【第21章】
いつの間にか、テレビの首相演説は終わっていた。今はノイズ音とともに、砂嵐の映像がひたすら流れているだけだ。録画しておけば良かったと後悔した。
そして、私の背後では、両親が今の演説について、興奮しながら話し合っている。これから生活がどう変わるんだとか、会社は大丈夫なのかとかだ。当然だけど、両親は「リセット」について、詳しくは何も知らない身だ。なので、ひたすら予想を披露し合っているだけだった。
そこで私は、このリセットについて、自分が知っている事を両親に伝えるべきだろうかと考えた。だけどすぐに、それは却下する。説明しても信じてもらえる可能性は低い。信じてもらえたとしても、いろいろと質問攻めにされ、どうして早く言わなかったのかとか文句を言われるだけに違いない……。
私は部屋に戻った。そして、ベッドに仰向けに寝転がり、スマホを操作する。いつもの流れだけど、今は、ネットサーフィンを満喫している場合じゃない。まずは、SNSで最新情報の収集だ。
ツイッターアプリを開き、最新のタイムラインに目を通す。ほぼ全ての呟きが、リセット関係だった。地震が起きた際に、地震関係の呟きばかりになるように……。おまけに、動作がすごく重い……。ネット回線が混み合っているんだろうね。
多くの呟きが、この「リセット」に対して疑問を投げかけるか、予測を立てるといったものだった。ただ一部の呟きには、私のように詳しい事情を知っているとしか思えないものも含まれている。おそらく関係者が、思い切って告発しているんだろう。信憑性のある呟きは、すでにリツイートが何度もされているが、今に削除されそうだ。もしかすると、私のように事情通だけど、怖くて今まで黙っていた人かもしれない。とはいえ、その人に直接連絡をする気にはなれなかった。
それよりも私は、最新の情報収集に精を出すことに決めた。「リセット」の事を少々でも知っている私は、現時点で有利だ。なんとかして、この災難を乗り切らねば……。
リセットは、日本だけでなく世界中の国々で発表があったようだ。どの国も人々は大混乱に陥っているらしく、ネット上の動きが、それを騒々しく物語る。
ツイッターのタイムラインには、最新情報だけでなく、信じられないような動画や写真が次々に流れていた。それは海外での物だけでなく、日本での物も多く含まれている。
盛大に燃え盛る工業地帯。住宅街に墜落した航空機。無政府状態に陥り、略奪や暴力が横行する繁華街。群衆を踏み潰していく戦車隊。収容施設からの集団脱走。
どれも実際の日本ではなく、海外か映画の中で起きている事だと信じたい。だけど、そのうちの何割かは、今現在のこの日本で起きている事のようだ……。私は確かに、チェーンソー男に追いかけられたり、街中で狙撃されたりといった非日常に、何度も遭遇している。
しかし、そんな今の私でも、スマホの小さな画面に映る動画や写真を前にして、「この日本で起きるわけがない」とつい考えてしまうのだ……。
「はぁ、ただいま……」
部屋の外から、母の声がした。クタクタで疲れた口調だ。どうやら、私が知らぬ間に、買い物に出かけていたらしい。スマホに熱中していたせいで、全然気がつかなかった。
母が深いため息をついたのが聞こえたので、私は部屋を出て、玄関へ向かう。玄関からキッチンまで、買った物を運ぶぐらいの手伝いはしないとね。
「すごく混んでいて大変だったわ……。買わなきゃいけない物の半分ぐらいしか、店に置いてなかったし」
膨らんだエコバッグを手渡しながら、母が言った。
「みんな鬼のような形相で、人をかきわけながら、買い物をしていたな。店員もクタクタだったよ」
両親の話によると、スーパーなどで買い出しの大騒動が起きているらしい。駐車場も行列、レジも行列で、食料品を中心に品切れが大発生しているようだ。
おまけに、道路はどこも大渋滞で、交通事故があちこちで起きているとのことだ。しかし、110番も119番も全然繋がらないらしく、偶然パトカーで現場に居合わせた警察官二人が、交通整理に当たっているらしい。ただ、応急救護の知識を持った人たちが、怪我人の対処に当たっているそうだが、そちらは絶望的な状況みたいだ……。救急車のサイレンは聞こえてくるものの、自分たちの元へ向かってくれている気配では無いらしい。
「回線がパンクしていて、会社に繋がらないよ」
スマホを手にした父が言う。圏外にはなっていないものの、電話回線が大混雑しているみたいだ。先ほどのリセット発表の関係で、日本中が、いや世界中がパニック状態になっている。
「ダメだ。家の電話もダメだ……。そうだ、公衆電話だ!」
固定電話のほうもダメみたいだ。仕事馬鹿な父は、それでも諦めきれず、外の公衆電話を探しに出かけていった……。この辺りに、公衆電話なんてまだ残っていただろうか?
