僕2 美術室と帰り道
登場人物が増えました。
また変な人です。
『僕』2 美術室と帰り道
六月のある日の放課後。つまり、野球部やらテニス部やらサッカー部やらの運動部の声が校庭に響く時間帯に僕は、美術室にいた。
美術室は教室を出てすぐ左の階段を昇る。そのすぐ右手の広い教室だ。
別に僕が美術部員というわけじゃない。僕がここにいる理由は、隣の席の彼女が、キャンパスに向かい一人黙々と絵を描いているからである。規則正しく並べられた机に、絵具などの画材道具から、独特のシンナー臭も漂っている。教室の窓際に、彼女はキャンパスを置いて絵を描き、その後ろの椅子に僕は座っていた。日も傾き、切なげに夕日が僕らを照らす。向かい側には、旧校舎の美術室が少し見えた。今のところ幽霊は出ていない。
数週間前のちんすこう事件からの僕と彼女の関係だが、なんとかおはようと言えばおはようと返してくれるようにはなった。これを卓也に得意げに報告したら「あっそ」と鼻で笑われた。属に言うツンデレだと解釈した。
そして彼女の印象も、少しずつ変わっていった。僕が最初思っていたより、実際話すと彼女の性格は暗くはなかった。楽しいことがあるとちゃんと笑うし、美術部に所属しているという、文化系の高校生の青春も全うしていた。
社交性の欠けている点を除けば、彼女は普通の女の子だった。
そんなようやくクラスでよく話す、唯一の男子生徒の関係に彼女となった僕は、彼女に頼みこみ、なんとか美術部の見学までこぎつけた。元々彼女の趣味の絵にはとても興味があったし、彼女の好きなものを、もっと知りたかったのだ。それが距離を縮める一番の近道だと思っていたし、何よりも、僕がこんなにも他人に興味を持ったのは、初めての事だった。
そして蓋を開けてみれば彼女の絵は、圧巻の一言だった。抽象画というものらしい。正直絵の事に関して、僕は一切知識がない。よくわからないものがほとんどなのだが、彼女の色の使い方は、僕でも、綺麗とか、そういう段階での評価ができないくらい、すごいことは分かった。美術の教科書の絵を目の当たりにしているようだった。
何を描いているのかときいたら、空と答えられ僕は唖然とした。その描かれた絵には、青色を殆ど使っていなかったのだ。
「すご」
思わず声が出た。
「え?」
僕の声に反応しこちらを振り向く彼女。
「いや、なんというか、すごいなあと思って」
「あ、うん、ありがと」
彼女はなんともない風にそう言うと、また絵の世界に戻って行った。別に退屈は感じない、なぜなら絵を描いている彼女を見るのは楽しかったから。絵を描いている時の彼女は、とても幸せそうで、生き生きしていたのだ。静かに座っているだけのように見えて、キャンパスの上で筆は、大きく大胆に動いたり、小さく繊細に動いている。まるで踊っているようだった。筆を握り、キャンパスに向かう彼女そのものが、芸術に見えた。僕は椅子の背もたれを前にして座り、前傾姿勢で腕をだらしなく下ろした。
「ねえ」
絵を描きながら彼女は僕に言った。
「え?」
驚いた僕は体重を前にかけすぎて転げ落ちそうになり、慌てて体制を整える。
「暇じゃ無いの?」
別に僕を拒絶するようでもなく、淡白に質問してきた。
「いや、楽しいよ?」
僕も素朴に返す。
「そう?」
「うん」
嘘偽りなく答える。嘘発見器をつけてくれても構わない。表情に変化が乏しいのは許してほしいと念を送った。
「へー」
彼女は適当に相槌を打ち絵に再び意識を集中させる。それはまるで、絵という媒体に、喰らいついているようにも見えた。
この空らしき絵は、文化祭の時に飾ったりするのだろうか。彼女の他の絵もあるなら見てみたい。
それよりも、こんなに絵が上手いのならば、デザイン科や美術科のある高校にでも入るべきだったんじゃないのか?
