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正常な世界にて  作者: やまさん(発達障害者)
15/52

【第15章】

 11月中旬のある朝。自宅のリビングにあるテレビは、アメリカ大統領選の結果と反応をひたすら伝え続けていた。NHKはもちろん、民放もそのニュース一色で染まりきっている。もし日本のどこかで殺人事件か何かが起こっても、サラッとしか伝えてくれないだろうね。

『……アメリカの次期大統領と確定したパットン氏は、勝利宣言の中で、人類の未来に関わることを、最後までやり抜くと強く誓いました。そして、それには世界中すべての国々による協力が不可欠で、アメリカがそれを率いていかなけばならないと主張しました』


 そこまで聴いたところで、遅刻せずに高校の教室に着くための時刻が迫っていることに気づいた。それを知った私は、ごちそうさまも言わずに、リビングから自室へと舞い戻る。母がなんか文句を言ってきたけど、それどころじゃない!

 パニックのように大急ぎで、カバンに弁当やらを詰め込み私。これはほぼ毎朝のことだから、たいしたハプニングではない。……たぶん今日も、何か忘れ物をしてしまいそうだ。




 駅から高校への道を走る私。顔や首にぶつかる冷え切った空気が、本格的な冬がもう到着間近だと、乱暴に告げてくれる。明日からは、マフラーを巻いてこよう。

 そして、ギリギリセーフになるいつもの時刻に、校門を通ることができた。校門での挨拶運動係の生徒たちは、もう教室に戻ってしまっている状況だ。校門を閉める生徒指導部の男の先生が、呆れ顔で私を見送ってくれた。

 教室がある校舎に入る前に、別の校舎の1階にある職員室のほうをチラ見してみる。幸い、うちの担任は自分のデスクにまだ座っていた。つまり、遅刻はとりあえず避けられたというわけだね。階段を上る足取りが、自然と穏やかになる。


「おはよっ!」

階段を駆け上がってきた坂本君。サッカー部の朝練が終わったばかりらしい。

「今日は昨日より数秒は早いんじゃないか?」

「寒いから早く歩いちゃったのかもね」

そういえば昨日の朝、階段を駆け上がっていく彼を見つけたんだった。運動部の朝練なら、先生が遅刻を見逃してくれるだろうけど、彼は妙に律儀なところがあるからね。

 そんな彼に合わせたい意識があるのか、私も最近は遅刻はせずにすんでいる。この調子がずっと続いてくれればいいな……。



______________________________



 教室に入ると、教卓にいる高山が最初に目に入る。彼女はクラスメートたちに、呼びかけていた。彼女はこちらを一瞬だけチラ見すると、また呼びかけを再開した。私と坂本君は、自席へ向かいつつ、聞き耳を立てる。さすがに、何も気にしないわけにはいかないからね。

 ――どうやら、このクラスのみんなでクリスマスパーティーをやろうという話だ。教室やレンタルスペースでそれをやるのかと思っていると、なんと高山さんの家でやるらしいじゃないか……。私と坂本君は、高山さんの「裏の顔」を知っているから、それを知ってドキリとする。クラスメートたちはそれを知らないはずだから、気にしないだろうね。

 彼女の家へ実際に行ったことはなく、ストリートビューで確認したら、立派な一軒家だったのを覚えている。クラスメートを集めてパーティーを開くなら十分な大きさの家だった。問題は、その家は高山さんの「ホーム球場」なので、危険極まりないということだ……。毒入りシャンパン(アルコール入りのほうがマシだね)を飲まされても不思議じゃない。

 一通りの説明が終わったらしく、彼女は招待カードを配り始めた。彼女らしく、本格的にやるつもりらしいね……。


 私は高山さんに、何か一言を言わなくちゃいけないと思い、朝の支度を中断する。クラスメートに聞かれてしまうのを覚悟しつつ、彼女が自宅を会場にする思惑を聞き出すつもりだ。

