1日目 11時00分
「ゆるせ むすこよ。おまえがそうであったばかりに、わたしはおまえをいためつけなければならない」
「なぜですかおとうさま。ぼくがなにかしましたか」
ピシャーン。
ピシャーン。
しずかなへやに、むちうつおとだけがこだまします。
「いたい。いたいです、おとうさま」
「きっとおまえがよにでれば、これいじょうのいたみをこうむることになる。ともすれば、ここでしんでしまったほうがおまえにとっては――」
ガシャーン。
まどがわれたときのおとです。
「なにごとだ」
おとうさまはそういってどこかへいこうとします。
「むすこよ、つづきはもどってきてからだ」
そのときのおとうさまのかおはおにのようにゆがんでいました。
そして、これがふたりのさいごのわかれになるとは、そのときはどちらもおもっていなかったのです。
†
1日目 11:00――
どうも起きた気がしないと思ったら、外が曇っているからか。
『東北地方は強い雨となり、警戒が必要です。それでは次のニュース……』
ニュースキャスターの顔が見えたと同時に布団からリモコンに手を伸ばし、そのままテレビを消す。
テーブルの上には、物言わぬグラスに半分ほど水が注がれたまま放置されている。
久々の頭痛で、ちょっと虚を突かれたって感じだった。普通だったら、このままのんべんだらりと寝たまま過ごしたいところだけど――。
"例の件だけど、今日にも出来そう 来られる?"
メールが来たせいで、そういうワケにもいかなくなった。
かれこれ二週間ぐらいご無沙汰だったからか、痛みもひとしおだった。期限が何時かも分からぬ頭痛薬を飲んだのは、昨日だったか。
念のために、関係無い奴にはメール送っておくか。
"ちょっと頭痛が痛いから 休む"
さぁて、今はもう一眠りするかと思った矢先、唐突に家のドアを叩く音が定期演奏会を始める。
トントンがドンドンに代わり、ダンダンへと進化するまでそう時間は要らなかった。
『樹雨くん! 今メール来たって事はまだ起きてるでしょ!? ねぇ返事してよ、樹雨くん!』
ドアドラムが止んだと思えば、次はガチャガチャとドアノブの抵抗音が鳴り響く。
主は分かってる。
柑菜だ。
いい加減、ここが集合住宅であることを自覚してくれ。
溜息をつきながら玄関へと歩み寄り、チェーンを掛けたままロックを解除。
それを見計らっていたかのように勢いよく開いたドアは、数センチの所で鎖に阻まれる。
「あのぉ……この八門金鎖の陣はなんですか?」
時にはよく分からなくても、その単語の意味を検索しないというのも一つの手である。
簡単に言えば、ググるな。
あと、使い方も違うし。
「五月蠅いんだが」
もの凄くうんざりしたような顔を繕って、そう言ってやった。
「だってだって!」
「だってもさっても無い」
虚濱柑菜。何年経っても成長しない、子狐のような笑顔。
「さってさって! 樹雨くんが頭痛持ちなのは周知の事実だし、いつ倒れちゃうかも分からないし……」
赤茶けた髪をゆらゆらさせながら、柑菜は抵抗を続ける。
「心を配るって書いて"心配"なんだよ。病人の頭を無闇矢鱈に揺さぶるなって、習わなかったか?」
「じゃあきい君、ここ開けて? 美味しいお粥作ってあげるから」
間髪入れずにドアを閉めた。
「えーっ!? 何で何で何で!? いま何か国際法に触れたりした!?」
追い打ちをかけるが如く、ドアを三回叩かれた。
叩かれたっていうか、もう殴られてる感じ。
「"じゃあ"の使い方を勉強してきてからやり直してくれ」
言いつつ、チェーンは外しておく。
「そんなのいつものやりとりの内じゃん! こんな時だけ卑怯だよ樹雨君、ギザギザ十円玉を認識してくれない自動販売機並に卑怯だよ!」