だけどきっと、同じ事を考えた人たちがとっくに、公衆電話の前に行列をつくっているに違いない。なにしろ、買い占め騒動がもう起きているような非常事態だからだね。
私は、7年前の春先に起きた東日本大震災を思い出した。まだ小学生の頃だったから記憶はやや薄いけど、大地震や原発事故で買い占めなどの騒動が起きていたのを覚えている。我が家も例外じゃなくて、洗面所の戸棚には今も、放射線対策としてガイガーカウンターと安定ヨウ素剤が保管されているぐらいだ。まあ、米や水の買い占めは、ぶっちゃけ正解だったけどね。
それはさておき、今は連絡手段の維持が大事だ。だけどさすがに、無線機やトランシーバーまでは、我が家には無い。まあ、相手も持っていなければ、連絡は取れない物だが。
まずは試しに、普通の電話を坂本君にかけてみた。普段はライン通話だから、電話番号でかけるのは久々だ。もしかすると、いきなりかかってきた普通の電話にビックリさせちゃうかもね。
『現在、電話回線が大変混雑しております。時間をおいて、おかけ直しください』
何度かけても、この録音案内が流れる。やはり電話回線は、完全にパンクしているようだ。後で復旧すればの話だけど、今は何度もやっても繋がりそうにない。
電話回線がダメなら、まだ生きているネット回線に期待するしかない。東日本大震災の時もネット回線が活躍したのだ。ラインを起動し、坂本君に通話をかける。チラリと見えたが、通知数がすごい事になっていた。気になったけど、その確認は後回しだ。
『おうどうした、森村?』
坂本君には、すぐに繋がった。リセットで世間は大騒ぎだというのに、彼の返事はいつも通りの軽い調子だ。
「世界中で大変な事が起きてるね。これがリセットに間違いないよ」
『そうみたいだね。実は今、母さんの店にいるんだけどさ。なんかそれについて、面白い話を聞いているんだよ』
坂本君が言った。そのとき、電話口の向こうから「誰なの?」という声が小さく聞こえてきた。おそらく坂本君のお母さんだと思う。 彼の母親とは、学校とかで何度か会ったことがある。私の母と年齢はそう変わらないはずだけど、妖麗な美女だった。もしかすると、坂本君がイケメンなのは、母親譲りかもしれないね。ただ彼女は、名古屋錦のクラブのママだ。なので、私の母含め、クラスの母親たちからの評判はあまり良くない……。
「面白い話って何?」
思わず尋ねる私。リセット関係の話なら、今はなんでもかんでも知りたい状況なのだ。
『このリセットに関係している連中の話だよ。細かい事は、ボクからじゃなくて、本人たちから聞いたほうがわかりやすいと思うんだけど、森村は今どこ?』
「私は家だよ」
『じゃあ明日な。今日はちょっと危ないから、明日そっちで話すよ』
「え? 危ないってどういう事?」
私はそっと窓の外を見る。街のどこかからか、パトカーのサイレンが聞こえるけど、紛争地みたいな黒煙が上がっている様子は無い。
『リセットがあったろ。つまり、無政府状態になったわけだ。今は法律そのものが機能停止しているから、犯罪を取り締まる根拠も存在しないわけだ』
「……でも、交差点に警察がいたって、母が言ってたよ」
あのパトカーのサイレンもきっと、交通整理に当たる警察が向かっている音に違いない。
『ああ、なるほど。まだリセットの事をよく知らないか、ボランティア精神が強い警官なんだろな。どちらにしろ、じきに街からいなくなるよ』
そんなわけあるものか。
『警官がいなくなったら、治安が地の底まで落ちて、今よりも物騒な世の中になるからね。今夜が一番派手にヤバい。だから、少なくとも明日の朝までは、家にいろよ?』
「……坂本君は大丈夫なの? 錦って、けっこう物騒な場所じゃん」
『元々物騒なほうな事もあるから、今のところ特に何も起きてないよ。……例のおっさん刑事がいることだし』
「例のおっさん刑事?」
そう尋ねた私だったが、心当たりはあった。私と坂本君が何度か会った、刑事二人のうちのおじさんの事だろうね。
『尋問や職質をしてきた、あの刑事二人組だよ。あのビル爆発でも、なんとか命拾いできたんだね。……若いほうは死んじゃったそうだけど』
やっぱりそうだ。昼間に流れる刑事ドラマに登場しそうな、中年男性の刑事なのだった。しかし、若いほうは銃撃か爆発で死んじゃったんだね……。
「もしかして、その刑事からいい情報を教えてもらったの?」
『そう、その通り。情報提供と引き換えに、この店で保護してあげてるの。警官なのに情けない話だよね』
『保護なんて頼んでないぞ! 一晩泊まらせてもらうだけだ!』
坂本君の後ろから、おっさんの怒声が聞こえてきた。聞き覚えのある声なので、例の中年男性刑事である事はすぐにわかった。大きな怒声を上げられるぐらいだから、植物人間になっているわけじゃなくて、元気そうだね。
「私も話を聞きたい! 今すぐ電話を替わって!」
『え? 別に構わな』
ブツッ!
