躾が肝心だと気がついた。
少年と一日過ごして、いくつか判明した事がある。
まず、彼は、私には触れないが物に触ることはできる。それなのにすり抜ける事もできる。矛盾しているようだが、私が彼に触れるときの「水みたいな」感覚なのかもしれない。
眠ろうとすれば眠れるが、それはどちらかというと意識がブラックアウトする感じで、「眠りたい」という欲求はおこらない。同じく、食欲も無い。
そして、一番大事な事。彼の姿は私にしか見えない、らしい。
彼は「この部屋から出られない」と言っていたのだが、ドアをすり抜けられたのだからできるはずだと言い聞かせ色々試した結果、ある条件を満たせば外出が可能である事が判明した。
条件とはつまり、半径1メートル以内に私がいること、だ。とんだ迷惑な幽霊だ。
どこでもいいから外に連れてけと駄々をこねるものだから仕方なく連れ出してみたが、コンビニの店員も犬連れのカップルも、少年には全く気付かず、その身体をすり抜けていった。
ただしあの独特の感触はあるようで、すり抜けた途端「うわっ」なんて声を出して気味悪そうにキョロキョロしていた。
ふむ。うっかり外で話しかけたりしないように注意しなくては。
「てかさー、マジでおねーさんが何か関わってるとおもうんだけどー?」
「確かに、ここまで来ると全く無関係だとは言い切れなくなってきた」
「だろ?」
部屋に、ではなくて私に憑いているのだ。この少年は。
「君、実は私のストーカーだったんじゃないの?」
「ンなわけねーだろっ!」
「冗談だよ」
この少年には驚くべき事に悲壮感が無い。若い身空で唐突に(聞く限りでは、不注意と不運による事故により)死んでしまったくせに、驚くほどあっけらかんとしている。
自分の「生」に余程執着が無かったのだろうか?
「答えたくなかったら、構わないけれど」
私は、思い切って切り出した。
「君は自分が死んだことに対して、どう思っているのかな? 理不尽さ以外に何を思う? その辺にヒントがあるかもしれない」
テレビゲームに夢中になっている姿を見るとどうも釈然としない。もっと、いろいろあってしかるべきだと思うのだ。例えば家族や友達、もしかしたらいたかもしれない恋人への未練は? 将来の夢はなかったのか?
「ん~」
テレビから視線を外さず、彼はあまり興味なさそうに唸った。
「まー、別に。最初はびっくりしたし、マジ腹立ったけど。でもさぁ」
彼の手はコントローラーを離さないまま恐るべき速さで動き、コマンドを入力している。なんだあの動き? 早すぎて気持ち悪い。残像が見えるのだけど。
「親ともあんまうまくいってなかったし? やりたいこともなかったし? ガッコもダルかったし? 勉強しなくてイイからラッキー、みたいな? あとはおねーさんがなんとかしてくれるかなーって」
なんだか、心配するだけ損なような気がしてきた。こういうガキには親のありがたさを説いたり、「大人になってから勉強したくなってもなかなか時間が取れないものだ」なんて説教しても右から左、「ババァの説教うぜー」くらいの扱いを受けておしまいだろう。
無論、そんなことを口に出したら次は逆さにして振ってやるが。
「でも昨日はなんだか怒っていたじゃないか。私のせいで死んだなんて難癖つけて」
「そりゃーほら、アレだよ、あれ」
上の空ながら、彼の指はタコのように動き続ける。いや、確かに今は骨がないのだけれど。
「ケンカは最初にビビらせたもん勝ちだって、センパイがさぁ」
「不良同士の抗争か何かと勘違いしてたのか」
仮にも神様だと想定していた相手に、なんと愚かなことだろう。
そういえばこの少年は、ちょっとガラが悪そうな風体をしている。顔つきはしかも可愛らしくてアイドルっぽいのに、金髪、ピアス。どうやら屋上から落ちた時も煙草を吸おうとしていたらしい。
なるほど、チンピラの一種だったのだな。
「そんなことよりさぁ」
肉体を亡くした今となっては唯一残っている精神の、一番大事な問題を「そんなことより」と片付け、彼はまた寝ぼけたことを言い出した。
「他のヤツらには俺がみえないっぽいしさぁ。実はおねーさん、すげぇ霊能力とかもってたりしない?」
「ないない」
「じゃーきっと、力に目覚めたんだって。んで、俺とコンビ組んで都会の怪事件を次々解決する、とかどーよ?」
「この歳でその展開はちょっと。仕事もあるし。君一人でやりなさい」
「えー、ぜってーそっちのほうが楽しいって。そんなオタクっぽい仕事よりさぁ」
「こんな仕事で悪かったねぇ?」
私はゆらり、と立ち上がった。曲がりなりにも一人で生計を立てて働いているというのに、これは聞き捨てならない。ここはひとつ、きっちりシメておかねば。
「とりあえず、私は君に言わねばならないことがある」
そっとスリッパを脱いで、右手に構える。
「人の家で行儀の悪い座り方をするなっ!」
「いってぇ!」
生身相手だったらさぞやいい音が出ただろうが、例によってなんだかイマイチな手応えであった。テレビからは「YOU LOSE!」なんて聞こえてきて少年は「ああああぁ! もうちょいだったのに!」と抗議の声を上げたが、知ったことか。
「足を閉じろ! せめて肩幅まで!」
そう、ダレきったこのガキはあろうことか、私の家の、私のソファーで、足を全開にしてふんぞり返っているのだ。
こんなことを許しておけば、彼はどんどん図に乗ってゆくだろう。彼のやり方を見習おうではないか。ケンカは最初にビビらせたもん勝ち、ってな。
「見苦しい! それとも何か、君は足の間にのっぴきならない病でも抱えてるのか!」
電車などでそうやってふんぞり返っている連中のことを、私はそのように判断することで我慢しているのだ。
あの人たちは足を閉じると病気が悪化するんだ、だから必要以上に開いてるんだ。仕方ないんだ、と。
けれども、さすがに自分の城ではそんなことを我慢するいわれはない。
「いいか、次にもし、もしその見苦しい姿を私に見せたら」
少年はぴたっと足を閉じてこくこくと頷いた。まだ折檻の内容も言っていないのに。
「転生とやらをする前に、オンナノコになってるかもしれないから、そのつもりでいなさい?」
「すみませんかんべんしてください」
共同生活というのは、大変なものだ、と思った。
最初が肝心。ペットはしつけが大事だ。