【第16章】
私たちは、高山邸のダイニングルームへ通された。天井が高く広々としたそこがクリスマスパーティ会場で、もうじき始められるところ。
廊下やキッチンでは、ケータリングサービスの人々が準備にてんやわんやしている。ドアを開ければ、大忙しの喧騒や料理の芳香が、ドッと流れこむだろう。
部屋は高校の教室ほど広く、厳かに鎮座する高級家具やアンティーク雑貨が、場を堂々たる雰囲気に盛り立てていた。ランプの暖かな光は、高い壁から圧迫感を打ち消し、待つ私たちに安心感を与えてくれる。
「遊園地のお城みたい!」
「ヤバい。金遣いがヤバい部屋だな」
クラスメートたちは感嘆の表情を浮かべつつ、語彙力に乏しい感想を、無邪気に披露する。
しかし、高山さんの素性を知る私からすれば、これも演出の一つにしか思えない。今必死に浮かべる笑みは、場に合わせるためだ。
席順で一悶着ありながらも、クラス全員が席につける。私と坂本君は隣り合わせだ。一番奥の目立つ上席は、高山さん専用で、そこだけポツンと空けられている。
ダイニングルーム中央の長方形のテーブルは、クラス全員が席につけるほど大きく立派で、歴史を感じさせる物。長い年月を生きた大木から削り出された一品だろう。素人目にもその雄大さを感じられる。
これほど高級なダイニングテーブルは、どれぐらいの値段がするのかな? 少なくとも、我が家のアレが十台は楽々買える値段のはず。高山さんに尋ねればわかるけど、野暮だし自重しよう。
ケータリングサービスのスタッフが、クリスマスパーティを彩る料理の数々を、次々運んでくる。メニュー自体は一般的なクリスマスのそれ。フライドチキンやポテトフライといったお馴染みのジャンクフードに、ドレッシングまみれの生野菜サラダとか。
……だけどそれは、私の浅はかな先入観だとすぐに知る。
プロらしい盛り付け方や美麗な食器のおかげもあるとはいえ、高級感とポップ感の両方を醸し出しているほどの高いクオリティだった。同じ名前の食べ物が、街中に溢れている事が信じられなくなる……。あと、会費は平凡な価格設定だったから、なおさら信じられない。
見た目や匂いが食欲を奮起させ、テーブルのあちらこちらで、つまみ食いが横行してしまう。坂本君なんて、すでに全種類をつまみ食い済み……。
つまみ食い頻発で、クリスマスパーティがもう始まってしまったような雰囲気になる。テスト明け直後の教室みたいな賑やかさ。
しかし、高山さんがダイニングルームに入ってきた途端、それは雰囲気でしかなかったとわかる。私や坂本君も含め、みんな一斉に自然と、背筋を伸ばしシャキッとした。生徒指導担当の怖い先生が、教室にいきなりやってきたよう……。
「あらあら、ターキーを最後にしてよかったみたい!」
高山さんは微笑みを浮かべていたけど、つまみ食いに対する怒りは感じ取れた……。部屋の空気から、クラスメート全員がそれぐらいは把握できたらしい。坂本君を除き、つまみ食い実行犯たちは、申し訳なさげな表情を顔に浮かべている。
そんなところへ、メインディッシュである七面鳥の丸焼きが、カートに乗せられて運ばれてきた。いい感じの焼き立てて、香ばしい匂いが部屋中に立ちこめる。そのおかげで、部屋の嫌な雰囲気が和らいだ。
「……さて、よけいな挨拶は抜きにして、乾杯の準備を始めよっか?」
高山さんも気を取り直してくれたようだ。まあ、心の中ではまだ怒りが牛耳ってるだろうけど。
みんなが自らのグラスを手に取る。まだ空なので、オレンジジュースなどのピッチャーから注ぐ必要がある。オレンジ以外の果物ジュースや、コーラやサイダー、ウーロン茶やアイスコーヒーまであり、選択肢はけっこう豊かだ。
「ふふふっ! クリスマスといえばコレでしょ~!?」
高山さんが不敵な笑顔を浮かべつつ、上着の中から大きな瓶を取り出す。シャンパンだ! それも子供用の炭酸ジュースのやつじゃなくて、アルコールがしっかり詰まっているシャンパンだ! 見た目や雰囲気からして、かなりの高級品だろうね。
「おおっ、いいねー!」
「パァンってやってよ!」
当然の如く、クラスメートたちは浮足立つ。まだお酒を公然と飲めない高校生とはいえ、盛り上がるのは無理もない。