なんとそこで、ライン通話が切断されてしまった。通話切断はよくある事なので、めんどくさいけどかけ直すしかないね。
「ええっ?」
スマホ画面に『通話することができません』と表示された。よく見ると、Wifiは停止している……。我が家のルーターが壊れたのかと思い、不用心なお隣さんのルーターに接続してみる。だけど、やっぱりダメだった……。
つまり、ネット回線がダメになったのだ。このとき気がついたんだけど、電話回線は圏外になっていた。
これで完全に、手元の連絡手段が失われた……。リセットのせいで、大事なインフラが消え失せたのだ。この調子だと、電気や水道の喪失も、時間の問題だね……。
坂本君との連絡手段が失われ、刑事から聞いた情報を知る事もできなくなった。私は部屋の時計を見る。まだ16時少し前だ。我が家から錦までは、地下鉄で1時間もかからない。何事も起きずにテキパキと進められれば、18時頃に帰宅もできそうだね。
「ちょっと出かけてくるね! 夕食までには帰るから!」
私はリビングにいる両親に声をかけると、飛び出すように家を出た。
明日になれば、坂本君のほうからやって来て、どんな情報なのかを知ることはできる。でも、こんな状況だからこそ、大事な情報は早めに知っておきたい。時間が経てば経つほど、どんな情報でもそれは古いものとなり、対応が手遅れという事は十分にありえるからね。
全速力で走り、最寄りの地下鉄駅に着いた。街の雰囲気は、いつもよりもピリピリと緊迫している。走る私の足音を聞いた歩行者が、ビクリとした表情振り返ってきた。その老人は、私をひったくりか何かだと思ったらしい。
買い溜め帰りの夫婦は、ミニバンから自宅へ荷物をドカドカと運び込んでいる。一戸建ての庭で遊んでいた幼児は、母親に家の中へ引っ張り込まれていた。
リセットというより、世界の終末を迎えようといる感じだ。「死んで終わり」じゃなくて、「死んで生まれ変わる」という事が、リセットの正しい意味だろう。
だけど、何も知らない人々からすれば、リセットも終末も同じ意味を持つんだろう。比較的事情通の私でさえ、この緊迫した雰囲気に包まれた途端に、そう感じてしまうのだ……。
「……遅いなあ」
私は、地下鉄駅から続くトンネルのほうを見る。トンネルの中は、蛍光灯の光が見えるだけで、電車のライトはまだ見えてこない。なかなか来ない電車に、私は早くもイライラし始めた。
この東山線は、朝の通勤時間帯は2分間隔で運行されていて、名古屋で一番重要な路線と言ってもいい。私も通学で使っている。まあ私は鉄道マニアじゃないから、これ以上の事はよく知らないけどね。
予定のダイヤよりも数分遅れで、ようやく電車がやって来た。遅延の謝罪アナウンスは流れない。きっと、リセット関係で公共交通機関に混乱が起きているんだろうね。遅延に怒った人が詰め寄る駅員の姿も無かった。
この電車が、錦に近い栄駅まで動いてくれることを祈りつつ、私は電車に乗り込んだ。不幸中の幸いか、車内は空いており、ドアの近くに座ることができた。
電車は動き出し、栄駅がある西へ向かう。
途中の駅で、車イスの中年男性が乗ってきた。その車イスに、私の目は好奇心で引かれる。
最新型の車イスで、水素燃料で動く物だ。水素によるパワフルなパワーを誇り、電車の乗降口とかのちょっとした段差なら、自力で上がれるそうだ。現に今も、駅員の力を借りずに、車イスによる力だけで乗車してきた。これなら、車イスの乗り降りのせいで、電車が遅延することも起きないね。
車イスが専用スペースに停まり、電車のドアとホームドアが閉まり始める。
「危ない!」
閉まる直前に滑り込みセーフをかける形で、二人の若い女性が駆け込み乗車をしてきた……。自業自得とはいえ、ドアに挟まりかけたので危なかったよ。
