難癖をつけられた。
コンビニから帰ると、ブレザー姿の見知らぬ少年がソファーに陣取っていた。
目が合う前に、迷わずドアを閉めた。
さて、どうしたものか。私は若干震える手で、なんとか鍵をかけ直しつつ、考えた。
少年と言ってもきっと高校生くらいだろう。いや、中学生かもしれん。なんにせよあのくらい育っているととても腕力では勝てそうにない。しかし、キーを突っ込んだまま施錠状態にしておけば、簡単には出てこれまい。
内側からがちゃがちゃと鍵を開けようとしているのを、渾身の力でおさえこみながら、私は中の不審者に言ってやった。
「いいか、君。君のしていることは犯罪だ。私は携帯を持っている。警察に通報することは簡単だが、見たところ未成年のようだし、君の経歴に傷をつけることはしたくない。まずはドアから離れて、どうやって侵入したのか白状しなさい」
「あぁ、なにいってんだ? 気が付いたらここにいたんだっつーの。てめー、さっさと入って来い、俺に詫びろ!」
なんという傍若無人な物言いか。こっちが大人として譲歩してやろうと言っているのに、最近のガキってのは手に負えん。やはり警察に電話するしかないな。
鍵を押さえる両手以外に、もう一本余分な手があれば、の話だが。
困り果て、周辺住民への迷惑も顧みず大声で助けを呼ぼうと息を吸い込んだ私の耳に、聞き捨てならないセリフが飛び込んできた。
「てめーのせいで俺は死んだんだろうが!」
なんだと?
自慢ではないが私はほぼ引きこもりのような生活をしている。コンビニに行く以外はほとんどネットのやりとりで事が足りる生活だ。仕事も含め。
そんな私がいつ、どうやったら人を死なせるようなことになるのだろうか?
「死人を自称するには元気すぎるぞ。警察ではなく救急車がお望みか?」
つまり、そういう類なのだろう。
なんということだ、春先はおかしいのが増えるというが、実物は初めて見た。まったく、嘆かわしい事だ。
改めて助けを呼ぼうと再び息を吸い込んだ私の目に、今度は信じられないものが映った。
「あ、ぬけた」
ドアを貫通する手、である。ドアに穴が開いているわけではない。いや、仮に穴が開いてしまったのなら、それはそれで問題だがしかし。
鉄製のドアをすり抜けて少年の上半身が出てくる光景に比べたら何ほどのものぞ。
「よっしゃぁ、どーだコラ。これでもケーサツよぶか?」
流石に、両手から力が抜けた。これが私の幻覚でないならば、たしかに少年は死人なのだろう。所謂幽霊というやつだ。
しかし、私には本当に心当たりなどないのだ。誓って、アパートとコンビニと、たまに郵便局に行くくらいで、今年は花見にさえ行っていない。
ともあれ。
「じゃぁ、中で話を聞こう」
せっかく買ってきたチューハイが温くならないうちに、飲んでしまおうではないか。
「それで? 私のせいで死んだというのは、何か根拠でも?」
少年と話す気になったのは、3本目が空になった頃だ。どうせ市販の缶チューハイなぞ、大したアルコールは入っていない。3本飲んでも素面同然ではあったが、景気づけにはなった。
「あー。つーか俺、突然死んだわけよ。そしたらほら、アレだろー?」
今の説明で、このガキと意思疎通するにはかなりの努力と忍耐を要することだけはわかった。
「神様の手違いで死んで、すげー力もらってほかの世界で勇者になるんだろ?」
「……君は」
昨今流行の中二病、とやらの、重篤患者なのか。
私は4本目に手を出した。
「では、神様の所に行くといい。私もよくは知らないが、多分あっちだ。あっち」
なるべくまっすぐ、真上を指してやった。下手に斜めを指して、どこかの建物に引っかかってまた他人に迷惑を掛けさせるわけにはいかない。
「死んだー、と思って目が覚めたらここにいたし、あんたが神様なんじゃねーの?」
「うん、ちょっとこの部屋を良く見たまえ」