「え、いいの? 僕たちはまだ高校生だから、お酒を飲んじゃいけないんだよ?」
KYで悪名高い男子が、妙なセリフを口走ってくれた。せっかくの楽しい場が消沈してしまうじゃないか……。未診断らしいけど、私には彼がアスペルガー持ちだと思ってる。坂本君もアスペルガー持ちだけど、また違うタイプかもしれない。
「いいの、いいの! 自己責任で飲むなら、大丈夫だからさ!」
高山さんはそう言いくるめてやった。法律的に大丈夫かどうかは微妙だけど、これでいいんだこれでね。
私はお酒に弱い体質らしく、残念だけど遠慮しておく。ところが、坂本君はというと、早くもグラスを掲げ、シャンパンをもらう気満々な様子だ。グラスのオシャレな持ち方からして、お酒には慣れているようだね……。
彼が話したがらないから、深く聞いたことはないけど、彼の母親は錦のクラブを経営してるそうだ。いわゆる「ママ」というやつだね。まだ高校生の彼が、お酒に手慣れた感じなのは、そういう事情が関係しているんだろうね。
「ポォン!」
高山がシャンパンの栓を開けた。独特の心地よい音が響く。幸か不幸か、栓が飛ぶこともなく、彼女の手の中に残っている。部屋の電灯を割ったりしてしまう「お約束」は起きなかったわけだ。
シャンパン希望のクラスメートや坂本君たちが、空のグラスを持って集まり始める。飲酒できるクラスメートたちは、ウチのクラスにかなりいたらしい。その一方で、シャンパン希望じゃないクラスメートたちは、テーブルにあるジュースのピッチャーなどから、好きな飲み物を調達する。私はというと、オレンジジュースをグラスに注いだ。このオレンジジュースもきっと、なかなかの高級品だろうね。もちろん果汁一〇〇%で、濃縮還元じゃないストレートのやつで。
全員がグラスを手にし、高く掲げる。
「じゃあ乾杯! メリークリスマスね!」
高山さんが楽しげに音頭を取った。今さらだけど、いったい何が「メリークリスマス」なんだろうね。前から何度も気になってる事だ。まあ今考えるのはよそう。
部屋のあちこちで、グラスの冷たい衝突音が鳴り響く。クラスメートが徘徊し、競うようにグラスをぶつけ合う。私もノリに流される勢いで、グラスを何度かぶつける。矢継ぎ早に乾杯を次々に求められちゃう。
乾杯のノリが和らいだので、ようやく飲むことができた。ゴクリゴクリと、喉が揚々と働くのを感じる。
「おいしっ!」
素直な感想を大きく漏らした私。場が賑やかなおかげで目立たずに済む。
果実そのものを食べているような、果肉感を味わえるオレンジジュースだ。少なくとも、自販機でこのレベルのオレンジジュースを買えないね。キッチンで絞られたばかりの濃厚な一杯だ。ああ、心と体が癒されていく。
乾杯ラッシュが一段落した頃、お待ちかねの食事タイムに突入した。一人目がテーブルに着き、一口目を口を運ぶなり、他の全員が続く流れ。
クラス全員が、テーブルの食事をワイルドにガツガツと食べ始めた……。下品な光景とまでにはいかないけど、上品さは皆無な光景だ。親や先生に見せられる食べ方じゃない。
フライドチキンで両手がベタベタと油まみれになるのは仕方ない。だけど、ハムスターのように口一杯で食べまくるのは、健康面でもマズイ。
……とはいえ私も、あまりの美味しさに、家での食事よりは品の無い食べ方をしてしまっている。母ならしつこく注意してくるに違いない。
少し経ち、主役のクリスマスケーキが登場した! 当然、ワイルド以上下品未満な場は、さらにヒートアップする。立派なダイニングルームに相応しい大きさで、純白のクリームで美しく形作られたデコレーションケーキだ。結婚式のそれと劣らない。
「それそれ~!」
「ちょっと! イチゴ取り過ぎ!」
「手にクリームつけんなよ!」
争奪戦が始まる。アメリカのブラックフライデーの賑わいは、壮絶かつエキサイティングなのはお馴染みだけど、ちょうどアレを日本バージョンにした感じだった……。
飛び散るバタークリーム、コロコロ転がるイチゴ。テーブルだけでなく、絨毯敷きの床まで汚れていく。ここはどこかのレストランじゃなくて、クラスメートの家なのに、この汚しっぷりはマズイマズイ!