 ところが、彼女がいる教卓まであと少しのところで、教室に担任が入ってきた。高山は素早く、その場にいた全員に招待カードを配り切る。

「ほらほら、もう席につけよ!」

一同に着席を促す担任。いつもの光景とはいえ、今は憎らしく思えた。招待カードをとりあえず配り切ったところを考えると、次の休憩時間に声をかけても遅いだろう。間違いなくほとんどのクラスメートが、彼女に出席の意志を伝えてしまうからね。つまり、間に合わないのだ……。


 自席に戻った私が、朝の支度を急いで再開していると、高山さんがすぐ横を通過がてらに、招待カードを置いていった……。

 予想できたこととはいえ、私は驚きを隠せない。彼女は私の反応を楽しむつもりではないらしく、そのまま歩き去っていた。ふと坂本君のほうを見てみると、彼もすでに招待カードを置いていかれたようだ。彼はまじまじとそれを見ているんだけど、危機感を持ってくれていると嬉しいな……。



______________________________



  朝礼が終わり、一時間目の授業が始まった。しかし、私の興味の先は、黒板じゃなくて、スマホの画面にある……。ラインが起動済みで、このクラスのグループラインが表示されている。

 今の話題はもちろん、高山さん主催のクリスマスパーティーについてだ。彼女の説明や招待カードを見聞きしたクラスメートが、授業中にも関わらずに、こうして盛り上がっているわけだ。とはいえ、この授業の先生(担任ではない)は、『静かにしているならスマホOK』というスタイルだから、没収の心配はないけどね。

 ちなみにこのグループラインは、場面緘黙症の女子(坂本君が教えてくれた)も参加している正式なものだ。入学式の日に、高山さんが開いた。今さらだけど、彼女の行動力は、坂本君よりもあるね。


 ラインの流れや送り状を見ながら、この怪しいクリスマスパーティーに、私自身も参加するべきかと悩む。面倒事に巻き込まれる危険性は高い。だけど正直に言うと、好奇心が私の中にまだ残っている。こんなことは坂本君には言えないけどね。

 ……そう思い悩んでいるところへ、坂本君が参加表明のメッセージを、グループラインに投稿した……。それもシンプルで事務的なものではなく、絵文字付きのノリノリなものだ。ひょっとして彼は、高山さんの陰謀や私を守ることを、忘れてしまっているんじゃないかと思えてくる……。

「呑気だね……」

思わずそうつぶやいた私。

 彼が参加するため、自分も参加することにした。寂しくもなるだろうし、不安にもなるからね。パーティーは昼間だけだし、他のクラスメートもいっしょだから、大丈夫かもしれない。よく思い返せば、彼女主催のイベントは、今までにも何度かあった。運動会や文化祭の打ち上げ会だ。今回も何事も起きずに、終わる可能性だって、十分にあるというわけだ。自分を安心させるためとはいえ、それを願うことにした私。

 ただ念のため、坂本君に行き帰りのエスコートを頼むことにした。クラスメートに目撃されまくりで恥ずかしいだろうけど、安全には代えられないからね。

 私は、参加表明をグループラインに流した。既読数が着々と増えていく。



 その日の終礼後に、高山さんが嬉しそうに発表したところによると、なんとクラスの全員(例外無し)が、クリスマスパーティーに参加することになったそうだ。用事がある人もいただろうけど、どうやって参加させたのかは、あまり考えたくないね……。

 パーティーの日が、とても待ち遠しくなった。楽しみだからじゃなくて、さっさと済ませたいという気持ちからだ……。とはいえ、こういう場合に限って、日にちが経つのを早く感じるものだね。



______________________________



 ――クリスマスパーティーの日を迎えた私。今は坂本君と、行きの地下鉄の車内にいる。よくあることだけど、今回も優先席に座っている私たち。クリスマスシーズンだから、他の席はすべて埋まっているから仕方ない。車両の反対側では、ドラゴンズの野球帽を被った知的障害の男性が、クリスマスソングらしき短いメロディを、リピートで歌い続けていた。


