女の子の怒り具合は、今にも坂本君に殴りかかりそうな感じだった。

「マジありえない!!」

もう一人の女の子はそう言うと、手に持っていたブランド物バッグを、彼の胸にドンとぶつけた。

「うう、許してくれよ……。ボクは少しでも多くの女の子と、時間を共にしたいだけなんだからさ……」

とんでもない言い訳をした……。いったい、どうポジティブに考えれば、彼を許すことができるのだろうか……。

「最低!! 何股かけてるのよ!?」

「死ね!! お前なんか死んだほうがいい!!」

当然、猛烈な罵倒を彼は浴びることとなった。私も彼に、一言二言ぶつけたくなる。

 その後、彼は女の子たちに制裁を喰らうことになった。二つのバッグが彼に何度も勢いよくぶつかりまくり、彼はベタンと尻餅をつく。それでもバッグ攻撃は止まず、彼の頭が前後左右に揺れる。まるで、頭が動くペコちゃん人形を早送りで見ているみたい……。


「アンタの電話番号、あちこちに流すから、覚悟しておけよ!!」

「二度と私の前にこないで!!」

しばらくすると、女の子たちはその場から、それぞれ立ち去る。そのときの彼女たちは、怒気マックスな圧迫感を放出していた……。発電か何かで使えそうなぐらいだ。私の目には、敷石に足跡が残っているように見えた……。



 ……坂本君は、女の子たちがいなくなったのを確認すると、やれやれという感じで立ち上がった。慣れた手つきで、服や髪を整えているところを見ると、どうやらこういう痴話喧嘩は何度も経験しているらしい……。いい加減に学べよと、私は呆れるしかなかった。

「乙女心は複雑だな」

彼の一言目がそれだ……。どこが複雑なんだろうか? 少なくとも、彼の心のほうが複雑なのは明らかだ。

 とはいうものの、彼は強がっているように見えた。自業自得とはいえ、何度もこういう失敗をしでかしているんだから、強がらずにはいられないこともあるだろうね。服についた砂を払う彼は、繰り返した失敗と訪れた孤独感により、とても悲しそうだった……。



______________________________



「あれ? 坂本君、誰かと待ち合わせしてるの?」


 偶然通りかかったフリをして、坂本君に声をかけた。余計なお節介だけど、あのまま放っておくわけにはいかなかったのだ。

 それに対して彼は、私の顔を見た瞬間、気まずそうな表情を浮かべる。

「……ううん、ちょうど今キャンセルされちゃったところ」

しかし、彼は強がってみせた。たぶん私に、先ほどの醜態を見られたことに気がついているのだろう。

「そうなんだ。せっかくの休日なのに無駄足だったね」

「まったくだよ。ところで、森村さんはどうしたの? そこで買い物?」

彼は後ろ指で、近くにあるショッピングモールのほうを指差す。時間が余れば、そこでウィンドーショッピングもありだなと、私は思った。

「それもいいけど、ちょっと調べものがあってね」

「調べもの?」

別に教えてあげてもいいだろう。下手に隠そうとしたら、彼が意地悪で尾行してくるかもしれない……。こういうときは、平然と言ってみせたほうが、怪しまれないものだ。

「バイトの封筒に書いてあった宛先が気になって、その住所に行ってみることにしたの」

「えっ? ボクたちがポストに入れて回っているあの封筒のこと? ……そうとう、暇なんだね」

坂本君は呆れ顔だ。暇なのは正解だけど、どうしても気になるんだから、仕方ないじゃない。

「まあボクも暇だから、いっしょに行ってあげるよ」

まさか、彼がこんな話に乗ってくるとは思わなかった……。

「えっ、いいよいいよ!」

「冷たいこと言わないでよ。それに、女の子の一人歩きなんて、危ないんだからさ」

別についてきてもいいんだけど、なんかデートみたいで恥ずかしい。これなら、高山さんを誘えばよかったかな?