思わず私は、この家の住人である高山さんのほうを見る。殺気ムンムンの危険性が高いのにだ……。
「…………」
高山さんは無言で突っ立っている。彼女の表情は、微笑み一割という調子だけど、殺気や怒りは感じ取れない。つまみ食いラッシュ時は確かに怒ってたけど……。
今は違うとはいえ、楽しく愉快な感じじゃないことは、経験上承知している。水が一気に熱湯と化すような急沸騰が、いつ起きても不思議じゃない。
「ちょっとちょっと! 絨毯に染みができたら嫌だし、少し落ち着いてくれない? 全員分は余裕であるんだからさ?」
高山さんは、一同に言う。それは、怒りに任せた喋り方ではなくて、注意や諭しといった具合の緩やかな口調だ。だけど、私には「警告」にしか聞こえない。高山さんの怒りゲージが黄色信号だと察する。
幸いなことに、クラスメート一同もそれを察してくれたらしく、喧騒はかなり静まる。似た雰囲気は、高校の昼休みに全員が昼食を取ってる頃のそれ。私にはちょうどいい感じの賑わいだ。
ケーキは食べ尽くされ、ご馳走の数々も皿を残し消えていく。私も含め、一同のお腹は十分満たされている。ダイニングルームはもうすっかり、食事から雑談の時間に変わっていた。食事で得たエネルギーというかカロリーを消費するかの如く、ペラペラと楽しく会話にいそしむ。次から次へ話しまくる話し上手なクラスメートを見ていると、嫉妬すら抱いてしまう私……。
話の聞き手を続け、それすら疲れてきた頃だ。坂本君が怪しい動きで部屋から出ていくのを見かけた。表情も怪しい。
……あまりの挙動不審に、トイレで抜け出すわけじゃないことは、すぐ理解できた。今からろくでもない行動を取ろうとしている。
放っておいてもいいけど、聞き手役に疲れ飽きていたから、彼を尾行してやると決めた。
ダイニングルームから抜け出た坂本君は、案の定トイレへは向かわず、逆方向へ歩んでいく。足音を立てないようにしてるらしく、普段と違う足取りだ。私もだけど、彼は好奇心旺盛な人間だから、高山ハウスを探検するつもりなのは明白だ。小学生の頃、友達同士でやった遊びというかおふざけだ。無邪気な子供心が、彼に健在しているらしい。……まあ今に始まった事じゃない。
廊下は、ダイニングルームから漏れる喧騒以外は静かなものだった。つい先ほどまで、多忙を強調するようにうるさかった厨房からは、何一つ聞こえてこない。どうやら、ケータリングサービスの人は、一旦撤収したらしい。探検中の私や坂本君にはありがたい状況だ。
とはいうものの、第三者からすれば不審者でしかない。彼を引き止めるつもりだったと言い張れば、なんとか切り抜けられるはず。しかし、その切り抜けなくちゃいけない相手は高山さんだ……。難なく切り抜けられる自信は、正直ない。
廊下の端にある階段をあがる坂本君。その足取りは、さらに慎重なものだった。階段は木製だから、重みに軋む音を盛大に立ててしまっても不思議じゃない。
二階へあがった彼を追うため、私も階段を慎重にあがっていく。部屋や廊下だけでなく、階段にもキッチリと絨毯が敷き詰めらている。このフカフカ具合なら、足を乗せた途端に軋みの音を立ててしまう恐れはなさそうだ。
ようやく階段をあがり終え、二階の廊下にきた私と坂本君。一階の廊下と異なり、ここの装飾は抑え気味。絨毯が一メートル幅だけ敷かれ、オフホワイトの大理石の床が壁沿いで輝く。廊下の先に大きなアーチ窓があり、陽光が差しこんでいた。
廊下には両側合わせて六つのドアがある。ドアごとに一部屋あるとしても、少なくとも六部屋あるわけだ。これだけでもう我が家の規模に匹敵しちゃう……。
「アイツの部屋はどこだろなっと♪」
坂本君が一人言った。顔はニヤニヤといやらしい……。彼はイケメンだから、心の中で引くだけで堪えられる。けどこれがブサメン男子なら、気色悪さで悲鳴をあげているところ……。
近くから順番に、ドアノブをガチャガチャとひねっていく坂本君。どうやら、ドアに鍵がかかっているようだ。ドア一つ一つに鍵があるとは、お金持ちの家だけある。疑心暗鬼なのかな?
