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1日目 15時30分

 中は埃とカビとそれ以外の様々な何かによって、本当に何とも言えない匂いと雰囲気を醸し出していた。流石に、このまま作業すると病気になりそうだ。

 そんなことを考えていた時、久瀬に後ろ手で何かを渡されている事に気付く。

「これは?」

 と聞くまでもなかったが、それはマスクとゴム手袋だった。

「転ばぬ先の杖だ。ほら、虚濱も」

 手袋は……要らんかな。手を洗わせて貰えれば。

 柑菜ちゃんは嬉々として受け取ってるけど。

「わーい、ありがとう」

 久瀬九星、実にマメな男である。

 中は他の部屋とは違い、事務所のようになっていた。奥には書類の散乱したデスクと古ぼけた椅子、窓にはブラインドが下りている。

「確かにとっちらかってるけど、窓を開ければ案外なんとかなりそうだな」

 日を浴び続けて固まったブラインドを無理矢理押し上げ、窓を開ける。勿論、書類が飛ばないように端と端のそれを。

 外界の空気が新鮮に思えるぐらい、中の空気は澱んでいた。イメージ的には、塩素ガスの黄緑色っぽいそれ。

「……でもこれ、チラシとかばっかりで、全然凄い資料とかじゃないよ。夜木斎さんって、元々は探偵さんだったんだよね?」

 十年前の特売チラシも、今じゃ価値のある物に……は、なりそうにもない。そもそも生活感がなく、水回りには物が一切置いてない。食べ物というか期限のある物も皆無。

 本当にここは一時しのぎとしての意味しかなかったのだろうか。

 そう聞いている。しかしこの部屋の入り口には、それらしい名前は書いていなかったが……。

「これじゃないか。"夜木斎探偵事務所"って書いてある」

 茶封筒は恐ろしいほどに日焼けしていたが、微かにそう読み取ることが出来る。

 つまりここが、夜木斎探偵事務所もしくはそれに関係した場所であることは間違いないみたいだ。

「これは何だ?」

 メモ用紙の束の一番下の紙をわざわざ使って、こんな事が書かれていた。

"ストレンジャー"

"47ヶ所"

 さらにこの両単語から矢印を引っ張った先には、

"FWS"

 とあった。

「意味深だね!」

「それっぽく書いてあるだけかもしれないぜ」

 どちらの意見も否定しきれない。それにそもそもストレンジャー……ってどんな意味だ。"Strange -er"で、変な人?

 ま、いいか。

 もしかしたら、興味本位でやって来た俺等みたいな人間をミスリードする策かもしれない。

「他には何か無いか?」

 もし、本当に彼が四十七区事件の主犯だったなら、それに関する資料や、メノウ水道橋の著した"転換点47th"があってもいいものだが。

「あ」

 その時突然、柑菜ちゃんが声を上げた。

「これ……何だろう」

 それは先ほどのメモ用紙とは違い、紙一面に明朝体の字がぎっしりと敷き詰められている。

 どこかの頁を破ったもののようだ。

"――達である。その背後にどんな支持母体が存在しているのかは明言されていないが、彼らが資金源を明らかにしない事から察するに、そこに公的組織の介入がある可能性は否定できない。国家プロジェクトなのだとすればこの犯人Yはまさにスケープ・ゴート的扱いなのではないか。事実Y氏は実際に逮捕されたわけでもないのに事件は既に書類送検までされてしまっている。

 彼らの誤算と言えば、Y氏自体にゴシップネタの種となるような事がほとんど存在しなかったことであろうか。一を百に仕立て上げるのはマスメディアの十八番であるが、零から一を生み出すのは容易い事ではない。元より謎の多い人物であったことがここでは利点として作用した形になったと言えよう。

 CNSPと陰性スキルストッカーの区別が不可能であることは前項で述べたが、この計画ならばそれを解消できるという試算なのだろう。これは、近年まで言われ続けていた、これまで人間が可能でありながら避けてきた禁忌に踏み込んでしまった事に他ならない。そこまでして成し遂げなければならない事態とは何なのか? 我々の実生活においてCNSPという言葉を目にする事は全くと言っていいほど無い。故にこの言葉の認知度も恐ろしく低い。次節では、推論を交えながらこの事件の一連の流れを追ってみることにする。"

