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正常な世界にて  作者: やまさん(発達障害者)
10/52

【第10章】

 ――時は流れて、翌年の春。街の桜は、花びらを地面に撒き散らしている。


 私は高校二年生になり、精神障害者手帳を取得していた。よほどのバカでない限り、二年生に上がるのは簡単なことだ。でも、手帳を取得することは、けっこう面倒な事だらけだったね……。

 坂本君がアドバイスしてくれたので、なんとか取得までこぎつけられた。あの仕事場を辞めた件があるから、高山さんには助けを求めづらかった……。彼女には、手帳の申請と取得についての報告をしただけだ。


 両親には、精神障害者手帳の取得ではなく、自立支援医療制度の利用ということにしておいた……。お金を節約するためだと、うまく言いくるめられたのは幸いだった。名古屋人はケチだから、お金の扱いにはうるさい。もしバレたらどうしようかと、申請から取得のまでの日々は、ドキドキだった。でもまあ、こうして取得さえしてしまえば、こっちのものだからね。なので、今は少し安心できている。

 いずれ、両親に話すつもりだけど、手帳を持っていることにより、どういう「特典」を得られるかということについて、よく調べておかないとね。


 ……そうそう、年明けに、坂本君と高山さんとで初詣に行ったよ。幸い、何事も起きずに初詣のイベントは終わった。周りにいた仲良しグループと、同じような調子だったという意味ね。高山さんは、いつもの表情と口調で私と坂本君に接してくれた。だけど、あの仕事場の窓からじっと、私と彼を見つめていた彼女を、どうしても思い出してしまう……。




「悪い! ちょっとユニクロに寄らせて!」

坂本君が、私と高山さんに懇願する。

 私たちが今いるのは、栄のパルコだ。学校帰りに、服を買いに寄ったのだ。坂本君はファッションに細かいところがあるらしく、女性の私たちよりも買い物に時間がかかっていた……。まあ、私も出かけ間際に、服装決めで戸惑ることがあるので、文句は言えないけどね。

「いい色してる無地の靴下が、どうしても見つからなくてさ……」

彼の懇願に負け、私と高山さんはもうしばらく付き合うことにした。まあ今日は、学校がいつもより早く終わった日だから、時間の余裕はまだある。



______________________________



「よかったよかった♪」

何足かの靴下を持ち、嬉しそうな坂本君。ようやく、こだわりの色のやつが見つかったようだ。彼はスキップでもするかのように、レジへ向かっていく。可愛いけど、まるで小学生だね……。


「いらっさいましぇ!」

レジにいた店員は、どうやら軽い知的障害を持っているらしい女性だった。独特な顔つきがそうだと告げている。

「ブラックだけど、ユニクロは障害者雇用に積極的だって聞いたよ。ブラックだけど」

会計を終えた坂本君が、小声で教えてくれた。とはいえ、ブラック企業の罪滅ぼしとして、障害者雇用されるのはちょっとね……。


 買い物が一通り終わったところで私は、自分のおごりで喫茶店に行くことを提案する。

「いいの? 服を買ったし、お金は足りるの?」

失礼な。お金の管理はちゃんとしているつもりだ。

「大丈夫だよ。手帳を取るまでに、いろいろお世話になったから、そのお礼をさせて」

私たちは、栄の地下街へ降り、空いている喫茶店を探す。



 夕食の時間帯だったため、混んでいる店はレストランばかりだ。なので、意外と早く喫茶店の席につくことができた。でも今に満席になるだろう。

「アイスコーヒーを三つ、お願いします」

「ハイアルヨ!」

ウェイターは、中国人の若い男だった。よくある変な日本語を話すらしいね……。

「障害者手帳を取れて良かったね。坂本君じゃなくて私を頼ってくれればよかったのに」

「でも高山さん、あのバイトで忙しそうだし……」

辞めた身である私は、罪悪感を感じる。

「大丈夫大丈夫。それに、最近は少し楽になってきたし」

仕事が減ったということはつまり、犠牲になる人が減ってきたということかな? このままゼロまで減ってくれることを願うよ……。


「おいおい、あそこのおっさんを見てみろよ?」

坂本君は小声でそう話すと、アゴでその方向を示した。

 田舎者丸出しのおじさんでもいるのかと思ったけど、そんな感じの人はどこにもいない。男性客の多くはノートパソコンを開き、女性客の多くは本を開いている。よくある喫茶店の光景だ。



