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正常な世界にて  作者: やまさん(発達障害者)
39/52

【第39章】

 今さらだが、私は何度も惨劇を目にしている。人が死に様を晒したり、晒しつつある光景だ。

 ただ正直、惨劇に対する感覚がマヒしてきて、恐怖心による硬直はもう長続きしない。坂本君や伊藤よりも早く我に返れたほどだ。

 ところが今回の場合は、多数の悔しさにも襲われた。

 まず第一に、ロビーの仲間二人が殺された。第二は捕虜であるスナイパー少女に逃げられたこと……。そして第三は、私の手柄だと示せたはずの銃弾を、彼女にテイクアウトされてしまったことだ。ああ悔しい……!


 仲間の一人は全身に銃弾を浴びせられ、ロビーの床で倒れていた。吐き気に堪えつつ調べると、それがうつ伏せだとわかった。どうやら、背後から不意打ちを喰らわされた格好らしい。

 もう一人は両方の膝下を撃たれた後、ロープで絞殺されていた。言うまでもなく、少女を縛っていたロープだ。身動きを取れなくした後、縛り首という性悪な流れがあったんだろうね。

 どちらも視覚に訴えかけるように殺されており、間違いなくこれは見せしめだ……。

 ただ、二人を殺したのが少女だとは思えない。彼女は確かに拘束されてたし、重いケガも負っていた。彼女の仲間が助けにきたと考えるのが普通だ。

 その仲間は彼女同様、なかなかの手練れに違いない。やっぱり、まだ油断しちゃいけない相手だ……。

「クソクソッ! 厄介なヤツがまだ残ってるな!」

死体から解いたロープを壁に叩きつける坂本君。慢心が消え失せたことだけは、ほんの小さな幸いといえる。

「しかし、いくらこんな有り様とはいえ、大事な仲間を置いていくなんてね……」

メガネごしに非難の目を外へ向ける伊藤。

 ここから見えないけど、エレベーターで先に降りた仲間一行が、マンションの外で待っているはず。彼らは仲間の死体から目を背け鼻を摘まみ、大急ぎで飛び出したというわけだ。一緒におりた男など、階段近くからまだ離れられない始末。仲間の惨殺死体に怯えている。

 ……まあ、こんな惨劇への耐性ができるのは、あまり自慢しちゃいけないね。


「包む物や運ぶのを誰かに頼もう。私たちは階段でおりてきたからね。文句は言わせないよ」

伊藤はそう言うと、坂本君と共に出入口の自動ドアをくぐっていく。

 その間に私は、怯えたままでいる男のほうへ向かう。ハンカチで彼の目を覆い、外まで誘導するぐらいなら私でもできる。

「…………」

両の手の平を使い、両目や鼻を覆い被せている男。きっと、最上階では戦闘に関わらず済んだんだろう。それに、ゲート係の相方を失ったばかりという事情もある。

「行きますよ」

私は淡々とした口調で言うと、彼の前腕を掴む。その右腕はお手本レベルで震えている。

 ハンカチを貸すまでもなく、足元に気をつけながら外まで導くだけだ。ロビーから出たら、思い切り深呼吸してリフレッシュ……。


 そのとき、私はある点に気づく。いや、気づいてしまった。この場のおかしい点に……。

 高層マンションのロビーに死体が転がっている点だけでもおかしいけど、気づいた点は追い打ちになりえる悪い予感だ。私の場合、そういう予感は的中するもの……。

 単刀直入に説明すると、床の汚れが足りない。管理人の仕事ぶりじゃなく、床を汚す血の量が明らかに少ないという話だ。

 仲間の死体二つや少女の周りの床面は、赤黒い血で汚れている。だけど、それ以外には一滴も垂れていない。エレベーターで最上階から、シーツから血が滴り落ちる死体を運んできたにも関わらず……。

「なあ森村、アイツら先に帰るとか言ってた?」

ロビーに戻った坂本君が尋ねてきた。声をかけられるまで私は、男の前腕を引き突っ立ったままだった。

「どうしたの? あの大丈夫?」

男の腕を引き剥がしながら、さらに尋ねてくる坂本君。最悪の光景を頭に浮かべつつ、私はエレベーターのほうを指さす。エレベーターのドア前に、血は一滴も見当たらない……。

「…………」

思いが珍しく伝わったらしく、坂本君は同じ予感を察してくれている。足早に向かい、エレベーターのボタンを押した。


 ……ドアが開いた途端、赤い液体がドバッと流れ出てくる。一昔前のホラー映画を想起させる光景が、目の前で今起こっている。残り湯のあるバスタブが横転したような液量で、一気に流れ出た血は、坂本君の靴を汚し、灰色の床面を赤く染めていく……。

「ヒィ!」

短い悲鳴をあげ、私は後ずさりする。だけど避け切れず、私や男の靴も赤く汚れてしまった。

「な、なんだよ……。ここまで……ここまでアイツらするのかよ……」

さっきまで抱いていた自信を完全に失っている坂本君。だけど、それをバカにできない。

 彼は今、私が思い浮かべた最悪の光景をリアルに目の当たりにしているのだから……。

 エレベーターで先に降りた全員が、箱内で静かに息絶えていた。虫の息すらおらず、死の恐怖や絶望がそこに凝縮されている。人体を貫通またはかいくぐった弾が、箱に穴を空けているはずだけど、壁は血ですっかり汚れ、一つも見つけられない……。

 臭いがまた猛烈で、とうとう堪えられずに嘔吐する私。噴き出した黄色いゲロが、床で赤く染まっていく。ああ、喉がヒリヒリと痛む。

 そして、他の二人も吐いていた。ゲート係の男なんて、今にも失神しそう。両膝に手を置き、なんとか堪えているところ。

 ……数滴分の悔し涙が、私の歪む頬を伝った。惨劇の追加上映といえるこの光景は、いくらなんでもあんまり!


