【第14章】
――結局、高山さんと仲直りできないまま、二学期が終わり、夏休みも虚しく過ぎ去ってしまった。そして今は、二学期の始めの一ヶ月が終わろうとしている頃だ。
アメリカとロシアに攻めこまれたドイツが、無条件降伏へ先週追いこまれた。今は「人類に対する罪」とかで、偉い人が次々に裁かれる最中とのこと。
時の流れには、普通の人だろうと、発達障害の人だろうと、偉そうな独裁者だろうと、逆らえない。時に流されつつ、何かの行動を起こすというわけだ。私も時に流されつつ、仲直りするための行動を何度も起こしていた。何もしてなかったわけではない。
勇気を振り絞り、夏休み中に何回か、高山さんを遊びに誘った。映画や買い物にね。ただし、坂本君は抜きでだ。これなら大丈夫だろうと、私は期待した。
けど、すべて断わられてしまった。それも、友達同士の口調じゃなくて、他人行儀の堅苦しい口調でだ……。もう彼女は、私と坂本君を友達だと思ってないかもしれない。そう考えた途端、悲壮感に包まれる。とはいえ、私が先に、こんな悲しさを彼女に与えてしまったのだから、彼女を責めてはいけないね。
「断わられるに決まってるじゃん!」
坂本君は呆れ笑いを浮かべていた。イラッときた私。
ある日の放課後、学校帰りの私と坂本君は、喫茶店のコメダに寄っていた。テーブルには、私のホットコーヒーと彼のアイスコーヒー。彼はどちらかというと暑がりだからね。
「だけど、せっかくの大事な夏休みじゃない。楽しい思い出をつくりたかったんだよ」
無駄な過ごし方をしてしまったと、私は改めて悔しさを抱く。
「高山とは仲直りできないって。それに彼女は、危険なことにやってるんだろ?」
「それも理由だよ。友達なら止めるべきでしょ?」
「……友達じゃないことにしたほうがいいよ。巻き添え喰らいたくないし」
「そんな冷たいこと言わないで!」
声がつい大きくなってしまい、隣のテーブル席にいる老婆たちがチラ見してきた。しかし、声の勢いはそのまま続く。
「こうなったら、あの仕事場に直接乗り込んで、説得するしかないね!」
そう言い切ると、坂本君は目を丸くして驚いていた。
「……マジで言ってる? 最悪のアウェーで、あの仕事場の誰かに刺されたって、ボクは全然驚かないよ?」
「マジのマジだよ! 私は一人でも行くからね!」
思わずそう言い切った私は、席から立ち上がり、伝票を手にレジへスタスタと向かう。その勢いのまま、会計を済ませる私。坂本君の分も払うことになるけど、これは恩を無理やり着せる狙いなんだよね。彼は男として、すぐにこの恩を返そうと動くだろう。今回は、私の付き添いとして返してくれるはずだ。
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「しかし、森村さんはアクティブだね」
褒め言葉か嫌味なのか、坂本君はそう言ってきた。
私と坂本君は、金山駅の広い吹き抜けを歩いていた。この駅は、名鉄やJRへの乗換駅でもあるので、多くの人々が行きかっていた。
そして、この駅は、あの仕事場の最寄り駅でもある。高山さんといっしょに歩いていた頃が懐かしく思えるね。今の時間帯は勤務中だから、高山さんや仕事場の人に遭遇してしまうことはまずない。それでも自然と、目をきょろきょろさせちゃう私。高山さんたちだけでなく、不穏なキチガイにも気をつけないとね……。
そして、あの仕事場が入る雑居ビルの前まで来た私たち。以前から知っていたけど、この辺りは閑静な建物ばかりで、車や人の通りが少ない。通り過ぎる風音と夕焼けのオレンジ色が、西部劇みたいな雰囲気を醸し出している。
「明かりがついてないから、休みなんじゃないの?」
少しでも早く帰る口実を見つけたいのか、坂本君は目ざとくそれを発見した。確かに、仕事場の窓は暗く、窓際の電灯は消えている。
「節電で消してるかもしれないじゃん。ほら行くよ」
恥ずかしいけど、私は坂本君の手を引っ張りつつ、雑居ビルへ入る。
「危なくなったら、すぐ逃げような?」
「わかってるって。もう4回目だよ、それ言うの」
