『俺』 前篇 彼女はフルーツ牛乳の妖精
一目惚れなんてものは、大抵のものがあてにならないものだ。顔を一目見るだけで恋に落ちる?そんなものは馬鹿げている。甘々の洋画ラブコメや、少女漫画の世界だけで、そんなくだらないものは十分だって話だ。仮にだ、一目惚れして付き合ってみたとしよう。一目惚れをする時点で、ほとんどが理想妄想幻想先入観その他諸々で埋めつくされているんだ。だからこそ、交際することで理想と現実の落差に苦しみ、落ち込み、勝手に裏切られた気分になる。そしてだ、短期間で破局という哀れな末路を辿る事になるんだ。異論反論は多々あるだろうが、これがこの世の真理ってやつさ。
まあ、そう考えていた時期が、俺にもあった。若かったんだろうな。
だがこれが、してしまったんだ。一目ぼれってやつをな。
二年に進級してすぐのことだ。俺の席から右に机三つ分。つまり教室の窓際の席のことだ。窓際からの日当たりが気持ちよさそうで、席替えの際には当たりの席という扱いになる。席があるってことは、当然生徒もいるわけだ。その席には、小さな弁当を前の席の友達と食べ終わってから、笑いながらフルーツ牛乳を飲む、おかっぱの女子がいたのさ。
彼女のその通った鼻すじ。幼さと大人っぽさを中和したかのような、目の輝き。柔らかそうな唇にフルーツ牛乳を飲み込む彼女の喉。
ああ、認めよう。俺は彼女に一目惚れしてしまったのだ。
そう、うちのクラスのフルーツ牛乳の妖精にな。
「どうしたらいい、中島」
「いやどうしたらいいって言われてもな」
俺は共に飯を食う友人、中島に相談することにしたんだ。でかいメガネを指でクイと上げながら奴は頭をぽりぽりと掻く。相変わらずガリ勉を絵にしたような人間だ。これで実際にクラス一の秀才と来たもんだ。憎たらしいぜ。
「お前、前に自分で言ってたじゃないか。一目惚れなんてロクなものじゃない。するやつはただの馬鹿だって」
「そんなこと言ったか?」
一目惚れ?素晴らしいじゃないか。俺がいつ一目惚れを否定したんだ?仮にしていたとしても、それは過去の俺だね。今の俺とは関係ないな。
「なんかさ、こう、初めて見た時電流がこう……ビリビリ!って来たんだよ。わかるか?俺のこの気持ち、いや分かれ頼む」
「いやに元気だな……」
中島は呆れながら彼女の方へと目を向ける。その目は星の事を話すときとよく似ていたんだな、これが。
「おい、あの子は俺のもんだぞ」
一応忠告しておくことにした。
「いやいや、気が早いよお前」
中島は慌てて視線を俺へ戻した。
「まあ、気持ちはわかるよ。彼女、中学の頃も美人だって人気だったし」
「あ、中学一緒なのか」
なんでその情報を早く公開しない。親友の間に隠し事はなしだぞ。
「ああ、言ってなかったな。東中だよ。僕もあの子も」
親友とはいっても、俺と中島の初めての出会いは、高校一年の去年なんだ。席が隣だっただけで、よくここまで親しくなったものだ。
案外、人の縁なんてものはこんな簡単なものから成り立っているものなのかもしれないな。
「とにかくだ、俺はあのフルーツ牛乳の妖精に恋をしてしまったんだ」
「なんだよそのあだ名」
「妖精に決まってるだろ?彼女はフルーツ牛乳王国からやってきてるんだ。フルーツ牛乳毎日飲んでるしな」
中島は俺の冗談についていけなさそうに、だらしなく溜息を吐いた。俺が意味のない冗談を言うのは、日常茶飯事のことだから、当然っちゃあ当然だ。つっこまれないってのも寂しい話だがな。
「で、どうなりたいの?」
少し落ち着いた口調で、中島は言った。
「そうだな、老後に二人で茶を縁側で飲みながら茶柱が立ったとか、そういうことを話して」
「だから気がはええよ」
中島はそうまた呆れたんだ。そうか?老後の人生なんて誰だって考えるものだろう。
「まあ、気持ちは分かった。協力してやろう」
「本当か!」
驚いたさ。まさかこんな簡単に協力してくれるなんて。何事も駄目もとでやってみるもんだな。
「やっぱお前いいやつだわ!お前、星にしか興味がない星馬鹿と思ってたのに」
