表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
正常な世界にて  作者: やまさん(発達障害者)
36/52

【第36章】

 私の奥歯が、コンサータ錠を噛み砕く。割れたカプセルから流れ出る粉薬が、苦味と共に、私の脳神経を鼓舞させる。

 右目はスコープ越しに、高層マンションの最上階を捉えている。そこに身を隠す、あのスナイパーを探しているのだ。お気に入りだけど、ロングスカートに切りこみを入れ、伏せ撃ちをしやすくした。ここから潜伏場所まで三百メートルはあるけど、私にできる準備はやった。

 花壇のそばで構え続けていると、舞う蝶の羽ばたきすら聞こえてくるよう。

 隣りでは坂本君が、双眼鏡を覗き、私の護衛から見落としまでをフォロー中だ。とっても頼りにしてるよ。

 もしかすると、別行動中の伊藤たちが、スナイパーを仕留めるかもしれない。坂本君は敵討ちできないことになるが、その辺も含め、坂本君は渋々納得してくれている。悲しいことに、彼の母親以外にも、犠牲者が十人ほど出ていた……。


 やがて、スコープを覗く右目にも薬の効果が届き、視神経の興奮をじわじわと感じ始める。

 坂本君の勧めで、私はコンサータを「追い薬」したのだ。

 ADHD対策の特効薬コンサータには、成分が一気に放出されないよう、カプセルから少しずつ放出される仕組みが取り入れられている。これは効果を長持ちさせるためであり、乱用を防ぐためでもある。

 つまり、私がやった追い薬および噛み砕きは、本来やっちゃいけないこと……。崩壊済みの社会面じゃなく、大事な心身面でね。

 元々犯罪じゃないだろうし、悪事を取り締まる警察は、もう見かけない始末。だけど今は、病院や医者のほうも同様だった。

 とはいえ今は非常時。ADHDの私が、ライフルのスコープを集中して覗き続けるには、多少の乱用は仕方ない。たぶん、明日服用しなければ大丈夫だろう。


 ……今のところ、あのスナイパーは姿をまったく見せない。絶好の狙撃ポイントを見つけたとき、すでに人々は屋内への避難を完了させており、狙うべきターゲットがいないと判断したんだろう。

 しかし、最上階にまだ潜んでいる可能性は高い。あの高山さんのだから、頃合いをみて引き揚げさせることはさせないはず。

 私たちがすっかり油断し、農作業か野外パーティを始めたところを、再び狙うつもりだと思う。


 それでも自然と、退屈な気分になってくる。このままだと、コンサータの効果を上回るほど、強烈な眠気に襲われかねない……。

「今朝の悪いニュースって、何かいろいろあったの?」

そこで、坂本君に話を振る私。退屈しのぎにはもってこいだ。

「うん、いろいろあるよ。『今朝のニュースは、ご覧のようになっています』って、神妙な顔して言えるぐらいにね」

スコープから目を離さなくても、坂本君の冷笑が目に浮かぶ。

「まずは、行政の話題からね。名古屋自治政府が壊滅しました。警察無線からの情報によりますと、暴徒にバリケードを突破され、市庁舎および県庁舎、県警本部が襲撃を受けました。陥落した模様です。ついでに、ウチの市長と知事を乗せたヘリが、墜落炎上しました」

坂本君が言った。気持ち悪いぐらいの丁寧口調だ。

「じゃあ、警察はもう絶対来てくれないんだね? あの小池さんも?」

森村はそう言いながらも、初老刑事の無事を願った。事の真相を知る人間がいなくなるのは、寂しいものだ。

「だろうね。……オレも酒を何本か頂いた身だし、それはそれでまあ」

「……ああ、松坂屋からだったね。それで、次のニュースは何なの?」

流行の服を見て回る楽しみも、当分は無理そう。

「次はそうだね。社会の、そう社会のニュース。反障害者を掲げる連中の組織が、市内にできたってさ。名前は確か、『レッドハンズ』で、底辺が集まってるような感じだよ」

丁寧口調をすっぱりやめ、吐き捨てる口調の坂本君。私はその理由が、彼以上によくわかる。

「私の親を殺したヤツらも、そいつらの仲間?」

「こんな大混乱のなか、アイツらがまだ生きているとすれば、参加してるだろうな……」

彼の口調は苦々しい。相手は違うけど、彼も親を失ったところだからね。


 リセットの夜を思い出し、悲しい気持ちに再び沈む私。両親を殺したヤツらは、明らかに私たち障害者に対し、憎悪と敵意を抱いていた。坂本君から正当防衛を受けた恨みもあり、それらの感情をいまだ強く抱いているのは間違いない……。

