【第28章】
車の助手席から、日光が差しこむ歩道や店先へ、次々に視線を移す。今は平日の朝で、ちょうど通勤時間帯に当たる。だけど、喧騒とは程遠い有り様である今の歩道や車道を見ると、それが嘘や勘違いに思えた。
運転中の坂本君以外に、人の気配はちっとも感じない。みんな、どこかへ避難したか、家の中にひっそり隠れているんだろう。窓を開けていれば、カラスの鳴き声がしっかり聞こえそうな静けさだ。
それに、24時間営業のコンビニすらも、シャッターを閉めている。昨夜の暴動を考えると、次にそのシャッターが開くのは、営業再開じゃなくて、略奪に遭うときだろうね……。それが自然に思えるほどの緊急事態を、昨日のリセット宣言が巻き起こした。その責任は、宣言した政府に向かうはずだけど、今はそれ自体が存在しない……。存在しないものに、怒りの矛先は向けられない。クレーマー気質な人間には、それが堪らないだろうね。
「着いたよ!?」
その声に私は思わずビクッと驚く。いつの間にか、車がエンジンの唸りを止め、坂本君が助手席の窓の向こう側に立っていた。
街の静けさ、リセット宣言、その責任について考えてたせいで、全然気づかなかった。考え事に過集中してしまうのは、ホントに悪い癖だね……。
「進めないから、ここから歩きだよ」
車から慌てて降りた私に、坂本君が言った。車道は放置された車で、歩道は無理やり駐車している車ですっかり埋まっている。確かにこれ以上は車で進めない。坂本君の先導に続き、私は車道を歩く。キチキチに詰まった放置車両の間を進みつつ、車内を覗きこんだけど、人はおろか、ペットの犬すらもいない。
徒歩といっても、目的地である千種警察署はもうすぐそこだ。建物の道路に面した側がチラリと見えてるぐらいだからね。千種警察署も他の警察署と同じく、避難所になっているはず。だけど、警察官や避難者の姿は全然見えない……。
いやきっと、署内で守りをガッチリ固めるんだろう。昨夜のラジオ情報だと、暴徒か何かに襲われて陥落した警察署がいくつかあったからね。陥落した警察署は、元々治安や住民の財政状況が悪い地域だ。この辺りは治安がマシだと聞いたことがあるから、大丈夫なはず……。
「ああ、夜の爆発はここで起きたみたいだね」
どうやら、ちっとも大丈夫じゃないらしい。
……署の道路側に面した窓が、すっかり割られていた。しかもそれらが、投石だけじゃなくて、銃撃によるものも含まれているとわかった。いや、むしろ銃撃がメインだろう……。
______________________________
少なくとも、温かい食事の炊き出しが開かれていないのは確定なので、私の歩みは遅く重たくなる。しかし、坂本君の歩みに変化は見られない。ズボンの腰に突っ込んでいるピストルを確認したぐらいだ。警察署を襲撃するようなヤツ相手に、彼のピストル一丁で対抗できるのかな……? そう考えると、彼がついさっき主張した、銃を増やそう発言が正論にしか思えなかった。
「うわぁ、これは酷いね。まるで紛争地帯だ」
千種警察署の玄関がある東側に回りこんだ途端、銃撃で窓が割れることがささいな日常のように思えた。
署の東側で大きな爆発が起きたらしく、一面の外壁が崩落していた……。東側に面した室内が見えるほどだ。崩れたのは外壁部分だけみたいだけど、私には半壊のように見える。
「入って大丈夫? 危なくない?」
「大丈夫、大丈夫! 逆に入りやすくなったと思おうよ!」
坂本君が言った。無謀の要素が多いとはいえ、彼はホントにポジティブだね。自分がネガティブ過ぎる人間だと思えちゃうよ。
崩れた外壁は、ガレキとして地面に積み上がっている。そのため、1階にある玄関もガレキの山に埋まっているわけだ。なので、警察署に入るには、開放的な有り様の2階から入るしかない。大阪の天保山よりも低いけど、ちょっとした登山だね。背負うリュックも雰囲気が出ている。
幸いな事に私は、自宅からスニーカーを履いて出てきた。そのおかげで、ハイヒールやパンプスよりかは苦労せずに登れそうだ。こんな非常事態にもオシャレを楽しむような人間じゃないことは、誇っても良さそうだね。