頭痛が今も続いていたら、虚濱柑菜リサイタルが脳内の空き地で絶賛開催中であっただろう。
徐に、畳んでおいた服に着替える。
柑菜は恐る恐るドアを開き、チェーンが掛かってないことを確認すると破顔した。
「もしかして買い物? それなら私が代わりに行くよ?」
その笑顔の度合いと言ったら。何も食べてないのにほっぺたが落ちそうなそれ、と言えば分かるだろうか。
「いや……大学に。二限ぐらい出てやろうかと」
「すごい! 流石は天下の真面目さんだ!」
適当に相づちを打って、外出。
鍵を掛けているとき、左側から声が聞こえてくる。
「おや、お隣クンじゃないか」
そっちを振り返らなくても何となく分かったが、やっぱりそれは隣に住む阿賀盾神春さんだった。
「レポ子さん……おはようございます」
心の中に留めておいたはずのあだ名が、つい口をついて出てしまっていた。
「ほう、レポ子とな。それは私の名前ということで相違ないか、斑咲少年?」
"斑咲樹雨"と書かれたネームプレートから、朝露が滴る。
「すいません。レポート女子を略してレポ子がいいなぁとか思ってたら、つい口が滑りました」
そう言うと、神春さんは相好を崩す。
「ははあ、なぁるほど。確かに筆を執らぬ人間ほど執る人間よりもセンスに溢れていると言うからな! それなら私は君に"九段下逆立"というあだ名を拝命しようじゃあないか」
由来不明だしどこで名乗るべきかもよく分からないので、とりあえず嬉しそうな顔をしておくだけに留めておいた。
「そういえば、阿賀盾さん。俺達これからちょっと怪しげな場所に行くんですけど、ご一緒にどうですか? レポートのネタになれば幸いなんですが」
すると、阿賀盾さんは腕組みをする。
「うむ……、そうしたいのは山々なのだが。お互い外に出る準備をしているという事は私にも私の用事があるという事なのだ」
なるほど、とその場では頷いてしまう。
本当にそうだろうか。
「それなら、また次回と言う事で。道中お気をつけて」
「委細承知、気遣無用。せいぜい青春を謳歌したまえ、若者達!」
手を振られながら、とっくに青年とも呼べない歳になっちまったな、と一抹の寂寥感が残った。
と言うかあの人、俺達と歳あんま変わらないはずだろ。
「所できっ君。これから何処行くの?」
ぎくりとする。
「だ、大学って言ったじゃんか」
「だって二限の時間過ぎちゃってるし。さっきノリで褒めたりしたけど、きっ君が真面目に授業に出るのも何だか見てて不気味だし。あ、ひょっとして久瀬君の所とか?」
虚濱柑菜、天然っぽく振る舞いつつも時々こう恐ろしい所を突いてくる。
「どうしてそう思う?」
「だって最近、二人で居る時間が多くなったような気がして。私の誕生日なら再々来月だよ? それともきっ君は男の人にしか興味が無いタイプ?」
柑菜に対してはサプライズっぽく振る舞おうと思っていたのが、やはりここで足下を掬われたか。
「あらぬ疑惑をかけるんじゃない、それは妄想の中で完結させておきなさい」
俺はすっかり焦り顔で、久瀬に電話を掛ける。
追加一名宜しくお願いします、って事を言っておかねばなるまい。
コール音がかなり長く響いた後、ようやく男の声がした。
「よお、久瀬。遅かったな」
『あなたと違って僕は講義中でしたのでね!』
電話の向こうは半ギレだった。
「悪い悪い。朝のメールの件でちょっと、さ」
『だからって直接電話すること無いじゃないか! おかげで講義室抜け出して、外で電話してるんだからな!』
こりゃ、半分どころじゃないな。
しかし無視せずに実直に受け取る辺り、まだツンとデレの比率が理解できていないようだ。
「すまん。後でアイス奢ってやるから」
『子供か! っていうかこの講義、本当は君も出るべきなんだけどその辺はご理解頂けてるでしょうかね!?』
