僕3 終業式
終業式を無駄だと思った事はありますか?
『僕』3 終業式
僕が彼女に話しかけてから、彼女に何の心境の変化があったのか知らないが、なんと彼女は、クラスの女子と話すようになっていた。いわゆる大人しい系女子グループとだ。それでも彼女を拒絶する生徒は存在するが、初日の筆箱事件を考えたら当然と言えば当然だ。
その結果、彼女は休み時間もずっと寝ているという事は殆ど無くなった。ただ数学や英語の授業だけは意地でも受けたくないのか、当初の机に顔を伏せるポーズをとる事に専念している。
それ故に僕自身が、彼女と話さなくなった、ということではない。もちろん話す。くだらないことが主な内容だが。この間はイチゴのショートケーキのイチゴを食べるタイミングを、小一時間議論した。
そして時は流れ、一学期の終業式が近づいてきた。それは、我らが高校生の中間テストや期末テストという名のベルリンの壁より巨大な壁を何とか乗り越えた(すり抜けたと言った方が適切かもしれない)先にある、夏休みの到来を意味していた。
夏休みといっても、あまり楽しかった思い出は無いが。友達を作るのが苦手なのは損だ。友達を失くしやすいと、尚更だ。
終業式を終え、ホームルームの時間となる。宿題の範囲のプリントが配られ、夏休みの諸注意など、耳にたこができるくらい聞き飽きた言葉を右から左へと聞き流しながら、僕は自分の左隣の席を見る。
終業式だというのに僕の隣の席は空いたままだった。
僕のクラスは席替えをするときに、今の席のままがいい人調査というものを行っている。内容はそのままだ。机を動かすのが億劫な人などが、今の席のままがいいと席替えの度に紙に書いて出すものだ。僕は机を動かすのが億劫なのもあり、そのままでいる。無論彼女もそのような無駄な労力を使うくらいなら、紙を出して寝ている方がマシだという発想だ。
そういうわけで、僕の隣の席は、少なくともこの一年間、彼女という事になる。喜ばしい事実だ。僕の一年間はこれで安泰と言えよう。
けれど、今日彼女は来ていない。終業式に不登校再開なのだろうか。それはないと信じたいところだ。
そして今日の学校は必然的に午前中で終わった。帰宅部の僕には特に用事も無く、クラスの喧騒の中をひっそりと抜け出し、靴箱へと向かう。卓也は僕よりも早く教室を出ているから絡もうとしても無駄だった。それに文芸部の文集がどうとか言っていた気もするから作業を邪魔するのも悪いだろう。
階段を降りて靴箱へと到着した僕は、意味も無く、彼女の靴箱をちらりと見た。当然、彼女の靴はなく、上履きがあるだけだった。
「はあ」
溜息を吐き、大人しく帰路につこうとした。
「あら、人探し?」
後ろから、落ちついた独特の、長坂先生の声が聞えた。他人から声をかけられる習慣もあまりなく、思わず体がびくっとなる。
「ええ、まあ」
誤魔化すように、落ちついて答えた。
「あの子?」
どの子かはわかった。僕の交友関係など、片手で終わってしまうので、当然だ。
「そうですね。普通に休んでたんで、来てるわけがないんですけど」
なんだか変に落ち込んでしまい、声色も暗くなる。愛想笑いをするので精一杯だ。
「良い事教えてあげようか」
秘密を教える子どもの様な顔をして、先生は言ってきた。なんなんだこの人は。大人なのか子どもなのかよくわからない。
「なんですか?」
「旧校舎、行ってごらんなさい」
そう得意気に、長坂先生は言った。
サッカー部が情熱を燃やしながら練習をしている、陽炎が揺らぎそうな、灼熱のグラウンド横を通り抜ける。そして一分くらいで、新校舎の向かいの、古ぼけた灰色の旧校舎に辿りついた。昔使われていただけの威厳はある。辺りにこびりついた落書きの痕や、日焼けの痕が、ここにどんな過去があったのかを彷彿とさせた。
夏真っ盛りだと言うのに、その校舎だけは、暑さを忘れさせるほどの、奇妙な雰囲気を漂わせていた。
正面玄関へと回ってみるが、南京錠で硬く閉ざされている。
「閉まってるじゃん」
そうぼやきながら、南京錠をがちゃがちゃといじる。案外セキュリティはしっかりとしていて、丈夫な作りをしていた。恐らくまだ誰かが管理しているのだろう。
諦めて他の入り口を探そうと、校舎の裏へと回った時だった。
「あ」