 文は、そこで途切れていた。本の一頁を破り取ったらしく、数行は紙の裏側に刷られている。しかしどうやらこの頁は節の終わりの部分らしく、裏面はその数行以外は余白となっていた。

「支離滅裂――とは言えないな。荒唐無稽ではあろうが」

 久瀬がそう所感を述べる中、俺の中では別の言葉が頭の中を駆け巡っていた。

 CNSP。……また、この言葉か。それに、陰性スキルストッカー? これについては全く聞いたことがない。

「本の一頁……なのかな?」

 紙の大きさはA判やB判ではなく、一般の書籍サイズのそれだ。

 これが例の本なのか?

「さてね。一応、保存しておくか」

 久瀬はそれを用意しておいた袋に放り込む。

 Y氏……夜木斎のY、って事でいいのだろうか。

「……ここ、集まりの場所として使えたりはしないのか?」

「使えるよ」

 あっさりそう返す久瀬。柑菜ちゃんが口あんぐり開けてる。

「本当かよ!」

「ガスと水道は止まってるけどな。電気ぐらいなら掃除してくれたら通してやるってさ」

 十全だ。

 好きなだけ夜木斎の事を調べられるなら、そんなもの気になるもんか。

「あ、寝泊まりはダメな。一応もう人が住んでないって体でやってるんだから」

「その時は久瀬君ちにお泊まり会だね!」

「ほう。柑菜ちゃん頭いいな」

「お、おい、人んちを勝手に……!」

「照れるにゃはは-。もっと褒めたまえ」

「だってしょうがないよなぁ? 俺等、ここから帰るとなると電車一駅分だもんなぁ」

 外はすっかり日も暮れて、町の方は街灯に包まれていた。

「一駅ぐらい、歩いて帰れ!」

 ――そんなこんなで、まるで蹴り出されるかの如くあしらわれてしまった俺と柑菜ちゃんである。

 先ほどまでの気の利くイケメンはどこへやら、すっかり暴政を振るいかざす為政者だ。

「あいつ、冗談通じねぇなあ」

「きっ君、お泊まりは本気だったでしょ?」

 財布事情を鑑みれば、実に妥当であったはずだが。柑菜ちゃんだけじゃなく、久瀬も察しが良くなってきたのだろうか。

 周りがこうなってしまうと、こうも寂しい立ち回りをさせられるのか。

「しょうがないよ、今日は帰ろう? 鍵も貰ったんでしょ?」

 そう。俺の掌には、夜木斎探偵事務所の鍵が光っている。

『欲しがってたのは元より君の方じゃないか。ただ、部屋に入るときはできる限り僕を呼んでくれ』

 これだけでも、俺の中では大きな一歩に違いない。それと引き替えなら、食費など無視しても良いレベルだ。

「あれ……? ねぇきっ君。あれって、ミスティアちゃんじゃない?」

 遠くからトボトボとコチラへ歩いてくる人影に目を懲らせば、それは確かに数時間前のフリフリした格好が嘘みたいに地味子へと変貌したアルバイター、矢沢英璃であった。

 髪は解かれ、服はやや大きめで身体のサイズが出にくいそれ、スカートなんぞ履かずにジーンズだし、しかも帽子は深く被ってるしメガネまで掛けてる。

 もはや天地が逆転……という程でもないが、九十度傾いたぐらいは別人である。

 これを遠くから見分けた柑菜ちゃんの方がもっとヤバいけど。

「ミスティアちゃーん!」

 と近づくと、彼女は肩を外敵に怯える小動物のように大きく振るわせながら、上擦った声を出す。

「あああの! すいません、勤務時間外の出待ち及び撮影は服務規程でNGとなっておりましてですね……」

「英璃ちゃん? あの、私だよ、柑菜だよ?」

 柑菜ちゃんがそう言って彼女の帽子を上げると、キラキラとした両目……ではなく、普通の人間の黒目が見える。