うーん、と考えてから「すまん、後で一人増えるから」とだけ言い、通話終了。
これ以上続けると、愚痴の連鎖になりそうな気がしたので。
「久瀬君、なんだって?」
アイスが食べたくて仕方がないってさ。
「ふぅん……それにしても、二人が見つけたのって例の"部屋"の話でしょ? 本当かどうかも分からないのに、調べる気なの?」
「柑菜ちゃんには分からないだろうけど――」
そこで言葉を切り、柑菜ちゃんの方を見る。
俺がせっかく神妙そうな顔をしているのに、柑菜ちゃんはすごくうざったそうな目でこちらを見ている。
「はいはい、またそれね。もう聞き飽きたから、割愛割愛!」
顔面に張り手を食らわされかねない勢いだった。流石にこれは、口をつぐむ他無い。
『僕は三限まであるので、用事ならその後で』
うーん、やっぱ今外出したのは無駄だったか。
「柑菜ちゃん、どうする? すること無いなら、帰ろうと思うんだけど」
すると、柑菜は僕の右腕をギュッと握る。
「じゃあ、街までお散歩行こう、お散歩!」
……そう言えば、阿賀盾(レポ子)さんに青春がどうたら言われてたっけ。
ま、いいか。時間つぶしに付き合うのも悪くはない。
1日目 14:10――
「――ねぇねぇきっ君、あそこ行ってもいい?」
「だーめ。もう時間無い」
アニメや漫画に興味が無いワケじゃないけど、流石に引っ張られて来ると辟易もんだ。
「だってあそこにはきっ君の好きそうなプラモも一杯あるよ? ねぇねぇ、五分だけでもいいから!」
立ち止まっている本やグッズのジャンルを見る限り、柑菜はちょっと前から流行ってる痛い系統からニッチな物まで何でも来いの雑食家、らしい。
「さっきそう言ってちゃっかり一時間近く居座った柑菜ちゃんがそれ言う?」
「うぐ……」
時計を見る。あと二十分ぐらいで三限が終わってしまう。
「じゃあ、あそこ! あそこに知り合い居るから、挨拶だけ!」
柑菜に引っ張られるがままやってきたのは――メイドカフェだった。
よりによって彼女がメイドカフェに縁のある人間だとは思いもしなかったが、やはり世界は広いものである。
彼女はそこで売り子をしている女の子の内の一人に話しかけている。その女の子がこっちを見た瞬間――何か悪い物でも見たかのように凍り付いたのだから、俺の方が余計驚く羽目になった。
「樹雨君……? 斑咲樹雨君? 本当に?」
「え? 俺をご存じで?」
そのキラキラと輝く向日葵のような両目が、俺をまじまじと見つめている。
「そういう貴方こそ、私に見覚えはない?」
名札には『ミスティア』と書いてあった。
流石に、そんなタブレットみたいな名前の女性と出会ったことは無いかなぁ。
「……いや、ごめん。ちょっと分かんないかな」
そう思ってそう言ったにも関わらず、なんと柑菜の表情も凍り付いていた。
何故? と思いもう一度そのメイドさんの方に目をやってようやくそこで、俺はその理由を理解する事になった。
「きっ君、キミって人はぁ……!」
「いいんですいいんです、気にしないで柑菜ちゃん。私の存在感の無さ、薄さは私が一番よく分かってるから。所詮私は小学校の頃五回は隣の席になったはずの斑咲君にすら忘れられちゃうぐらい存在感のない人間なんですううううううううううううううぅぅぅぅぅーっ……!!!」
簡潔に状況を説明させてくれ。
友人に引っ張られてやって来た街中で、目に大粒の涙を浮かべたメイドさんから、街全体に響き渡らんばかりの大音量でそんな事を叫ばれていたのである。
端から見たら俺が泣かせたような感じにしか見えない。現にそういう視線をヒシヒシと感じる。
ちょっと待てそこに居るメイド、一部始終を見ておきながら尚俺の事が悪いような目で見るか!?