それはさておき、坂本君に続き、私はガレキの山を登る。
「ここの爆発だけど、そこのトラックで起きたみたいだね。爆弾を荷箱に詰め込んでた感じかな?」
坂本君が登りながら言った。彼が指差す方向には、グシャグシャにひしゃげたトラックが見える。崩れたガレキにほとんど埋まっていて、運転席の様子すらわからない。
「神風か何かみたいな自爆じゃないかもだけど、死を覚悟してる連中に襲われたら厄介だよ。いわゆる『無敵の人』みたいな」
彼は言った。私は足元で視線が止まり、途端に立ち止まる……。
「ええっ、これは……」
驚き呟いた私。
私が登るすぐ右側のガレキから、手首から先の手が飛び出していた……。傷だらけで汚れているけど、マニキュア付きで色白な手の甲なので、若い女性だとわかる。助けを求めるように、ガレキの中から外へ突き出ている。
______________________________
「ん? どうした?」
「ここに人がいるの! 早く助けなきゃ!」
坂本君へ言い返すと同時に、私はしゃがんで、その手を強く握りしめる。ここに人がいると、その人に伝えるためだ。生きることを諦めて、そのまま死んでしまうかもしれない。
「ヒィ! 冷たい冷たい!」
だけど、その人はもうとっくに死んでいた……。もはやテンプレートな動作だけど、私は尻餅をついて驚くしかなかった。
握った手は、冷蔵庫のハムみたいに冷たかった。今は初夏の6月なのに、死ぬとこんな低い体温になってしまうのか。死体に直面して驚き、それから学んでいく姿勢は、これからもしばらく続きそうだね……。
坂本君が、やれやれまったくな調子で、私の元へやって来た。その際に転がったガレキの小石が、突き出た手首にコツンと当たる。死体なので反応無しだ。
「……森村。残酷だけど、今は自分たちのことを優先しないとダメなんだよ?」
慰めのつもりなのか、彼はそう言った。残酷で悲しいけど、彼の言う通りだ。私たちは救助隊じゃないし、素人なりに救助活動をしにきたわけじゃない。
ここがいつまでも安全とは限らない。私は自分にそう言い聞かせた。しかし、罪悪感と謝りたい気持ちが自然と湧いてくる。まあ、心の中でそう思うぐらいは、彼も賛成してくれるはずだ。彼は元々、冷たい人間じゃないからね。
幸い、それから署の2階に上がり込むまでに、突き出した手をまた目撃することは無かった。いや、幸いなのは自分だけの話で、登ってきたガレキの中に、まだ不幸な死体が埋まっていることは確実だね……。せめて、その数が少ないことを祈った。
上がり込んだ先の2階は、オフィスデスクなどが並ぶ事務室だった。天井の蛍光灯はほとんど割れていたが、崩れた東側から差し込む日光が、室内を十分に照らしてくれている。人の姿は無く、埃やチリが机や倒れた棚に積もっていた。そして、壁や机などに、小さな穴が無数に空きまくっている……。
「火薬や血の臭いがしない?」
「……うん、少しするね」
それらの臭いが裏付けになる形で、ここで銃撃戦が繰り広げられたのだと判明する。爆発を起こした連中が、ここを守る警察官たちと激しくやり合ったのだ。
爆発もそうだけど、その連中はなぜこんなことをやったのか。強力な武装をしているぐらいだから、やっぱり高山さんの組織がやったのかもしれない……。
______________________________
壁に空いた銃痕の方向から考えると、その連中は、私たちみたいにガレキの山を登る形で、この2階に来襲したようだ。それがわかった途端、私は登ってきたガレキの山を見下ろしてみた。
……着いたときと同じく、誰もいない。ガレキの山やボロボロな廃車が、爆発の惨状を静かに物語っているだけだ。恐怖心や警戒心よりも、無力感のある虚しさを、伝えたがっているように感じた。
ここを襲った連中は、もういない。私はそう察することができた。連中は目的を果たし、ここをもう去っている。
「あそこにバリケードがあるから見てくる。ここで待ってて」
坂本君は警戒中のままだ。とはいえ、彼の警戒を解くための根拠を持ち合わせているわけじゃない。彼のやりたいようにさせてあげよう。
