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鐘の音が聞こえる  作者: ろくなみ
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Ⅹ 眺め



 屋上から真っ逆さまに、僕等は落ちて行った。僕は目を閉じたまま、彼女を強く、離れないように抱きしめていた。痛いくらいの風に身を任せているのが、不思議と心地良かった。そして


 びよ~ん、と僕と彼女は、上空へと跳ね上がった。そして、何度か降下と上昇の反復運動を繰り返した末に、僕の腰を固定したバンジーの紐は静止した。真っ逆さまになった、オレンジ色の街が、僕の視界に広がる。まるで僕等を見守ってくれているようだった。

「……え?」

 彼女がようやく気付いたように、呆然とそう漏らした。彼女の顔は、残念ながら僕の胸に埋まっていて、見る事はできない。彼女の髪の匂いだけで我慢する事にした。

「どうですか?人生初のバンジージャンプの感想は」

 僕は彼女に、できるだけいつも通りの雰囲気でそう言った。

 彼女のメールを見たときには、なんとなく死のうとすることくらいは分かった。彼女があんなに長いメールを打つなんて思えない。あらかじめ打っておいて、送るべき時に送るつもりだったのだろう。しかも壊れたフェンスの件だ。間違いなく飛び降りる計画だったに違いない、と確信できた。間違っていたら恥ずかしいなんてものじゃないが。

 そこからの僕の頭の回転は、不思議と早かった。あの結婚式場では、新郎の希望で、バンジージャンプをするというサプライズの話を聞いた。彼女に屋上からの飛び降りどっきりを仕掛けるにはぴったりだと思い、再び教会を訪れた。

 まさかそこに卓也がいるとは思わなかった。どうやらあそこでは長坂先生と卓也の叔父さんの結婚式をする予定だったらしい。だから容易に借りることができた。

 使うんじゃないのかときいたら、

「こういうのは、必要としてるやつが使うもんだ。そうだろ?」

 卓也の叔父さんはそう言った。思いきりの良い人だった。その時の表情は、長坂先生が僕を見るときの目に似ていた。

 長坂先生も、ウェディングドレス姿で、がんばれと励ましてくれた。

 驚いたのは、先生がその後に、白いバラのウェディングブーケを渡してくれた事だった。

「いいんですか?」

「あなたに、これは相応しいわ」

 どういう意味かは分からなかった。けれどありがたく頂いた。

 卓也はバンジーのセッティングの手伝いをすると、ついてきてくれた。男二人(しかも片方は制服という)おかしなコンビが花束とバンジーの紐を持って走る姿は、さぞ滑稽だっただろう。

 今では屋上入口近くで卓也がロープの調整をしてくれている。頃合いを見ては上へ上げてくれるらしい。バラのブーケは預けておいた。

 ここまでの自分の行動が、唐突過ぎて、自分でも着いて行けなかった。まるで、僕の中の何かが命令をし、それに僕が従ったようだ。

 でも、彼女の傍にいたいと思ったのは、間違いなく僕の意志だ。

 いろんなことを教えてくれて、僕が暗闇の底に落ちた時、もう一度引き上げてくれたのは、間違いなく彼女なのだから。

 彼女の事だから、どうせ失明して生きていても、僕に迷惑をかける。不幸になる、自分以外の幸せを見つけて欲しい、そんなことを考えていたんだろう。

 何を馬鹿な。僕は、君がいるだけで十分幸せだと言うのに。君と一緒に仮に不幸になったとしても、それはとても喜ばしい事だ。君とならどこまでも運命を共にしていきたいのだ。

 諦めて、君には幸せになってもらおう。

 僕と君の世界は、共有できなくなるかもしれない。

 絶望する事も、あるかもしれない。

 泣きたくなる事もあるかもしれない。

 だけれど、僕はそうなっても、君を見捨てないし、君の傍にいるよ。

 それが君の幸せに繋がるかどうかなんて、分かりやしないけれど、僕がしたいと思っていることは、間違いなくそれだ。

 それが、僕の使命だと勝手に思い込んでいる。

 なんて長ったらしく、臭い台詞なんて、僕が口に出しても、彼女どころか誰も信じてくれやしないだろう。軽口が癖になると、こういうデメリットが出てくるのだ。

 でもまあそれを、下で走っている車の走行音やら、鳥の鳴き声やら、夕暮れの、温かい空気が代弁してくれていると、信じることにしよう。

 それに、この行動が、僕のこれ以上に無いくらいの答えだ。

 さて、彼女の感想でも拝聴するとしよう。機嫌を損ねている可能性が大いにあるため、ある程度のひどい罵りは覚悟しておこう。

「……ふふっ」

 怒鳴ろうとしている様子はない。それどころか、機嫌はよさそうだった。そして

「あはは!あっはっはっはっはっは!」

 彼女は今までにないくらいの、大きな笑い声を上げていた。今まで彼女は、感情は希薄な方で、大声で笑うなんてことはほとんどなかったのに。どこかで誰かと入れ替わったのだろうか。そんなわけないか。僕が抱きしめているのは、彼女本人だ。

 しばらく、彼女のバカみたいな笑い声に耳を傾けていた。あんまり長く続いているので、いつの間にか

「はは、あはは、あっはっはっはっはっはっは!」

 僕も笑ってしまっていた。彼女と僕の笑い声が、風の音に混じって、町中に響き渡った。下にいる通行人の視線が少し気になるけれど、気にしたら負けだ。

 彼女と一緒に笑えているのだ。僕の世界で一番大切な存在と共に、笑っている。

 なんて幸せなんだろう。

 ひとしきり笑いあって、彼女は苦しそうにひっくひっくとしゃっくりをしていた。

「あー、笑ったわ」

 彼女は満足そうにそう言った。

 僕の胸の奥に存在していた、何か別の存在。それが少しずつ薄れていくのを感じた。さよならと、心の中の誰かが言った。そして、胸の中にあるなにかは消えた。そんな気がした。

久しぶりに、僕は僕になれたような気がした。

甘い香りが空中から漂ってくる。何の香りだと思った。その時、紙吹雪の様なものが、一輪一輪、ゆっくりと何かが地上へ浮かび上がっていた。 

良く見ると、それは白いバラの花びらだった。雪のように、僕らの目の前を飾り付ける。花びらが何枚か体にかかった。

教会の鐘が町に響く。僕等を祝福するように、カーンカーンと。沈んでいく夕日が、優しく、僕等と、ふわふわと落ちる白いバラを、優しく照らしていた。

「いい眺め」

 彼女の表情は、相変わらず僕の位置からは見えないけれど、なんとなく笑っていたらいいなと思った。





                                おしまい


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