普段なら、ドアをもう一度開けてやる光景が見られるんだけど、この時はそのままだった。「駆け込み乗車するな」の車内放送すら流れなかった……。
「このまま行けるかな?」
「まだ油断しちゃダメだよ」
「名古屋駅でレンタカーを借りよう」
「そうだね。少しでも遠くへ行かないと」
女子大生らしい二人は、息切れを起こしながら、小声で話している。何があったのかは知らないけど、追われているようだ。面倒事に巻き込まれたくないので、私は気にしない風をキープする。
私は、ポケットからスマホを取り出し、ネットブラウザを開く。しかしすぐに、ネット回線がダウンしている現状を改めて知っただけだった。電車でスマホを開くのは、今や万人の癖だね。こればっかりは、発達障害者も定型も無関係な癖だといえる。
よく見ると、私みたいにスマホを手に取り、がっかりしている人がいる。……とはいえ、こんな状況だからか、私以外の乗客は少なかった。駅に向かうまでの道中で、買い出しの人で混雑しているかもと思っていたけど、杞憂だったみたいだね。
「けんさです! ごきょうりょくをおねがいします!」
後方車両から二人の自衛隊員がやってきた。腕章でわかるんだけど、例の特別支援隊の兵士たちだ。怪しい人間がいないかを探しているんだろう。とはいえ、警察の職務質問とは違い、片方の兵士は軽機関銃を構えている。とても拒否なんてできる雰囲気じゃない。
こういう検査は、今回が初めてじゃなかった。時々だけど、街中に出れば、歩道などで検査を強制的に受けさせられる。私は幸い目撃していないけど、検査を嫌がって逃げ出した人が、「治安維持」のために蜂の巣された人もいるそうだ。なので、私は仕方なく毎回受けている。
そして、兵士による検査が始まり、乗客たちは順番に、自分の身分を証明していく。
検査といっても、私の場合は精神障害者手帳を見せれば、それでクリアだ。ICチップ付きのヘルプマークを、カバンとかにぶら下げておけば、兵士の携帯端末で読み取るだけでクリアできるらしい。だけど、ナチスがユダヤ人につけさせた、『ダビデの星』の腕章を連想してしまうから、私はつけたくないんだよね……。
「ヤバいよ」
「どうしよう」
あの女子大生二人組が、焦りながらヒソヒソ話をしている。どうやら、彼らに正体がバレるとマズイようだ。とはいえ、私にできることは無い。彼女たちが連行される場面を、素知らぬ顔で見届けるしかなさそうだ。
「次で降りよう」
二人とも立ち上がり、前方車両へコッソリ向かおうとした。時間稼ぎをして、次の駅で降りるんだね。私もそれが最善の方法だと思った。
「おい、どこへいく!?」
ところが運悪く、気がついた兵士に声をかけられた。最善の方法イコール100%解決じゃないのが現実だから、こうなる事も仕方ないね……。
「……リセットなんだから、こういう検査もしなくていいんじゃないですか!?」
逆切れっぽい口調で、片方の女子大生が言った。確かにごもっともだ。国が事実上無くなった今、彼らが検査をする意味も無い。
「りせっと!? なんだそれは!? ふざけているのか!?」
兵士はそう言うと、軽機関銃の銃口を向けて威嚇する。
……彼らの命令系統がどうなっているのかは知らないけど、リセットの情報が、彼らには伝わっていないようだ。リセットの事など知らない彼らは、今もこうして任務に就き続けているわけなのだ。上官から中止の命令が下されるまで、彼らはきっと永遠に続けるだろうね……。
「はぁ!? 嘘でしょ!?」
捨てセリフを言うと、二人の女子大生は前方車両へ走り出す。
「おいとまれ!」
携帯読取機を持っている方の兵士が呼び止めるが、二人は止まらずに走り続ける。車内アナウンスはずっと流れていないけど、もうすぐ次の駅に到着する頃だ。
タタタタタッ!! タタタタタッ!!