 高山さんの手下があの少女を助けるついでに、エレベーターを待ち伏せしていた。そして、ドアが開くと見境なく乱射し、コミュニティの約半数に当たる仲間を葬ったというわけだ。

 一発も反撃する間もなく、その手下は手柄をいくつも抱え、高山さんの元へ。彼女は喜ぶだろうけど、坂本君のように慢心までは持たない。冷静かつ冷酷に、次は私たち自身を確実に葬ろうと、良案を練るのみ……。

 再び嘔吐したが、今度は黄色い唾液か何か。もはや吐く物にも不自由している。

「うん、非常に不味い事態になってきたね」

口元を拭いながら振り返ると、ロビーの出入口に伊藤が立っていた。靴や口を汚すことなく、離れたそこから私たちを見ている……。

 彼が羨ましいというか恨めしく思えたけど、責めることはできない。私だって必要ないのに、わざわざ自分も汚れようとは思わないからね。



「コミュニティに戻ったら、向こう数日間は外出しないほうがいいね。幸い、水や食糧の余裕があるから」

「いやいやさっき言ったように、今すぐアイツを仕留めなきゃ、後がメンドイよ!」

慢心は消え失せたものの、闘争心までは失っていない坂本君。ここまで来ると、完全にこだわりだね。

 乗ってきたハリアーは、駐車違反の標識にバンパーをぶつける形で停められている。マンションを出た私たちは、足早に車へ向かう。

 今はコミュニティへ戻るところだ。昨夜のような襲撃をまた受けるかもだし、多くの仲間を殺した連中が、その足で向かったかもしれない。銃声や悲鳴が聞こえる前に戻らなきゃ……。

 朝から続くこの件で、コミュニティは大きな痛手を被り、伊藤も消極的姿勢に転じた。今は一人でも多く、防衛に当たるのが得策だと、高校生相当の私でもわかる。

 ところが坂本君は、攻撃あるのみだと納得しようとしない。伊藤は苦笑しながら、私にアイコンタクトを送ってきた。「鬼嫁、いや鬼のように激怒しても構わないから、強引に説得してくれ」と。

 確実に時間がかかるけど、ここは坂本君の彼女である私が、またまた苦労するわけだね……。

「あっ!」

坂本君に口を開きかけたそのとき、ゲート係の男が声をあげる。彼は歩道の先を指さしていた。


 駅前を沿う歩道上に、私と同い年ぐらいの小柄な少女がいた。白い長物の先端を自身の足元へ向けながら、ゆっくり歩いている。散乱する空き缶や新聞紙といったゴミをギリギリ避けながらの足取りとその姿はかなり目立つ。

 ……すぐに彼女が、視覚障害者だと把握できた。大きな白杖や遮光メガネを身につけているからね。発達障害者や精神障害者と違い、身体障害者は比較的見つけやすい。人気の少ない今はなおさらだ。

 とにかく、目が不自由な少女は、荒れゆく街の歩道を自分の足で歩いているのだ。付き添いの犬や人を付けず、地面をツンツンとつつきながら。

「ちょっと行ってきます」

ゲート係の男が彼女の元へ向かう。良心からスルーするわけにいかなかったご様子だ。

「連れてきたいなら早くしてよ!」

坂本君は男にそれだけ言うと、車のスマートキーを手にすべく、ズボンのポケットを探る。伊藤はハリアーのドアハンドルに手をかけ、ドアロック解除を待つのみ。

「私も行ってくるね」

坂本君が呼び止めたが、私も盲目少女を助けに向かう。

 最近の所業への負い目から、このまま何もせずにはいられなかった。もちろん、純粋な良心からでもある。

「危ないから気をつけて! えっと、そこの……高校生ぐらいの子!」

ゲート係が彼女に近づき、大声をかける。そんな大きな声だと驚かせてしまうんじゃないかと、ヒヤヒヤする私。人体が優秀なおかげで、視覚障害者は聴覚が常人以上に強くなるというからね。


 ……んんっ? 白杖にしてはやけに太く見える。視覚障害者の命綱とはいえ、あれほど重く頑丈そうである必要はあるのかな?

 白杖に疑問を覚えると同時に、盲目少女の行動にも疑問符が浮かぶ。生活に困った末の単独行動とはいえ、非常に危険と想定できる駅前へわざわざやってくるものかと。

 それから次の瞬間……。

 私が思い浮かべた疑問符二つは、重厚かつ乾いた銃声一発を奏でた。

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