彼が恐る恐る近づく先は、事務室内の角っこ部分にあたる場所で、そこには急ごしらえのバリケードができていた。机やら衝立やらを使い、守りを固めているのだ。しかし、離れたここからでも、生きた人がいる気配は感じ取れない。それに、もしいたら、私たちに助けを求めるか、攻撃を喰らわしてきているはずだからね。
彼はきっと、潜んだ敵やトラップを警戒しているんだと思う。ズボンの腰から抜いたピストルを、しっかり前へ構えている。
「……大丈夫。いや、大丈夫じゃないねこれは」
矛盾したことを話す坂本君。バリケード内を覗き込んだ彼は、苦々しい表情を浮かべていた。どうやら、バリケード内で酷い惨劇が起きているらしい……。好奇心に負けた私がそこへ向かう前に、坂本君が急いでこっちに戻ってきた。
「あの中で何人か死んでたよ。見ないほうがいい」
彼はそう言いつつ、気持ち悪さに顔を歪ませていた。きっと、私たちが今まで見たものよりも、一層に酷い死に様なんだろうね……。そう考えると、部屋の空気が死臭で満たされているように感じた。
「アレはミンチだよマジで……」
彼の余計なセリフだ。これ以上は想像したくないのに……。
その部屋から逃げるように、私たちは廊下へ出た。好奇心に負ける形で、あのバリケード内を覗き、ゲロゲロと嘔吐するなんてバカな展開は繰り広げたくない。
ところが、部屋から出た先の廊下は、それはそれで酷い光景だった……。その光景に、リアリティー重視の戦争映画か、スプラッター物のホラー映画をテーマにした芸術作品だという設定が付いてくれるなら、私は泣くほど笑い飛ばす。
だけど、そんな都合がいい設定なんて付かなかった。これはテレビのドッキリ番組じゃない。残酷な設定だけが付く、現実の光景なんだ。
______________________________
強烈な死臭、奮い立つ吐き気……。
まず、ドアを開けて部屋から出た途端、正面に仰向けに倒れ込んだ警察官の死体があった。彼の死因は、頭部の破損だとすぐにわかるはずだ。なにしろ、頭部で残っているのが、左右のこめかみ部分
だけという状態だからね……。
しかし、死体はそれだけじゃない。他にも死体がいくつも、廊下にゴロゴロと転がっている。どれもこれも、この死体ぐらい酷い有り様になっていそうだ……。
「走ろう! 銃器保管室を探しながらさ!」
坂本君はそれだけ言うと、指で鼻を押さえつつ廊下を走り出した。視覚は隠せないけど、聴覚はしばらく隠せるもんね。私も同じように走り出す。ゲロゲロと吐きたくないから、必死にね。
「警察の銃は、その銃器保管室に仕舞われてるらしい」
鼻を押さえながら走る形なので、彼の口調はおかしかった。しかし、今はそれに笑う状況じゃないし、笑った途端に死臭を喰らうはずだ……。
「じゅ、銃器保管室?」
私の口調も同様におかしかった。笑いを堪える素振りを見せる彼……。笑うなら笑って、死臭を吸いこんじゃえばいいんだ。
坂本君が笑いをこぼすよりも前に、銃器保管室の前に着くことができた。点滅する蛍光灯が、そのネームプレートを弱々しく照らしている。おまけに、すっかり壊れ切ったドアノブもね……。
このドアを突破するために、誰かがドアノブを破壊したんだ。つまり、この銃器保管室でも惨事が……。
「……開けるよ?」
必死に走った分、引き返せない。私は黙って頷く。坂本君は、ドア板を押し開いた。その勢いで、壊れたドアノブが床にガチャンと落ちた。
「誰だっ!?」
開いたドアの向こうから、男の声が聞こえた。大声だけど、力を振り絞って出す口調だった。
……ロッカーにもたれかかる形で、中年男性の警察官が座り込んでいた。大柄な体格で、両腕はムッチリと太い。しかし、装備している防弾チョッキはボロボロで、両足の太もも部分は血で赤く染まっている。応急措置で止血はされていたものの、このままだと危ないのはわかる。
だけど、その警察官が私たちへ向けるショットガンは、もっと危ない……。両手にケガはしていないから、引き金は難なく引けるはずだ。
「ええっと……。ボクらは民間人です。善良な、普通の名古屋人です」
坂本君はそう言った。そのときの口調は丁寧で穏やかだ。ショットガンの銃口を向けられているんだから、必然な応対だよね?
