若干のうしろめたさをおぼえた。
さぞやサディスティックな面で笑っているのだろうと思いきや、少年の顔は予想に反して真剣だった。いや、むしろ、心なしか尊敬の念さえ感じられるような?
「すっげー、これ、ぜんぶおねーさんが書いたの?」
きらきらと、彼の目は輝いている。そりゃぁまぁ、私が書いたというか、書いてしまったというか、若気の至りの産物なのだが。
しかしそうか、このくらいの年代だとあの勢いばかりいいとんでもファンタジーを許容できてしまうのかもしれない。書いていた当時の私だって、まさか10年後にこんな恥ずかしい思いをするとは思っていなかったわけだし。
「あー、まぁ、ね。うん」
むしろ柄でもなく取り乱したのが恥ずかしくて、私は彼から目を逸らしながら曖昧に返答した。まずいな、墓穴を掘ったかもしれん。しかしこの子はあまり賢くも聡くもなさそうだから、これをネタに強請られるなんて事は……。
「こんなの書けるんだ。そっかー、ふーん」
彼はやけに真剣にノートを読んでいる。いつ終わるんだ、この拷問は。
しばらくぱらぱらと彼の指がめくるのを、何故か正座して観察していた私は、彼の口から出たとんでもないご提案に文字通り飛び上がった。
「これと、これと、これ。とりあえずこの設定がいいや。俺主人公で、書いて」
「ハァ?」
「だって、俺はおねーさんの小説のキャラだったんでしょ? じゃーやっぱ、カミサマじゃん。責任とってよ」
「ハアァ?」
なんとあつかましい。
「確かに、君は私の小説の中の人物である可能性はある。でも確信しているわけではないし、少なくとも私は君のことを書いた覚えはない。よって、君の死に責任はないと思われる」
「えー、さっきは俺が登場人物なんだって言ったじゃん」
「言葉のアヤ」
動揺していたのだ。
「私は基本的に女の子が主人公の話しか書かなかったし、その周りもほとんど女の子だったわけ。悪いけど、少なくとも君のような子は、名前さえないモブ的な扱いで……」
そして残酷だが、モブの行動まで作者は管理などしない。モブがグレて煙草を吸いに行った屋上で不幸な事故にあっても、それはあくまでも自己責任だ。
しかも小説の設定は10年ほど前なのだ。
「例え君が、『幼い子供を助けようとして交通事故にあった』なんていう死に方をしても、ストーリーの進行と関係ないところでおこったことなら作者に責任を問われても困る」
物語の神様によっては、「そんな心優しいあなたにご褒美」とか「まさかあなたがそんな事をするとは思わなかったので、予定にない死だったから」とか言うのかもしれないが。
しかしまてよ。「勝手に庭に入って来た、よその家の子供が庭の池でおぼれた場合、家主が管理責任を問われる」なんていう話も聞いたことがある。
管理責任という意味では、あの学校は屋上を立ち入り禁止にして、施錠もしていた。それをあえて私は「とかいいつつ合鍵が生徒の間で出回っている」なんていう設定を作ったわけで……。うーむ。
「でもさー、俺が屋上に入れなければ、こんな事故も起きなかったんだろー?」
まるで私の葛藤を見抜いたように、彼は不満を漏らした。そうなのだ。そこが今回の争点となる。
「それにさー、思い出したんだけど……。俺が落ちたフェンスのとこ、10年くらい前にすげー事故で壊れて、それで脆くなってるってウワサだったんだけど、心当たりなーい?」
「……あー」
ある。多分「ゆい」達が屋上で戦闘したシーンだ。
「ストーリーに関係あるじゃん」
「うー……」
彼はにや~っと、今度こそサディスティックな笑みを浮かべた。
「せきにん、とってね?」
でないとこのノートバラ撒くからね、絶対成仏なんかしないからね、とその目は語っていた。
翌日から、私の苦悩が始まった。
「私もね、書かなくなってだいぶ経つわけ。だから、君のお気に召すような話はもう書けないと思うんだ」
「基本、コレでいいのに。名前だけ変えて、ちょっとヒロインを俺好みのかわいい系にしてくれればさー」
彼は、コンビニで私にねだって買わせた漫画を指差した。
「いやいやいやいやいや」
なんてことさせようとするんだこのガキは!
「やらんぞ、絶対に、それだけは。その一線だけは絶対越えないからな!」
私にも物書きとしてのプライドってものがある。二次創作の域を超えているじゃないか。
「そういう話が好みなのはわかったけど……実際、キツいと思うよ?」
彼が推すのは意外にも絵が渋めのファンタジーだった。
己の剣の腕のみを頼りに戦場を渡り歩く凄腕の傭兵。ある日謎の美女に「仕事」を依頼されたことをきっかけに、国家間の陰謀に巻き込まれた挙句お尋ね者になる。
そして実は亡国の姫君だったその美女と共に世界中を逃げ回るハメになり、行く先々で誤解されたり異様にモテたり無法者を退治して英雄扱いされたりしながら旅を続ける、というのが大まかな流れで、主人公の傭兵は少年とは似ても似つかぬ大男、マッチョである。
……こういう体型になりたいという願望があるのだろうか。
「えーと、まずは基本から行こう。君は容姿をこんな風に変えたいのかな?」
「あ、見た目は今のままでいーや。でもすっげーつよくて精霊の加護とかもってて、怪我してもすぐ治って……」
「あぁ、はいはい」
とりあえずマッチョ願望がない事だけはわかった。私にはあの「唸る筋肉! 鋼の身体! 肉体美!」みたいな世界はとうてい描写できそうにないから、それは助かる。
「今の見た目で、あの主人公並みに強いっていうのは物理的におかしい。だからまぁ、精霊の加護がなんたらというのは考慮するよ」
私のポリシーに反しない範囲でね、と声に出さずに付け足した。
「でもね、逃亡生活っていうのは、君が考えている以上に神経が磨り減ると思うよ? それにこの漫画、野宿ばっかりじゃないか。現代日本人にそんな生活耐えられる?」
少なくとも、この子のようにいかにも甘ったれたお育ちをした子には無理そうだ。よほど意思の強い人間でないと耐えられない生活だろう。
「そこで私からの提案。事故で瀕死になった少年が女神様にお願いして別な世界に転生しようとするんだけど、『今のあなたでいることが大事なのよ』と諭されて生き返り、少しグレてた人生を反省して真っ当な道を歩き出す話っていうのはどうだろう!」
昨夜一晩考えた、手っ取り早い厄介払い方法だ。これなら短編として一日でなんとか書き上げられる。諭される過程を安直に省略すれば。
「これだとほとんど嘘がないし、実際わけのわからんファンタジー世界でその日暮らしの傭兵になるよりずっと快適且つ安全な未来が約束されるんだけどなぁ。なんだったら後日談で、かわいいお嫁さんとの日常のヒトコマ的未来もつけてあげるから」
人間、分相応が一番幸せなので欲張りすぎてはいかん。
「えーーーーーー」
しかし浅はかな少年は理解できないらしい。やだやだと足をじたばたさせた。お子様め!
「つーか俺、ほんと未練とかないし。やだよ、せっかくのチャンスじゃん!」
死んでからチャンスを掴もうとするあたり、根性はあるのかもしれん。間違ってるけど。
……まぁ、死んだ後に幽霊として留まって、挙句に神様に直談判するというのは、実はかなりの根性を必要とするのかもしれないな。ということは、あの逃亡野宿生活にも耐えられる、か?
「あ、でもやっぱり野宿はパス。俺、虫とか苦手なんだよねぇ」
へらへら、と笑う少年の頭に、私は無言で拳骨を落とした。