「ギリギリまで粘るのはやめろよ? 向こうが武器を手にした時点でもうアウトだよ?」
今日の坂本君はずいぶん慎重だね……。サッカー部員とは思えない。まあ、私が無謀なだけかもしれないけど。
古臭いエレベーターのドアが開く。中は相変わらず薄暗く、こっちの気分まで暗くなりそうだ。
「えっ、あれ? どういうことコレ?」
「いつの間にか終わってたみたいだな。それか、どっかに移動したか」
あの仕事場だった部屋は、空室の状態になっていた……。出入口のドアの前に来た時点で、人気がまったくないので、やっぱり休みだったのかと思った。鍵がかかっていなかったので、私はコソッと中をのぞいてみた。
すると、今日は休みというわけではなく、もう撤収済みで空室という状態だと気がついたわけだ……。
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私と坂本君は、ガランとした寂しさを感じるその部屋を、ウロウロと歩き回っていた。壁際には、パイプ式の机とイスが積み上げられている。
「埃が積もってるね。つい最近じゃなくて、けっこう前にここを去ったみたいだよ」
「高山さん、教えてくれてもよかったのに……」
そう言ったものの、自分からここを辞めた身だから、彼女を責める資格は無いね……。
「どうする? 高山に今どこにいるか聞く?」
スマホでラインを起動させる坂本君。
「……いや、高山さんじゃなくて、Iさんのほうが安全だと思う」
「なんでさ? アイツのこと、ボクらよく知らないじゃん?」
「いや、このあいだ以外でも、いろいろ教えてくれたんだよ LINEでやり取りしてね」
「え!? そんなことしてたのかよ!?」
嬉しくなさそうな坂本君。焼き餅かな?
ガチャリ
そのとき、出入口のドアが開いた……。二人のスーツ姿の男性がいて、先客である私と坂本君に驚いていた。もちろん、私たちも驚かされたよ。なにしろ、若い刑事さんと初老刑事のあの二人組だからね……。刑事さんたちは、がらんとした部屋を見回した後、ため息をついた。どうやら、刑事さんたちも、ここに用があったらしい。
「なんで君たちがここに?」
若い刑事が尋ねてきた。よくある話だけど、それは私も尋ねたいことだ。
「友達に会いにきただけだよ。ここにはいないけどさ」
そう答えた坂本君。
「……その友達ってのは、高山という女の子だろ? それに今は『元友達』じゃないのか?」
初老刑事が、嫌味ったらしく言ってきた……。ウザいけど、ここは耐えてね坂本君?
「アンタらの基準ではそうなるかもだけど、ボクらの基準ではまだ友達だよ。そんじゃ、お仕事がんばってくださいね」
坂本君はそう言うと、刑事さんたちの間を通り、出入口のドアへ向かう。すぐに彼を追う私。こんなところでこんな人たちとの長居は、無用中の無用だね。
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「おい待ちな! お前らは不法侵入をしてるんだぞ?」
初老刑事がそう言って、坂本君の右肩を掴んだ。めんどくさそうに立ち止まる坂本君。
「悪いけど、君もだよ?」
若い刑事が、私の行く手に立ちはだかる。ガチで厄介なことになりそうだね。
とはいえ、私たちは友達に会うために、この部屋に入ったに過ぎない。ややこしい案件を嫌う警察が、わざわざこんな複雑でしょぼい罪で逮捕するとは思えない。脅しで言っているんだろうね。
「……情報提供してほしいだけでしょ? 別に、このまま捕まってあげてもいいけどさ?」
精神障害者手帳があるから、坂本君は強気でいられるんだろうけど、私はそれでも嫌だね……。
「しょうがねえな。いくつか教えてくれたら、この件は見逃してやるよ」
司法取引の一種が成立したようだ。Iからいろいろ聞き出しておいてよかった。口止めはされてないから、話しても大丈夫だろう。まあ、そう思いたいね……。
「……まさか、おまえのつまらん予想が当たっちまうとは」