 敵討ちとともに、射撃の的として活用してやる! ……そんな勢いでいなければ。


「おおっ、怖い顔! 手元が狂うから落ち着きなよ?」

怒気に満ちた険しい表情を、無意識に浮かべていたらしい。珍しく、彼の言う通りだ。気をつけないと、スナイパーをうっかり見逃してしまう。坂本君のニュースは、聞き流すだけにしたほうがいい。

 私と彼は、視線を元に戻した。大丈夫、まだ姿を見せていない。

「これは伊藤から聞いた話だけど、政府専用機が静岡県内に墜落したらしい。二機の内の一機で、もう片方は西の空へ飛んでいったとか。……でもまあ、空がこの様子だと、名古屋飛ばしされたみたいだね」

大阪か福岡にでも飛んでいったのかな? 東京はともかく、他の都市の状況が気になるところ。

「……さて、最後に地域のニュースをするよ。高校が焼けた」

「ええっ?」

私は衝動的に、スコープから目を離してしまう。すぐ戻したものの、詳細が気になり、焦点がなかなか定まらない始末。……もう一錠飲もうかと思ったけど、それはやめとく。

「ウチの高校さ、臨時の避難所になってたみたい。だけど、そこにも暴徒がやって来て、トラブったあげく放火されたそう……。明け方に逃げこんできた家族連れの話で、三人とも顔がススだらけだったって」

坂本君はそう言うと、舌打ちした。教室に何か忘れ物でもしたのかな?

「それで完全かつ完璧にさ、ボクらは元の日常に戻れなくなったわけだよ。みんな同じ話だけど、心から納得はできないね」

ああ、そういうことか。彼にしては珍しい、センチメンタルな発言だね。

 ……だけど、同じ高校三年生だった私も、大事な青春がムダになったことに、平気でいられるわけじゃない。

 実感はあまり無かったけど、数ヶ月後には大学入試を受けていた。苦労して勉強した時間、犠牲にした用事。それらを思い返せば、水の泡じゃないか……。

 リセットが自然災害に等しい出来事とはいえ、簡単にそれを受け入れられない人は、私たち子供を中心に大勢いるはず。青春時代という大事な時間を、間違いなく犠牲にされたわけだから……。

 そんな不条理を考え始めたところ、銃の引き金を引いてしまいたくなった。ストレス解消に一発ズドンとね。……その誘惑に耐えるため、私は深呼吸を何度か繰り返した。呼吸と連動し、スコープ内の視界が上下に揺れる。

 あのスナイパー、さっさと現れないかな? いきなり顔面に銃弾をお見舞いすることさえ、今の私は躊躇しない。八つ当たりと思われようともね。


「あの婆さん、ボケてんのか? 平和ボケと痴呆の両方?」

坂本君が言った。教室で雑談するような明るい口調の軽口だ。私は自然と、スコープから目を離す。

 古臭いデザインのワンピース姿の老婆が、クワを持ち、地面を耕していた。坂本君たちがついさっき、汗水垂らしていた場所だ。老せっせと老婆は、クワを何度も振り下ろし、地面の緑色を茶色に変えていく。狙撃の危険など、忘れているか気にしていないといった調子だ。

「誰かに避難させないと」

酷い認知症を抱えた老人だったとしても、狙撃の的に活用されてしまうわけにはいかない。


 坂本君が周囲を見回し、「誰もいない」と呟いた直後、再び狙撃が始まる。次々に飛んでくる銃弾が、老婆の足元で小さな土埃を立たせる。わざと命中させずに弄んでいる感じだ。もしくは、助けにきた人間を狙っているに違いない。

 けど、今の私にはどっちでもよかった。ようやく、ターゲットであるスナイパーを発見できたのだ! スコープを覗く目と引き金に触れる指に、自然と力がこもる。ここ一番の集中すべきとき。