「じゃあ行こうよ。道案内は任せるね」

彼は一方的にそう言うと、私のすぐそばに立つ。手は繋いでいないけど、どうみてもカップルの状態だ。学校の夢見る女の子たちに見られたら、ひどく嫉妬されるだろうね……。

 まあ、性格はともかくとして、イケメンといっしょに歩くこと自体は苦ではない。それに、もしものときは、男である彼を頼りにできる。



 そして、私と坂本君は駅から離れ、住宅街を歩いていた。名鉄とJRの線路が近くにあるせいか、どことなく落ち着かない空気が流れている気がする。

 私はスマホを両手に持ち、地図と道を交互に見ていた。確認と交通安全のため、いつもより足取りは遅い。

「ねえ? まだ着かないの?」

「もう少しだって」

まるで母親と困った息子のやり取りだね。これでもう四回目だ。

 せっかちに相手を急かしてしまうことも、ADHDによる症状の一つだ……。まあ、私も時々せっかちになりがちだから、人の事言えないけどね。



______________________________



 結局、駅から十五分ほど歩いたところで、私たちは目的地に到着した。

「ホントにここ?」

「うん、そうみたい……」

スマホの地図は、私たちの目の前にある家が目的地であることを、しっかりと示している。だけど、この家を見た途端、スマホが故障しているんじゃないかという疑問が湧いたことは否定しない……。


 その家は、見る人に強烈な第一印象を与える和風の一戸建てだった……。窓という窓はすべてアルミホイルで覆い隠され、家のあちこちにカメラや反応するライトが取り付けられている。

 狭苦しい庭は、雑草が縦横無尽に伸びまくり、門から玄関までの道は獣道みたいだ。門にある薄汚れた表札は、この家の主が「瓜生」という苗字であることを寂しげに伝えていた。表札があるということは、空き家じゃないということかな? もしかすると、家の中はもっとすごいのかも……。

 私たちが無言で、その家を眺めていると、近所の人っぽいおばさんが、背後を足早に通り過ぎていった。その際に私たちは、ジロジロとした冷たい視線を浴びた。「この子たちは、こんなところで何をしているのかしら?」という疑問を抱いている感じだ。


「……どうやら、この家に住んでいるのは、かなりヤバい奴らしい」

「カメラがたくさんあるということは、お金持ちやヤクザの人の家ってことだよね?」

小声で話す私たち。面倒事はもちろん嫌だ。そろそろ帰ったほうがよさそうだね。

「いや、五分五分の確率だけど、もっとヤバい奴だよ……」

「ど、どんな人?」

まさか、吸血鬼とか言い出したりしてね。

「……森村さんは、アルミホイルを何に使ってる?」

「えっ? 手でチキンを食べるときかな? あとたまに、お菓子作りで」

こんなときにも、女子力アピールを忘れない私……。

「それならこれは初耳だろうね。世の中には、アルミホイルで電波から、自分の身を守ろうとする人がいるんだよ」

「ア、アルミホイルで電波を?」

自宅のキッチンの戸棚にあるアルミホイルを思い出す私。バリバリバリとホイルを握り潰す音が聞こえてくるようだ。電波がどんな強さなのかはわからないけど、とてもアレで防げるとは思えない……。

「紙のように薄っぺらいアルミホイルなんかで、電波攻撃を防げるなんて、ボクは思ってないよ。だけど、あの家の主とかは、宗教のように信じてる」

「そ、それでどんな人なの?」

アルミホイルはもういいから、早く教えてほしい。

「……ボクや高山さんが何度か口にしたけど、『統合失調症』という精神障害を患っている人だよ」

彼は、声を潜めながらそう言った……。しかも、あの家のほうを、何度もチラ見しながら……。



______________________________



 私は家のほうを、改めて眺めてみる。ただでさえ不気味な雰囲気を醸し出す家が、さらに恐ろしく見えた。

「だけどなんであの封筒は、こんなところに送られるんだろ……」

ふと思い浮かんだ疑問を呟く私。

「……どうやら、一方的に送りつけてるみたいだね。郵便受けとその後ろを見てみなよ」

何かを発見した坂本君は、そう言って指をさした。

 サビついた郵便受けの中と、その反対側をそっと覗き見る私。自然と動作が、ぎこちない調子になる……。私の心は今、恐怖心と探求心が喧嘩している。


 ……郵便受けの中は、封筒の「塊」にビッチリと占拠されていた。一見したところ、これらの封筒はすべて、私たちが送っていたものに違いなさそうだ……。

 満杯な郵便受けにもビックリしたけど、もっと強い衝撃を受けたのは、そのすぐ後ろの地面だ。何十枚もの封筒が、メチャクチャに散らばっていた……。郵便受けからこぼれ落ちたわけじゃなくて、誰かが地面に撒き散らしたという感じだ……。何枚かの封筒には、靴の足跡がしっかりと残っている。無我夢中で踏みつけたんだろう。