「トラックが栄の歩道を暴走して、意識不明の奴らがたくさん出てるってさ。ラシックらへんだから、二ケタは余裕で死んでそうだね」

スマホでネットサーフィン中の坂本君が、軽い口振りでつぶやいた。

「陰キャラっぽい男が、配送中のトラックを盗んだらしい。まあ、この時期は忙しいから、キー差しっぱなしだったろうな」

ある意味では、クリスマスらしい出来事だね……。

「似たような事件が、あちこちで起きるだろうしね。ただそのトラックには、クリスマスプレゼントがたくさん積まれていたらしくて、散らばったそれら目当ての奴らで、今大変みたいだよ?」

「ふ~ん、行きたくてもガマンしてね?」

「わかってる、わかってるって!」

私が止めなければ、彼もプレゼント拾いできる現場へ直行していただろうね。まあ正直に言うと、私もつい行きたくなった身だ。


「コホッ! コホッ!」

明らかにわざとらしい咳払いが、すぐ近くから聞こえた……。

 視線を横から前に向けると、中年女性と小学校低学年ぐらい男の子が、目の前に立っていた。スマホや坂本君の相手で夢中で、まったく気づかなかった。その女性は、バッグからマタニティマークをぶら下げ、お腹がボテンと膨らんでいるので、妊婦だとすぐわかった。そして、横にいる男の子は、この女性の息子さんだろうね。

 優先席は3人掛けで、私と坂本君の他には、昼寝中のおばあさんが座っている。普通なら、私と坂本君が席を譲らなくちゃいけない。学校で、しつこく何度も聞かされるマナーの1つだ。

 だけど、私たちは不幸なことに「普通」の人間ではないのだ。いわゆる「訳あり」の人間というやつだね……。


「悪いんだけど、ボクたち手帳持ちなんですー」

状況を察した坂本君が言った。こういう状況には、すっかり慣れた口ぶりだ。パッと見健常者だし、見方によっては、悪ぶりたい高校生が優先席に座り込んでいるようにしか見えるはずだからね。

「……え? ほんとにそうなの?」

疑いまくりの表情で、妊婦はそう言った。なにしろ、坂本君には動く手足が2本ずつ生えているし、妊婦を見て話すこともできたからね……。



______________________________



「発達障害だよ。効率主義的な現代社会で生きているから、疲れがヤバくてね……」

坂本君はそう言うと、いかにも辛そうに左肩を押さえてみせた。さっきまで元気だったじゃないか……。

「ほら立って! あそこの知的障害も元気に立ってるよ!」

私はそう言うと、坂本君を無理やり立ち上がらせる。あの知的障害の男性は、クリスマス風メロディを相変わらず歌い続けている。

「あいつらは、いつも幸せな世界にいるから平気なんだよ!」

坂本君の手を引き、ドア横へ連行した。当然、近くの人たちにチラチラと見られちゃったけど、あのまま平然と座っているわけにはいかないからね。


 妊婦は私に対して「すいません」とだけ言うと、空いた優先席に座る。もう1人分の空席は、連れの男の子用だ。

 ……ところが、隣りの車両からジジイが出現した。彼は、座ろうとしていた男の子を脇へ押しやると、自分がその席に堂々と座りこんだ……。妊婦や男の子はもちろん、私も含め3人がそのジジイを睨む。だけど、そのジジイは平然と座り続けている。おまけに、「フンッ」と鼻を鳴らされてしまった。

 つい今まで自分が座っていたとはいえ、私はこのジジイに文句を言わずにいられなかった。一歩踏み出した私。

「待て待て」

そこで坂本君に左肩を掴まれた。事なかれ主義的に引き止められた形だ。振り返ると、坂本君が自分に人差し指を向けていた。彼が代わりに、このジジイに注意してくれるらしいけど、さっそく嫌な予感が湧き上がった……。

