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第九十節 皇后への嘆願

 第九十節 皇后への嘆願


 夜が更け、冷たい月光が静かに広がる。蘭雪は一人、皇后の宮へと向かっていた。


 (沈貴人様を守るには、強い後ろ盾が必要——ならば、皇后様しかいない)


 皇后・沈麗華は後宮の頂点に君臨する女性。皇帝の寵愛こそ薄れつつあるものの、その権威は絶大だ。


 しかし、沈貴人は葉貴妃の派閥に属していたため、皇后との接点はほとんどない。ましてや、今や葉貴妃に見放された身——皇后が彼女を助ける理由など、どこにもない。


 (だからこそ、私が動くしかない)


 蘭雪は深く息を吸い、皇后の寝宮「承華殿」の前で立ち止まった。


 門の前には、采女筆頭の柳清が控えていた。長身で端正な顔立ちを持つ彼女は、皇后の忠実なしもべとして知られている。


 柳清は蘭雪を見ると、涼やかな目で問いかけた。


「何の御用ですか?」


 蘭雪は恭しく頭を下げる。「皇后様に、お話ししたいことがございます」


 柳清は少し考えた後、ふっと微笑んだ。「——いいでしょう。お入りなさい」


 ◇◇◇


 皇后の寝宮は、金色の燭台が静かに揺れ、気品と威厳に満ちていた。


 玉座に座す皇后・沈麗華は、華やかな刺繍を施された衣を纏い、じっと蘭雪を見つめている。


「——蘭雪、と言ったか」


 低く、落ち着いた声。しかし、その背後には冷たい刃のような鋭さがある。


 蘭雪は跪き、深く頭を下げた。「皇后様、恐れながらお頼み申し上げます」


「……頼み?」皇后は微かに眉を上げる。「沈貴人のことか?」


 蘭雪は息をのむ。すでに皇后はすべてを見通しているのだ。


 それでも、蘭雪は顔を上げ、まっすぐ皇后を見つめた。


「はい。沈貴人様をお救いくださいますよう、お願い申し上げます」


 皇后はゆっくりと扇を広げ、唇を緩めた。「沈貴人は、かつて葉貴妃の手の者だった。今さら、私に助けを乞うと?」


「……今だからこそ、でございます」蘭雪は静かに答える。


「葉貴妃様は、沈貴人様を見放しました。つまり、沈貴人様は今や、どの勢力にも属しておりません」


 皇后は扇を閉じ、蘭雪をじっと見つめる。「それがどうした?」


 蘭雪は膝を正し、力強く言った。


「——沈貴人様をお支えいただければ、後宮の勢力図を変えることができます」


 皇后の瞳がわずかに光る。


「面白いことを言う」


「今の後宮は、葉貴妃様の力が強すぎます。けれど、葉貴妃様が沈貴人様を切り捨てたことで、わずかに綻びが生まれました。その隙をつけば、皇后様に有利な状況を作ることができます」


 皇后は沈黙したまま、しばらく蘭雪を見つめていた。


 そして——。


「……ふふ」


 皇后が微かに笑った。


「随分と大胆な采女だな」


 蘭雪は静かに頭を下げる。「恐れながら、私は沈貴人様を守るために全力を尽くしたいのです」


 皇后はしばらく考えた後、ゆっくりと言った。


「ならば、試してやろう」


 蘭雪は息をのむ。


「試し、とは……?」


 皇后は扇を開き、ゆったりと微笑んだ。


「沈貴人を支える価値があるか、証明してみせよ」


「——何をすればよろしいのでしょうか」


 皇后の目が鋭く光る。


「——明日、御前試合が開かれる。お前はそこで、沈貴人の名を掲げ、葉貴妃の勢力と戦え」


 蘭雪は息をのんだ。


 御前試合——?