 老婆はあのまま耕しておこう。なにしろ、狙撃に遭っているにも関わらず、特に変化なしだからね。


 スナイパーはベランダの柵の一部に手を加え、この辺りを狙撃しやすいよう工夫していた。ベッドシーツらしき白い布に隠れつつ、狙撃を繰り返している。私はついさっきまで、放置された洗濯物の山だと思っていたけど、見事だまされてしまった。

 もし、私のほうが先に見つかっていたらと考えると恐ろしい………。

「やっと現れたな」

隣りの坂本君も間違いなく、私と同じ気持ちでいる。そんな憶測を振り払うためにも、正確に仕留めなきゃいけない。

 私はスコープの照準を、スナイパーの胸元辺りに合わせた。こんな遠距離で撃つのは、もちろん初めてだから、上方向の反動を大きく見積もった。

 この先制攻撃が外れれば、能力的に向こうが有利だ。ここで深呼吸を三回行なう私。そして、再度照準を合わせ直す。向こうは相変わらず、老婆への振る舞いを続けている。

 そのとき、スナイパーの顔が一瞬だけ見えた。私とそう変わらない年齢の少女だ。きっと、金山の雑居ビルで遭遇した、例のガンガールと同じく、高山さんの手下なんだろう。じゃあ彼女は、あのとき見逃してくれたスナイパー?

 ……まあだからって、ためらいはサラサラ浮かばないけどね。今度は私たちだけの命じゃない。


 引き金を引いてコンマ五秒ほど後、銃弾はベランダの壁に当たった。タイルの破片が、スナイパーを覆うシーツにも飛散し、彼女の頭を軽くこづく。

 ああ、外してしまった! まだまだ素人の私が、遠距離から見事仕留めるなんて無理があったのだ。快く引き受けたにも関わらず、虚しく恥ずかしくなる……。

 殺し損ねたスナイパーは、シーツごと身を素早く退き、ベランダのどこかに隠れた。外れたとはいえ、頭上を撃たれた彼女は、明らかに驚きを示していた。おそらく、高山さんからは簡単な仕事だと言われてたんだろう。たいした反撃もなく、一方的に人を撃てるんだと……。

「移動! 今すぐ移動しよっ!」

坂本君が私の背中をバシバシと叩いた。正直痛いけど、私の記憶を呼び起こすきっかけにはなった。そうだ、チャンスはまだあるんだ。


 私と坂本君は中腰で立ち上がり、花壇のそばから移動する。スナイパーから反撃を受ける可能性を、少しでも減らすために、違う場所に移るのだ。着弾点や銃声、そして経験から、スナイパーである彼女が、私たちを簡単に発見する恐れがある。

 姿勢を低くしながら、必死に走る私たち。彼女がまだ死角に潜んでくれていることを願いつつね。もし見られていたら、移動の意味がない。


 移った先は、解体中の廃車の陰だ。それは昨日の軽トラで、今後は発電機兼物置として活躍するため、畑の脇に置かれていた。燃料タンクは危ないけど、一時的な場所としてガマンするしかない。また移動すればいい話だ。

 そして、体勢を整え、ライフルのスコープを再び覗く私。どうやら、私たちはまだ発見されていないらしい。もしされていたら、すでに狙撃されているはずだからね……。

 あのスナイパーは、依然として姿を見せない。ベランダのどこかで警戒中なのか、マンションから退却中なのかはわからない。もし後者なら、私の失敗が原因だ。

 思いがけない反撃に、あの高山さんが恐れをなして、私たちへの攻撃を諦めるとは思えない。間違いなく、これからも襲撃を繰り返し、私たちを疲弊させていく。

 この敷地内だけじゃなく、収集活動で外出する際も危険だ。待ち伏せに遭い、惨たらしく殺されてる人々……。

 そんな悪い展開を思い浮かべながら、スナイパーが再び現れるのを強く願った。今のところ、あのシーツの縁すら見えてくれない。

「うーん、逃げられたかな?」

坂本君の余計な呟きが聞こえた。

 ああ、勘弁してよ。彼が抱く予想は、悪いものに限って的中してしまう……。


 ところがそのとき、別の出来事が起きる。しかもそれは朗報の類いのね! 

