『僕』 10 受け継がれた言葉
「馬鹿野郎」
卓也は、僕にそう言い放った。言葉自体は乱暴だった。だけど、そこに怒りとか、悪意とかそういうものはなかった。
「なんだよ、それ」
「俺の叔父さんが、友達に言いたかったけど、言えなかった言葉だって」
唐突だった。さっきまでそんな話はしていなかったのに。
「なんで急に?」
「さあ、俺にもわかんね。だけどさ、今のお前には、こんな言葉が相応しい気がしてな」
卓也はジャグリングのボールを右手と左手に持って、俺に投げつけた。ぺちんと腕へと当たる。ゴムだから当然痛みは感じない。
「うじうじしてんじゃねえよ、この臆病者が」
「だから、なんだよそれ、意味がわからないことすんなよ」
僕は笑いながら卓也に僕はボールを投げ返した。またぺちんと卓也の腕にあたり、床にぽとりと落ちた。
うずめていた顔を上げて、思い切り深呼吸する。肺の中の空気が、卓也の部屋のもので満たされる。さっきまで、うじうじしていた自分を、どこかに追い払うために。
それから僕は、ぎしっと音を立て、ベッドから立ち上がり、卓也の部屋の入口へと向かった。
「じゃあ、行ってくる」
別に、卓也の馬鹿野郎発言に、心が動かされたわけじゃない。僕は、僕自身の意志として動こうとしただけだ。
僕の中へ何かが受け継がれ、そして僕はそれを遂行する、義務がある。そういう気がした。
卓也の部屋を後にし、静かな廊下を抜ける。暖房で暖まった部屋にこもっていたため、いやに廊下が寒く感じた。
「おじゃましました」
階段を降りて、玄関に辿りつき、靴を履いて卓也の家の玄関を開け、表に出た。
見上げた先には雲一つない青空が広がっている。真冬の太陽は地面をいくら照りつけていても、寒さをより引き立てるだけだった。
時計もまだ午後三時と、えらく中途半端な時間を指している。
彼女を探すには調度いい時間帯だ。
そして僕はガレージに止めていた自転車にまたがり、ペダルにぐっと力を入れ、漕ぎだした。
その先にある希望、あるいは絶望の為に。今ある現状から脱却するために。僕は進む事に決めた。




