7話 夢
「ようこそ、私の山へ。」
そう言って静かにパールヴァティーは目を開ける。
視界に移るのは、住み慣れた自分の庭だ。
山脈と呼んだ方がしっくりと来るほどの広大な山。
雲と同じ高さにもかかわらず、緑を失わない神秘的な環境。
気温も寒くなく、日差しが心地よい。
パールヴァティーの生まれ育った場所であり、夢の始まりであり、心の支えである…そんな場所。
だからここには、こっちで神格を宣言するときは、最高のパートナーを見つけた時だと決めていた。
そのパートナーはいま、広大な山を前にして目を輝かせている。
「花鶏…。」
ようこそ、私の山へ。
もう一度心の中でつぶやく。
本当は邪魔者がいないときに、きちんと紹介したかったんだけど…許してね。
でも、きっと彼はそんなこと気にしないのだろう。
そうわかってしまうことが、どこか嬉しい。
「ここは…ヒマラヤ、山脈か?」
ひねり出すような声で、男が言った。
そう言えばいたわね、こんなのが。
憎々しげに男を見つめる。
「半分は正解で、半分は外れよ。確かにここは、あなたたちが呼ぶヒマラヤ山脈だわ。ただし、“世界の境界をまたいだ反対側”の、ね。」
「世界の境界をまたいだ…だと!?」
男が驚愕の声をあげる。
「ええ、そうよ。ここは絆と境界の霊山と謳われる場所。世界と世界、人と人とを繋ぎ、見守る場所。」
男から言葉が消えた。
軽くそれを確認して、私は大きく息を吸う。
みんな見てて、ここから私の夢が始まるわ。
「―――私は【絆と境界の女神】パールヴァティー、よ。」
「絆と…境界…。」
花鶏がつぶやいた。
「そうよ、花鶏。これが私の神格。そして、私の夢のきっかけになった神格よ。」
「聞いてもいい?パールヴァティーの夢を。」
真っ直ぐな瞳で、花鶏が私を見つめてくる。
「私はね、花鶏。この神格で今まで長い間、人と人の絆を見つめてきたわ。その強さも、弱さもね。絆が結ぶハッピーエンドも、絆がもとで争いになるバットエンドだって見てる。でも、私は絆の強さを信じたい。絆の力で世界を平和にできると信じたい。だから私は、みんなの絆を繋ぎ、1つの輪にする。そんな神に、私はなりたい。」
花鶏は何も言わない。話がこれで終わりじゃないって、わかってる。
ここまでは実はそこまで難しいことではないのだ。実力をあげていけば、いずれかなう夢。
「そして――――。」
でも、私はそこで終わる気はなかった。
「いずれは、この神の世界と花鶏のいる人の世界。この2つの世界の“境界”を繋げ、そして1つの輪にしたい。それが、私の夢よ。」
神の世界も、争いは絶えない。人の世界も同様だ。そしてこの2つを同時に管理することは、たとえ主神であろうと不可能だ。
だから私は、2つの世界を繋げる。境界の神格を持つ、私だけができる。
でもそれは…。
「あっははははは!!!!正気で言っているのか、パールヴァティーよ。2つの世界を繋げるということは、今の神が人を支配するという世界構造を壊すことになるのだぞ!
全ての神を敵に回すつもりか!なんてくだらない夢だ!」
そう、それはすべての神への反逆だ。
「知ってるわ。不可能だとか、くだらないとか、そんなのは聞き飽きたわ。
知ったうえで私は伝えましょう。私はこの世界の、“誰かが誰かを支配する”構造を破壊したい!」
「ばかばかしい。」
ええ、そうでしょうね。そういうと思ったわ。
「僕はそうは思わないな。」
「なんだと?」「花鶏?」
不意に、口を開いたのは花鶏だった。
「僕はパールヴァティーの夢、素敵だと思う。世界を繋ぐとか、1つの輪にするとか、正直壮大すぎて今の僕にはついていけない。
でも、これだけはわかる。パールヴァティーの夢は、どこもおかしくなんてない。
誰だって、友人や家族は大切にしたい。友人や家族が傷つけられたら誰だって怒る。
つまり、パールヴァティーは世界中の人を1つの家族にしたい。そういうことでしょ?」
「あはっ。」
つい笑みがこぼれてしまう。
うれしかった。花鶏が私の夢を素敵だと言ってくれたことが、自分の夢をおかしくないと言ってくれたことが。そして何より、私の夢を理解してくれたことが。
「それで合ってるよ。花鶏。」
そう言って花鶏に抱きつく。
うれしくてつい我慢できなかった。
「ちょ、ちょっと、パールバティー!?」
「ちょっとだけ~。」
目の前にいる男を思いっきり無視していちゃついてみる。
「…潰せ、ギガンテス。」
予想通りこっちに攻撃してきた。
でもね、あなた忘れてるわよ?
