5話 神格
「さあ、神格闘争をはじめようか!」
目の前の男がそう宣言した。
―――ギガンテス。彼が召喚した怪物の名前だ。ビルよりもはるかに大きい。
…こんなの勝てるわけがない。
目の前で僕をかばうように立っているパートナーのパールヴァティーを信用していないわけでは決してない。でもこれは客観的に見てパールヴァティーが圧倒的に不利だ。
「花鶏!逃げるわよ!」
そう言って彼女は花鶏の手を取って走り始める。
「逃げるってどこに!?」
「“ほかの人”の目につかない場所よ!」
この一言だけで花鶏は彼女の考えを理解できた。
「わかった!」
そう返事すると、パールヴァティーはちらっと花鶏の方を見て、
「さすが私のパートナーね!」
そう言ってニコッと笑った。
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男は逃げ出す目の前の獲物を見て、大声で笑った。
「あっははははは!神が逃げ出すか!滑稽だな。」
笑いながらも男に隙はない。目の前の獲物を見失うような愚は犯さなかった。
「追え、ギガンテス。」
自分のしもべに追跡させながら、男もまた動き出す。
思い出すのは数日前に話した上司との会話だ。
『明日、神格闘争が始まる。』
「規定日より2日ほど早いですが…?」
『開催が早まった。これは一部の者にしか知らされていない。』
「つまり、奇襲のチャンスであると?」
『しかり。そこでお前には葬ってほしいものがいる。』
「……金色の女神、パールヴァティー。」
『こやつならばおまえでも十分に勝てる。なぜならこいつには―――――。』
「金色の女神パールヴァティーには、“神格”がない。」
そう言って男はまた、大声で笑うのだった。
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花鶏たちが逃げたのは、近くの小さな山だった。
「花鶏、ここでいいわよ。」
「うん…わかった。」
これっぽっちの疲れを見せないパールヴァティーに対して、花鶏は肩で息をしていた。
これは体力つけないとやばいかも…。
今まで運動をしていなかったわけではないが、あくまでも花鶏の本業は学業だ。そのため、花鶏の体力は人並みかそれ以下だった。
このままだと間違いなく足を引っ張ることになる。
「おやー?鬼ごっこは終わりなのかい?」
息を整える暇もなく、男が姿を現した。後ろにはあの巨人。
「ええ、必要ないわ。“神格”を持たない巨人風情にあまり時間かけられないものね。」
強気にパールヴァティーは言う。
「はたして、“神格”を持たないのはこちらだけなのかな?」
「…え?どういうこと?」
そうつぶやいた花鶏を見て、男は笑った。
「くっはははは。おやおや、パートナー君は自分の相方について何も知らないようだね。」
パールヴァティーが露骨にいやがる顔をした。
「教えてあげよう!“神格”というのもは、“持っているだけでこちらの世界に伝わるもの”なのさ!」
…こちらの世界に、伝わる?
「具体例を挙げてやろう。こいつと同じ地域の神とされる【破壊神】シヴァ、【富と幸運の女神】ラクシュミーは知っているな?
こいつらのように、神格というものはもっているだけで二つ名としてこちらの世界に伝わる。シヴァの神格は“破壊”、ラクシュミーは“富”と“幸運”というようにな。」
花鶏は男の説明を聞いて、思わずパールヴァティーの方を見た。
パールヴァティーの二つ名は確か、【金色の女神】。
この二つ名から示す神格っていったい…?
「くくくくく。問おうか、【金色の女神】パールヴァティー。お前の神格はなんだ?」
「・・・。」
パールヴァティーは答えない。
…もしかすると、答えられない?
いいや、違う!
花鶏は首を振った。違う、そうじゃない。あの時パールバティーは言っていたじゃないか。
『【神格】っていうのは、私たちが神であるために必要なものよ。』
パールヴァティーは間違いなく神だ。
でも、答えないということはつまり、“自分の神格を隠しておきたい”もしくは“何らかの理由で神格がない”のどちらかだ。
「沈黙は是なり、だぞ?くくく、そうだよなぁ!今まで破壊神シヴァの庇護下でのうのうと暮らしていた脆弱な神に、神格なんてあるわけないよな!!」
…プチッ。
「・・・。」
パールヴァティーは何も言い返そうとしなかった。
「ふん。自分の縄張りの山でおとなしく無駄な時間を過ごしていればいいものを、【天空神】のエサにつられてちんけな夢でも見たのか?くくく。」
…ブチッ。
「―――さい。」
「んー?なにかいったかい?パートナー君?」
ごめん、パールヴァティー。こればっかりは許せない。
「うるさい、黙れ。」
「…あ?」
「黙れって言ったんだよ!このクソ野郎!
パールバティーが今まで無駄な時間を過ごしてきた?ふざけるな!人や神が今まで過ごしてきた時間の中に、無駄なものなんて一つもない!
ちんけな夢を見た?お前は彼女の夢を聞いたことがあるのかよ!?人の夢を侮辱する権利なんて、誰にもありはしない!
神格がない?それがどうした!そんなものがなくたって、僕が…俺が彼女の夢をかなえてみせる!」
「…花鶏…。」
パールヴァティーも敵の男も呆然としている。
あー、すっきりした。
「あ、あはははは。本気で言っているのか?人間ごときが神の夢をかなえる?面白い話だな。」
「笑いたければ笑えばいいさ。僕はそう決めたんだ。覆す気もないね。」
僕は正面から、男を睨み返す。
すると、不意に男の表情から笑顔が消えた。
――――――バチッ。
後ろからそんな音がした。
気づくと周りに白い靄のようなものが広がっている。
「花鶏。」
僕の名前を呼ぶ声。
「ありがとう。少しの間だけ、返してもらうね。」
その言葉の後、パールヴァティーは優しく僕にキスをした。
「――んっ。」
「パールヴァティー?」
「花鶏が怒ってくれて、私とっても嬉しかったわ。」
花鶏を見るパールヴァティーは、今までで一番可愛らしい笑顔だった。
「だからね、花鶏。あなたに一番に見せてあげる。私の“神格”を。」
「ばかな!パールヴァティーに神格は無いはずだ!」
男に浴びせる彼女の笑みは、とても冷ややかなものだった。
「確かめてみるといいわ。私の“神格”を。」
そう言うと、パールヴァティーは静かに片手をあげた。
「―――目覚めよ、我が神格よ。約束の時は来た。」
白い靄は僕たちを包み込み、その姿を覆い隠していく…。
「掲げましょう、私たちの夢(旗)を。貫きましょう、私たちの神格(誇り)を。」
靄に包まれた僕たちに響くのは、パールヴァティーの凛とした声だけだった。
「顕現せよ!」
その言葉を合図に、強い風が吹き荒れた。
「うわっ。」「…くっ。」
吹き荒れた風が止み、視界が晴れていく…。
目を開けた僕を迎えたのは―――――
たくさんの緑に覆われた、広大で、そして神秘的な山だった。
「ようこそ、花鶏。私の山へ。」