______________________________



「一番奥の柱近くにいるおっさんのことさ。アイツ、あの『外海』という嫌な医者なんだぜ?」

「誰それ?」

「えっ、知らないのかよ? 一応医者のくせに、精神医学を否定している変なヤツさ」

彼の苦々しい表情から、あの外海というおじさんが、精神科を受診している私たちから嫌われている人だというのがわかった。

「『医学無用論』とかいうインチキ本まで出しているんだぜ? アレを読むぐらいなら、元少年Aが書いた本を読まされるほうがマシだな」

よほど嫌われているおじさんなんだね……。とはいえ、そんな人を私も好きになれないな。

 その嫌われおじさんは、二人席に座り、机のノートパソコンを操作している。誰かと待ち合わせしているのか、ときどき店外のほうを眺めていた。

「家に伝えなくちゃいけないことが思い出したから、ちょっと席外すね?」

高山さんはカバンからスマホを取り出すと、店外へと向かう。門限があるなら、別の日に喫茶店へ誘えばよかったかな……。


「……ひょっとすると、アイツも殺されるかもな?」

ヘラヘラ笑いながら、不吉なことを言う坂本君……。心配になり、周囲を見回したが、幸いなことに頭がおかしそうな人はいない。

「だけどさ。ボクらからすると、アイツみたいな連中は死んでくれたほうがせいせいするじゃん?」

「……い、いくらなんでもそこまでは」

そんな乱暴なやり方では、暮らしやすい世の中にはならないよ。だけど私もときどき、それは綺麗事に過ぎないんじゃないかと思ってしまう……。

「アイスコーヒー三つアルヨ!」

中国人ウェイターが、テーブルにドカドカとグラスを置いていく。あと少しでこぼれそうな勢いだ……。

 連絡を終えた高山さんがちょうど帰ってきたので、私たちは大人っぽく乾杯をしてから、アイスコーヒーを口へ運ぶ。


 それから私たちは、高校や障害のこととかで、話に花を咲かせた。障害への理解力が乏しい人への愚痴話は、ヒートアップする勢いで盛り上がる。ただし、周囲にどうカミングアウトしていくかについては、話が盛り下がることとなった。今後の人間関係に関わるデリケートな話だからね……。ほとんどの当事者が悩む、避けては通れない話題なのだ。



______________________________



「チョ、チョット困るアルヨ! 満席アルネ!」

店の出入口で、あの中国人ウェイターが慌てていた。三人組の女性客が、満席にも関わらず、店内にドカドカ入ってきたのだ……。うるさそうなデブ女が一人と、暗いヤセ女が二人。三人とも、いかにもメンヘラ女という雰囲気を醸し出している……。しかも、ダサいファッションセンスだ。

 ああいう厚かましい人は、よく見かけるものだ。「早くどきなさいよ!」とか言われたら面倒だから、これ以上見ないほうが賢明だね……。視線を前に戻す私。坂本君と高山さんとの楽しい会話を再開するのだ。

 ところが、二人の視線は、私ではなく三人組のほうを向いたままだ。二人とも顔が強張っている……。どうしても気になり、私の視線は元に戻す。

「どきなどきな!」

「アイヤ~!」

リーダー格のデブ女に弾き飛ばされ、床に倒れる中国人ウェイター……。警察沙汰レベルの迷惑客を見たのは初めてなので、私の目は釘付けになってしまう。私の野次馬根性は健在らしい。

 だけどその三人組が、ドカドカと私たちの席に向かってくると、その根性は息をぐっと潜めた。視線を急いで前に戻したのは言うまでもない。


 ……幸いなことに、三人組の女性は、私たちの席の横を通り過ぎる。私たちの席を奪うつもりではないらしい。でも、これから何か大変なことが起きると、私は確信した。なにせ三人とも、小声でブツブツと何か呟いている人間なんだからね……。

 どうも私の身近では、惨劇が起こりやすいらしい。どうせ、あの嫌われおじさんが、この三人組に殺されるんだろうね……。

「……な、何か用かい?」

狼狽える嫌われおじさん。彼の目の前には、殺気立つ三人組が突っ立っている。デブ女は示し合わせたように、パンパン状態のズボンのポケットから、文化包丁を抜き出した……。なんとも危ない運び方だね。


「うぐっ!」

デブ女にいきなり右肩を刺され、嫌われおじさんは席から崩れ落ちる。文化包丁の刃先から飛び散った鮮血が、彼のノートパソコンの画面を赤く汚した。

 彼は激痛を堪えつつ、這って逃げようとする。しかし、すぐにヤセ女二人に捕まり、無理やり立たされる。その拍子に散った血しぶきが、就活中の女子大生の顔にかかる。これは化粧のやり直しが必要だね。