ここは“私の山”よ。
―――ガァアアアアアア!
獣の咆哮。
拳を振り上げたギガンテスの動きが止まった。
山の中から、次々と動物たちの咆哮が響き渡る。
「なんだ、これは…。」
「言ったでしょう?ここは私の山よ。私が生まれ育ってきた山。そこで1人で生きてきたなんて、一言も言っていないわよ?」
森の中から次々と動物たちが出てくる。
私を守るように、前に後ろに集まってくる。
「こ…れは…。」
その数は、数千匹にのぼる。
「ふ、ふん。かまうなギガンテス。所詮ただの動物だ。すべて叩き潰せ!」
ギガンテスは思いっきりその大きな拳を振り下ろした。
―――残念ね。
その拳は動物たちにあたることなく、ただ“弾かれた”。
「この山にいる動物たちに、一切の物理攻撃は通らないわ。」
「バカな!?」
おまけに言うと物理攻撃以外もほとんど通らないんだけどね。
霊山の加護により、この山にいる限り動物たちにはほぼ一切のダメージを無効化してくれる。
代わりに攻撃もあまり通らなかったりっていうデメリットもあるのだけれど。
親切に教えてあげることじゃないわね。
「くっ、ならばギガンテス、直接本人を狙え!パールヴァティーの神格は、戦闘向きじゃない!」
「パールヴァティー!」
真っ直ぐに私に向かって振りおろされる拳。
「グオオオオオオオオオオオ!!!!」
でも、悲鳴を上げたのはギガンテスの方だ。
「…え?」
私の手には緑の風を纏う1本の槍。そしてギガンテスの片腕は宙を舞っていた。
『私の神格も、あなたの夢のお供に加えなさい。』
思い出すのは先代様の言葉。
「先代様、ありがとうございます。」
小さくつぶやく。
「なんだその槍は!?」
おもしろいくらいの動揺。
「私の仮初の神格【金色の女神】はただの飾りじゃないわよ。」
私は槍を空へと掲げる。太陽と共鳴して、槍が金色へと変わっていく。
『いい、パール。よく覚えておきなさい。』
「―――『武器の強さは絆の強さ!武器の威力は思いの強さよ!』」
「ふ、防げ、ギガンテス!」
無駄よ。そんなもので、この一撃を!私の夢が止められると思ってるのかしら!
「焦がせ!日輪槍――インドラ!!」
集束した光を解き放つ。
たった一振り。それだけで十分だった。
土煙が盛大に巻き上がるほどの威力。
「ゴオオオオ―――…。」
わずかな断末魔と共に、ギガンテスは消滅した。
「あっけないわね。」
「…すごい。」
花鶏が小さくつぶやく。
どお?すごいでしょ?
心の中で自慢してみる。
そして土煙が消えた後、残ったのは顔面蒼白になっている男だけだ。
「バカな…一撃で…だと…?」
「さあ、どうするのかしら?」
問いかけには答えず、ふらついた足取りで男が逃げていく。
追う必要はない。時期に資格を失い、神格闘争中に起きた記憶は消されるはずだ。
「追わないの?」
花鶏が効いてくる。
「大丈夫よ。」
短く答える。
そんなことより、私はもう一度花鶏に聞かなければいけない。
「ねえ、花鶏?」
「質問する必要はないよ。僕の答えは変わらないから。」
そう言って花鶏は笑う。
その笑みに、思わず吸い込まれそうになってしまった。
「僕に、君の夢をかなえる手伝いをさせてくれない?」
それはずっと、ずっと私が待っていた言葉。
「うん…。うん!」
私はあふれてくる涙をふくことすらせず、真っ直ぐに花鶏に抱きついた。
「これからよろしくね!花鶏!」
みんな見てて、私の夢が、ここから始まるわ!
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深い森の中、さまよう人影がいた。
ギガンテスを失った男だ。
「伝えなければ、あの御方に、情報を…。」
自分の上司に情報を伝える。それだけで自分の心を支え、ここまで来た。
「…必要ないわ。」
感情の無い声が響く。
「え?」
ドスッ!
背中から、腹部にかけて焼けるような痛み。
「がっ…はっ!」
「安心して、あなたの死は無駄じゃないわ。いい情報が手に入った。」
「き…さま、アス、タ…、…ト。」
倒れ逝く男を、彼女は静かに見つめ…
「さようなら。」
―――グシャ。
静かにとどめを刺した。
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誰もいなくなった静かな森の中、彼女は目を閉じ、魔法陣を展開する。
「…報告します。パールヴァティーの神格が判明しました。」
「ご苦労。帰ったのち、報告を聞こう。」
「了解いたしました。―――“魔王様”。」