初老刑事が苦々しそうに、若い刑事に言った。薄汚いメモ帳を、ズボンのポケットへしまう彼。どうやら、彼らも一応刑事なので、私たちが話した内容は想定内のことだったようだ。信じてもらえないかもと思いながら話していたものだから、彼らの反応にひとまずは安心だ。
「それで、おまえらはどうしたいんだ? 出方によっては、署まで同行してもらうつもりんだが?」
「おいおい! 見逃す約束だったじゃんか!?」
当然反発する坂本君。もちろん、私も反発しないわけにはいかないね。
「ちょっとちょっと! この子たちは、危険なのに話してくれたんですよ!」
若い刑事がそう言ってくれた。幸い、初老刑事は苦々しい表情をしつつ、私たちの連行を諦めてくれたようだ。
とはいえ、彼ら警察が危険だという話をしてしまったわけなので、不安がこみ上げてくる。Iが話してくれた、高山さんたちの企みは、いったいどれほど大きく恐ろしいんだろう……。
「わかったわかった、約束は守ってやるよ! だが、命までは守ってやれるかわからないからな?」
初老刑事はそう言うと、回れ右をして、廊下へのドアへ向かう。
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キィー
そのとき、ドアが静かに開いた。私たちもしたような普通の開き方だけど、なぜか不気味な感じに聞こえた。
「あらあら? いかにも意味ありげな組み合わせじゃない?」
ドアを開けた人物が、冷たい口調でそう言った。
そこに立っていたのは、私よりも1つか2つ年下の少女だった。服装は、私よりも派手な色合いの私服で、この暗雲めいた場ではさらに目立っている。ミニスカートとニーソックスによる絶対領域のおかげで、小柄ながらも可愛い。
「こいつらの友達か? それなら少し話を聞かせてもらうぞ?」
ズボンからメモ帳を取り出す初老刑事。
いやこの少女は、友達でも恋敵でもなんでもない。学校やこの仕事場で見かけたこともなく、完全に初対面の女の子だ……。
「友達? 全然違うんだけど?」
少女はそう言うと、ミニスカートの中を両手で探り始めた……。両足の太ももに何かを隠し持っているようだけど、ミニスカートの左右の裾を持ち上げたため、パンツが見えそうだ……。
「おおっ!」
坂本君が嬉しそうな声を上げたため、私は彼を睨みつける。
「悪いけど、見えないようにするコツはあるのよ?」
彼女はそう言った後、ミニスカートからお目当ての物を取り出してみせた。
彼女の両手には、同じ黒いピストルがそれぞれ握られていた。小柄な彼女でも扱えそうな大きさだ。名前はわからないけど、ガッチリとした雰囲気を漂わせている……。
「おいこら!! それはおもちゃじゃないだろ!!」
身構える初老刑事。どうやら本物らしい。どうやら、今度の災厄の主役は、二丁ピストル使いの美少女というわけだね……。そのまんまだけど、『ガンガール』と名付けよう。
とはいえ、チェーンソー男に襲われたことのある身だから、危機感はなかなか湧いてこない。これは「異常」ではなく、「正常」な状況に思えるよ……。
「さすが、すぐにわかるんだね!」
彼女は感嘆しつつ、両手のピストルを初老刑事に向ける。冗談ではなく本気の構え方なのは、彼女が殺気をムンムンと放っているからだ。私たち全員を殺す予定なんだろう。
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「こいつ!!」
初老刑事は、ガンガールに勢いよく飛びかかった。ピストルを向けられているのに、勇敢なおじさんだね。
「ちょ、うわ!」
彼女は油断していたらしく、彼にのしかかられ、そのまま仰向けに倒れた。彼女のピストルが床に当たり、金属音が鳴り響く。とはいえ、彼女は2丁のピストルをしっかり握ったままだ。身長はともかく、握力は私より上だろう。
「何すんのよ!! どけよ!!」
すっかりブチ切れた様子で、暴れるガンガール。
「動くな! 銃から手を離せ!」
初老刑事は彼女にのしかかりながら、彼女の両手からピストルを引き剥がそうとする。それに必死で抵抗している彼女。
パンッパンッ!! パンッパンッ!!
