Ⅲ横断歩道を渡りましょう
信号が青になってから渡って下さい
Ⅲ 横断歩道を渡りましょう
ふと彼女を見ると、彼女の視線は上空後ろ斜め上、即ち病院の屋上へと向いていた。
「何見てるの?」
「おくじょー」
彼女は言った。視線は僕へは向けず屋上に一直線だ。
病院の屋上の高さは、高校の頃の屋上と大差ない。あの日の螺旋階段が懐かしい。
ただ何の変哲もない屋上というわけじゃない。フェンスが破れていた。よくある緑色の硬い網目のやつだ。頑丈な鋏を駆使すれば壊せないことはない。あまり安全基準を満たしているとは言えない。
「壊れてるね、イタズラなのかな」
僕は壊れた網の破れ目を見ながらそう言った。
「……さあ」
少し間が空いてから、彼女はぽつりと言った。
「誰か死にたくてやったとか」
簡単に彼女は言った。それは極論じゃないだろうか。まあ死にたい以外にフェンスを破る人の思考回路は、僕には分からないが。
「明後日くらいに、直されるみたい」
視線はそのままで彼女は言った。
「へー、それまで屋上はどうなるの?」
「閉鎖」
彼女は視線を進行方向へ戻し、僕より先に進む。杖をつくテンポが、さっきよりも速まった。慌てて僕も追いかける。
「鍵がさ、最近無くなったんだって」
やけに情報通だ。もし僕が名探偵なら犯人はお前だと言いたいところだが、僕は名探偵でないし、彼女が怪盗である確信もなかったから無難に感心することにした。
「流石病院一の情報屋さん」
「いや別にそんな肩書きないから」
僕の言葉を一刀両断しながら、彼女は横断歩道の前に立つ。僕が追い付いた頃には、彼女は横にある押しボタンを押していた。ピピピピピという機械音が車の走行音に交じって鳴りだした。
「結構車多いね」
道路を走り抜けるトラックやワゴン車、更に黒系統の多い乗用車を見ながら彼女は言った。最近は随分と軽自動車の率が高いように思える。コストパフォーマンスを考えたら、当然と言えば当然か。
「春休みだからね」
「そういえばそうだった」
シャンプーが切れていたように、ゆるく返した。彼女は、今何に興味があるんだろう。
「ところでさ」
珍しく彼女から話題を広げてきた。
「通り抜ける車の目的地ってさ、全部違うわけじゃん」
「そうだね」
通り抜ける乗用車、原付バイク、トラックなどが、道路をひたすら走りぬけていた。
「通り過ぎていく車に乗っている人たちには、様々な人生があったってことなのよ」
「ああ、交差点や、満員電車の人とかにも同じ事が言えるね」
両方、彼女が毛嫌いしそうなものだ。
「つまり、さっき通り抜けた車とか、全部私たちからしたら背景だけど、その中には今まさに世界の危機を救うために車を飛ばしてる人がいたかもしれない」
車側の信号が黄色に変わる。ただ、いまいち彼女の話の論点が見えない。
「まあ、何を言いたいかって言うと、そう考えたら面白いなあってだけ」
信号が青に変わる。ピヨピヨという音が青になったのを耳に知らせてきた。彼女はまた先を進む。
まあ彼女が脈絡のない、不毛な話を急に始めるのは、今に始まったことじゃない。僕も横断歩道を渡り始める。競歩気味に歩き、彼女を追い抜こうとした。
彼女のペースも僕に追い抜かれまいと少し速まる。ただそこで諦める僕ではない。歩幅を広げ、少しずつ距離を縮めながら遂に、彼女を追い抜いた。後ろからちっと舌うちが聞こえた気がするが幻聴とと思う事にした。けれど、このままでは彼女が哀れだと思い、少しペースを遅める。その瞬間に一秒もせず抜かれた。向かいの歩道まであと六歩ほど。抜いた彼女は歩幅をさらに広げ、僕を差し置いて歩道へと到達した。
「………」
僕に、してやったりと言わんばかりの顔を向けてくる。彼女が楽しそうで僕も思わず笑ってしまう。ここは悔しい顔をするところなのだろうけど、気にしなかった。
目線を上に向けると青信号が点滅している。慌てて僕も横断歩道を渡り切った。
「あのさ」
彼女が言った。
「なに?」
「春休みなのに、何であんた遊ばないの?」
車の走行音に紛れて聞き取りにくかったが、辛うじて聞き取れた。
「君と遊んでるじゃん」
「遊びだったの?あれ」
僕が笑顔で肯定すると、後ろからチリンチリンと男女混合の高校生くらいの四人組が自転車のベルを鳴らした。慌てて僕らは横によけ、お互い頭を下げた。とりあえず止まっているまま話すのも迷惑なので、歩きながら話すことにした。
「なんだったんだろ、あれ」
彼女が追い抜いて行った自転車集団に目を向ける。
「公園で靴飛ばしでもしに行くんじゃないか?」
僕はそう言った。
「小学生か」
彼女はまた笑った。今時の高校生ならカラオケとか映画とかその辺りだろう。ここから進んだ先には映画館やカラオケのあるビブレもある。以前行った映画館より、上映している数は少ないが。
「それに、君といる以上の遊びなんてないよ」
僕は話題をもとの軌道へと修正した。
「私との関係は遊びだったのね」
多分その台詞は使い時を間違えている。
「てかさ、卓也君とも遊んであげなよ」
僕の数少ない友人の名前を出された。そういや最近は遊んでないな、時間があればお見舞いの帰りに家にでも顔を出しておこうか。
「気が向いたら」
「向くの?」
「あ、コンビニ寄っていい?」
横断歩道から歩いてすぐにある、目に入った緑色のコンビニを指さす。
「……ま、いいけど」
話を反らしてくれた事にはノータッチでいてくれた上に、僕のコンビニの提案に乗ってくれた。コンビニデートの始まりだ。最近のカップルは、もっと身近なデートスポットにこそ気が付くべきだ。まあ残念なことに僕らはカップルじゃないのだが。コンビニでジュースでも買って行こう。人間水分補給が一番大事なのだから。
緑色のコンビニには青空がよく似合っている。
ファミチキおいしいですよ