 スナイパーが潜んでいたベランダから、ライトグレーの煙がモクモクと吹き出される。その一戸全体に煙が満ち溢れ、窓の隙間からも煙が漏れ出るほどだ。濃く激しい煙で、ベランダの大部分が覆われ見えなくなる。

 あれは火事じゃない。別行動の伊藤たちが、マンションの最上階に到着し、スナイパーと直接戦ってくれている! あの強力な煙は、スモークグレネードによるもので、煙ごしに銃声や発火炎を見聞きできた。

 中に潜む敵が多かったり、明らかに劣勢であれば、一旦退却する約束だったから、あの様子だと勝ちが見えているらしい。そうじゃなければ、坂本君の悪い予想が、やはり的中したことになる……。

「あっ、出てきた出てきた!」

坂本君が声を上げる。

 あのスナイパーがベランダに再び現れた。シーツに隠れることもなく、彼女は必死の様子。ケガは負っていないようだけど、白い長ズボンの一部が赤く染まっている。伊藤たちの血か、彼女の仲間のそれか……。

 発砲は依然続いており、ベランダ側の窓が次々割れていく。煙と銃弾の両方に追いやられていく様だ。彼女はやはり、私たちと同年代の少女で、肩に触れる長さの黒髪を生やしていた。煙や風で髪が揺れる中、ベランダの柵際にしゃがみこんでいる。彼女のライフルは背中だ。

 戦うのを諦めたのかな? それとも単に悲しんでいるのか。

「手柄を先に取っちゃいなよ」

私を煽る坂本君。それに応えるわけじゃないけど、スコープの照準をゆっくり合わせた。彼女が賢ければ、伊藤たちに投降するはずだ。無罪放免というわけにはいかないけど、その場で処刑は避けられる。エロ漫画みたいにレイプされる事態もまず無いし、私が目にしたい一場面じゃない。

 とはいえ、私が彼女の立場なら、投降や抵抗以外の道を選ぶかも……。自殺という道をね。別に潔くとは言わないけど。


 ところが、あの彼女は、私が思い浮かべた道ではなく、別の道を選んでみせた。屈することも恥じることもない、逃亡という道を……。彼女が現実の敵じゃなく、画面や文面上の存在であれば、心の中で拍手喝采だ。

 彼女は腰に頑丈なロープを巻いていて、最上階から降下し始めた。両方の足裏を壁面に当てつつ仰向けに降りる、アクション映画ではお馴染みのアレだ。ロープを両手で掴み、慎重ながらもスムーズに、下階へ下階へと降りていく。

 私と同じ年恰好ながら、彼女は相当の訓練を積んでいるに違いない。うーん、カッコイイね! 興奮した私は、スコープから自然と目を離す。

「逃がしちゃダメだよ! 撃っちゃいな!」

私の感心に構うことなく、坂本君が言った。

 しかし、彼を無情だと非難できない。坂本ママの死因の大半は、彼女の狙撃が原因なのだから……。それに彼女は、高山さんの手下で、無邪気に喝采できる相手じゃない。


 深呼吸を繰り返し、心をなんとか入れ替えた私。スコープに浮かぶ照準の中央点を、降下する彼女の尻辺りに合わせた。これだけ余裕を取れば、反動を相殺できるはず。

 そして、余計なことを考える前に、私は引き金を素早く引いた。幸い、銃弾は何も考えない代物だ。


 ……もちろん、私がどこを狙ってるかも、銃弾は一切考えてくれやしない。そう、今度も狙いが逸れたのだ。

 さっきは上方向だったけど、今度は右方向に弾道がズレてしまった。割れた外壁の破片が、彼女の横顔に当たる。しかし今度は、まったく驚きを見せない。

 狙撃は予測できたとはいえ、着弾点から頭部まで三十センチも離れていないのだ。私ならパニックになり、ロープから手を放してしまう。そして、その数秒後、地面に背中か頭を叩きつけるのだ……。

「ちゃんと狙ってる?」

双眼鏡を覗きながら、坂本君が言う。当然イラッときたけど、深呼吸することで平静を取り戻せた。イラついたままじゃ、次の弾も間違いなく外してしまう。

「狙ってるよ。ホントに狙ってる」

私は言った。坂本君だけじゃなく、自分自身にも届ける言葉だ

 彼女はもう中程まで降下している。ライフルが弾切れになる頃には、彼女は地面に足を着けているだろう。

 今のところ、最上階のベランダに伊藤たちは現れない。銃声が散発的に続いている。彼女の逃走を止められるのはそう、私だ。


 グリップから右手を放し、掌の汗を拭う私。それからグリップを握り直し、照準を調節する。今度は絶対外さない!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