______________________________
「なんだ、そうなのか」
坂本君の話を信じてくれたらしく、ショットガンの銃口を下げてくれた。しかし、ショットガンはしっかりと両手で構えられたままだ。昨夜はきっと、ホントに酷い戦いが行なわれたんだろうね……。
とはいえ、少しはほっとできた。しかし、部屋のロッカーを見回した途端、安堵できるのは後の事だとわかった。
銃器保管室のロッカーはすべて開けっ放しだ。すっかり盗まれて空っぽなわけじゃない。大半のロッカー内に、整備が行き届いた感じの銃が納められていた。ピストルやショットガンだけじゃなくて、警察の特殊部隊が使うサブマシンガンまであるのだ。しかも、弾薬が詰まった箱までたくさん残っている。ここの銃や弾を全部持ち帰るためには、何往復もしなくちゃいけないはずだ。
「こういう緊急事態のときには、開けたままになるそうだよ」
小池刑事から聞いたであろう話を、坂本君がそっと言った。小声だけど、沸き上がる興奮は隠せていない。
「悪いがここじゃなくて、別の避難所へ行ってほしい。この近くだと、北にある千種公園だな」
警官はそう教えてくれた。しかし、私たちが求めるのは、場所じゃなくて物だ。
「ありがとう」
坂本君はそれだけ言うと、座り込む警官の脇を通り過ぎて、ロッカーの1つへ向かう。薄暗い照明に黒光りするサブマシンガンや弾薬箱が、丁寧に置かれている。
「おいおい!!! ロッカーに近づくな!」
驚いた表情の警官。彼は、空けた左手で、坂本君が背負うリュックを掴んだ。服の痛みを心配してか、坂本君はその場で立ち止まる。
「避難所までの道も危ないので、護身用に貸してもらえませんか? 後で必ず返しますので」
坂本君が言った。うん、まずは下から目線でお願いしてみないとね。普段なら絶対に許されないお願いだけど、こんな状況なんだし、特例で認めてくれるかもしれない。
「いや、ダメだダメだ! 危ないヤツが来たら、急いで逃げるんだ!」
しかし、そう諭されてしまった。職業柄か、柔軟性が無い人だね……。自分も、そのショットガンで自衛してる癖にだ。
「警察署を襲うようなヤツ相手に、逃げればなんとかなると!? アンタだって、逃げ損なってここにいるんだろ?」
坂本君が大声で反論する。怒りの言葉だけど、呆れも含まれている。
「逃げ損なったんじゃない! 署を死守するために残っているんだ!」
警官も大声で言い放ってみせた。この様子だと、繰り広げられた戦いが、荒れ狂うように白熱したものだったことは確実だね。廊下に凄惨な死体が放置されていなかったとしても、それを察知できちゃいそうだ……。
______________________________
坂本君は、開けっ放しで並ぶロッカーを見回した後、
「なぜそこまで!? ここの銃を独り占めしたいだけじゃないの!?」
彼はそう言ったものの、私は言い過ぎで失礼だと感じた。それに武器がたくさんあっても、警官のケガを見れば、自衛しかできないのは明白じゃないか……。
「な、何を言ってるんだ!?」
警官は激怒しつつも、戸惑いを隠せていない。独り占めを疑われるなんて、考えてもいなかったらしい。
警官は、坂本君のリュックを強く引っ張り、彼を私の前まで引き戻す。その勢いで、坂本君は転びかけたぐらいだ。両足をケガしているのに、タフな警官だね。
「わかったぞ! お前らは、避難じゃなくて、銃を盗みに来たんだな!?」
うん、正解だ。簡単にたどり着ける答えだけど。
相手は1人で、こっちは2人だ。酷い単純計算だけど、こっちは2倍の人数なのだ。しかし、向こうはショットガン装備の警官だ。そこで座ったまま、私たちを撃ち殺すことだって不可能じゃない。 まだ撃たれていないのは、私たちが非武装な子供だからだ。坂本君はピストル装備だけど、警官に気づかれていないから、2人とも非武装という事でいい。