旧校舎一階の窓枠を乗り越えて、脱出を試みようとする彼女の姿がそこにはあった。スカートが翻り、パンツが見えてしまいそうだ。
僕に見つかった事による気まずさで、彼女の表情と動きが人形のように固まった。
「なにしてんの、君」
人形になった彼女にきく。
「……えーっと」
何かを悩むように、彼女は視線を上や下に移動させた。珍しく動揺している。面白い。
「一人肝試し?」
「寂しすぎるだろそれ」
苦し紛れにしてはあまりにもひどい出来だ。嘘を吐くのが下手なタイプにも程がある。
「終業式サボりやがって」
僕が軽くそう言うと、彼女は窓から慣れた身のこなしで地面へ降り立つ。スカートのほこりをパンパンと両手で乱暴に払った。
「どうせあれでしょ、いつも通りの事しか言わないし、必要なものはまた郵送とかされてくるでしょ」
どこまでも僕の予想通り開き直っていた。腕まで組んで何故か偉そうだ。
「だからって、一人肝試しなんてすることないだろ」
「別にいいでしょ」
まあいけない理由はないけれど。
「てかさ、長坂先生?」
主語を抜いた質問は勘弁してほしい。まあこの場合なら、長坂先生にこの場所を聞いたのかってところか。
「まあ、一応」
「あの人はまた……」
頭をぼりぼりと掻きながら、彼女は溜息を吐いた。
まあ、これ以上「なんで学校来たんだ?」なんてきいても、ロクな返答はないだろう。そう諦めて僕は言った。
「帰る?」
「帰る、暑い」
彼女はそう即答した。冷房がない旧校舎なら、この炎天下では相当な気温な気もするが。
二人で人通りの少ない帰り道を、セミの鳴き声をBGMに歩く。前の美術室での帰り道より、彼女の口数は多かった。
「別にさ、デザインとかそっちの高校でも、よかったなあとは思うよ?」
彼女は、以前に僕が出した話題について喋り出した。
「じゃあ、どうしてこんな普通のとこに?」
「うーん……なんだろ、なんかこう、さ……そっちに本気になると思うんだ、私がそっちの学校に行ったら」
「いいことじゃん」
「まあ、そうなんだけどねー、うーん」
彼女はまた言葉に詰まる。散らかった部屋から探し物を探すように、頭の中から言葉を絞り出すように。腕を組みながら、頭を捻り、唸る。
「なんかさ、嫌なの。だから、だらだらとしてたい」
それが答えだと言わんばかりに、彼女は断言した。
でもそれはまだ、真実を心の奥底に閉じ込めすぎて、自分で何かも分かっていない様子にも見えた
「理由ってさ、それだけ?」
「かなあ」
曖昧に、彼女は答えた。
「またさ、絵見せて」
僕はそう言った。彼女の心の中が、そのまま投影されている、彼女の絵が、また見たくなった。
「気が向いたらね」
その言葉に僕は頷いた。
「夏休み学校には行くの?」
美術部でも休日の活動くらいあるだろう。
「気が向いたら」
とてもゆるい部活だった。
「長坂先生の気分次第?」
何故か疑問形で言ってきた。
「気分屋すぎるだろあの人」
まああの人ならありえるけれど。
「でもさ、あの人何か好きなんだ」
それは、彼女の長坂先生への対応で既に分かっていた。
「あの人は、否定しないの。私の、ぐちゃっとしたところとか、どろどろの悪いところを、別にいいんじゃない?って感じで適当に頭のどこかににとどめておくんだ」
「君に似ているところがあるんじゃない?」
「うーん……どうだろ、だけどさ、なんかあの人になら、全部話してもいいかなって思っちゃうんだ。多分、あの人いなかったら私学校来てないし」
それに関しては、どういうエピソードがあったかとか、そういうことをきいてみたくもなった。だけど、旧校舎のことを彼女が教えないと同様、口を開く事はないだろう。
だから、「そうか」と肯定することしかできなかった。
そんな彼女との馬鹿な会話をしながら、セミの鳴き声は一層と騒がしくなる。見上げた空には、大きな入道雲がこれからやってくる、暑い夏を待ちかまえるように浮かんでいた。
「あ、メアド教えて」
僕は今までききそびれていた事を言った。
そして、今夜の彼女とのメールのやり取りは、これだ。
「男になりたい」
一通目に来たのがそれだった。
「どうして?」
その返事はこれだった。
「挿れられるより、挿れたい」
僕はそっと携帯のメールの画面を閉じた。
彼女のメールは、モデルの女友達の言葉です。