 これらの封筒をポストに入れていた私としては、嫌な気分になる。だけど、送りつけられたこの家の人は、もっと嫌な気分になっているに違いない。……それも怒り狂うほどに。


 そう考えた途端、探求心は恐怖心によって覆い隠された。「ここでのんびりしていたら危険だ! すぐに離れろ!」と、脳のどこかが警告してきた……。いろいろ考えるのは後だ。

「帰ろう! 今すぐ!」

「そ、そうだな!」

彼も私と同じく、恐怖心を抱いているらしい。頼りないけど、同意してくれたのだから、文句は言えない。


「おい!! そこで何してる!?」

その大声が聞こえたのは、ここから立ち去ろうと、体の向きを変えたときだった……。あの家のほうからで、スピーカーによる声だった。カメラと同じように、どこかに設置されているんだろうね。

「えっ? ええっ?」

「……ヤバい予感……」

一気に跳ね上がった恐怖心のせいで、思わず凍りついてしまった私たち。今すぐ逃げなくちゃいけないのに!

 ……それから何十秒か経ってから、ようやく凍りつけが解け始めた。これで逃げられる。

「絶対に逃がさないからな!!」

私たちが少しずつ歩き始めたとき、声の主であり家の主である人が、玄関のドアを勢いよく開けた……。


 その人は、三十代ぐらいの男性だ。広い視界を保てるタイプのガスマスクを顔につけ、アルミホイルを贅沢に貼り付けまくったレインコートを着込んでいた……。長く伸びた黒髪はボサボサだ。

 その奇抜な外見にも驚かされたけど、男が手にしている物を見た途端、さらに驚かされることとなる。

 ……男が手にしていたのは、チェーンソーだった。家庭用の小さな物とはいえ、余裕の殺傷能力があるだろうね……。



______________________________



 チェーンソー男に驚くと同時に、私と坂本君は一気に駆け出す。一刻も早くあの男から離れろと、生存本能がゴーサインを出したようだ。

「オイコラ!! 待て!! オイ!!」

あの家のほうから、男の大声が聞こえてくる。もちろん待つわけない。無傷で済まないことは明らかだ。

「ついに偵察までしにきやがったな!!」

男は門の扉を蹴り開けた。どうやら、追いかけてくるようだ。

「て、偵察?」

「ただの妄想だろうさ! ほっとけ!」

気になり振り返った私を、坂本君が急かす。あの男は、私たちを敵だと思い込んでいるらしい。あの封筒が何か関係しているの?


 私たちはとにかく走った。とりあえず、さっきの駅に向かってだ。人が多い場所だし、駅のすぐ近くには交番があったはずだ。

 私たちは高校生とはいえ、チェーンソーを持った大の男にはかなわない……。アニメの主人公じゃないんだからね。

 後ろから、チェーンソーが動き始める音が聞こえてきた。これでいつでも私たちを、残酷に切り刻めるわけだ……。音にビビりつつ、私たちはひたすら走るしかなかった。



 無我夢中で走り続けたので、ふと気がつけば、駅のすぐそばまで来ていた。JRの高架が見える。

「いつまで逃げるつもりだ!? 逃げても無駄だぞ!」

あのチェーンソー男は、まだ追いかけてきていた……。二十メートルぐらいの距離があるけど、殺気と恐怖は十分に感じられる。しかし、もう若くないのにしつこい男だね。

「なぜ私の家族は死ななければならなかったのか!? なぜ彼は生きているのか!?」

駅のほうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた……。バスターミナルらへんで、家族を殺された生き残り男が、「専門」の広報活動に精を出しているらしい。今日はあの駅でやる予定だったんだね。

「あの死にぞこないが声を上げているということは、人がけっこういるということだな……」

彼の言う通りなら、私たちが切るゴールテープはそこだ。とにかくバスターミナルに行ってみるしかない。

「俺を晒し者にしたって無駄だぞ!!」

この声の勢いだと、チェーンソー男は満員電車にいても、堂々と私たちを殺しそうだ……。

「……交番にも行こう」

ゴールテープの場所が伸びたけど仕方ないね……。幸い、息切れしていないので、まだ走れそうだ。


 予想通り、駅前のバスターミナルで、生き残り男が声を上げていた。日曜日で通行人が多いためか、張り切った口調だ。この運動を生きがいにしているのかな?