「ひどい言い草だな。星だけじゃなくて、友達の恋路くらい、応援させてもらいたいよ」
「助かるぜ!」
俺は強引に両手で中島の右手をつかみ、ぶんぶんと強引に握手をしたんだ。中島のやつは、顔をひきつらせながら渋々と俺の握手に身を任せた。その時は痛そうだった気もするな。まあ、過去は変えられないからどうでもいいことだ。
「で、協力するにしてもまずは状況を知ることが先決だ」
握手を中断し、腕組みをした中島がそう言った。
「おお、さすが理系人間」
「いやお前も理系だろ」
そりゃそうだ、同じクラスなんだしな。
「とにかくだ、今のところ、彼女はどこまでお前のことを知っているんだ?」
「そりゃあ」
言葉を詰まらせ考える。一年のころからの自分の交友関係や、行動を逐一振り返ってみるが、悲しい事に何一つ、そう何一つ、彼女と関わった記憶なんてものがなかった。
「おはようは……俺言ったか?」
あやふやな唯一の事実を中島に尋ねた。
「いや僕にきかれても」
中島のやつはまたため息を吐いたんだ。そんなに呆れられたんじゃ、こっちだって気分が悪い。
「とにかく、会話すらしたことがないと?」
学級委員長みたいに、中島はそうまとめた。というか委員長だけどな。
「そういうことになるな!」
俺は自信満々に腕を組んでそう言ったんだ。
「いやそんな自信満々になられても……」
「自信を持って生きろって親に教わったからな」
いや言われた記憶は曖昧だけどな。もしかしたら何かの本かテレビで聞いた言葉かもしれねえし。
「そりゃまたいいご家庭で。とにかく、彼女はまずお前の事を知らないってことでいいんだな?」
「名前くらいは知ってるだろ、クラスメイトだし」
「そりゃあなあ」
まあ、仮に覚えていなかったとしたら、それはもう諦め時かもしれないけどな。
「空き缶をジャグリングしながら捨てる男なんて俺くらいだろ、印象には残ってるはずさ」
「それ知ってるのごく一部だろ」
……言われてみればそうだ。もっと大々的にジャグリングをするべきだった。畜生め。これじゃサーカス団員の道は遠いぜ。
「とにかく、彼女に印象を持ってもらう事が第一だ」
中島は人差し指をピンと立てて言ったんだ。
「おお!もっともだ」
さすが中島だ。頼りになる。
「以上だ」
頼りになったのは最初だけだった。
「待ってくれよ、もっとこう、具体的に何をすればいいか教えてくれよ」
やれやれだ。協力してくれるって言ったのに、この放任主義だ。こんなに冷たかったのかこいつは。
「それは自分で考えなくちゃ意味ないだろ」
「そこをなんとか!」
食い下がることでヒントを得るしかなかったな。何故かって?俺は今まで人を好きになった事が、一度としてねえんだ。相手の気を惹くために何をどうすればいいかなんてこと、
わかったもんじゃねえのさ。
「しつこいなあ」
「頼むって!」
俺は両手を床に着いて、土下座した。周りの視線が俺のケツに突き刺さる。見せもんじゃねえぞまったく。こっちは真剣なんだ。
「わかったわかった!頭上げろ頭!」
中島の言う事に従って、俺は頭を上げた。ようやくか。
「まあ、無難なところからいったら……相手の好きなものを好きになるとか?」
「おお!」
なんだかんだ言いながら、いい事を言ってくれるじゃねえか。
「あの子の好きな飲み物なら分かるぜ?フルーツ牛乳だ」
「そりゃ毎日飲んでたら誰だって分かるよ」
「そう、そこから一歩ずつ進んでいくしかないな」
俺は決心を胸に、うんうんと頷いた。
「って言っても、どうする気なんだ?明日からフルーツ牛乳持ってくるとか?もしくはフルーツ牛乳ラブとか書かれたシャツでも着るのか?」
「ふふふ」
俺は口をゆがめながらわざとらしく不敵な笑みを浮かべる。どうにも我ながら特撮の影響を受けすぎかもしれねえな。
「なんだよ気持ち悪いな」
気持ち悪いとは心外な。
「甘いな中島。俺がそんな浅知恵で動くと思うか?」
「あー、学ランの下にどんなシャツ着ても見えないしな」
「そういうことじゃねえよ」
中島の的外れな指摘に俺は呆れた。この野郎は頭のよさそうな雰囲気のくせしてどっか抜けてるところがあるんだ。
