『僕』 11 幸せを願った人
『僕』 11 幸せを願った人
捜すところはまず、病院だった。彼女は何度か、病院での検査がどうとかという話をしていた。ならば、十中八九、入院中だろう。長期の家出などでないことを祈りたい。
彼女の家には誰もいなかったから、有力な情報は特になく、虱潰しに探すしかなかった。実際に虱を潰す瞬間を見た事はないけれど、恐らくそっちも大変な作業なのだろう。
自転車を漕ぎ、一軒一軒近所のところから当たっていく。入院設備が整っているところなんて、そうそう多くはないはずだ。彼女に長期の寝泊まりができる友達が、僕以外いるとは思えない。
そんな風に考えながら、ついには隣町まで来てしまっていた。海沿いのこの病院は、小児科も確かあったはずだ。潮風で、家のベランダに干されている洗濯物に匂いがついてしまいそうだ。自転車置き場に愛車を止め、入口へと向かった。
暖房の熱と、薬の匂いが充満している受付には、数人の人が椅子に座っていた。老人ホーム独特の匂いに近かった。院内のソファーには、風邪を引いているであろう人から、なんの病気か、見た目では全く判断できないような人もいた。その中に一人見覚えのある女性がいた。
彼女の叔母だった。独特の目つきの悪さと、あまり整えられていない、ぼさぼさの髪。そして無地の灰色のパーカーを着ていた。その右手には、萎れた花束が握られていた。
普通の人に、萎れた花を持ち歩く趣味はないだろう。
「あの」
だから僕はその女性に、声をかけざるをえなかった。
「また会うとは思わなかったわ」
似合わないひきつった愛想笑いを叔母さんは浮かべた。僕も負けじと苦笑いする。奇妙なアイコンタクトがここに完成していた。
「その花は」
僕は萎れた花を指さした。
「ああ、これね、拾った」
彼女に似て、この人も嘘が下手みたいだ。
「あの子ね、ここに入院してるの」
「あー、やっぱりですか」
あまり驚きは感じなかった。場所にしたって、入院するのにおかしくはない。叔母が彼女以外のお見舞いに来ていたら、的外れもいいところになるけれど。
「じゃ、これ渡しといて」
叔母さんはそう言うと、僕にくしゃくしゃになった花束を渡してきた。黄色や白のガーベラがさびしそうに僕を見ている気がする。僕が仲間に見えたのだろうか。勘弁してほしい。甘い香りがほんのりと漂っていた。
「あとこれも」
「まだあるんですか」
叔母さんはパーカーのポケットから白い小さな箱を取り出してきた。小さいと言っても、叔母さんの手のひらにはおさまっていない。少なくとも指輪入れよりは大きかった。
僕に熟女趣味はない。
「なんですか、これ」
箱を開けずに僕はきいた。
「開けてみて」
叔母さんの手から、渋々箱を受け取る。少し重たい。何が入っているのだろう。上の蓋を外した。中に入っていたのは四つ葉のクローバーの形を模した、かわいらしい腕時計だった。彼女も気に入りそうだ。
「あの、これは」
「……渡しといてね」
どうやらこの人は質問に答えない人種らしい。それから叔母さんは気まずそうに僕から目を反らし、出口にさっさと向かってしまった。
「あの!」
慌てて僕は後を追う。院内の人何人かに何か誤解を受けたかもしれない。間違っても恋愛映画の様な展開ではない点を理解してほしい。
出てすぐの傘置き場の横に、叔母さんは立ち止っていた。通行人の邪魔になりそうな位置に居座る事も無いだろうに。
「なに」
叔母さんは不機嫌そうに言う。
「用がないなら帰るわよ」
「彼女に幸せになってほしいですか?」
咄嗟に出た言葉はそれだけだった。叔母さんはお釣りを渡し間違えた新人のコンビニ店員を見るような目で僕を見る。慌てて何かフォローの言葉を探っては見るものの、何をフォローすればいいかすらわからない僕に、どうしろと言うのだ。
「どうでもいいでしょ?」
僕にまた叔母さんは目を合わせなかった。
「もう行くからね」
そう言うと僕に背を向け、駐車場の車の海へと向かって行った。極端な猫背で、体が小さく見えた。
「さて」
目的の場所は見つけた。あとは病室を見つけるだけだ。
院内へと踵を返し、受付のお姉さんのところへ行く。入った時の他の人から受ける視線が痛かったのは気にしなかった。
お姉さんに彼女の名前を告げ、病室を特定した。個室だった。
「彼女?」