軽機関銃が火を噴き始める。当たり前だけど、危険分子だと判断されたようだ……。
ひたすら連続して放たれる銃弾が、狭い電車内を我が物顔で飛んでいく。座っていた私は、うるさい銃声に耳を押さえながら、頭を下げた。銃撃の場面は何度も経験してしまっているけど、こんな狭い場所では初めてだ……。流れ弾や跳弾に当たって死にたくない。
走っていた二人の女子大生は、銃弾にビシビシ貫かれながら、隣りの前方車両の床に倒れ込む。
「う~!」
対象のダウンを確認した兵士は、銃撃を止め、短い唸り声を上げた。私以外の乗客は、悲鳴は上げないながらも、この狭い電車内での銃撃にヒヤヒヤした気持ちだった。
女子大生二人は、両方とも体のあちこちが裂け、臓物や脳が吹き出ていた……。無論、鮮血は電車内中に飛び散っている。幸い、出血の大部分は隣りの車両で行なわれたので、私の服に血がついてしまう悲劇は避けられた。
しかし、放たれたすべての銃弾が、女子大生二人分の体に残ったわけではない。それらの銃弾は流れ弾として、窓を割り、吊り革を粉砕し、壁に穴を開けた。幸いな事に、そこの女子大生二人以外に銃撃された乗客はいなかった。
無数の空薬莢が床をコロコロと転がっていく。どうやら、電車は停止することなく、このまま走り続けるらしい。電車内で銃撃なんてあれば、通常であれば非常停止のはずだけど、もうそんな常識も無効みたいだね。兵士二人は、何事も起きていないかの如く、検査を再開する。こんな出来事はよくある事だといった感じで、私自身もそう感じ始めていた。
プシューーー!
ところが、そんな噴出音が電車内で響き始めた途端、状況はまた緊迫したものに戻る。私を含め全員が、その音の方向を見た。
あの最新式の車イスの下から、燃料の水素が勢いよく吹き出ているのだ……。床で跳ねた銃弾が、車イス下部にある水素タンクに穴を開けてしまっていた。
水素は、穴からドンドン噴き出ていく。どんなタンクなのかは、よく見えないけど、少なくとも車イスを一日動かせる量の水素がたくさん詰まっているだろうね。ただ、水素は無色透明だから、どれだけの量が出ているかはわからない。
……だけど、水素は軽い気体だ。既に車内の天井辺りには、けっこうな量の水素が溜まっている事だろう。「水素爆発」という言葉が浮かび、私の頭にサイレンが鳴る……。これは危険だ。
車イスに乗る男性は、すぐ横で噴き出る水素に、身動きが取れない様子だった。とはいえ、私たちも下手に身動きが取れない。水素は静電気でも着火し、爆発しちゃうのだ……。さすがに、水素が危険な物であることは、兵士たちも知っているらしく、どうしたものかと、互いに顔を見合わせている。
非常ボタンを押して、電車を止めるべきだろうか?
タタタタタタタタタッ!!
突然また銃声が鳴り始めた。今度火を噴き始めたのは、兵士の軽機関銃ではない。
前方の車両から、何発もの銃弾が飛んでくる。それらの銃弾は、二人の兵士の体に穴を開けていった。少なくとも、彼ら第二十一特別支援隊の人間が撃っているわけではなさそうだ。兵士二人は、床に倒れこみ、そのまま動かなくなる。
この発砲で、水素爆発が起こるんじゃないかと思ったけど、幸いそれは起きずに済んだ。水素が充満している部分が、今のところこの車両の天井付近だからだろうね。
一通りの銃撃が終わった時、無謀な私はそっと、前方車両のほうを覗いてみる。
若い男が、SFチックな見た目の自動小銃を構え、伏せ撃ちの姿勢を取っていた。今はマガジンの交換をしている。両脇にある女子大生二人の死体を邪魔くさそうだった。
男は、第二十一特別支援隊が着ているような軍服ではなくて、私服姿だった。もしかすると、最近出没しているレジスタンスの人なのかな? 高山さんたち側である隊の兵士を、いきなり撃つぐらいなんだからね。
だけど、油断はできない。リセットによる混乱に乗じた暴徒という事も、十分にありえる。この後、あの男に銃を突きつけられ、金目の物を要求されるかもしれない……。
私が身構えていると、その男がこの車両へ歩いてやってきた。自動小銃を構えている。自衛隊制式の物とは形状が異なるそれは、第一印象と同じくSFチックだった。ただ、カッコ悪く浮くほどではない。