私は立ち上がって、一つ一つ指差して教えてやった。
「いいか、突き当りが玄関。キミがすり抜けたドアがあるだろう? 左手にバスルームとトイレ。な? で、廊下を兼ねてせまーいキッチンと、小さな冷蔵庫。そして、この部屋。テレビがあって、ソファーがある。このカーテンを開ければベッドだ」
ソファーの後ろのカーテンをさっと引いて、狭い寝室まで見せてやった。
「神様がこんな部屋に住んでると思うか、このアホ!」
こんな阿呆は出くわした事がない。どう見たって細々と暮らしている独身女のアパートじゃないか。貧乏神だってもうちょっと荘厳な部屋に住んでいそうなものだ。
しかし当の阿呆は全く考える気配を見せない。頭をかきながらダルそうに言った。
「俺にそんなん言われても困るんスけど~?」
無性に殴りたくなった。果たして幽霊を殴れるのかどうかは疑問だが、さっきドアを内側から開けようとしていたくらいなのだから、全く実体が無いわけでもなかろう。私は思い切り振りかぶって拳骨を下ろした。
手ごたえは、なんだか「ぷしゅっ」とした物だった。水の中をかくような感覚。しかし、殴られた本人は悶絶していたので、きっとうまくいったのだろう。
「ってえ~~! 何すんだよこのババァ!」
「だまれクソガキ」
今度は頬をつねり上げてやった。やっぱり、なんだか手ごたえがあるような無いような、不思議な感触ではあったが、コツさえ掴めばうまくやれそうだ。
「いいか、仮に私が神様だったら、君は私にもっと敬意を払うべきだ。そして、もし私が神様でないのなら、君は勘違いと無礼を謝罪し、出て行くべきだ。分かるかね?」
少年はもがもが言いながら私の指を外そうとするが、面白いようにその手は宙をかくばかり。どうやら、私からは触れるが、少年からは触れないようだ。
「分かったかね?」
言い聞かせるように両方の頬を抓ると、彼は涙目でこくこくと頷いた。幽霊でも痛覚があるものなのだな。
「では、これからは私を『お姉さま』と呼ぶように」
「はひ」
「あんまりナメた口きくんじゃないよ?」
「はひ」
私が両手を離してやると、なおもぶつくさと文句を言いながら、彼は両頬おさえて立ち上がった。
「でもさぁ、マジでわかんねーんだって。つーか、こっから出られねーの!」
それを早く言え。
「キミはここに何か思い入れでもあるのかね?」
築30年の軽量鉄骨アパートだ。家族連れが住んでいるところなぞついぞ見た事がないのだが。
「いや、ぜんぜん」
「そもそも、どこに住んでいた?」
「○○県の××市」
だめだ、全く結びつきそうに無い。こうなったら聞きにくい事も聞かねばなるまい。
「では、きみはいつ死んだ?」
「んー、さっき?」
あっけらかんと答えられて、脱力した。困った、こういうガキとは相性が悪い。そもそも「死んで、目が覚めたらここにいた」と言ったではないか。ということは死んだ時と起きた時でタイムラグがある可能性を考えてしかるべきではないか?
「具体的には?」
「だからぁ、さっき。学校の屋上で桜見てたら、フェンスごと落っこちてさぁ」
「うわぁ……」
そんな事故なら、きっとニュースになったはずだ。しかしここ数年、私の知る限りそんな事故は無かった。テレビをつけてみたが、夕方のニュース時だというのにやはりそんな事故の情報は流れていない。大体、今の世の中、屋上は立ち入り禁止が普通ではないか?
ところで。
「突然死んだって、事故じゃないか!」
「うん、まー、そうなんだけど」
そこにどうして私の責任が問われねばならないのか!
「若い身空でそういう目にあったことは同情する。しかし、今の話を聞くだけでも、私が責任を取らねばならない理由が全く見つからない。悪いことは言わん。成仏しなさい」
「ヤだ」
そうして、堂々巡りの押し問答の末、しばらくこの幽霊を居候させる運びとなった。