揉み合いの拍子か、暴発したのか、ガンガールの2丁のピストルが次々に火を吹く。流れ弾が、壁や天井に穴を開けていった。古い建材の欠片や粉塵が舞う。
「もういいから逃げなさい!」
若い刑事は、私たちにそれだけ言うと、初老刑事の手助けへ向かう。また1発の銃弾が放たれ、天井に穴をこしらえた。流れ弾に当たって死ぬなんて嫌だね。
「行こう!」
坂本君が私の手を引き、揉み合う刑事二人とガンガールの脇を通り過ぎる。そして、エレベーターを待たずに、階段を駆け下りることにした私たち。ステップを打つ音が、うるさく鳴り響く。
「離れろ離れろ!! おとなしく私に殺されるのよ!!」
「頭がおかしいのかこいつは!?」
「それは確かでしょうね! でもそれだけじゃないのも確かでしょう!」
階段の上から、揉み合い続ける3人の声が何度も聞こえてくる。なかなか決着がつかないようだ。
大人の男二人に抵抗し続けられるとは、彼女はかなり強いらしい。ハリウッド映画のキャラクターみたいだね。もし彼女が勝てば、私たちは間違いなく追いかけられる。そして、刑事二人の後を追う形で殺されるわけだ……。
運が良ければ、明日の朝刊に「死者4人」と書いてもらえる。だけど、その記事を私がこの世で読むことはできない。高山さんとの仲直りも、真相の究明もできずに、この世から脱出するわけだね……。
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五階から一階まで、必死に階段を駆け下りた私たち。入ってきたときと同じく、一階や外は静かなままだ。しかし、頭上の五階からは、いまだに喧騒を物語る銃声と揉み合う声が聞こえてくる。まだのんびりと構えるわけにはいかない。一刻も早く、ここから逃げるのだ。
エントランスから外へ出た。日没直前のため、周囲は薄暗かった。金山駅や線路のほうから、JR列車が走る音が寂しく聞こえてくる。建ち並ぶ雑居ビルや古臭いマンションは、閑静な雰囲気を相変わらず醸し出している
「近くにタクシーでもいればな……」
必要なときに限って、近くにいてくれないのがタクシーだ……。とはいえ、この辺りは以前から、車の通行自体が少ない。駅までひたすら走ることが最善策だね。
タァーーーン!!
尾を引く破裂音が鳴った。たまたま観ていた戦争映画の記憶から、その音の正体は、狙撃銃による銃声だとすぐに察することができた。察したと同時に、道路のすぐ目の前で、アスファルトが砕けた。銃弾が命中したのだ。黒い粉末とともに、細かい金属片が辺りに飛び散る。
「ヤバいヤバい!」
銃弾を放った人が、私たちを狙い撃ちしてるのは明らかだ。必死の形相を恥じることなく、以前からずっと停まっているワンボックスカーの物陰に飛び込んだ。制服のスカートがだらしなく翻ったけど、パンチラなど気にしてる場合じゃない。
銃撃から、その「スナイパー」が、どの方向にいるのかはだいたいわかった。だけど、わかったのは方向だけで、そのスナイパーの姿は見つけられていない。おまけに、スナイパーは複数いるかもしれないのだ……。
また銃撃、道路上を跳ねる銃弾。ワンボックスカーのそばから、一歩も身動きできない私たち。暗くなるまで待てば、逃げ切れるかもしれないけど、先ほどのガンガールのこともあるから、長居は危険だ。それに、スナイパーが移動し始めた場合を考えると……。
周囲をそっと素早く見たが、誰かが通りがかってくれる気配は無い。とはいえ、その人も巻き添えになるだけだろうけど……。
初めてで緊張するし、さらなる面倒事になるのは確実だけど、スマホで110番通報するしかなさそうだね。……と思ったら、坂本君がもうスマホを耳に当てていた。幸い、ピザの注文などではなく、110番通報をしてくれているようだ。思い切った行動ができることは、彼の長所として認めてあげようかな?