「…………」
男は、私や他の乗客には目もくれず、倒れた兵士のほうへ歩いていく。素人の動きではなく、訓練されたスムーズな動きだった。ハリウッド映画で見かけるような、その道のプロにしか見えない……。
そして、男は倒れた二人の兵士を調べ始める。血溜まりが広がり始めているのが、ここからでもよく見えた。きっと、どんな敵に撃たれたのかもよくわからないまま、戦死したんだろうね……。
それはともかく、男は第二十一特別支援隊の兵士二人を殺したのだ。リセットにより、自衛隊や日本政府はもはや存在しない。だけど、こんな事をして、何事も起きないとは限らないのだ……。
私や他の乗客は、静かに男の行動を見守る。もしくは、寝たフリをするか、スマホを見るフリするかだ。電車も気のせいか、素知らぬ様子で走り続けている。
「覚悟!」
突然、後方の車両から大声がした。そして、私が声がした方向へ顔を向けたその瞬間、拳銃の発砲音が3回連続して響く。またもやいきなりの発砲だ。私の耳や感覚は、もはや慣れつつある……。
「ううっ」
発砲されたのは、死体を調べている最中のあの男だ。お腹を押さえながら、体を前屈みに傾ける。片手に持つ自動小銃は、今にも床にも落下しそうだ。
そこへ、後方車両から若い女がやってきた。両手にはピストルが構えられている。第二十一特別支援隊の仲間だろうか?
「勝利確実!」
女はそう言った。そして、とどめをさすべく、ピストルを男の頭へ向ける。どうやら、この場はいろいろな立場の組織の人たちが集結していたらしいね……。
「そうはいくか!」
男は激痛に汗を浮かべつつ、自動小銃を女に向け、引き金をぎゅっと引いた。
自動小銃は銃弾をひたすら放ち続ける。適当な狙いで乱暴に発射された無数の銃弾たちは、女の全身をズバズバと貫いていった。女は断末魔の声を上げる間もなく、鮮血や肉片を派手にぶちまけながら、仰向けに倒れ込む。
だけど、銃弾たちが向かう先は、その女だけじゃなかった。自動小銃を握る男の腕は弱々しく、銃口の先が、上の天井へそれてしまったのだ……。
天井には蛍光灯。そして、溜まった水素。……今日は本当にメチャクチャな日だ。
銃弾で蛍光灯が割れた次の瞬間、水素がボッと引火した。天井は炎に激しく包まれ、水素爆発による爆風が、窓ガラスを粉々に割り、ドアを車外へ吹き飛ばした。
私は身をかがめた。熱風が頭にかかり、爆風が体を座席に押しつける。無意識に耳を押さえていたけど、それでも耳に痛みが走った。
電車が急ブレーキをかけるうるさい音がする。急停止による強い衝撃で、体が横に倒れ、座席に寝転がる形になった。しかし、今は恥ずかしいどころじゃない。
……電車が完全に停止し、熱風は止んだ。しかし、空気から熱を少し感じる。
顔を上げると、電車内は薄暗くなっていて、焦げ臭い煙が漂っている事がわかった。中吊り広告の紙が燃え続けている。少し離れた座席では火がくすぶっていた。火事が起こる。このままここにいちゃ、もっと危険だ。
私は、ドアが外れ飛んでいる左側の乗降口へ向かう。爆風で体の感覚がおかしくなっているらしく、乗降口の手前で転んでしまった……。こんな時でも恥ずかしさが湧き、いつもの調子で周囲をチラ見する。
自動小銃の男が力尽きた様子で倒れていた。両目と口を開けたままだったので、思わずぞっとする私。
乗客は車イスの男性も含め、半分が体を震わせ、半分が微動だにしないという状況だ。人として、ここは救護に当たるべきなんだろうけど、心身ともにその余裕は無い……。悪いけどね。
まあ、前方や後方の車両は、たいした被害が出ていないだろうから、そこの乗客がなんとかしてくれるだろう。
私は起き上がると、乗降口から飛び降りた。降りた所は、電車の左側だから、向こうからやって来た電車に轢かれる心配はない。
やっぱり気になり、乗降口のほうを一度振り返る。チラシを燃やす火が見えた。ポケットからハンカチを取り出し、口を覆う。一酸化炭素中毒で、コロリと倒れたくはないからね。
そして、私は栄駅のほうへ駆けだした。感覚が徐々に戻ってくるのを感じる。




