2nd wind -breeze.4-
「こうやってここで話すのって、もう三度目だね」
「四度目ですよ」
真波の言葉を訂正した僕は、岬の公園の高台からいつものように彼方の江ノ島を眺めた。何もかもを忘れさせてくれるような遠い青空は、でも少しずつほのかな茜色に染まり始めていた。
「それで、今日は何の話?」
「俺、もう何が何だかわからなくなって……。ナツのこともそうだけど、もう一人の友達のこともあって、どうして俺の周りには、そういう人しかいないんだろうって。いや、いいか悪いかなんて言うつもりもないけど、どうしてみんな普通じゃないんだろうって思って。でもそのうちに、何が普通なのか、何が常識なのかもわからなくなって、そんな風に拘っている自分も嫌になって」
「ちょっと待って。浩樹の妹さんのことはともかく、詳しく話してくれない?」
真波に促されるままに、僕は和泉のことを話した。真波はただ黙ってその話を聞いていたが、僕が話し終わった後も視線を足元に落としながら、身じろぎひとつせずに考え込んでいた。
「寒くなってきたわね。場所を変えましょうか?」
真波のその一言は、これから先に続く話が長く深いものになるであろうことを予感させた。僕らは高台から下ると、以前に行った海岸通り沿いの喫茶店に向かった。それはほんの半月ほど前のことだったが、僕には本当に遠い昔の出来事のように感じられた。
「前に私、ある出来事がきっかけで、男の人を好きになれなくなったって話したわよね」
「ええ、それでナツの兄さんとも……」
「私ね、中学二年の時にレイプされたの」
真波の告白に、僕は飲もうとしていたコーヒーのカップを手にしたまま凍りついた。それは、僕が今までに聞いた中で最も衝撃的なものだった。ナツのことよりも、そして和泉のことよりも非現実的なことだった。もう波の音も聞こえなかった。そこにあるのは限りなく虚構に近い、でも決して逃れることのできない現実だった。
「あの頃私には、仲のいい友達が二人いたわ。今の高村くんにナツさんや和泉さんがいるように、いつも一緒でいろいろな話をして……。そこの公園にもよく来たわ」
「その二人は男ですか? それとも……」
「一人はセイジっていう男で、もう一人はリエっていう女だった。そして、その二人は付き合っていたの」
真波はそう言うと、少し温くなったコーヒーを一口飲んだ。僕は返す言葉もなく、話の続きを待った。
「私たち三人が知り合ったのは、中学二年になったばかりの頃だった。たまたま同じクラスで、教室の席も近くて。でも、セイジとリエが付き合い出したのは、かなり後になってからよ。お互いからいろいろな相談を受けたりしてね。まあ、傍から見れば損な役回りだったのかもしれないけど、私は別に嫌じゃなかったわ。リエとはとても仲がよかったし、大体セイジは私のタイプじゃなかったから」
真波は口元からかすかに笑みをこぼすと、少しずつ自分の記憶の扉を開けていった。
「その年の暮れだったわ。セイジから電話がかかってきて、三人で初詣に行こうって言われて、年が明けたばかりの真夜中に待ち合わせたの。でも、しばらく待ってもリエは来なかった。セイジは、電話したけど出ないから二人で行こうなんて言ったけど、最初から誘ってなんかいなかったのよ」
真波の話すトーンは、いつしか呟きのレベルまで落ちていた。でも、その声は僕の胸に強く響いていた。
「電車で街に出たんだけど、まだ夜中だったし、じゃあ海に出て初日の出でも見ようって言うから、疑いもなく後をついていったの。そしたらセイジが、こっちのほうが近道だからって、途中から細い路地に入っていったの。少し行ったところに、寂れた神社があったわ。多分、最初から計画してたのね」
僕の心の中に寂しさが広がっていった。真波は……彼女は僕と同い年にして信じる者から裏切られ、図らずも人間の本性を垣間見てしまったのだ。
「もちろん初めてだった。でもね、変な話なんだけど、意外と私冷静だったの。すべてが終わった後に、セイジが慌てて逃げていく様子も見えてたし、しばらく経って、朝の日差しが私を眩しく照らしていたのもわかってたし……。私の十四回目の誕生日だったんだけどね」
真波はそこまで話すと、こちらを見ながら優しく微笑みかけた。それはまぎれもなく、彼女の話が終わった合図だった。
「結局、三人の仲はそこで終わったわ。セイジとは、もちろんだけど、リエともうまくいかなくなって……。まあ当たり前よね」
「悔しくなかったですか? そんな思いまでさせられて、しかも友達に」
「殺してやりたかったわ。八つ裂きにしたって足りないくらいに。その想いは今も変わっていないわ。でも、少なくともその直前まで私たちは友達だったし、セイジという人間に共感したから友達になったの。もっとも、その本性を見抜けなかった私も馬鹿だったんだけど。でも考えてみると、それが人間なのかもしれないわね。友達をレイプする人間もいれば、友達にレイプされる人間もいる。兄妹で愛し合う人間もいれば、心と体の違いに苦しむ人間もいる。何が普通で何が常識かなんて、初めから考える必要なんてないのよ。自分が普通だと考えていることでも、他の人から見たら異常かもしれないし、仮に常識というものがあったとしても、その中でまた常識や非常識ができたりするのよ。だから、高村くんもそういったことには捉われずに生きてほしいの。自分が友達だと思った人を、その生き方や考え方を尊重してほしいの。だって、自分と共感できるものがあったからこそ友達になったんでしょ?」
真波の言葉は、真実に裏打ちされた重みに満ちていた。僕は彼女の辛い体験もさることながら、そこから自分の生き方を見出そうとしている懸命さに深く心を打たれた。
「一つ訊いていいですか?」
「何?」
「どうして、そんな大事な話を俺にしてくれたんですか?」
「高村くんなら、私の話を、考え方をわかってくれるような気がしたの。何故かって言われるとうまく答えられないんだけど、六月にあなたと初めて会った時から何となく感じてたの。お互いに一人っ子だっていうのもあるんだろうけど」
「それで、結果はどうでした?」
「それはもうわかってるでしょ?」
真波は僕に確信を持って尋ねているようだった。そして、それは見事に正しかった。僕は彼女の想いを理解し、また共感を覚えていた。思えば初めて会ったあの時から、僕は何かある度に真波に相談していたのだ。理解してくれると、共感してくれると信じていたから。