 私たちは、バスターミナルのできるだけ混雑しているところを走り抜けた。生き残り男のちょうど目の前をだ。通行人やチラシ配りをする活動員の間を、素早く通り過ぎる私たち。

 目障りになったらしく、生き残り男に睨まれた。文句なら、追いかけてくるチェーンソー男に言ってね。



______________________________



 うまく走り抜けられたおかげで、バスターミナルから離れたときには、チェーンソー男の追跡から逃れられていた。これで一安心だ。念のため、自動販売機の物陰にさりげなく隠れ、様子を伺う。

「卑怯者め!! 出てこい!!」

男はまだ諦めていないらしい……。生き残り男の演説に混じる形で、チェーンソーのブルルルルというエンジン音も聞こえてくる。

 かなり目立つから、騒ぎがもう起きそうだ。大勢の人間を前にすれば、さすがにあの男も、おとなしくなるしかないだろうね。


 ……だけど、バスターミナルのほうから聞こえてくるのは、生き残り男の演説とチェーンソーの音だけ。

 たぶん、何かの悪ふざけだと思われているんだろうね。よく見れば本物のチェーンソーだとわかるけど、「どうせおもちゃだろう」という先入観を持たれていそう……。あまり偉そうなことは言えないけど、『事なかれ主義』のせいで、騒ぎに発展しないみたいだ。

「このままだと、八つ当たりを始めそう……」

「交番までもうひとっ走りするしかないな」

私たちは再び走り出す。チェーンソー男と生き残り男の大声が、後ろから聞こえてくる。あの二人の男が声の大きさを競い合っているのか、バスターミナルから離れつつあっても、耳に届く声の大きさは変わらなかった……。



「すみません!! 駅に変なヤツが」

先に交番へ駆け込んだ坂本君は、言葉を途中で切る。そして、残念そうに私のほうを振り返った。

「……いないよ。どっか行ってるみたいだ」

どうやら交番には誰もいないらしい。パトロール中であることを告げる立て札が、正面の机に置いてある。いわゆる無人交番というやつだ……。

「駅の騒ぎへ駆けつけて、入れ違いになったんだとしたらいいね」

「履歴に残っちゃうけど、一一〇番通報するしかないな」

坂本君はそう言うと、スマホをポケットから取り出す。


「キャーーー!!」


 よくあるタイプの悲鳴が、駅のほうから聞こえてきた。いろいろな人の声で何度もだ……。あのチェーンソー男が、自暴自棄にでもなって、暴れ始めたに違いない。

 ただ、バスターミナルにいた誰かが通報してくれたらしく、パトカーのサイレンもいっしょに聞こえ始める。それを知った坂本君は、スマホをしまった。

「じゃあ、後は警察に任せて帰ろう」

坂本君はそう言うと、足早に交番から立ち去ろうとする……。これ以上の面倒事は嫌なんだろうね。

「このまま帰るなんてダメだよ!」

私は彼を呼び止めたけど、とても嫌そうな表情を向けてくる……。もちろん私も嫌だ。けど放っておくわけにはいかない。


 私は、嫌がって足を動かそうとしない坂本君を引っ張りながら、悲鳴が飛び散る駅へ向かう。馴れ馴れしい行動だけど、恥ずかしがるのは後だ。



______________________________



 ……駅前のバスターミナルは、チェーンソー男により、パニック映画の見どころシーンのような光景に成り果てていた。男はチェーンソーで、人を次から次へと血まみれの姿へと変えていく……。

 無我夢中で逃げまとう人々、狂ったように連呼される悲鳴。慌てた車同士が正面衝突し、その酷い光景への発展に尽くした。狼狽えたあげく、バス停の大きなガラス壁に激突してしまう人もいる。割れたガラスの破片が、その人の両目をダメにした。

 数人の警官が駆けつけていたが、逃げまとう人々への対応に気を取られ、チェーンソー男を相手にする余裕がなかった。

 なんとも酷く惨いそれが、実際の目の前で繰り広げられているのだ……。だから、駅についてからしばらく、私と坂本君は呆然とそれを眺めているしかなかった……。


「キチガイめ!! この私が相手だ!!」


 そのひときわ大きな叫び声で、私と坂本君は我に返る。声の主は、あの生き残り男だ。しかし、死亡フラグのセリフだね……。

「とうとう現れやがったな!! 卑怯者どものボスめ!!」

チェーンソー男も負けじと大きな叫び声で返す。威勢が大事なのはわかるけど、もう少し声のボリュームを下げてほしい。

「ボス? ……いや、相手にしてはいけないな」

生き残り男はそう言うと、チェーンソー男へ突進していく。イチかバチかで、無理やり押し倒してしまうらしい。私なら怖くて絶対にできない行動だ。



 だけど、現実は厳しい……。チェーンソー男が、うまくタイミングを合わせる形で、生き残り男の頭頂部にチェーンソーを振り下ろしたのだ。もちろん、そのチェーンソーは、トゲトゲの刃が勢いよく回転している……。