 そして、その予感は3秒後に正解へ変化し始める。なにしろ、躊躇することなく、スピーカーみたいな知的障害者の元へ向かったものだから。あの知的障害者を、ろくでもない事に活用するつもりなのは明白だね……。


「よう、ドラゴン野郎。ちょっと教えてやりたいことあってさー」

「ジングルベルがやって、んんっ?」

坂本君にいきなり話しかけた知的障害者ことドラゴン野郎は、メロディー再生をやめて、彼のほうをじっと見る。たぶん初対面なのに、馴れ馴れしく話しかける彼は、コミュニケーション能力が凄まじく高いだろうね。障害者手帳なんかなくても、社会でなんとかやっていけそうだ。

「あそこにいるジイさんな、カープファンらしいぞ。しかも、ドラゴンズの事をバカにしやがった」

無茶苦茶な事をドラゴン野郎に吹き込む坂本君……。

 だけど、純粋なドラゴン野郎は、それを信じてくれたらしい。比較的大きな顔を、一気に紅潮させていく。少し離れたここからでも、怒りの熱気を感じるほどだ。その熱気を強く感じているはずの坂本君は、サッとドラゴン野郎から離れる。

 ああっ、彼が解決することを許すんじゃなかった……。



______________________________



「んわぁーーー!!」

怒り狂ったドラゴン野郎は、大声を張り上げながら走り出す。もちろん、彼が一目散に目指しているのは、あのジジイのほうへだ。ドラゴン野郎は、そのニックネームとは裏腹に、痩せ気味な外見をしている。だけど、無我夢中に突撃する彼からは、威圧感があった。

 ところが、狭い電車内を乱暴に突っ走るものだから、吊り革に掴まっていた人たちを、次々に弾き飛ばしていく……。私も危うく、ぶつかりそうになったぐらいだ。

 間一髪で避けた私が体勢を整えたとき、ドラゴン野郎はジジイのすぐ目の前に到達していた。ジジイは耳が遠いらしく、ドラゴン野郎の存在自体に、そのときやっと気づいたようだ。仁王立ちするドラゴン野郎を見上げるジジイ。

「うおっ……」

年代物の図々しさを誇る彼も、さすがに狼狽えているようだ。腰を抜かしたのか、彼は座ったままでいる。ドラゴン野郎にやられるのは不可避だね。

 すると、隣りに座っていた妊婦は、巻き添えを懸念したらしく、男の子を連れて立ち去ってしまった。これでは、ジジイをどかしても無意味に終わりそうじゃないか……。自分たちがまた座れそうだけど、目的地の駅までもう少しだった。


「んんっ!」

ドラゴン野郎が、両腕を外回りに振るいまくる。ボカボカと殴られるジジイは「イタッイタッイタッ」と声を上げた。相手は一応老人なんだけど、ドラゴン野郎は容赦なく、その連続パンチを続ける。

 彼の両腕は、細く痩せているが、パンチのスピードは異常に速かった。相手がジジイとはいえ、地味に痛いパンチの連続らしい……。休む間もなく痛みをひたすら喰らわされるのは、精神的にもキツイはずだ。現に、ジジイの痛みを訴える声が、次第に弱くなっていく……。


「おいやめろ!」

正義感が無駄に強いらしい若い男性が、連続パンチを単純作業のように続けるドラゴン野郎を止めにきた。男性は、彼の両手をなんとか掴んでみせた。もっと早く登場して、ジジイをどかしてほしかったものだね。

「んっんっんっ!」

ドラゴン野郎は、男性の制止が気に喰わない調子の声をあげる。そして、柔道の背負い投げっぽい動作で、その男性を勢いよく投げ飛ばす……。男性は、隣りの車両まで飛距離を伸ばし、汚い床に顔面から着地してみせた。気絶したのか打ち所が悪かったのか、男性はそこでうつ伏せになったまま、声を上げずに動かない。あれぐらいでは死なないはずだ、そう願う私……。