受付のお姉さんがにやにやしながらきいてくる。この手の攻撃は苦手なのだ。実際付き合っていないという事実が痛い。
「まあ、そんなところです」
適当に肯定しておいた。
「ごゆっくり」
ファミレスの店員のようにふざけて、お姉さんは言った。僕は頭を適当に下げ、彼女の病室がある四階へ向かった。点字ブロックが敷かれた廊下を進みながら、白い階段を登った。自転車を漕いできた疲労はもうほとんど忘れていた。
彼女に会える。その喜びだけが僕の脳を支配していた。右手に握っている花束にも力が入る。更に萎れたかもしれない。もとから萎れているからあまり気にしないようにした。
上着のポケットには、腕時計の入った箱がある。その存在を確かめるように、ポケットの中に手はつっこみっぱなしだった。
四階に辿りつき、病室を探す。目指すは404号室だ。
そしてどうやら今日は女性に縁がある日らしい。正面から、髪の長い、カーディガンを羽織った見覚えのある女性が歩いてきた。左手の薬指にはめた指輪が目印だ。
「あら、あなた」
長坂先生で間違いなさそうだった。
「病院の場所知っていたのね」
「僕に知らない事はありません」
「あら頼もしい。それじゃ、行ってあげて、あの子さびしがってるから」
先生はまたからかうようにくすくすと笑う。まったく、今日はからかわれてばかりだ。
「というかあなた、力入りすぎよ?花萎れてるじゃない」
これは僕のせいじゃない。
「まあ、行ってきます」
「がんばってね。あ、そうそう、あなたに三つ言わなきゃいけないことがあるの」
何かを思い出したように、先生は言った。
「あなたの志望大学、臨床心理で有名なところね。どうして?」
そう言えば、春休み前に、進路希望調査を出したのを思い出した。全員の先生が全校生徒の進路でも把握しているのだろうか。だとしたら怖い話だ。
「カウンセラーになりたいんです」
それは、初めてできた僕の夢だった。誰かの心のためになりたい。彼女と関わるうちに、僕はそう思うようになっていた。
空っぽだった自分が、初めて、夢を持てた。
「素敵ね」
長坂先生はそう言った。笑顔で。僕の意志を、否定したり、解釈をしたりせずに。
「で、もう二つは」
何も僕はきいていないのに、先生は言葉を続ける。
「春休みに、私結婚します」
「いやどうでもいいですよ」
僕がどうして先生の婚期を気にしなければならないのだ。
「もう、式の場所教えてあげないんだからね」
「別にいいですよ、人生の墓場に入る瞬間なんて、見たくないです」
「夢の無いこと言わないの」
先生は、中指を折り曲げ、僕の額に近づけた。そして、そのままデコピンした。
「体罰です」
「今はオフなの」
ああそうですか。そう諦めて溜息を吐いた。
「優秀なアシスタントだったわ、彼女は」
先生はそう言った。
「何の話ですか」
「別に、独り言よ」
でかい独り言はやめて欲しい。
「あら、無駄話をしてしまったみたいね。早くその花束、渡してあげなさい」
そして、左手をパーの状態で上に挙げた。なんとなく僕もポケットから手を出す。
パシン、とハイタッチした。それが、なんだかバトンタッチの様で、微笑ましかった。
「で、三つ目は?」
先生は、合わせた手を、僕の頭の上に置いた。
「あなたに、たくさんの不幸が降りかかりますように」
さっきまでの二つが台無しだった。
「いや嫌なこと言わないでくださいよ」
「不幸を体験しない人なんて、ロクな人がいないわ。それを乗り越えて、良い男になりなさい」
だとしてもひどい言い草だ。
「だから、それを乗り越えるための勇気を、あなたが持てますように」
「最初からそういうこと言って下さいよ」
先生は愉快そうに笑った。なんだか肩の力が抜けて、僕も笑った。
僕は先生に頭を下げ、彼女の病室の前に立った。
胸がドキドキする。久しぶりだから何を話していいのか、わからない。
どんな顔をしよう。最初に何を言おう。考えれば考えるほど、頭がおかしくなりそうだった。
迷惑がった時は、ごめんなさいと言おう。
そう心に決めた。
目の前の扉を、トントンと二回ノックする。
「はい」
中から、僕が世界で一番聞きたかった声が聞こえた。
「お邪魔します」
そう言って僕は、扉を開けた。
「お帰りください」
彼女は僕にそう言った。
『僕』 おわり