「ギィエエエエエエエエ!!」

連続する激痛を喰らい、生き残り男は悲鳴を上げ続けた。男の狂ったような悲鳴に競争するかのように、チェーンソーも激しい金属音を上げている。

 引き千切られる肉片。飛び散る鮮血。そして、彼の残り少ない髪の毛が、刃に刈り取られていった……。刃に絡まった肉や髪の毛が、摩擦熱で焼けて、焦げ臭い匂いを漂わせる。

「エエエエエエ!! ……エエエ……」

最後に弱々しい悲鳴を上げて、血まみれの生き残り男は死に絶えた……。チェーンソーの刃は、彼の額部分に達していた。中にある脳みそは、飲むゼリーみたいな状態になってるだろうね……。


 私と坂本君は、少し離れた所でその「チェーンソーアートづくり」を見ていたわけだけど、すぐ目の前で繰り広げられているような臨場感があった。しかし、実感が湧かない……。惨たらしい残酷さは感じるけど、映画の中のワンシーンを観ているような感じもするのだ……。

 もしかすると、クラスメートの木橋が死ぬところを見たせいで、感覚がもう慣れてしまったのかもしれない……。



______________________________



 頭部に喰いこんでいるチェーンソーが、ギュルルルという異音を立てた後で停止した。どうやら、髪の毛や肉片が刃に絡まり、故障したようだ。さらに、喰いこみのせいで、チェーンソーは頭部から離れようとしない。使い物にならなくなったわけだ。

 チェーンソー男は、苦々しそうな表情で、生き残り男の死体を見ている。まるでまだ目的を果たせていないみたいだ……。


「抵抗するな!! お前を現行犯逮捕する!!」

チャンスと見た警官たちが、チェーンソー男の身柄を確保しようと動き始めた。手には伸縮式の警棒が握られている。もう腰のピストルを使えばいいのに……。

 しかし、チェーンソー男は気にせずに、目的の完遂へ動く。

「ウオオオオ!!」

重いチェーンソーを上下に振り、生き残り男の死体を、地に何度も叩きつける……。繰り返される衝撃で、手足がボキボキと折れていった。

「リミッター外れてるな……」

坂本君が、引きつり笑いを浮かべながら言った。本当にすごい腕力なのだ……。

「や、やめるんだ!」

警官がチェーンソー男に呼びかけたが、完全に無視されている。六人もいるんだから、飛びかかるぐらいしろよと思った。とはいえ、私なら怖くて、先陣を切れないだろうね……。


   パァン!!


 突然、風船が割れるような大きな音が、一瞬だけ鳴り響いた。間違いなくそれは銃声だった。今度はガンマンでも現れたのだろうか?

「ウウウッ!」

チェーンソー男がうめき声を上げる。両手からチェーンソーが離れ、ガシャンと地に落ちた。そして、すごく痛そうに腹を押さえながら、その場にうずくまった。どうやら、今ので撃たれたらしい。

「おい!! 早く取り押さえろ!!」

停車中の路線バスの向こう側から、大声が聞こえた。応援の警官が来たのかな? 発砲して命中させるとは、なんて勇敢な人だろうか。


「コイツは敵のボスなんだ!! 俺は身を守るために戦っただけだ!!」

警官たちに取り押さえられながら、チェーンソー男は叫ぶ。撃たれてケガをしているとはいえ、まだ戦意が残っているらしい。警官が一人だったら、勢いよく振り切られてしまいそうだ。もしそうなったら、惨劇の再開だ……。