______________________________



 ドラゴン野郎は、幸か不幸かは別として、男性への追い打ちではなく、ジジイへの攻撃に戻った。彼はジジイの首元を両手で掴み、その頭を前後に揺らしまくる。ジジイのジャガイモみたいな頭が、後ろの車窓に何度もぶつかっていく。意外とまだ固いらしく、車窓にヒビが入り始めた。ジジイの頭蓋骨のほうにも、ヒビがもう入り始めているだろうね。

 「ガンッ!」とか「バリィ!」といったスリリングな音が、車内に何度も響き渡る。他の人々は、顔を背けたり寝たふりをして、このひとときをやり過ごしていた……。まあ私も坂本君も、さっきの正義感付き男性のような目には遭いたくないから、このままやり過ごたいけどね……。

 幸いなことに、ジジイは気絶か絶命をしていたので、助けを求める叫び声を聞かずには済んだ。これなら、後で湧く罪悪感は抑えめだろうね。それに元はといえば、席を横取りしたあのジジイが悪いんだし。

「ジングルベール♪ ジングルベール♪」

よほど興奮しているらしく、ドラゴン野郎はBGMを歌い始めた……。


 ヒビだらけの窓が明るくなる。電車が駅へ入ったのだ。ホームにいる人々が、何事かという表情を向けてくる。そりゃあ、いくら電車内とはいえ、こんな異変には気づくはずだ。ジジイが窓に何度も頭突きしているような光景だからね……。

『右側のドアが開きます』

ガラスが砕ける音に重なる形で、車内アナウンスが流れる。いつも通りなので、車掌はここでの事に気づいてないらしい。まあ、クリスマスパーティーの予定がある私と坂本君にとっては、そのほうがありがたい。事情の説明をさせられたせいで、パーティーに遅刻なんてマズイからね……。

 電車が駅に半分ほど入ったとき、窓がついに割れ、ジジイの頭が外へ飛び出す。すっかり血まみれだけど、頭蓋骨は割れずに原型を保っている。だけど、赤く染まったその頭からは、もはや生気を感じられない……。割れた窓から車体外側へ鮮血が流れ、地下鉄名城線の紫色ラインを赤紫色へ変えていった。ドラゴン野郎は窓が割れたにも関わらず、揺さぶり続けており、ジジイの頭がカッコウ時計のように動いている。血が飛び、ホームに赤い筋を何本も引いていった。

 このままだと、ホームの人々が駅員に伝えるのは時間の問題だ。彼らが伝えなくても、駅の監視カメラに映るはず。

 そのため、ドアが開くのと同時に、私と坂本君が電車から駆け降り降車したのは、当たり前の行動だった。駆け込み乗車じゃないから、ノープロブレムだもんね!


 改札機にマナカを叩きつけ、地上への階段を駆け上がる私。坂本君は、サッカー部で鍛えた足腰を自慢するかの如く、先へドンドン進んでいく。対抗心がつい沸き上がり、私は両足に力をこめた。

 こんな全力疾走は、高校生になって以来何度目の事だろうか。高山さん主催のクリスマスパーティーはこれからなのに、この有り様では、一日が終わる頃にはどういう有り様なんだろうね……。



______________________________



 地下鉄駅から地上へ出た私と坂本君。すぐ近くの交差点一帯は、比較的穏やかな喧騒で、普段と変わりなかった。まだ地下鉄での惨事は伝わっていないらしい。だけどもう少しすると、パトカーや救急車で、この交差点は混乱に陥るはずだ。帰りがバスのクラスメートがいたら、渋滞に巻き込まれて大変だろうね……。


 交差点や通りを離れ、高山さんの家もある住宅街へ入る。ここら辺一帯は、豪華な一戸建てがビッシリと建ち並ぶ高級住宅街だ。昭和区は古臭い所だけど、何かと喧騒が付き物の地上駅が無いこともあって、静かで落ち着いた感じの高級住宅街が多い。まあ買い物では、不便かつ不経済に苦しめられているという。これは、高山さんが以前話していたことだ。