「ふんっふんっ!!」

デブ女はいきり立ちながら、短距離走のような構えをする。どうやら、嫌われおじさんの背中に思い切り体当たりを喰らわせるようだね。



______________________________



 嫌われおじさんは、デブ女に強烈な体当たりを喰らわされた……。前のめりで勢いよく飛ばされた彼は、店の大きな一枚ガラスに、頭から突っ込む。ぶつかった頭の部分だけ、ガラスが割れ落ち、彼の首から上だけが店外へ突き出た……。割れたガラスの鋭利な端が、彼の首に喰いこみ、血が流れ始める。

 そんな情けない姿である嫌われおじさんの体を、ヤセ女二人が激しく揺らす。その振動により、彼の首がグサグサとえぐられていく……。千切れた頸動脈からドクドクと流れ出る血が、一枚ガラスを赤透明の物へと変えていく。彼はもう出血多量で死んでいるかもしれないね。


 もはや観客の一種でしかない私たちは、そんな光景を呆然と見ていた。正常性バイアスというやつかな? こういう惨劇は最近何度も経験しているけど、私の体はまだ慣れていないようだ。慣れていいのかは別としてね。

 なんとか我に返れた人たちは、次々に店外へ逃げていく。

「チョットチョット! お金払うネ!」

起き上がった中国人ウェイターが、その人たちを引き止めようとしていた……。意外と真面目な人間らしい。

「ウルサイウルサイ!!」

手持無沙汰のデブ女は、そんな騒々しさが気に障ったらしく、包丁を振り回しながら、周囲の客を襲い始めた。さらに騒々しくなる店内。

 私たちは、テーブルの下に急いで隠れたけど、このままでは危ない。デブ女の攻撃や、中国人ウェイターの引き止めを避けて、素早く逃げなきゃいけないから、難易度はハードだね……。


「アイヤー!! アイヤー!!」

そのとき、店のコックらしい初老男性が、厨房から飛び出してきた。変な日本語から、彼も中国人だとわかる。「また変なヤツが現れたよ」と、呆れ顔で呟く坂本君。私も同じ気持ちだ。

「ワタシの店で暴れるんじゃないアルヨ!」

えっ? ここって、中華料理屋だったの? 店の内装は、明らかに洋風だ。

 中国人コックは、両手に中華鍋を一つずつ持っており、メンヘラ女三人組と戦うつもりらしい。ジャッキー・チェンのようなカッコよさは無いけど、今は贅沢を言うときじゃないね。


「やんのか!? やんのか!?」

「あっちいってあっちいって!!」

「コロスゾコロスゾ!!」

三人組は中国人コックに襲いかかる。中華鍋二つを素早く構えるコック。



______________________________



 ……中国人コックとメンヘラ女三人組の対決は、スマートかつスムーズに終わった。結果は、中国人コックの圧勝だ……。

 彼は、巧みな中華鍋裁きで、三人組の頭を次々に殴り、床やテーブルの上で気絶させた。しかも彼は無傷だ。

 彼がただ者でないことぐらい、高校生の私にもわかる。カンフーや太極拳の達人なのかな? とはいえ、戦った後は気が抜けたように、イスに座りこんでいた。熱しやすく冷めやすい人らしい。




 警官や救急隊員がてんてこ舞いする中、私たちは店を後にした。もちろん、あの中国人ウェイターに代金を支払ってからなのは言うまでもないことだ。アイスコーヒーを少し残してしまったけど、これ以上ここにいたくない。とはいえ、せっかくの奢りが台無しになってしまったから、私は悲しい……。

 救急隊員たちが、あの嫌われおじさんを一枚ガラスから引き抜いていた。今やガラス面のほとんどが血で覆われていて、まるで赤いカーテンをひいているようだね……。彼の首はすっかりグシャグシャで、骨の残り部分によって、なんとか胴体と繋がっている状態だ。彼を生かしていた血管や気管は、もう一本もそこを通っていないだろうね……。


 栄の地下街は、あの店での惨劇など無かったかの如く、楽しそうに賑わっていた。もしかすると、悲しい惨劇を少しでも早く忘れ去りたいがため、わざと楽しそうに振る舞っているだけかもしれないけどね……。

 店から離れ、駅へ歩きながら振り向いたときのことだ。例のスーツ刑事二人組が、あの店へ大急ぎで入っていくのを見た……。あと少し遅ければ、彼らに見つかり、嫌味を言われていただろうね。

 もしかすると、今は亡き嫌われおじさんの待ち合わせ相手とは、あの二人組かもしれない。とはいえ、嫌な気分にされるために、店にわざわざ戻りたいとは思わないね……。

 それより、二人にどこかで奢り直したほうがいいのかな? 財布の中身を思い出し、考えこむ私がそこにいた。

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