とはいえここは他人の、それも高山さんの家だ。彼が小学生程度ならまだ、素行の悪い訪問者として冷笑されるだけで済むだろう。だけどもう高校生だ。親を呼び出されてもおかしくない。彼だけならともかく、巻き添えを喰らうのは愉快じゃない。
「ちぇっ! ちぇっ! 用心深いな、最近はどこもかしこもよ!」
いつもより陽気な口調だ。どうやら、お酒のアルコールがすっかり体中に回っているようだね。
「おっ! ここはノーガードだ!」
運良く、いや運悪く、彼は鍵がかかっていない部屋を見つけてしまった……。当たり前だけど、嫌な予感しかしない。鍵だって、わざとかけられていなかったんじゃ……。
「どれどれ!」
ドアノブを握る彼を止めなくちゃいけない。だけど、時すでに遅し……。
ドアの向こうは、間違いなく室内だ。それは確かだけど、真っ白な壁が目前にそびえ、三方の床から天井までをしっかり塞いでいた。よく見るとその壁は、白いビニールシートで、天井と床を密着させる形になっている。そして、正面のシート地には、細いファスナーの線が走る。
これは二重扉の一種かな? 消毒薬の臭いを感じ、病院や保健室を想起させる。ビニールシートは、透明じゃなく白く分厚い物で、向こう側は全然見えない。人目を避け、人を寄りつかせたくない趣旨をイヤでも思わせる。
「んんっ?」
ここで坂本君が振り返り、私の存在を知る。赤ら顔と視線は固まり、私にどう言うべきか、必死に頭を捻っているよう。
「いいでしょ?」
私はそう言ってやった。ここは先に言うべき局面だ。
「んんんっ、いいよいいよ!」
酔いのおかげで、彼は同行を許してくれた。後で理由を聞けば、「うるさく喋りバレたくなかったからさ」と言いそうだ。
「温室なのかもねー」
坂本君はためらいも無く、天井付近の高さにある持ち手をつまみ、勢いよく下げた……。ファスナーから左右に開き、ビニールシートに隙間ができる。そして広がっていく。
床までファスナーが下げられ、穴はビニールシートに人がくぐり抜けられるほどの大きさに。……穴からは何も聞こえてこず、覗く顔もない。
「ここで待つ?」
「ううん」
即答した私。恐怖心や罪悪感はあるけど、持ち前の好奇心には敵わなかったわけだ。ここで彼を待ち、探索の成果を聞くだけでもいいけど、やっぱり自分自身で知りたい。
それに、もし彼が穴の向こうへ行ったまま、ちっとも戻ってこなかった場合の事もある。そんな事態に陥れば、たちまち私は、恐怖心に襲われ、階段へたどり着けない有り様になるだろう……。縁起悪い話だけど、考えないわけにはいかない。
私と坂本君は、穴をくぐり抜けた。その際、ビニールシート表面から、強い薬品臭が鼻についた。温室なんかじゃなくて、何かの感染症対策?