「出ていけ!!! 署から早く出ていけ!!!」
警官が強く怒鳴った。しかし、その拍子に、足のケガに痛みが走ったらしく、顔を歪ませていた。
「病院まで運んでやろうか? 銃や弾と引き換え」
「いいから! さっさと出ていけ!」
追い払う仕草を見せた警官。そうとうの痛みだろうね。だけど、交渉もダメというなら、どうしようも無い。
私たちは、銃器保管室からそそくさと出ていくしかなかった。部屋を出た後、せめてものの嫌がらせのつもりなのか、坂本君が乱暴にドアを閉め切る。ドアノブが無いドアは、じきにドア枠から外れて壊れることを示唆するような音を立てた……。
銃器保管室から出た後、私たちは署長室へ赴いた。坂本君いわく、もう1つのアテだ。あの銃器保管室のほうは、ひとまず保留にするしかない。
あの警官は、警察署自体からも出ていけと言っていたけど、そこまでは従えない。悪いけど、あのケガした足では、署内のパトロールすら無理だろうしね……。
もう1つのアテとは、署長室の金庫だ。その中に、愛知県内における銃器所持者リストの控えが入っているらしい。そのリストを使い、銃を所持する一般人の家へ回収しに向かうのだ。
______________________________
……しかし、その持ち主が撃退しようとしてきたら? 合法的に銃を使っていたとすると、猟師や射撃選手だろう。素人の坂本君が勝てるのかな?
「嫌だなあ。また怒鳴られちゃうかもよ?」
坂本君は、後の事じゃなくて、眼前の事について悩んでいる。
署長室のドアの前に、血だまりがいくつか広がっていた。死体は無いけど、ここで何人かが血を流したことがわかる。銃弾の穴だらけのドアが、ここで一悶着があったことを教えてくれた……。
だけど、ずっとここで眺めているわけにもいかない。坂本君は、そっとドアを開け、左手を室内へヒラヒラと振ってみた。怒声も銃声も聞こえてこない。幸い、この部屋は無人みたいだ。
「失礼しまーす」
坂本君が間延びした声を発しながら、署長室へ恐る恐る入る。職員室に呼び出しを喰らった小学生を連想した。
署長室は、10畳あるかないかの部屋だった。入って左手に応接セットがあり、右手には助手用のデスクと棚がある。
そして、真正面の奥に位置する署長のデスクには、古今東西一番注目を浴びる類の光景が広がっていた。署長がイスに腰かけたまま死んでいたのだ……。とはいえ、まだ落ち着いた見た目の死に様だから、スタスタと接近することができてしまった。うん、完全に慣れだね。
署長の元へ近づいてみると、デスク上に空っぽの弾薬箱や遺書が置かれているのがわかった。それから、垂れ下がった右手の下には、ピストルがゴトリと転がっている。
どうやら、ここで徹底抗戦した後、拳銃自殺を遂げたみたいだね。それでも当時は多少混乱していたらしく、遺書に記された文字は汚かった。
「1発も残してくれてないや」
署長のピストルを調べていた坂本君が愚痴をこぼす。1発も残ってないのは私も残念だけど、ここは亡き署長の顔を立て、何も言わないでおいた。
「森村は金庫を探して。ボクは手掛かりを探すから」
彼は空のピストルをポケットをしまうと、署長の服を探り始めた。探し物らしい。
私は、この署長室のどこかにあるらしい金庫を探す。憶測だけど、出入口や窓付近といった目立つ場所に、大切な金庫は置いていないはずだ。意表を突く形で、わざとそういう場所におくケースもあるかもしれない。しかし、もし発見されて持ち出される流れを考えると、それは得策じゃない方法だ。
……と、この前観たドラマの中で聞いた。署長室はそれほど広くない。探す順番には拘らず、さっさと見つけてしまおう。
______________________________
その金庫は、簡単に見つけられた。高校生の私でも発見できたぐらい、わかりやすい場所にだ……。