痴漢の冤罪はこうして成立するのか、と納得させられそうになる。
そしてそこでようやく、記憶の中の何かがバチッと弾けて繋がった。
「えっと……もしかして、英璃ちゃん?」
うんうん、と頷く彼女をみて、ようやく肩に乗っかっていた鉄塊が崩れ落ちた。
記憶の底から何とかその名前をほじくり出した俺の脳内に、今こそ盛大な拍手を送るべきだろう。
「そうだよきっ君! 同級生の顔すら忘れちゃうなんて、薄情者!」
いやいや。弁解がましく言うけど、俺の記憶の中だと英璃ちゃん――矢沢英璃という女の子はメガネにおかっぱ頭の、簡単に言えば"地味子"みたいな所があったし、そもそも彼女と席を同じうしたのは小学校高学年の二年間だけだし。
まぁ……周囲からの視線もなんだか痛いし、ここは素直に謝っておくか。
「すぐに思い出せなくて悪かったよ、英璃ちゃん」
すると彼女は人差し指を口の方へ持って行きながらこう言った。
「本名でのお呼びは禁止です。私はここではミスティアちゃんなんです」
もしこの世界にストレスをぶつけるボックスのようなものがあるのなら、是非この場に設置して欲しい。
言うべき事は決まってる。
めんどくせぇ。
†
結局、待たせてる久瀬を怒らせるのはどうかと思ったので、その場はあえなく解散となった。
勿論、また会う約束を強制的に交わされたりはしたが。
「それにしても柑菜ちゃんはいつから知ってたんだよ、英璃ちゃんのこと」
「ほんの一ヶ月ぐらい前だよ。会ったのはもっと前だけど――つい最近、身の回りでちょっと……な人が居るっていう話になって」
一体全体どっちの身の上話だろうか。
「ま、切っ掛けはそんな他愛もない話だったの。そこでちょっと名前を出したら、英……ミスティアちゃんが反応しちゃって。それで、いつか会わせてあげるって思ってたんだけど……肝心のきっ君の朴念仁っぷりが露呈しただけになったね」
俺が街中で女を泣かせたというレッテルを貼られた事が謝罪されていないが、まぁいい。
「お……あそこに居るのは久瀬か」
大学正門前の信号を隔てたところに、俺より背の高く気障っぽい男が一人。
「やっぱり増えたメンツってのは虚濱か。てっきり二人してデートに行ったままフケるのかと思ってたけど」
ぼさぼさ髪の大男、久瀬九星。願いを叶えるには二個ほど多いこの男が、今回の案内役だ。
「用意は出来てる。物を持ち出して家を散らかすな、ぐらいは言われたけど」
久瀬は大学に通うに当たって、親戚の所有しているマンションを間借りして住んでいる。
ある時、そのマンションの隣の部屋がいつまで経っても人が来ないので、畏れ多くもその親族に理由を聞いてみたのだ。これも別に他意はなく、隣が曰く付きの部屋だったらちょっと嫌だな-、ぐらいのつもりだったらしい。
『隣は十年ぐらい前から借りっぱなしだよ。確か夜木斎とかいう人だったけどね』
その話を聞いたとき、既に俺は居ても立っても居られなかった。
夜木斎――ネット上で密かに話題になっている人間だ。ある人は英雄、ある人は反逆者と呼ぶ彼は、今から丁度十二年前、大きな事件を起こした。
それが四十七区事件。
五年前に道州制が導入されるまで、この区には四十七の自治体に分かれていた。その各自治体の主要施設を一度に爆破するという前代未聞の事件が発生し、多数の死者を出した。
死者の大半が子供で、被害を受けた施設も子供を預かる保育所のような施設だったという。
これだけではただの殺人狂扱いだが、世間的には秘匿された裏の面がある。
この総ての子供達が"超能力者予備軍"であったというのだ。確証はない、自分で足を運んだわけではないからな。
荒唐無稽な話に聞こえるだろうか? 俺はそうは思わない。
だって俺の両親は、超能力者に殺されたから。
それは柑菜にとっての耳タコで、俺にとっては生きる為の唯一の目的。
今となっては遠い昔、しかしはっきりと覚えているあの言葉と光景――。
『CNSPか?』
顔に眩しい光を浴びながら、確かにそう言われたのだ。
何故犯人が異能者なのか分かったかと言えば、その言葉が原因だ。
ある時、ふと思い出したようにこの言葉を検索したことがある。意味そのものを見つけることこそ出来なかったが――恐らく一般人という意味であろう。
一般人、という言葉を使うのは一般じゃない人間達に他ならない。つまりこれは――、それに準ずる人間達は確実に存在するという事の証左ではないだろうか?
今更、真犯人をとっつかまえて両親を返せとがなり立てる気などさらさら無い。
ただ、そういう危険な事をしでかす人を今すぐにでも法的に管理、淘汰してくれるだけでいい。
それだけが俺の望み。
「開いた。いくぞ――」
普段は軽そうに見えるドアが、その瞬間は銀行の巨大な鉄扉みたいにゆっくりと開く。
<PERSON>が更新されました"斑咲樹雨"、"虚濱柑菜"、"ミスティア"、"久瀬九星"、"阿賀盾神春"、"夜木斎" ▼