「ところでさ、何でうちの高校選んだの?」
思いついた疑問をそのまま口にしてみる。
「え、どういうこと?」
「いや、ほら、デザイン科とか、そういうとこ進んでもよかったんじゃないかなって思って」
「うーん」
彼女は筆を動かしながら、返答を探るように唸った。
「締め切りとか、課題とか、そういうのにあんまり縛られたくなかったの」
彼女は早口でそう答えた。その言葉に、あまり納得が出来なかった。違和感があった気がした。言い訳がましく聞こえたのだ。
「でもさ、そこから卒業とかしたら、もっと本気で絵に」
そこまで言った時、僕の言葉を遮るように、背後からガラガラと美術室の扉が開く音が聞えた。
「もう閉めるわよー」
そこに立っていたのは、長い髪を後ろに一本で縛っている(自称二十代)の顧問、長坂先生だった。正直見てくれは若いから否定しにくい。胸の自己主張も、今絵を描いている彼女とは、比較にならないほどだ。いわゆるモデル体型だ。先生の急かす言葉に対し、彼女は慌てる様子も見せずに立ち上がる。
「はーい」
彼女は返事をして、さっきまでの話題を完全に忘れたかのように、テキパキと画材を片づけ始めた。気のせいか、彼女の間延びした返事が、普段の無機質な言動より、柔らかく聞こえた。僕も礼儀としてぺこりと頭を下げた。恐らく彼女が自然体で接することができる唯一の先生なのだろう。
「見学?」
先生は僕の顔をじろじろと、何かを見定めるように覗き込んできた。思わずたじろぐ。先生の長い髪から、シャンプーの良い香りがした。同時に自己主張の激しい胸も近寄ってくる。
「あ、はい」
別に間違っては無い、美術部ではなく彼女の見学だが。後ずさりしながら肯定する。視線も理性と戦いながら胸から反らした。
「ふーん……」
先生は僕の顔から少し離れた。品定めが終わったらしい。先生の表情が懐かしいものを見るような、優しいものに変っていた。左手の薬指にはめている指輪が夕日に反射して、鏡のように光っている。結婚しているのか。婚約の可能性もあるが。
「気が向いたら入ってあげてね、来年新入生来なかったら廃部なのよ」
「気が向いたら入ります」
気が向くことはないだろうけど。僕は絵を見ることは嫌いではないし、彼女を見ることも大好きだが、絵を描くことだけは好きにはなれない。小学校高学年の頃猫の絵を描いたところ妹にモグラ?と言われてから僕は絵を描くことをやめているのだ。
「ところで、行かなくていいの?」
先生は僕の背後を見ながら言った。
「え?」
振り向くと、彼女の鞄はいつの間にか消えていた。画材道具も全て片づけ済みだ。
「逃げられました」
先生の方に首を戻し言った。実際は僕の存在など気にも留めず、普通に帰ったのだろう。一緒に帰るという発想は彼女には無いのだろうか。思わず苦笑する。あらあらと先生も、幼い子供を見るような目で、くすくすと笑う。その目は、慈愛に満ちているようにも感じた。
「んじゃ、さよなら」
僕も鞄を持ち先生に頭を下げ美術室を後にした。出てすぐ横にある階段を降りる。廊下はガラス窓から差し込む夕日に照らされて、オレンジ色に輝いていた。一階まで降りた僕はすぐ右手の靴箱を見た。
案の定彼女はいた。外靴をすでに取り出して手に持ったままの状態で。
「あ」
彼女は家の鍵をかけ忘れた時の様な反応で僕を迎えた。
「忘れてた」
彼女は言った。
「やっぱり?」
僕は開き直って笑顔で対応した。僕から一緒に帰ろうと言いたい気持ちもあったが、正味気恥ずかしい。彼女の側から考えても、迷惑なんじゃないか?などと不安も出てきた。人間関係が上手く構築できない人間は損だ。
おどおどしている僕の数メートル先にいる彼女の方も、靴を片手に眉をしかめた。端から見てみたら奇妙な光景に違いない。
「…………!」
数秒後彼女は何かに気がついたように、眠そうな目を僕に向けた。
「……一緒に帰る?」
その言葉をどれだけ待ち望んだことか。鞄を持っていない手で口を覆い、にやけそうになるのを誤魔化した。
「よし、帰ろうか」
僕は言った。美術室で出した話題は、彼女の気の抜けた顔を見ていたら、出す気も薄れた。
彼女は持っていた靴を履く。僕も慌てて自分の靴箱から靴を抜き取り両足に突っ込む。踵を踏んでしまい修正するためもう一度履き直した。顔を上げ彼女の方を見る。入口のそばにいる彼女は僕の方へは目も暮れず、グラウンドの向こう側にある、旧校舎へと向いていた。幽霊でも探しているのだろうか。
「履けた?」
彼女は僕の方を振り返る。また慌てて立ち上がった。
「うん、行こうか」
僕より先に彼女は外へと出る。後姿が、黄昏色に照らされていた。小柄な背中を見ていると、体のどこかが締め付けられている気分になった。
「歩き?」
自転車置き場へ向かわず、校門へ真っ直ぐ向かう彼女にきいた。
「うん」