感心できたのは、金庫は壁に埋め込むタイプで、持ち運べる物じゃない点だ。床から30センチ以内に高さに抑えられている点も、見つかりにくさをアップさせているね。
それを、さらに見つかりにくくしたかったのか、背の低い観葉植物で視線をガードさせていた。しかし、それだけをポツンと置いていたから、返って目立っていたのだ……。私が金庫を発見できたのも、そのおかげだった。
「あったよ!」
坂本君に呼びかけた私。彼の小さなノートを読んでいる。
「ああ、うん。わかった」
彼はそれだけ言うと、ノートを机上へポイッと放り出した。
「番号は0806。それって回して開ける鍵?」
「……ううん、電卓みたいなタイプ」
テンキー式というやつだね。ダイアル式だと、左右に回す順番と回数があるから、開錠までメンドイはずだ。
「じゃあお願い。0806だよ。その数字は、ここで死んでる署長のカミさんの誕生日でさ、ノートに書いてあった」
机上を指さす坂本君。その机の反対側では、署長が相変わらず死んでいる。残念だけど、彼の奥さんは未亡人になったわけだね。彼女がまだ生きていればの話だけど……。
とりあえず、坂本君に言われた番号を、金庫のテンキーに入力していく。ポチポチ押し終わると同時に、金庫のロックがガチャリと外れた。私は扉をゆっくり開ける。罪悪感が今さら湧いてくると同時に、ワクワク感も感じてきた。RPGで、宝箱を開ける冒険者もこういう感覚なのかな?
宝箱、いや金庫の中身は、書類の山だった。金品は一片も見当たらない。まあ、ここは警察署内だから当たり前か。
スラスラとは読めない類の、難しい文章が並んでいる書類ばかりだ。どれも大事な機密書類であることは理解できる。この中に、坂本君が探し求める、銃器所持者リストがあるんだね。
「ボクが探すから、森村は待ってて。署長が何か持ってるかもよ? ボクはこれを頂いちゃった」
坂本君の左手には、腕時計が2つ巻かれていた……。その2つ目の出所について、詮索する気は起きなかった。すっかり驚くようなことじゃなくなっているのだ。
坂本君とバトンタッチする形で、私は金庫の前から離れた。私も何か頂いていこう。ただし、生活に必要な物だけだ。
______________________________
入っていた書類すべてを、金庫の外へ引っ張り出した坂本君。彼は、書類を乱暴にめくり、目的の書類を探している。無用な書類が、次々に床へ散らばっていく。割れた窓から入り込んだ風が、壁際までピラピラと飛ばしていった。
お目当の書類じゃないにしても、丁寧に扱うべきだと思う……。金庫にしまわれていたぐらいだから、どれも重要な書類には違いない。覚えていたら、後で拾っておくことに決めた。
後にした理由は、署長のノートに、気になる内容がチラホラと見受けられたからだ。特に気になったのは、昨日のリセット宣言から起きた出来事の走り書きだ。
『政府から重大発表あり。混乱は必須』
『管内にて、事件が多発。非番に出動命令』
『巡査5人、パトロール中に行方不明。1時間以上応答せず』
『本部へ応援要請。折り返し待ち』
『避難者パンク。応援ダメ』
『署へ発砲あり。銃器使用を検討』
『謎の集団による、激しい発砲。警官と避難者に死傷者多数。救急不通』
『玄関爆発、孤立無援』
読みづらくて簡略化された文章だけど、ここがこうなるまでの経緯が、少しでもわかっただけでも収穫だ。
どうやら、かなり厄介な連中に襲われたらしい。銃や爆弾を使いこなし、都会の警察署を陥落させるぐらいの強さを持つ連中だ。あの坂本君んちは、本当に安全なのかな? 不安になり、心臓の鼓動が早まるのを感じる。
「森村? 森村?」
ふと顔を横に向けると、坂本君がすぐそこに立っていた。無様に驚いてしまう私……。
「リストを見つけたよ。森村は何か見つけたの? それはさっきのノートだけど?」
「うん、このノートだけで十分。書ける分がまだたくさんあるからね」