 カラーコンタクトだったのか、あれ。

「え……あっ、柑菜ちゃん?」

 と言うことは、といった感じで彼女の視線がゆっくりとこちらに移るまでを、俺はしっかりとこの目に焼き付けていた。

「家、どこなの?」

 何を話していいか分からなかったから軽くそう聞いたつもりだったのに、彼女からは悲鳴が漏れた。

「そそそ、そうやって個人情報をちょっとずつ抜き取って、しまいには家に毎晩押しかけるストーカーへと変貌する気なんですね……!」

「きっ君、最低! 女の子を見るとすぐそうやってふしだらな道に入ろうとする! 助平! 変態! エロマンガ島!」

 俺がいつお前の前でそんなことをしたよ。

 あと、エロマンガ島は全く関係ないから後で謝っとけよ。

「ミスティアちゃんさぁ」

「……英璃です」

「英璃ちゃんさぁ」

「……」

 何事かと思ったら、柑菜ちゃんが鬼の首を取ったように叫ぶ。

「うっわ! 英璃ちゃん顔真っ赤!」

 夜目じゃよく分からんけど、きっとそうなんだろう。

 ……色々、面倒な事になりそうな気がしてきた。

「英璃ちゃん、そんなんでよくあんなバイト出来るな」

 不躾というか何というか、配慮に欠けたような聞き方ではあったけど、ゆっくりと彼女は答えてくれた。

「仕事モードの時は仕事モードなんです。あの時は別の自分があるというか、そういう感じで」

 うーん。昔から器用そうだったもんな、彼女。

 すると英璃ちゃんは、俺達が曲がろうとした路地で急に足を止めた。

「えっと……私の家、こっち方面なんですけど……」

「あ、そうなんだ?」

 ――今、思えば。

「ま、別にこっち通っても大幅遠回りって事でもないから付いていくよ」

 俺も柑菜ちゃんも、こんなに気を利かせるべきではなかった。

 この路地は街灯もそれなりに多いし、まだ家々を見る限りでは明かりが点っている場所がある。それにこの道を出ればすぐに広い通りにまた出るのだから。

 少し奥に行った左手に、公園があるのが見える。既に辺りは真っ暗で、子供なんか居るわけがない。

 そこを、何の気なしに通り過ぎようとしたとき――。

「……? きっ君、どうしたの?」

 やめろ。やめろやめろ。"アレ"を指さしてはいけない。

 本能の奥底が赤灯を点けていた。だけど、俺の指は既にそこを指さしていて――

「アレ、何だろう」

 ドクン、と心臓が脈打つ。まるで視界にノイズが走ったかのように、そこに目を奪われる感覚。

「アレ……って、どれ?」

 一歩、また一歩、と。俺は既に公園の中に入っていた。磁石に引き寄せられる鉄のように。

 公園に設置されたトイレの、真横。丁度こちらの入り口からは死角になっている部分。そこだけは電気が無く、暗がりになっている。

 そこに――私服姿の男がもたれかかっていた。濁った目を見開き、投げ出された四肢は生気がもう無いという事を如実に表していた。そして――印象的だったのは、背後の大きな文字。

 それを、震える手で指さしながら、ゆっくりと読む。

「"I am a Stranger."」

 ぐっ――。

 頭痛だ。過去に幾度となく俺を苦しめたサイズの疼痛が、脳幹に雷を落とす。

「キャッ」

 小さな悲鳴が聞こえて、ようやくそこで俺は自分自身のミスに気付く。

 ここに居るのは俺だけじゃない。

 今、明後日の方を向いて縮こまっている柑菜ちゃんや、凍り付いてしまっている英璃ちゃんが居るじゃないか……!