自分のことを自発的に話す事はあまりなく、彼女はイエスかノーでしか返事をしない姿勢を貫いた。今に始まったことじゃない。気にせず一緒に校門を出る。歩き慣れた田舎道も彼女と歩くと新鮮に感じた。生憎卓也とは家が反対方向なだけに、一緒に帰ってくれる人ができたことがとても有難かった。
まあ、今日以降も帰ってくれるかどうかは疑問なのだが。校門を出て右へ曲がる。ふと、彼女の家の場所を全く知らないのに気が付いた。
「家どっち?」
僕の方を見ずに彼女は答える。
「神社からちょっと行ったとこのコンビニの近く」
ようやくイエスノー以外の対応が来た。
「あ、近い」
「そうなの?」
「うん、コンビニのちょっと手前」
今まで気がつかなかった僕も僕だが。帰宅部だから仕方ないか。
会話もそこそこに、近所の自転車屋の十字路を直進し、狭くも広くもない通学路を歩く。ちなみに狭くも広くもないという判断は歩行者視点の話である。車となれば話は別で、二台通ろうとするならそれは大惨事となる道路の広さだ。この道路を設計した人間は何を考えていたのか、永遠の謎だ。
道路の先には、新築の家と古い民家が対になるように建っている十字路がある。古い家の方は洗濯物が乾かずに悲鳴を上げているようだ。
そこの左手の先には、神社がある。普通なら神社などに目もくれず、通り過ぎる人が大半だ。彼女もそのまま神社の存在を受け流し、直進しようとしていた。けれど、いつの間にか僕は、歩こうとする彼女の左手を掴んでいた。ひんやりと冷たく、小さかった。
「えっ」
当然彼女は驚いていた。
「ちょっと寄り道」
完全密封かどうかはわからない。けれど、閉鎖的な彼女の世界に、少し空気を通したい。そんな好奇心が、僕の中のどこかから湧きでてきたのだ。汗を少しにじませながら、彼女の手をつかんだ僕は、ゆっくりと神社へと入って行く。
灰色の鳥居をくぐり、二匹の狛犬が睨んでいる間を通り抜けた。境内の右手に柄杓が乗っている手水舎が見える。燈篭が参道の横に一定の間隔をあけながら置かれていた。正面には当然本殿が見える。その横にある、お立ち台の様な真四角の形をした場所もあった。恐らく獅子舞など、祭りの出し物などをこの上でするのだろう。
周りには大小様々な木々がそびえ立っていて、小さな森のようだった。どこの神社もこんなものだろうけど。
こんな厳かな雰囲気があっても、休日は子どもの声で賑わうから不思議なものだ。
「お参りでもするの?」
後ろの彼女が僕に言った。
「違うよ」
僕は歩きながら振り返って言った。
「あっそ」
空気がアスファルトの無機質な道路とは対照的なものとなる。世界が、土の香りや、葉が風でざわめく音に支配される。そこだけが、外界から遮断されているようだった。
「まあ、別にいいけど」
どうでもよさそうにぼやく彼女の声が後ろから聞こえた。ありがとうと軽く言い、本殿の裏に回る。その先には神社の敷地の抜け道のようなものが木と木の間にあった。表にはないような、大きな木がそびえ、僕等を歓迎しているようだった。イノシシの形を模した石像が、僕等をジッと見つめている。枯れ葉の感触や、小枝の折れる音が、神社全体を満たしていた。彼女の手を引きながら、腕が抜けてしまわないよう、木々の間を慎重に進む。
「大丈夫?」
後ろの彼女にきいた。
「ん」
彼女は短くそう返す。僕は前へと向き直り、葉っぱだらけの抜け道を通った。そしてようやく抜けた先には、土の色も薄い黄色になっている、細い道にたどり着いた。
そこには、とても広く、大きな田園風景が広がっていた。日差しが黄金色に、優しく田んぼの苗を照らし、緑と金の色彩が美しく融合していた。
冒険の始まりの場所のように、広く、鮮やかで、心のどこかをむずむずと刺激した。
ここにいると、心の中のわだかまりが、溶けてなくなるような気がして、いつも安心するのだ。
「うわあ…」
いつの間にか僕は彼女の手を離していた。汗が乾いて、風が涼しさを運んでくる。
「ここさ、進んだらコンビニまで近道になってて、結構いいんだよ」
キザにこの景色を君に見せたかったなどとは言えず、言い訳臭い、建前の理由をもごもごと僕は言う。美術室の時の彼女のように、少し早口になった。
僕は多分、ここで何かの意志表示をしたかったんだ。
その意志というやつは、僕自身、うまく理解できていない。仮に、この気持ちを言葉にできたとしても、口にするのは駄目だと思った。小さいころ誰かに言われた微かな記憶が、僕に語りかける。言葉の優しさは多用するなと。
「へー、よく知ってんじゃん」
上機嫌に彼女は言う。
「僕はガキ大将だからね」
「ガリガリのくせに」
さりげなく僕のコンプレックスを指摘された。少ししょぼくれると、あははと彼女に笑われた。その笑顔は、また少しだけ柔らかくなっている気がした。
彼女はまた視線を田んぼの方に向けた。僕も同じ方向を見る。
「いい眺めじゃん」
彼女は言った。
「でしょ」
お互いしばらく歩かずに、同じ場所を見つめていた。今、この瞬間も、同じ気持ちを感じていたと、信じていたい。
いかがでしたか?
次は私パートです。