細菌、患者、隔離。
おぞましい単語を思い浮かべていく私。とんでもない探検を、私たちはまたしてるのかも。……ああ、きっとそうだ。
「うっ!」
思案を妨げるかの如く、鼻全体で悪臭を感じ取った……。今すぐ吐いちゃうほどの異臭ではないけど、ここに長居はしたくないね。鼻を強くつまむ私。これならまだ大丈夫だ。
とはいえ、今まで嗅いだことが無いタイプの悪臭ではなかった。高校生になってから、何度も嗅ぐハメになったタイプの悪臭……。
それはつまり、血の臭いというわけだ……。何度嗅いでも慣れない匂いだね。しかも今回は、「濃縮」と「発酵」の過程を経た血の匂いだ……。食べたことはないけど、ブラックソーセージというのはこういう匂いなんだろうか?
この部屋に、腐った血肉が放置されている状態なのは確実。それは豚肉でも鶏肉でもなく、人間の肉。もう鼻が、いや、脳がすっかり覚えこんでしまっている。ここが紛争地帯ならまだしも、普通の女子高生はこんなの覚えない……。覚える必要がない。
「こりゃあ酷いなぁ。ボクの母さんでも、ここまで食べ物を腐らせないよ……」
さすがに坂本君も、鼻をつまみながら、嫌そうな表情を見せている。ただ以前、血の匂いに慣れてしまったと軽口を叩いていたから、彼も脳が覚えこんでいるだろうね。
……匂いを放つ根源は「二人分」で、部屋のキングサイズベッドに寝転がっていた。広いベッドで寝転がるそれらは、ビニール袋を大きくした感じの物に包まれている状態だ。
「死体袋だね。映画で何度か観たことある。だけど、透明なやつは初めて見たよ」
坂本君が言った。
どうやら、死んだ人を収納する専用の袋らしい。死体袋でも、死体から放たれる強烈な匂いを完璧にとどめられなかったみたい。くぐり抜けたビニールシートのように、死体袋にはチャックの線が走っていた。また、ホースもそれぞれの袋から一本ずつ走り、部屋の隅に置かれたポリタンクへ繋がっている。ホースの途中には灯油ポンプが付けられ、死体袋からポリタンクへ液体を送れるようにしてあった。この液体とは、死体から出る体液だ……。死体袋に溜まった体液を、ポリタンクで保管する仕組みらしい。人体は大部分を水分が占めているから、死体から出る体液対策が重要なのは確か。
しかし、逆に言うと、ちゃんと脱水してしまえば、死体はかなりコンパクトなサイズに収まるというわけだ。ブドウを乾燥させたレーズンみたいな感じにね。
それでも漏れ出る異臭への対策として、部屋の窓や通気口にはビニールの覆いがしてある。これなら近所迷惑にならず、異臭騒ぎにならない。
肝心の死体二人分の現状は、怖い物見たさで一瞬だけ見たところ、ほぼ白骨化している……。骨がしっかり浮き出ていて、水分を失った眼球は頭蓋骨の中へ沈んでいるようだ。
どっちの死体も、誰なのかはわからない。だけど、この部屋の雰囲気、高山さんの事を考えてみると、たぶん彼女のご両親だろうね……。彼女は家族と不仲だったという話を聞いたことはない。とはいえ、この状況で考えられるのはそういう事だ。
いきさつはともかく、彼女がご両親を殺したというわけだ。少なくとも、この死体など一式の存在を、彼女は知っているはず。隠蔽工作のために、彼女が灯油ポンプをシュコシュコやってる姿が、頭に浮かぶ……。
とりあえず、今しなくちゃいけないのは、警察への通報だ。高山さんが、ここを私たちに発見されてしまった事を知れば、隠蔽しようと動き始めるはず。立派なチクりだから、友達を警察に売ることになっちゃうね。だけど、これで一連の出来事を解決できれば、すでにのしかかっている重荷を、一気に取り除ける!