「二人とも……ダメだ、これ以上見ちゃ」

 ハッとして英璃ちゃんが横を向いたとき、柑菜ちゃんはガックリと膝を折った。

「柑菜ちゃん!」

 マズい。これは俺と同じ、発作か。

 柑菜ちゃんは俺と同じ頭痛持ちなのだ。

 だから、俺が彼女を休める場所に移動させようとしたとき――。

「やめて!!!」

 辺りに人が居たら迷わず見てしまうような大きな声に、俺も英璃ちゃんも肩を震わせた。

「見ないで――」

 何をだ? そう思ったとき、英璃ちゃんが咄嗟に声を上げた。

「斑咲君、ここはひとまず移動しましょう。柑菜ちゃんは私が」

 凄く的確な指示だ――と思ったのは、俺達が公園から数キロ離れた英璃ちゃんの家に着いた頃だった。

 一般的なオートロックのマンションだ。出来たのも最近みたいだ。

「これでカギを」

 英璃ちゃんが柑菜ちゃんの肩を担ぐように歩いてきたので、俺が鍵開け役となった。

 本当は俺が担ぐべき何だろうと思って何回も言ったのだが、その度に英璃ちゃんは気まずそうな顔をしながら、

「……とりあえず、落ち着くまでは私が運ぶから」

 と言って聞かなかったのだ。

 かなり遅々とした歩みではあったが、騒ぎの当事者となる事は避けられた。

「片付けて、柑菜ちゃんを寝かせてくるからちょっとここで待ってて下さい」

 そう言われて、俺は玄関の外で待つ羽目になった。

 廊下から外を見る。俺達がさっき通ってきた公園に、赤灯は点っていない。どうやら、まだアレは見つかっていないらしい。

 改めて、自分の手を見る。

 震えていた。

 小刻みに。

 死体だった。確実に死体だった。事切れていた。血も出ていた。恐らく、あの背後に書かれていた文字も血文字だったに違いない。

 それにしても――ストレンジャー。この言葉、何処かで……?

「斑咲くん」

「うわっと……どうした、英璃ちゃん」

 英璃ちゃんの表情は沈んでいた。

「彼女は"見ないで"と言っていたけど……見る?」

 そういう時は、友達なら君がコッソリ配慮したりしてくれるんじゃないのか。

「"あの"状況がその"見ないで"という言葉に該当するのだとしたら……彼女は恐らく前から"ああ"なっていたはず。きっと、嫌われることを恐れて」

 彼女を見ただけで、俺が柑菜ちゃんを"嫌う"?

 どういう事だよ。

「恐らく、いつかは斑咲君も知らなければならない事だと思う。だから……だからと言うのは余りにも彼女に失礼だけど……入って」

 女性の部屋に失礼することからしてかなり畏れ多いのだが、だなんて事は言ってられなかった。

 玄関からしてものが少なく、整理整頓が為されていた。

 廊下の一番奥のリビング――。英璃ちゃんが扉を開くと、そこには柑菜ちゃんがソファに手を組んだ形で寝かされていた。

「……!」

 一瞬、たじろぎそうになる足を理性で必死に抑える。

 そんな事をしたら柑菜ちゃんだけじゃない、意を決して俺を通してくれた英璃ちゃんにも失礼だ。

 まるで涅槃に行った聖者のように――彼女は涙を浮かべていた。

 ただしそれは透き通った水などではなく、血の涙だった。血の涙が二筋、両目から流れている姿は、確かに俺でも少し鳥肌が立ってしまうかも知れない。そして、柑菜ちゃんがそれを恐れていたのだとすれば――。

「眠っているから、きっともう大丈夫」

 彼女はポーチから取り出したタオルで、顔の血をサッと拭いてあげる。

 そこで、俺の中には疑問が浮かんだ。

「……おかしいな。アイツ、今朝歩いてるときはハンカチ使ってたのに」

 血が出るだけの話なら、ハンカチで目を抑えれば俺や英璃ちゃんと話をしてもよかったのに。

「つまりそれだけが原因ではない、って事かな」

「頭痛が酷かっただけではなさそうだな」

 ふぅ、と俺は嘆息する。ひとまず、柑菜ちゃんが無事だっただけでも今日は良かった。

 柑菜ちゃんは家に泊めてくれるというので、お邪魔虫の俺はひとまず帰る事にしよう。

「今日の事は、お互い内緒な。俺も、街であっても話しかけたりはしないし」

 ――きっとその時は、俺の心が安心で満たされていたからだろうか。

「斑咲君!」

 玄関の扉を開けたとき、そう呼び止められた。

「じ――実は、わた――私も――」

 ……何だろう?

「……ううん、何でもない! 久しぶりに会えたのに、こんな事になってゴメン。……また、お話しましょ?」

 あぁ、と手を振って別れる。

 ――彼女からのメッセージの、本当の意味に気付いたのは、ずっと後の話になる。

<WORD>が更新されました "超能力" "四十七区事件" "斑咲家襲撃事件" "CNSP" "メノウ水道橋" "転換点47th" TIPSが纏まりました。 "TIPS-001"が更新されました。 ▼

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