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「ああもう、ダメだダメ! パンクしてる」
舌打ちと同時に、スマホをしまう坂本君。
「繋がらないなんて事あるの?」
「くだらないことで通報するバカが多いからだよ! 他力本願な奴や、他人の足を引っ張りたい奴が多いからさ!」
ここは自力でなんとかするしかないようだね。最後に頼れるのは、自分自身というわけだ。
……ふと気がつけば、あの雑居ビルからは、銃声も何も聞こえてこなくなっている。たぶん決着がついたことを意味するけど、もしガンガールの勝利なら、さらに悪い状況に陥ったことになる。ピストルに撃たれるか、もっと大きな銃に撃たれるかのどちらかだ……。どちらにしても、長時間苦しみながら死ぬのはゴメンだね。
「なんでボクらが殺されなきゃいけないんだ!? わけありな場所とはいえ、ちょっと入っちゃっただけなのに!?」
愚痴を口走る坂本君。私だって、それを愚痴りたいよ。
あの刑事たちが襲われるなら、まだ理解できる話だ。けど私たちは、まだ高校生でしかない。確かに、好奇心から詮索はしていた。とはいえ、こんな強烈な排除をわざわざやってくれなくても、警告という手段を事前にしてくれてもいいじゃないか?
……そこでふと予想が浮かぶ。希望的観測の域を脱しないのは認めるけど、この予想が正しければ、この危機から逃げられるはずだ。
「ねぇ、坂本君。障害者手帳を持ってきてる?」
「えっ? それなら財布にあるけど……。いざというときに使えるように、いつも持ち歩いているからさ」
よかった。まさに今が、そのいざというときなんだよね。彼もまた、この危機から逃げられそうだ。
「えいっ!」
私は思わず声を出す形で、精神障害者手帳を右手で高々と掲げた。手帳と右手は位置的に、スナイパーが狙い撃ちできるところにある。それはまた、スナイパーから見えることを意味するのだ。
「お、おい! 何やってんだよ!」
「坂本君も同じことをして!」
慌てる坂本君に、私は言った。彼は半信半疑だったけど、私と同じように、右手で精神障害者手帳を掲げる。
これで私たちのことを、スナイパーが知ってくれたはずだ。私の予想が正しければ、スナイパーはもう何もしてこないはず……。
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「…………」
「…………」
精神障害者手帳の掲揚を、私たちはしばらく続けていた。腕時計をチラ見して、5分ちょっと経っていることを把握する。
これ以上続けても、予想の当たり外れには無関係だろう。それに、帰宅時間が遅くなったらなったで、面倒なことになる。
「坂本君、駅までゆっくり歩いて帰るよ?」
「はぁ?」
間抜けな声を上げる坂本君を尻目に、ワンボックスカーの物陰から出る私。見通しのよい道路を堂々と歩き、最寄り駅へ向かう。普段通りの歩き方をなんとか意識した。ぎこちなさはあるけど、今はこの歩き方が安全だ。
「あれ? 何もしてこないな?」
坂本君の言う通りだった。余裕で狙い撃ちできるはずのスナイパーが何もしてこないのだ。さっきまでのしつこい牽制射撃からして、諦めてくれた可能性は低い。
どうやら、私の予想が見事的中したようだね。あのスナイパーは、私たちがターゲットでないことを把握し、攻撃をただちに止めてくれたのだ。そうとしか考えられない。
少しずつだけど確実に、あの現場から遠ざかることができている。坂本君は安全を把握すると、私の後ろについて歩いている。私の歩き方を意識して、ゆっくりとした足取りだ。せっかちな彼にとっては、歩きづらいだろうね。
「おい、歩きながらでもいいから、説明してくれよ?」
口や脳はせっかちなままらしい。
「私たちを狙っている人は最初、私たちが敵だと思ったんだよ。あの刑事たちの仲間だとね。もしくは、目撃者を出したくないか」
「それならなんで、手帳を見せた途端、撃ってこなくなったんだよ? かわいそうだと思ってくれたのか?」
彼は、自分を哀れむような口調で言った。
「ビルで襲ってきた女の子もだけど、狙い撃ちしてきた人は、高山さんがいる組織の人間だよきっと。だから、精神障害者手帳を持つ私たちを殺すのを止めたということ」
「……でもそれって、ただの予想だよな? 裏切り者扱いされて、そのまま殺されることだってありえたろ?」
彼の口調には、震えが少し混じっている。悪いけど、予想の中でも希望的な予想だといえるね……。でも、うまくいっているのだから、これでいいじゃないか?