「おいやめとけ!」
私がスマホを触り始めた途端に、坂本君が手を掴み止めた。緊急通報の画面がスマホに映し出されたところだ。
「な、なにすんの?」
「アイツを敵に回すだけだから、やめとけって!」
いつもの悪ふざけじゃない。私の手を掴む彼の手には、力が強くこめられている。本気で通報を止めてほしいようだ。
手が痛い。まさか、ここまで強気で制止してくるとはね……。
私は坂本君の手を振り払った。
「高山さんを敵に回すだけって……。だけど、このままスルーするわけにはいかないじゃん!?」
彼にそう言うしかなかった。
「……言っておくけど、『事なかれ主義』というだけじゃ済まないレベルだからね? ここはスルーするしかないんだよ!」
私の非難を予想してか、彼はそう言った。けど、事なかれ主義以外のいったい何だと言うんだろう。
「もし警察が彼女を逮捕したとしても、彼女の仲間が何かしてくるよきっと? ぼくもまだよくわからないけど、彼女がいる組織がさ!」
危うく撃ち殺されるところだ、先日の出来事を思い出した私。あんな大事件があったのに、世間では結局あまり騒がれずに忘れ去られた。私と坂本君が、警察にまた聞き取りされる事も無かったぐらいだ。
とはいえ、街中に監視カメラがあるから、私と坂本君の面相などは、警察やその組織にもとっくに割れているはず。だから、いつでも手出しされてしまうわけだ。今は泳がしてもらっているだけで、高山さん逮捕をきっかけとして、襲いかかってくる事は十二分に考えられる……。
あのときは、二人の刑事さんがいたから、二丁拳銃持ちの少女に襲われても大丈夫だった。その後で狙撃されまくった際は、障害者手帳を見せて、なんとか逃げおおせた。半分は事実だけど、高山さんの仲間だと思わせたわけだ。
しかし、高山さん逮捕となれば、もう仲間じゃなくて、敵として扱われる。あの銃撃をかいくぐって逃走できる自信なんて無い……よ。
「下手すれば、彼女自身が仕返ししてくるよ。生命保険に入るなら、今のうちにしとかないとね。……もう入れないかもだけど」
坂本君は言った。彼は苦笑いを浮かべつつ、深いため息をついた。
「……何年後かまでに、行方をなんとかくらませないとね」
私はそう言ったものの、彼女の報復から逃げ切れる自信も無かった。
「何年後かだって? 女性割引と家族割引もされるから、もっと短く済むだろうね。きっと一ヶ月も経たないうちに、高山は高校生活再デビューを果たすさ」
いくらなんでもそれはオーバーだと思うけど……。
「たった数日でも意味はあるよ。一通り捜査されれば、真実が多少でもわかるはずだし」
儚い希望だけど、期待していいはずだ。そのために消費税を払っている。
私が警察を未だに期待している点について、坂本君はわかりやすいため息で応えてくれた。さっきよりも深々とね。現実主義的な彼からすると、嘲笑の的でしかないらしい。
「警察は面倒で複雑な問題には無力だよ。何度か経験あるんだけど、仕事も働き手も、普通のお役所と変わんない。硬直と杓子定規を軸に動いてるだけで、活躍には期待しないほうがいい」
どんな経験なのかが思わず気になった私。でも、その話を聞くのは、今じゃなくてもいい。
「あの刑事たちなら期待してもよかったかもね。だけど、もう死んでるかもよ? なにしろ、あの事件はすぐに続報が無くなって、警察官が二人緊急搬送されたという事までしかわからなかったしさ」
「…………」
またあの二人の刑事さんが現れないものかと、私は願った。
いや、ご都合主義の展開に期待してもしょうがない。願うだけ時間の無駄だ。
……待てよ、時間? 今は何時何分?
私は瞬発的に部屋の壁を見回し、時計を探し出した。パーティから抜け出してから、どれほど時間が経ってしまっているのか?
