3rd wind -breeze.5-
その後の一週間は音もなく流れた。穂波からの連絡はなかったが、かといってこちらから連絡しようとも思わなかった。その意味で、僕も彼女に対する想いの変化を感じ、二人の辿り着く先を漠然と予期していた。
「突然電話してごめんね。実は、うちのビデオが壊れちゃったみたいなの」
ナツから電話がかかってきたのは、季節の変わり目を告げる雨が街角をしっとりと濡らしていた土曜日の夕方だった。僕は、近くのコンビニで夜のためのビールと食べ物を買って戻ってきたところだった。
「店で修理してもらえば?」
「うん、でも今日雨降ってるし……。純なら直せるかなと思って」
どことなく元気のなさそうなナツの声が妙に気になった。僕はすぐに部屋を出ると、途中で白ワインを買いながら、西武線と小田急線を乗り継いで彼女のアパートへ向かった。
「来てくれると思ってたんだ。さあ、中に入って」
思いの外元気そうなナツの声に後押しされるように部屋に入ると、目の前には十日ぶりの暖色系の空間が広がった。
「それで、壊れたビデオって?」
「ああ、あれなんだけど」
言いにくそうにナツが指差した先には、確かにビデオデッキが存在していた。僕はその上にあったテレビのスイッチを入れると、中にビデオが入っていることを確かめてから再生のボタンを押した。すると画面には、古い洋画のワンシーンが流れ出した。
「ちゃんと映るじゃないか」
「おかしいな。さっきまでは再生できなかったんだけど」
戸惑いながら呟くナツの瞳の動きで嘘を見破った僕は、話を変えるようにワインを差し出した。
「じゃあ、直ったことを祝って乾杯でもするか?」
その一言に急に目を輝かせたナツは大きく頷くと、テーブルに二人分のグラスを置いた。僕はワインを多めに注ぐと、いつもより高めのテンションでグラスを重ね合わせた。
「純、今日は本当にありがとう」
「何言ってんだよ。友達のビデオが壊れたんだから、来ないわけにはいかないだろ? それに、今日は誰かと飲みたかったんだ」
「私でよかったの?」
「もちろん、相手にとって不足なしさ。今日はたくさん飲もうな」
僕の言葉に安堵したのか、ナツはこの間以上のハイペースでグラスを空け続けた。途中から少し飲み過ぎかとも思ったが、彼女の心の奥底に眠る悩みを察していた僕は、それに呼応するように飲み続けた。
「私ね、小さい時からお兄ちゃんのことが大好きだったの」
ナツがそう言い始めたのは、ワインのボトルも底をつきかけた頃だった。既に日付も変わろうとしていて、外からのかすかな雨音以外は何も聞こえなかった。
「だから初めてお兄ちゃんに抱かれた時も、後ろめたさとか後悔は何も感じなかった。好きな人と一緒になれる嬉しさだけで胸が一杯だった」
「わかってるよ」
「でもね、時間が経つにつれて、このままじゃやっぱりいけないんじゃないかって思うようになったの。兄と妹っていうのももちろんあったけど、何て言うか、対等な関係じゃないって」
「対等な関係?」
「そう。だって、私はいつもお兄ちゃんに守られるばかりで、守ることができないの。それって私は楽だけど、お兄ちゃんは辛いんじゃないかって。不公平じゃないかって」
今日は素直にナツの想いを受けとめることができた。酔ったせいかとも思ったが、何より彼女の正直さが胸に強く響いていた。
「高校を卒業したのがいいきっかけだった。お兄ちゃんと離れて一人暮らしを始めて。辛かったけどこれでよかったのよね。お兄ちゃんも結婚して幸せそうだし」
「ナツはどうなんだ? お前は幸せなのか?」
「……そうじゃなかったら?」
「俺と幸せにならないか?」
どうにもナツの瞳に幸福を見出せなかった僕は、その想いのままに打ち明けていた。今なら、彼女を幸せにできる妙な自信があった。
「でも、私は今でもお兄ちゃんを引きずっているのよ。そのことに純を巻き込みたくないの」
「もう十分に巻き込まれてるよ。ナツと初めて会った時から」
僕はワインで顔を赤くしたナツをゆっくりと抱き寄せると、その潤んだ唇から彼女の中に入っていった。もう、どんな結末がもたらされようが構わなかった。僕は自らの手で、懸命にもう一つの選択肢を作り出そうとしていたのだ。