それに、役立つ部分がまだあるかもしれない。
「そう? 高級なノートには見えないけど?」
「十分だってば。それより、もう出よう?」
ここを襲った連中が、再び来訪しない保証は無い。もしかすると、あの銃器保管室を目的に、一旦退却しているだけかもしれない。
「うん、そうしよう。誰かに先を越されちゃうと面倒だしね」
彼はそう言うと、手に持つ書類をバチッと軽く叩いた。書類の表紙には、『愛知県内銃器所持者リスト』と書かれていて、数枚分あった。愛知県警本部長の印まで押されている。
______________________________
署長室を出た私たち。この署での用事は済んだ。リストを入手できた坂本君は、もう満足気な表情すら浮かべている。
また、生きた人の気配も無かった。死臭が漂っているものの、鼻はそれに慣れつつあった。意識しなければ、たいした不快感も無いぐらいにね……。
「回る時間はあるの? 頼まれた物も調達しないといけないけど」
昼前よりもさらに前の時間帯だった。だけど、調達がまだ全然終わっていないことも考えると、リストの家を一軒一軒訪問する時間の余裕なんて無いからね。
「実は、すぐ近くに1ヵ所あったんだよ。狩猟が趣味らしい、ライフルを持ってるジジイがさ」
坂本君が指し示した先の住所は、確かにすぐ近くだった。行ってみる価値はあるね。危険をしっかり承知する必要があるけど……。
「でも、撃ってきたらどうするの? 狩りをやってる人なんでしょ?」
「大丈夫だって! 相手は80代の年寄りだよ? たぶん、もう狩りは引退していて、銃はただ持ってるだけな感じだろうさ」
坂本君はそう言った。死亡フラグと油断が丸出しなセリフだ……。もしバリバリ現役な猟師だったら、必死に土下座でもして、許してもらわなきゃいけないね。
「お前ら!!! まだいたのか!!!」
廊下の前方から突然、さっきの警官の怒鳴り声が直撃した……。よく見ると、銃器保管室前の床付近に、警官の顔が見える。ケガのせいで、ドアから両手と顔だけを出している体勢だ。
廊下が薄暗かったら、ホラー映画の一場面にしか見えない光景だった……。ショットガンを手にしてないことも相まって、まるでゾンビだね。
「もう帰ります! 帰ります!」
「ちょうど帰るところです!」
私と坂本君は言い返した。怒鳴られることが嫌いなのは当然だし、彼の怒鳴り声のせいで、危険な連中を呼び寄せてしまうかもしれないからね。さっさと彼の前を通過してしまおう。
「……おい、なんで腕時計を2つしてる!?」
彼の前を通過する際、坂本君のダブル腕時計が見つかった。
「……片方は署長のやつじゃないか!? おいガキ、盗んだな!? 待てコラ!!!」
ああ、すっかりお見通しだ。典型的な最悪の展開というやつだね……。
警官は、怒り120%ぐらいのご様子だ。坂本君を逮捕しようと、両手を勢いよく伸ばしてくる。しかし、足のケガで倒れたままなおかげで、彼の両手は空気(死臭付き)を掴むだけだった。彼の足を撃ったヤツに、少しだけなら感謝していいのかもね……。
______________________________
「お前ら、そこで止まれ!!!」
警官は、体の向きを反転させると這いずり、銃器保管室の中へ戻った。
「ヤバい! 走るぞ!」
坂本君はそう言うと、私の手を強く引きながら、廊下を駆け出した。手を引かれつつ走る私の顔に、死臭に引き寄せられたハエが何度か衝突する。死肉に舞っている分、普段のハエよりもおぞましい……。
だけど今は、ハエの衝突に小さな悲鳴すら上げている場合じゃない。警官が銃器保管室へ戻ったのは、ショットガンを再び構えるために決まっていた……。
今回ばかりは、私と坂本君の予想が的中する。廊下を必死に走り、署内最初の部屋へ駆け込んだ次の瞬間の事だ。重い響きが持つ銃声が、後ろから盛大に鳴り響いたからね……。