ああ、もう三十分は経っている……。高山さんなら、私と坂本君がダイニングルームから消え失せている事ぐらい、もう察知してるはず。二階にいる事だけでもマズイし、この部屋にいるのを目撃されるのは極めてマズイ! ベッドで永眠してる彼女のご両親を見つけた私たちを、彼女がにこやかに見逃してくれるはずがない……。
これ以上ここで彼と言い争っても、さらに時間を無駄にするだけだ。それに今すぐ通報しても、タイミング的に間が悪いかもしれない。警察が到着するまでの時間に、彼女がなんらかの対応を取ってくる恐れが十分ありえる。
今は素知らぬ顔をしておいて、後で通報することもできるはずだ。ただそのためには、早くこの部屋から出ないといけない。彼女に見つかれば、素知らぬ顔どころじゃ済まないからね。
「時間がマズイから、一旦ここから出ようよ」
「ああ、そうだよね」
私の無謀な行動を防げてよかったという感じで、彼の顔からこわばりが緩む。まだ私は通報するつもりだけど、彼が一安心できてるわけだし、ここは耐えて何も言わないでおく。
とはいえ、心の一部分では面倒事、この部屋について通報する事を遅らせることができたと、無意識に安堵していた。坂本君に限った事じゃなくて人間全体だけど、事なかれ主義的な思いが、私の中にもしっかり備わっていたわけだね。
まあ、そういう思いや行動について、自覚した経験が無いわけじゃない。小学生や中学生の頃に、イジメを見て見ぬフリしちゃった事だってある。今の坂本君はきっと、高山さんたち側に抵抗している私を、正義感が無駄に強いと思っているだろうけど、そんな大層な人間じゃない。正義感からじゃなくて、好奇心から衝動的に動いちゃってるだけなのが、本当の所だといえる……。
私と坂本君は、ベッドの遺体二人分へ合掌する。これぐらいしてあげないと罰が当たりそうだからね。
そして、忍び足でドアのほうへ向かう。正確にはその前に、異臭対策のビニールシートをくぐらなくちゃいけないけど。高山に気づかれない事を第一に意識したため、自然と忍び足になる私たち。こういう状況になると、物音や時間経過の感覚が、いつもと全然違う。普段は気にしない自分の足音や周囲の物音を、耳は無駄にしっかりと聞き取る。あと、一秒一秒の時間を重く感じさせる。
坂本君が先に、ビニールシートを恐る恐るくぐり抜ける。シートが発するガサガサという音が、とてもうるさく耳に届く。下のダイニングルームに聞こえてしまうのではないかと思えちゃう。
彼に続き、私もシートをくぐる。できるだけ音を立てないように気をつけたけど、それでも怖いぐらい大きな音に聞こえる。ありえないけど、一階のみんなの耳に届いたんじゃないかと不安になった。
そんな私を尻目に、坂本君はドアノブを握る。余計な音を立てないようそっとだ。それから数秒かけてドアノブが回され、ゆっくりドアが内側へ開く。廊下と反対側のドアが見え、高山さんの姿は見えない。階段や廊下から誰かの足音が聞こえることもない。それどころか、下のダイニングルームの喧騒が聞こえるぐらいだ。とりあえず安心できた私。
「じゃあ行こう」
彼はそう言うと、部屋の外へ踏み出す。私も足を進める。置いていかれちゃうのは怖いからね。
……ところが坂本君は、部屋から一歩出た位置で立ち止まった。何も言わず、動きをピタリと止めている。
私からは見えないけど、彼のすぐ左側に誰かいるらしい。彼が向けてるだろう視線と、湧き上がる人の気配から、察することができた。誰かも含めて……。
「高山さん?」
「うん、そう」
私が尋ねると、彼は即答した。素っ気ない口調から切迫感が伝わってくる。拳銃を突きつけているのかな? もしそうなら、私と彼の命は、またまた風前の灯に……。
「使い古しの言葉だけど、こんなところで何をしていたの?」
坂本君のすぐ左側、かつ、壁のすぐ向こう側から、高山さんの声がした。死角だけど、彼女の存在を感じ取れる。彼女は今、どんな表情をしているんだろうか?
怒り顔? 呆れ顔? それとも、冷酷な笑みを浮かべた表情かな?