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バァァァーーーン!!
背後で突如、弾けるような爆発音が鳴り響いた。驚いて振り向く前に、爆風の一撃が背中にぶつかってきた。破片が飛び散る音が、私たちのすぐ足元でも鳴る。幸い、かすり傷も負わずにすんだ。
「うわぁ。まるで映画だな」
どこか楽しげな口調で坂本君が言った……。
あのビルのあのフロアが、爆発と火災で盛大な装いを見せてくれていた……。ダークグレーの煙が、ひしゃげた枠が残る窓から空へ、モクモクと上がっていく。これほどの状況なら、119番通報しなくても、消防車が次々に駆けつけてくるだろう。あの二人の刑事とガンガールがどうなったのかなんて、ここからではさっぱりわからない。ただ、突然ガス爆発が起こるほど古くはないビルだから、誰かが爆発を起こしたのはほぼ確実だね。
いい思い出が残っているわけではないから、爆破されたことにショックは感じない。とはいえ、手掛かりが台無しになったことには違いないから、じきに悔しさを実感するだろうね。
「あの女、ロケットランチャーでも持ってたのかな?」
爆発の原因なんて全然わからないのに、彼は勝手に感心していた。
「……今はこのまま逃げようよ」
「そうだね。あの爆発のせいでさらに気が狂って、見境なしに撃ちまくり始められたら困るもんな」
まだここは、爆風を背中に受けるぐらいの位置なのだ。スナイパーからは余裕で狙い撃ちできると思う。
少しでも離れたくて、自然と足取りが早くなる。だけど、全力疾走なんてしたら、どこかにいるかもしれないスナイパーに怪しまれることは確実だ。殺されはしなくても、逃げさせまいと、足めがけて撃ってくることは十分に考えられる。
「早く歩けよ」
背中のすぐ後ろから、坂本君の急かす声が聞こえる。やっぱり、せっかちなんだね……。
「急いだら危ないって、慎重に慎重にだよ」
私がそう言うと、仕方なしに足取りを遅くする彼。それでいいんだよ。できるなら、いつもそのスピードを維持してほしいものだね。
金山駅の駅前広場に到着した私たち。周囲には多くの人々。だけど、まだ油断禁物だ。面倒事を覚悟で、撃ちまくってくる可能性もある。「考えすぎだよ」と坂本君は苦笑いを浮かべたものの、彼は足取りを遅くしなかった。彼も私と同じように、それなりに強烈な恐怖心を抱いているんだろうね……。
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エスカレーターで地下鉄へ下りているときも、緊張はまだ解けなかった。背後が気になり、チラチラと何度も振り向いた。たまたま、エスカレーターの上に、ミニスカート姿の女性(私よりもブスだと思う)がいて、坂本君の視線を気にしていた……。
人混みの中で、地下鉄のコンコースを歩いていると、ようやく緊張が解けてきた。自然と繰り返される深呼吸。ずっと素潜りしていたような荒い息遣いだ。
「少し休ませて」
坂本君はそう言うと、自販機コーナーのベンチに腰を下ろす。長引いた緊張感で疲れ果てているらしく、深々と呼吸していた。同じような私も休ませてもらうよ。水筒は空のはずだから、自販機でいろはすでも買おっと。
水で喉を潤しつつ、坂本君の横に座った。コンコースを行き交う人々の中に、怪しい人はいない。とりあえず助かったみたいだね。
「……なぁ、森村」
坂本君は呼吸が落ち着くと、声をかけてきた。真剣な口調だけど、疲労感は隠せていない。
「高山のことは諦めよう!」
彼は強い口調でそう言った……。これ以上の面倒事に巻き込まれるのは、絶対にごめんだという様子だ。
「そ、そんな……。ううっ……」
彼に反論しようとしたものの、言葉が全然思い浮かばない。というか、まるで声を発することができなくなったみたいだ。
