エピローグ
昼に近づきつつある稲村ヶ崎は、一昨日の夜に降った雪の余韻が残っていたせいかどことなく物憂げで閑散としていた。あるいは、本格的な春が訪れていないせいかもしれなかったが、僕はそんな自らの想いが投影されているような公園の石段を足早に駆け上がると、高台の隅々にまでナツの影を追い続けた。天空から降り注ぐ日差しは僕を暖かく包んでくれてはいたが、それとは裏腹に、僕の心は荒波に翻弄される小船のように激しく揺れ動いていた。もはや江ノ島の姿も目に入らなかった。でも、どれだけナツの名前を叫んでも、目の前にその姿や声が現れることはなかった。ただいつもの芝生や木々や草花たちが、少しも囁くこともなく佇んでいるだけだった。ナツがこの公園に来たことは間違いないはずだったが、その気配や痕跡を何一つ見出すことができなかった。僕は、それでも何とか頭を巡らせてみたが、他の場所に向かった可能性はないはずだった。和泉のところかとも思ったが、僕の愚かな行為を聞いた後ではそれはないだろうと感じた。ナツは別世界へ向かう入口へと向かったのだ。だとすれば、この場所以外には考えられなかった。
ナツは既にこの世界には存在していないのかもしれなかった。真波や穂波のいる夢幻の世界から僕を暖かく、いや軽蔑の眼差しで見ているのかもしれなかった。そう考えると僕は、心の奥底から溢れ出る絶望的な虚無感に蝕まれ、そのまま自らの存在を失ってしまったかのように立ちすくんだ。僕の周りには、もう誰一人としていなかった。真波も穂波もナツも、そして和泉の心さえも、こことは異なる世界に存在していた。僕はそのあまりに悲痛な現実に頭を抱えて蹲ったが、全ては既に終わってしまっていた。目の前には取り返しのつかない現実が、無限の砂漠のように広がっているだけだった。そこにはひとかけらの救いもなかった。緑のオアシスは存在していなかった。寂しさのあまりに、彼女たちの世界へ向かおうかとも思ったが、抜け殻のような僕にはその勇気すら持ち合わせていなかった。涙すら出なかった。先へ進むことも後戻りをすることもできなかった。ただこの鎌倉の地で、ひたすら無残な自分を見つめ続けるしかなかった。常識さや普通さに捉われ続けた果てに、自分を含めた全てを失ってしまった儚い一つの存在として。
僕にとっての鎌倉に、そうして夏は永遠に訪れることがなかった。
ナツの死体は、それから一週間後に七里ヶ浜で発見された。波乗りをしようとしていた和泉が見つけたのだが、久しぶりの彼女からの電話でそれを聞かされた夜、僕は部屋で一人ZARDを聴きながらあてもなく泣き続けた。