Ⅵ 君と僕の教会見学
教会の中に入ると、エリックサティのジムノペディが流れていた。切ないピアノの旋律が、教会の神聖さに拍車をかける。
僕等は教会の入口を入ってすぐの、廊下を進んでいた。廊下は白く、壁も白く、天井も白かった。真っ白な空間がそこに完成していた。
「白いね」
率直な感想を横にいる彼女に向けた。
「教会だからね」
廊下の先に歩いて進むと白い螺旋階段があった。うちの高校の中庭を思い出す。
「この先にあれがあるらしいね」
彼女はそう言って、僕より先に螺旋階段を昇り始めた。カツンカツンと音が鳴る。
「あれ?」
「ほら、よくミサとかやってる部屋。名前忘れたけど」
「あー」
何で僕より彼女の方が説明を聞いているんだ。実は結構、こういう場所には興味があったのかもしれない。
「今かかってる曲ってさ」
ご機嫌そうに、彼女はよく喋った。
「なんだかさ、凄い優しい曲に聞こえるのに、悲しくも聞こえるんだよね」
彼女は螺旋階段の先を見上げながら言った。天井も階段も白いので、どこまでも続いているようにも見える。僕の視点では、がんばればパンツが見えそうな位置だった。
「悲しい?」
パンツを見ようと顔の位置を変えながら僕は言う。
「うん」
彼女は説明を続ける。
「なんだか、優しさがあったのを伝えてる気がするんだ」
「それが、悲しい?」
あと少し足を上げてくれたら見えそうだ。
「その伝えている優しさが、どれだけ素敵だったものだったとしてもさ、それはもう無いものなのよ、多分ね。別に誰が作ったかとか、その人がどんな人とか知らないけど」
そのジムノペディの解釈は、不思議と気に入った。どんな顔をして言ったいたのだろう。どうしてこんな解釈に至ったのか、少し気になった。
ついでにパンツも見えた。水色だった。
「つまりはあれか」
パンツを見て満足した僕は、先へ進む彼女を一段飛ばしで追い抜いた。
「昔の恋人の話を楽しそうにしている哀れな女性みたいな感じか」
「なんでそういうこと言うかなあ」
彼女は膨れてすたすたと僕の先を行く。足音と同時に、杖をつく金属音が聞こえる。
「杖落とさないようにね」
僕は膨れた彼女に言った。頬と同時に胸も膨らめばいいのに。
螺旋階段を抜けた先にはまた白い廊下があった。
「天国みたいだね」
白い空間の感想を安直に述べた。
「あんた行った事あんの?」
「あるよ」
僕の嘘に呆れるように、彼女はため息を吐く。
「また幸せが逃げるよ」
彼女は無視して歩き出した。彼女の足音と杖の音と、ジムノペディが混じりあう。
僕も彼女うついて歩き出す。つきあたりには、大きな二つの扉が左右と、対極の位置にあった。
「右は出口だって」
彼女はなにも言わずに、左の大きな扉を見つめていた。その表情は、あの日、旧校舎を見ている時のものに似ていた。彼女の隣に立ち、左の扉をあける。
「おお」
扉の先には、左右に椅子が並び、主祭壇が佇んでいた。傍らにはパイプオルガンが置かれ、真ん中の通路は緑色の光で照らされていた。
そこに漂う神聖な雰囲気で、ここが何か特別な場所に感じた。
「ステンドグラスとかはないんだ」
僕より先に中に入った彼女は、光る通路をくるくるとやじろべえのように回っていた。
「そうみたいだね」
僕ははしゃいでいる彼女を横目に、硬い椅子に座った。
彼女は回るのを中断し、僕から通路を挟んだ反対側に座った。この中では音楽は何もかかっておらず、静けさで満たされていた。さっきまであった足音や話声が消え、変に耳鳴りがした。
音が消えると、楽器や椅子、主祭壇に見つめられている気分になる。
「静かだね」
僕は隣の彼女に言った。
「そうね」
しばらくお互い特に喋る事もなく黙り込んだ。彼女との沈黙は苦痛ではなかった。
「あのさ」
彼女が口を開いた。
「なに?」
「私といてどうして飽きないの?」
「恥ずかしいから言えません」
僕の事だ。どうせ本当の理由を話しても、適当に冗談を織り交ぜ、嘘にしてしまう。日常的にふざけるのも困りものだ。
「なんじゃそら」