「いい加減にしろ! これ以上抵抗するなら、また撃つぞ!?」

スーツ姿の若い男が、ピストルを構えている。周囲にいる警官の反応から、その男は私服警官らしかった。

「あれ? あのポリ、学校に来たヤツじゃないか?」

坂本君が思い出したように言った。

 ……確かにそうだ。私のかすかな記憶が、顔を一致させた。あのスーツ警官は、ウチの学校に話を聞きに来た警官のうちの一人だ……。



______________________________



「ポリなんて言い方するなよ……」

私たちの背後から男の声がする。まだつい最近に聞いたことのある口調だ。振り返ると、スーツ姿で苦々しい表情をした中年男性が立っていた。外見も記憶の片隅にある。

「あっ、ウチの学校に来たポリのおっさんだ」

坂本君がそう言うと同時に、私も思い出せた。高校に来た警官二人組のうちの一人だ。

「……君たちはここで何をしているんだね? まさか、人の死体をまた見たくなったからじゃないだろうね?」

木橋の死がきっかけで、死体に興味を抱くようになったのかという嫌味だ。冗談とはいえ、カチンと来る。

「そう言うアンタは、ここで何してるんですか? ほら、目の前に仕事が転がっていますよ?」

飼い犬にあそこの棒切れを拾ってこいという調子で、坂本君は眼前の惨事を指し示す……。


「あの男を署まで連行させてきました!」

そこへ、二人組のもう一人がやってきた。若い男のほうだ。今回もスーツ姿なこの二人は、コンビで仕事をしている刑事らしい。ドラマでよくある組み合わせだね。

「発砲については、俺が上にちゃんと言っておくから安心しろ」

「それは助かります」

先ほどの発砲は、この刑事がしたようだ。スーツの中にはきっと、ピストルをしまうホルスターが吊り下げられているんだろうね。

「……あれ? 君たちどこかで会った?」

「こいつらはほら、転落事故が起きた高校にいただろう?」

初老刑事がそう言うと、若い刑事は納得できた仕草を見せた。

「君たちも運が悪いね。また酷い現場を見てしまったんだろう?」

「ええまあ。でも、銃声を生で聴けたのでラッキーですよ」

坂本君ったら、不謹慎なセリフをよく吐くね……。

「ふんっ! お前らの周りはアンラッキー続きなんだぞ?」

初老刑事がため息をついて言った。私たちを死神扱いしているのかな?

「それを防ぐのも、アンタたちの仕事じゃないんですか?」

「……できればそうしてるさ!」

急に語尾を荒げた。キレる寸前かな? だとしたら、ピストルを抜いて撃ってくるかもしれない……。

「まあまあ、まあまあ」

幸い、若い刑事が彼を宥めてくれた。慣れている様子だから、普段から苦労しているんだろうね。

「これから大混雑になるだろうから、もう帰りなさいよ」

「は~い!」

無邪気な返事をする坂本君。これ以上刺激になるような言動は慎んでほしいものだ……。


 初老刑事に睨まれつつ、私たちは駅のほうへ向かう。体力的および精神的な疲れが、急にどっと来た……。今振り返って、あの大惨劇の後を目にすれば、吐いてしまいそうだ。



______________________________



「どう考えても、あのバイトは変だよ」

帰りの地下鉄車内で、私はそう言わずにはいられなかった。すっかり疲れているけど、今ここで疑問をスルーするわけにはいかない。

「そうだよな。いくら楽な仕事とはいえ、時給が安すぎるもんな!」

いや、変なのはそこじゃない。

「違う違う。あの家の郵便受けを見たでしょ? 私たちがポストに入れまくったやつばかりだったじゃない!」

あの場の異様さを思い返す私。あの男は元々狂っていたかもしれないけど、なんらかの悪影響を与えてしまったのは確かだろうね……。

 今やもう手遅れの事態なので、後悔の思いで頭が一杯に満たされる……。もしあの男から逃げずに、堂々と事情を話せば、先ほどの大惨劇は起こらずに済んだかもしれない。とはいえ、こんな無謀な選択肢は、安全な今だからこそ思い浮かんだのだ……。

「ボクらは、自分の身を守るために、あのチェーンソー野郎から逃げていただけだよ! 駅前でのことは、あいつ自身がしたことなんだから、ボクらは関係ない!」

坂本君はそう力説してみせる。だけど、いくらかの罪悪感は感じずにはいられない様子だ。


「今度のバイトで、高山さんに聞こう!」

この疑問を解くには、彼女に詳しく尋ねるしかなかった。この罪悪感に染まったモヤモヤをなんとかしなくちゃ……。

「ええっ!? それって、アイツを疑うことになるじゃないか!?」

尋ね方にもよるけど、確かにそうだ。

「アイツは精神病質で、いわゆるサイコパスというやつなんだぞ! 怒らせたらヤバいことになるに決まってる!」

「……できるだけ穏便にするから」

私はどうしても知りたいのだ。

「じゃあ勝手にしろよ。だけど、ボクは無関係だからな?」

「うん、わかった」

とはいえ、彼女と絶交になるだけでなく、敵という関係にもなるかもしれない。悲しくもあり、怖くもあった……。脳裏に、不気味な笑みを浮かべる彼女の顔が浮かび上がる。真剣な覚悟を決めなければいけない場面が、人生のすぐ先に用意されたように感じた……。

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