4th wind -breeze.3-
「でもその時は、結局どうにもならなかった。兄さんが相手じゃ勝ち目がないしな。もっともそのことで、私はナツのことがもっと好きになった。彼女と私は似たもの同士なんだよ。お前の言葉を借りれば非常識、いや異常という意味でな。だから、正月にお前が遊びに来て、ナツの兄さんの結婚を聞いた時は喜んだよ。いよいよ私の出番だって思ったんだ。でも、そこへお前がまた割り込んできた。しかも、真剣に付き合おうとしているならともかく、お前は海野先生を忘れるためにナツを利用した。私には何よりそれが許せなかった」
「ナツを利用するなんて、そんなこと……」
でも、和泉は僕の言葉を無視するように話を続けた。窓外の雪は更にその勢いを増していた。
「この間お前がここに来て、穂波がナツの兄さんと不倫していると聞いた次の日、私はナツのアパートに行ってそのことを話したんだ。彼女泣いてたよ。そりゃそうだよな、まだ兄さんのことが好きだったんだから」
「それは俺にだって……」
「本当にわかってたのか? いや、お前にはわかるはずがないさ。だからナツと付き合う資格がないんだ。この前も言ったとおり、人の気持ちは不変なんだよ。お前も言ってたよな、男と女は単純だって」
淡々と着実に話を進める和泉に圧倒されていた。ナツの悩みや苦しい胸の内など、十分に理解しているつもりだった。わかっていながら僕は目を背けていたのだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。とにかく、ナツは穂波のことが許せなかった。兄さんの結婚自体は何とか受け入れられたんだけど、不倫まではとても許せなかったんだ。だから私が言ったんだ。こうなったら穂波を殺すしかない、あの女は疫病神だって」
「じゃあ穂波は」
「私とナツで突き落としたんだ」
和泉の一言に、僕は彼女の心の仮面が想像以上に厚いことを痛感した。この瞬間が夢であったならと、夢幻の世界に佇む真波に必死に助けを求め続けた。
「もっとも、最初から殺すつもりじゃなかった。穂波の通う大学で住所を聞いて……ああ同じ大学だったよな。それであの夜、二人でマンションに行ったんだ。ナツが妹だって名乗ったら少し驚いてたけど、三人で屋上に上がって話をしたんだ。ナツ、必死に訴えてたよ。兄さんと別れてくれって」
和泉の話を聞きながら、それでも僕は突きつけられた真実を受け入れたくなかった。容認したくなかった。でも和泉は容赦なく先を続けた。
「でも、穂波は首を縦に振らなかった。それどころか、ナツのことを馬鹿にしたんだ。妹だからって、あなたに言われる筋合いはない。頭がおかしいんじゃないかって。けたたましく笑いながら言い放ったんだ。だから、示し合わせた訳じゃなかったんだけど、二人の両手で、四本の手で穂波を思い切り突き飛ばしたんだ。そしたらあの女、よろけながら後ずさりして、そのまま下に落ちていったんだ」
周囲は物音一つしなかった。ただ和泉の低い声だけが部屋中に響き渡っていた。
「その後人目につかないように、急いでナツのアパートに戻ったんだけど、ナツの体の震えが止まらなかったから、ベッドに寝かせて横で寄り添ってたんだ。そしたら急にすすり泣く声が聞こえて……。だから言ったんだ。大丈夫だよ、私がついてるからって。私がずっとそばにいるからって言ったんだ。まあ、そこをお前に見られていたとは思わなかったけど」
「どうして……」
「お前にはわからないだろうな。こうなることは必然だったんだよ。私とナツが一つになることは六年前から、いやそれ以前から決まっていたんだよ」
「それは違う。そんなことは……」
「お前はまた言うのか? そんなことは非常識だって、異常だって。そう言っている限りお前はナツとは付き合えない。永遠に一つにはなれないさ。そうやって、ずっと常識の殻の中に閉じこもっていたから、海野先生だって、穂波だって離れていったんだ。誰もいなくなったんだよ。全部自分の撒いた種さ。自業自得だよ」
「違うそうじゃない。俺は、ただ俺は……」
その言葉の後を、僕は一つの決定的な行動で示すしかなかった。和泉の非常識さを、異常さを糾弾するために、何より自分自身を正当化するために。僕は勢いのままに和泉を押し倒すと、その白いトレーナーを汚すように彼女の体を弄りながら言った。
「いいか、よく聞けよ。お前は女なんだ。正真正銘の女なんだ。今俺がそれを証明してやる」
その言葉が和泉に届いたかどうかなどもうどうでもよかった。僕はただ彼女の体が、彼女自身が女であることを証明することで、自分の常識が正しいことを示したかったのだ。それ以外に術はなかった。その時に脳裏を過ぎった真波の叫びももはや聞こえなかった。僕は窓外を雪が白く染め続ける中で和泉の体の隅々を、心の全てを赤く染め上げていったのだ。