彼女は呆れたように両腕を天井に向け、伸びをした。
「ねえ」
腕を下ろした彼女が言う。
「何?」
「宗教ってさ、どう思う?」
彼女の視線は僕には向かずに、飾られたキリストの像に向いていた。
「どうかな。地下鉄に毒ガス巻いたり、大金巻き上げたりしなけりゃいいんじゃない?」
「また極端な」
「生きていく上で、すがるものが何か必要な人は、別にいいと思う」
言葉を切り、話を続ける。
「生きていく上で、自分の中で信じられる人生観の定義とか、そういうものが必要になってくるんだよ。どんなに歪んだものであれ、支離滅裂なものであっても、言葉にならない曖昧なものであってもね。そういうものがある人は、宗教とかそういうのは必要なくなってくるんだと思う。自分の中で小さな自分だけの宗教があるんだから」
「自分教?」
彼女はそう言ってクスクスと笑い、足をぶらぶらとさせた。
「そう、自分教」
なかなか言いえて妙な表現だ。自分教。これがしっかりとある人が、人生に迷わなくて済むのかもしれない。
「あんたにはあるの?」
「あるよ」
そう、僕はその自分教の教えに従う。
だから君が辛いときにも、君が死にたいときだって、やることは決まっている。
僕の自分教は、彼女のおかげで、初めて定着したのかもしれない。
「恋愛は世界一小規模な宗教なんだって」
僕はそう続けた。
「どういうこと?」
「惚れられているのが教祖様、惚れているのが信者」
「あー、すがれるもの……ね。それで、人によってはお金貢いじゃうってこと?」
「そうそう」
「確かに宗教だね、恋愛」
彼女はふんふんと感心した。
「まあ、ネットに書いてたことだけどね」
彼女は立ち上がって、僕の向こう脛に思い切り蹴りをいれてきた。痺れるような強い衝撃が足を通じて全身を駆け回った。
「せっかく感心したのに」
「ごめんなさい」
ネットの受け売りも、案外馬鹿に出来ないものもあるというのに。
「まあ、いいけど」
彼女は杖を僕の横に置いた。緑色のライトで照らされた椅子の間の通路を、ゆっくりと歩きだす。
「信じられて、安心できるものがある人って羨ましい」
誰に言うようでもなく、彼女はそう言う。何も解決しないことだと開き直って、ただ愚痴るように。
「でもさ、そっから大事なのはさ」
彼女は続ける。
「うん」
僕は彼女の小さな背中を見ながら頷いた。
「その信じられるものが、自分の中でぶれないことだと思うの」
「ぶれないこと?」
「ぶれないっていうか……持ち続けられて、それでいて……」
言葉に詰まる彼女。
「なんか考えすぎて分かんなくなった」
通路の先にある主祭壇に、洗濯物の布団のように、彼女はだらりと体を預ける。そしてまた溜息を吐いた。広い祭壇に、彼女の溜息がこだまする。
「僕はさ」
彼女の杖を持ち、僕は立ち上がった。
「君の自分教の教えのなかにいる?」
彼女にきくというより、自分に問いかけるようにそう言った。
僕は、彼女の中で信じられて、安心される要素になりたかった。依存でも、執着でも、あてにされる程度の、都合の良い存在でも、なんでもよかった。
彼女は主祭壇に体を預けたまま答えなかった。その体制は、あの日僕と彼女の出会いの日が、脳裏から込み上げてくる。。僕は顔を伏せている彼女の主祭壇に杖をつきながら近づく。そして僕は、顔を伏せている僕だけの教祖様の頭を、そっと撫でた。
「僕じゃ駄目なのかな」
彼女に聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
言葉な苦手な僕は、そこまでしか言えなかった。彼女のおかげで、僕は僕でいられた。彼女が僕の異常さを受け入れてくれたからこそ、僕は自分を持つことを、自ら許せたんだ。
そのまま僕は、彼女の頭を優しく撫で続けた。彼女の髪は柔らかく、指の間をさらさらと通り抜ける。触っていると胸の高鳴りが強まっていく。それと同時に目頭が熱くなり、視界が涙で霞む。撫でていない方の杖を持った腕で涙を拭った。
無音の中で、彼女の鼻をすする音だけが、静かに響いた。