「栄のトラック暴走のことだけどさ。ああいう事件は、こういう所で起こしてほしかったよねー。みんなにお金が行き渡るから、景気対策にもなるだろうしさ」

坂本君がまた、とんでもないことを言い出したよ……。そりゃあ、消費する人数が増えるから、景気対策にはなるけど。

「いくらトラックでも、こんな高い壁は壊せないでしょ? 門は頑丈そうだし」

他の話題は浮かばなかったので、彼の話に付き合うことにした私。男を立てる立派な女だねうん。

「何も絶対壊さなきゃいけないわけじゃないじゃん? 中に入れて、中の人をなんとかしちゃえば解決する話なんだからさ?」

「まあそうだけど……。でも、カメラもあるし、警報が鳴れば、警備員とかが来るんじゃない?」

すぐそこの立派な家の門にも、監視カメラが設置され、警備会社のシールが貼ってあるぐらいだ。物々しさを感じちゃうね。

「高い壁はいざという時に逃げられなくなる。セキュリティーシステムは、停電すれば全滅。もちろん、防犯カメラもね」

「停電が起きれば、それこそ警備員が来るじゃん?」

ウチのマンションにも、ときどき警備員が来ている。ブレーカーが落ちると、マンションの警報が作動してしまうのだ。

「いざというときに、警備員が役に立つと思う? ついこのあいだも、キチガイの底辺男一人をなんとかできなかったろ?」

ああ、仲間割れみたいな嫌な事件だったね。

「それなら、守りに徹するしかないのかな? パニックルームとかいう部屋にこもってさ」

「それが一番現実的だろうね。だけど、核シェルターみたいなガッチリとした場所じゃないと、放火されたらゲームオーバーだけど」

「ただ、家を荒らされちゃうのはツライよね……」

「強盗対策に保険がかけてあるはずだから、実際の損害は少しで済むさ。それに、盗まれるのは金目の物ばかりで、アルバムとかをわざわざ盗むやつはいないって」

それもそうだね。有名人の物ならともかく、重い卒業アルバムを盗んでも売れないだろうから……。



______________________________



 するとお金持ちは、お金よりも命を大事にしていることになるね。いや、お金に余裕があるから、命を大事にする余裕があるだけかな?

 それを考え始めたところで、高山さんの家が前方に見えてきた。家の前には既に、クラスメートが半数ぐらい集まっていた。腕時計を見る。集合時刻までは時間が十分にある。

 こんなに余裕を持って、到着できたのは久しぶりだ。クラスメートたちも、久々に感じているらしく、私や坂本君を物珍し気に見てきた。「時間にルーズなカップル」と、しっかり思われているからね……。

 今日はもう嫌な事は起きてほしくないので、これが良い前兆であることを、精一杯願う私。


 ところが、あの駅の方向から、パトカーや救急車のサイレンが聞こえてきた。私の恐怖心を煽るかの如く、音が私の耳に突入してくる……。感じたばかりの前兆が、一瞬でどこかへ消し飛ばされた。



 集合時刻のきっかり1分前。高山さんが、家の大きな門を開け放ち、集合済みの私たちの前へ現れた。表面が胴で覆われた鉄柵の門で、向こう側はお庭だ。整然とした芝生や立派な木々が、その広い庭で雄大さを誇示している。クラスメートの何人かが、彼女の背後に広がる立派な庭を見て、驚嘆の表情を浮かべる。まあ、そのうちの何人か(中途半端な小金持ち)の表情には、嫉妬も含まれていたけどね。

 実は、私が彼女の家にお邪魔するのは、今回が初めてだ。だから、驚嘆や嫉妬を感じてもおかしくない。しかし、私の脳が「その感情を使うのは後にしろ」と告げているようだ。彼女への警戒で、無邪気に過ごすなんて無理らしい。ただでさえ普通に暮らせないのに、これは辛いね……。


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