「まあとにかくだ、お前の助言のおかげで俺は良い考えが浮かんだんだ」
「良い考え?」
「ああ、見てろよ」
それから翌日のことだ。俺は昼休み、姉ちゃんの作ってくれた弁当を完食後、鞄からある物を取りだしたんだ。
「良い考えって、それか?」
「ああ」
俺が鞄から取り出したのは、イチゴ牛乳だったのさ。あの甘い、ピンク色の紙パックのやつさ。
「どうだ」
「いやどうだって言われても……ってか顔近付けるな、イチゴ臭い」
「おっと」
興奮して思わず顔が近づいていた。俺の悪い癖だ。いつか彼女との間に子どもでもできたら子どもには距離の取り方を教えよう。いや、その前に姉ちゃんが結婚して子供が生まれてからか?そっちの方が速そうだな。
「で、どうしてイチゴ牛乳?」
「フルーツ牛乳にイチゴ牛乳。こいつらはある意味、パートナーと言えなくないか?」
「……」
中島は何か言いたげな視線を俺に送るが、何も言ってこない。さすが俺、天才だ。
「感動のあまり言葉も出ないってところか」
「いや呆れてるんだよ」
「は?どうして」
「そんなことで、気が引けると思ってるのか?」
「……バナナ牛乳の方がよかったか?」
その線は考えていなかった。いちごは野菜だった気がするしな。バナナは果物の王様とはよく言ったものだ。
「そう言う問題でもないよ!」
中島は珍しく声を大きくそう言った。ったく、何が言いたいんだこの野郎は。星ばっかり見てるから頭がかっちかっちになっちまってるな。間違いない。
「まあそう声をでかくするな。とりあえず彼女の方を見てみるぞ」
「えー」
中島は不満そうではあったが、渋々と俺と共に顔を向けた。
彼女はいつも通り女友達と話していて、こちらを見向きもしていない。まあ、これは当たり前だ。うろたえなどしない。
「な、興味も示さない」
中島はまた子どもをあやすように言った。カチンと来るなこの野郎。
「わかってるさ、この馬鹿」
「馬鹿はお前だよ」
「うっせー馬鹿」
お互いに売り言葉に買い言葉を適当に交わす。とりあえずこれをやっておかないと学校に来た気がしないってもんだ。
その時、彼女の友達が席を立って教室をスタスタと後にしていた。恐らくトイレだろう。彼女は一人窓の外を見ながら、フルーツ牛乳を飲んでいた。ああ、麗しゅう。
「チャンス到来か?」
俺は片手のイチゴ牛乳に力を入れた。
「なにする気だ」
中島の目馬鹿な子どもをあやす親の様なものになっていたような気がするが、気にしてなんかいられねえ。
恐らく問題は席が離れていた事だ。だとしたらやることは一つしかねえ。
俺は彼女の席の前にさりげなく立ち、窓枠に手をかける。そしてイチゴ牛乳に刺したストローを抜き取り、一気に流し口を喉へと流し込む。喉の奥にイチゴの乳製品が注がれていく。体全体が甘ったるい何かに変下してしまいそうだった。
というか、よく考えたら俺はイチゴ牛乳フルーツ牛乳以前に、甘いものが嫌いだったな。
それでも眉間にしわを寄せながら、なんとかピンクの液体を飲み干す事に成功したんだぜ。これはもう、表彰されてもいいくらいの出来さ。
そして視線を、彼女の方へ向け、にっこりと笑ったんだ。
睨まれた。
それはもう、ぱっちりしてる大きくてかわいらしい目が、悪意をそのまま俺へ注ぐように、細められ、鋭い眼光を放っていた。蛇に睨まれた蛙とは、まさに俺の事だな。
「……ごめんなさい」
とりあえず謝ってゴミ箱へイチゴ牛乳を投げ、見事に外した。残っていたイチゴ牛乳の残留が、床へと飛び散って、ピンク色の染みをつけることになった。おかげで姉ちゃんに怒られちまったぜ。
さらにまた翌日のことだ。
「今日もまた新しい作戦を考えてきた」
「また?懲りないなあ」
中島がもううんざりだと言いたげに、頭を抱えた。そのまま別の頭にとり変えてやろうかとも思ったな。
「多分よ、イチゴ牛乳はフルーツ牛乳と同士なんかじゃなかったんだ」
「どういうこと?」
「つまり、敵ってことだよ」
そう、似ているから、それが仲間だと認識するのは間違っているんだ。似ているからこそ敵対するものなのさ。スポーツ漫画でも、似たようなやつだからこそ敵対する。つまりはそれと同じだ。