私の中の生存本能が、彼への反論を防いでいるのかな? もしくは、これは実際の本音なのかもしれない。高山さんのことを大切に思いつつ、心のどこかで彼女から離れたいと思っているのだ。この感覚も、二重人格の定義に含まれそうだ。
「もう危険だけど、これ以上はさらに危険だ。森村さんを守りたい気持ちが、無くなったわけじゃないよ。だけど、その気持ちがいくら強いものでも、飛んでくる銃弾を弾き返せないだろ?」
「わ、私一人でも……」
別に坂本君抜きでも、これは続けられることだ。とはいえ、今まで巻き込まれた騒動から思い浮かぶ恐怖心が、私の自立を妨害してくる。おまけに今は、ついさっき撃ち殺されかけた状況なのだから……。
「いやいや、おまえ一人なんて絶対ダメだよ! 絶対許さないよ!」
おまえ呼びは、これがたぶん初めてだ。なんかドキッと感じるものがあったけど、今は恋愛を楽しめる状況ではないからね……。
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「ボクはおまえを守る! だから、危険な目にこれ以上遭わせるわけにはいかないよ!」
坂本君はそう言うと、私の肩に両手をドカンと強めに置いた。
「そんな強引な!」
「偉そうで悪いけどお願い!! お願いだから、これ以上はもうやめてくれよ!!」
坂本君は声を荒げる。彼の必死さが、勢いよく私にぶつかってきた。ここまでの強い意志で守ってもらえるなんて、罪悪感が浮かんできちゃうね……。
「……わかったよ」
坂本君の思いを受け入れることにした私。仕方なく納得したとはいえ、心が急に楽になった。ズシリと乗っていた重い岩が、一瞬で消え去ったような感覚だね。
高山さんとの仲直りや、真相の究明を諦めた理由は、彼の説得によるものもあるけど、自分の中で楽になりたい気持ちがあったからだろうね。「楽になりたかったから」だとすると、これから自己嫌悪に陥ってしまう。だから私はすぐに、「やるべきことはやった!」と、自分自身を納得させた。
ネガティブに陥るのを防ぐため、馬力を持って奮起する私の脳。グワングワンとした感覚を、頭から乱暴に受け入れる。
これでいいんだ! 実際に私は、リスクを犯し、精一杯努力したじゃないか! もうこれでいいじゃん! 諦めてもおかしくないじゃないか!
高山さんと仲直りできないのは残念だけど、これからの長い人生を考えれば、こんなことはよくあること! そもそも、私が何か悪い事をしたわけじゃないじゃない!
真相の究明? わざわざそんなことしたって、何か得をするわけでもない。好奇心からくるただの自己満足だ。
……脳内に浮かびつつあった自己嫌悪感は、これですっかり一掃された。これからは、移りゆく世の流れに身を任せればいい。下手に悪あがきをしないほうが、自分のためになる確率が高そうだ。なにしろ私は、安全に暮らせる側の人間なんだからね。自分自身のことを考えれば、見て見ぬフリをしても仕方ないじゃないか!
とはいえ、好奇心や罪悪感は、これから何度も湧くだろうね。とりあえず今は、ひたすら自分を納得させるしかない。私はまだ高校生で一人の人間だ。それから、発達障害という重荷を背負っている……。
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「じゃあ帰ろっ! もう夜だからねっ!」
私はわざと元気な声を出して、坂本君を納得させた。彼にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
彼とともに、世の流れに身を任せられる時点で、私は幸せ者だ。それなのに余計な事をして、これを壊すなんて異常な行動じゃないか!
もうこれでいい! これでいいんだ!