どう言い返すべきかを考えていると、彼女は死角から歩み出て、坂本君の正面に立つ。彼女の両手には、拳銃も何も握られていない。バターナイフすらも握っていないけど、彼女は堂々と私たちの前に立ってみせている。
まあ、小さな拳銃や刃物をコッソリ隠し持っている事は十分にあり得るけどね。今すぐここで、彼女を取り押さえようとした途端、彼女はロングスカートをめくり上げ、太ももにバンド留めされたホルスターから拳銃を抜く高山さん。ハリウッド映画でよくある、カッコイイワンシーンだ。そんな華麗なアクションを彼女が披露しても、今さら私は全然驚かないね。
「ちょっと探検していただけだよ」
坂本君は言った。正直な回答には間違いない。
「あらそう。それで、収穫はあった? いやあったでしょ?」
当たり前だけど、すっかりバレている。
「…………」
坂本君は無言になる。もちろん、私も無言だ。こうなっては、もう何も言えない。高山さんにどう言えば弁解できるなんて、考えるだけ時間の無駄だ。
「今回の件だけじゃなくて、あなたたちの行動は筒抜けになってるんだよ?」
高山さんが言った。初めて耳にするレベルの、とても真剣な口調だ。
「チェーンソーを持った男に追いかけられた事も、銃撃からなんとか逃げた事もね」
彼女はすっかり知り尽くしているようだ。所属する組織から彼女へ、私たちの情報が伝えられたんだね。救いなのは、彼女の口振りから、彼女が私と坂本君を殺すために関与してはいないという事だ。
「ボクのこともバレバレだったのかよ……」
落胆を背中で語る坂本君。こんな状況だから、弱々しく見えてしまう。いざというときに、つまり今すぐ陥りそうなとき、彼は私を守ると言っていた。ホントに守ってくれるのかな? 心の中でつい疑う私だった。
「もうあなたたちは、無関係な一般人ではないよ。味方でも敵でもない立場というわけ」
「じゃあさ、殺されるも殺されもしない立場というわけだ。どうする気かなのかをハッキリ言ってくれよ!」
そう言い捨てた坂本君。普段からせっかちな彼らしい。
「……そうね。ただ今さら、白でも黒でもどっちでもいい気がしているんだよ」
「おいおい」
私も早くハッキリさせてほしい気分になってきた。
「あなたたちはどうしたいの? 本当に聞くだけになるかもだけど、希望を聞きたい」
そう尋ねてきた高山さん。彼女はいったいどんな立場なんだろうね?
もしここで彼女に殺されるぐらいなら、真実を全部知ってからのほうが断然マシだ。せめてスッとした気分で死にたいからね……。
「高山さんたちの事や目的を教えてくれない? もしかしたら、何か力になれるかも」
私はそう言った。後半の言葉はセールストークみたいなものだ。
「はぁ? 何言い出すんだよ?」
振り返った坂本君が言った。私の思い切った提案に驚いているらしい。怪訝そうな表情が彼の顔に浮かんでいる。
「……ああなるほど。まだ知らない事だらけだから、知りたくて仕方がないってことだね。でも、秘密にしておかないといけない事だらけだから、聞き終えた後で「敵」になるのは勘弁してよ?」
彼女は提案を受け入れてくれた。彼ほど全然驚いている様子ではないから、想定内の提案に過ぎなかったようだ。ここは驚いてくれたほうが、なんとなく嬉しいものだけど、贅沢は言えないね。その一方で、彼女が私の提案を受け入れたことに対して、彼はまたもや驚きを隠せていなかった……。私と彼女の顔を、何度も往復して見てきた。
「私の部屋で話すからついてきて。下はまだ盛り上がっているから、腰かけて話せるよ」
高山さんはそう言うと、廊下の奥側へ歩き始める。彼女の部屋は、この部屋よりも遠い場所だったようだ。
もし一番奥の部屋から探検を開始していたら、この部屋へは入らずに終わったかも……。だけど、これは完全に今さら遅い話でしかなく、高山さんがこの後で語る話のほうが、よっぽど重要だ。