「だからこそ、真の同士を持ってきたんだ」
「なにを?」
俺は鞄を開き、それを出した。
「なんでバナナ、てか牛乳関係ないじゃん」
中島がさらに首を傾げて言った。
「果物の王様は、古来からバナナと決まっている」
「しかも黒ずんでるし」
いちいちうるせえなあ。黒ずんでる方が甘みがあってうめえんだよ。親父のサーカス団員の人たちも全員食ってるっていうのに。
「とにかくだ、今日はこれで前回と同じ手法を使う」
「いや、無理でしょ」
「と、思うだろ?今回はさらに一味違うぜ」
俺は鞄からまた新たにある物を取りだした。
「またバナナじゃん」
もういい加減にしろと中島が目で訴えてきたが、全然堪えねえな。
「ああ、バナナだ、果物の王様だ」
「だから二本になったからってなんなの」
「わかってねえなあ」
俺はまた彼女の席に近づいた。案の定、昨日と同じく彼女の友達はトイレに行っているらしい。俺は前回と違い、窓を背に向けるような姿勢を取った。彼女は俺の右手に存在する。
そして俺は両手にバナナを握っている。傍から見ればとても奇妙な光景に見えるだろうな。ああ、わかっている。しかし、恋という厄介なやつは、人を愚かにするらしい。
だからこそ、この俺はその心に従い、道化師となってやろう。
俺はジャグリングの要領で、バナナを空中で弄んだ。そして合間に皮を剥き、そして合間に、バナナを少しかじる。その地味な作業を、彼女の前でしばらく繰り返した。まさに、その時の俺は、バナナピエロという称号を与えてくれてもよかったな。
十分後、バナナは二本とも、俺の胃の中に吸収された。そして彼女の方へ視線を向けた。
「食べ物を粗末にしないでください」
彼女の凛とした言葉は、俺の行動に対する道徳的批判のみであった。
「……あ……その、はい……すいません」
俺はバナナの皮をゴミ箱へ捨てた。俺の手から、ほんのり甘いバナナの香りがしたのは、思い出したくもないな。
次の日も、その次の日も、俺は彼女の前で小ネタを披露し続けたさ。
原点に帰って、彼女の前で牛乳を飲んでみたり、牛肉を食べてみたり、牛のように鼻輪をつけてみたりなどだ。ちなみに鼻輪は先生に没収された。ひどい話だろ?
そんな日常が、一カ月くらい続いたんだ。世間では連休が目前へと迫っていた。
「さて、今日のネタはだな中島」
意気揚々と俺は中島に話しかけた。
「……まだやってたの?」
中島は呆れを通り越してどうでもよさそうに言うんだ。流石に毎日あんなことをしていては、中島も頭を抱えるのも分かる。けどよ、友達の頑張る姿くらい、見届けてくれてもいいだろ。
「で、今日は何?ビー玉で玉乗りとか?」
「中島、それは先週やったぜ」
あれは結構ぎりぎりだったな。ビー玉の色をフルーツ牛乳の色にしてみたりとか、工夫も凝らしたのはいいが、彼女はノートに何か描くだけで、俺の方へ視線すら向けなかてくれなかった。目が悪かったのかもしれねえな。
「だからさ、こう直接的なアクションが必要なんじゃねえかって思ったわけさ」
俺は腕を組んでそう言った。
「まあ……確かにそれは一理あるけど、どうする気だ?」
「こうするんだ」
俺は彼女がまた一人になるタイミングを見計らって、彼女の席へと近づいた。目的なんて、最初からずっと、決まり切ってるけどな。
ここが始まりだとすれば、俺は随分と遠回りをしてしまったな。目的地も明白なのに、一か月も馬鹿な真似をしたんだから。
「すいません」
俺は彼女の横に立ち、できるだけ丁寧にそう言った。丁寧な口調の方が、誠意が伝わるってもんだろ。
「はい?」
「俺とお友達になって下さい」
そう、最初からこう言えばよかったんだ。
一目惚れしたからこそ、まずは友達から始める。
それが、当たり前の事なんだ。
おかしな自分や、無理した自分なんて、そんなものは仲良くなるのに、相応しくない。全くだ。
「いや最初からそうしろよ」
後ろから中島が何か言っていたような気がするが、俺は気にしない事にした。
どうせくだらないことだろうからな。