 それは、后妃や采女たちが宮中の武術の腕を披露する場だ。形ばかりの行事ではあるが、そこで勝利すれば、後宮での地位を高めることができる。


 しかし、敗北すれば——沈貴人の評価はさらに落ちることになる。


 皇后は微笑む。「どうする? 逃げるのか?」


 蘭雪は静かに目を閉じ、深く息を吐いた。


 そして——ゆっくりと顔を上げる。


「……お引き受けいたします」


 皇后が満足げに微笑んだ。


「よかろう。ならば、見せてもらおう——お前の覚悟を」


 ◇◇◇


 蘭雪は皇后の宮を後にし、夜の冷気を感じながら深く息を吐いた。


 (御前試合……やるしかない)


 蘭雪は拳を握りしめ、決意を新たにした。


 すべては、沈貴人様のために——


 夜が明け、朝日が静かに宮殿を照らし始める頃、蘭雪はすでに采女たちを集めていた。


 昨日、皇后に試される形で「御前試合」に臨むことになった。試合で勝利しなければ、沈貴人の立場はますます危うくなり、蘭雪自身も皇后の信頼を失う。


 しかし——


 (勝てるのか?)


 蘭雪は唇をかみしめた。彼女は武術を得意としているわけではない。試合では、剣術や弓術などの技量を競うことになるだろう。葉貴妃派の采女たちはすでに訓練を積んでいる者が多いはず。


 (このままでは、不利だ……)


「蘭雪様?」


 声をかけたのは李紅梅だった。彼女は腕を組み、興味深げに蘭雪を見つめている。


「本当に試合に出るつもりなのか? 無茶をするな」


「無茶をしなければ、道は開けません」


 蘭雪は静かに答えた。


「私一人では勝てません。だからこそ——皆の力を貸してほしいのです」


 蘭雪は周囲を見渡した。そこには、さまざまな表情の采女たちがいた。


 沈芷蘭は穏やかな微笑を浮かべながらも、どこか試すような目で蘭雪を見ている。馮蓮は黙っていたが、その目は冷静に状況を分析していた。王茜は腕を組み、不満げな顔をしている。


「力を貸してほしい、ですって?」


 王茜が皮肉気に言う。「あなたが試合に勝ったとして、それで何になるの? 沈貴人様を助けるため? それとも、自分のため?」


「両方です」蘭雪は即答した。「私は沈貴人様をお守りしたい。そして、皇后様の信頼を得ることで、後宮での立場を築きたい」


 王茜は鼻で笑う。「随分と欲張りね。でも……」


 彼女はふと視線を逸らし、「面白いわね」と呟いた。


「つまり、あなたが勝てば、沈貴人様も守られ、私たちの立場も安定する、ということ?」


「ええ、そうです」


「——なら、乗るわ」


 王茜の言葉に、采女たちがざわめいた。


「おやおや、王茜まで?」霍玲瓏がくすりと笑う。「これは面白くなってきたわね」


 李紅梅も頷いた。「確かに、勝算は低いが……やるだけやってみるか」


 馮蓮も静かに目を閉じ、「私も協力しましょう」と言った。


 蘭雪は深く息を吸い込み、頷いた。


 (皆をまとめられるかどうかは、私の采配次第——やるしかない)


「では、始めましょう」


 こうして、蘭雪たちの試合への準備が始まった。


 ◇◇◇


 試合前日——


 蘭雪たちは宮廷の訓練場にいた。そこには、すでに葉貴妃派の采女たちが剣の稽古をしていた。


「見なさいよ、蘭雪」王茜が呆れたように言う。「あっちは剣術の達人ぞろいよ」


「ええ、分かっています」蘭雪は静かに答えた。「だからこそ、私たちは別の方法で勝たなくてはなりません」


 霍玲瓏が面白そうに目を細める。「……つまり、知略で勝負する、と?」


「その通りです」


 蘭雪は微笑んだ。


「この試合は単なる力比べではありません。戦い方次第で、私たちにも勝機があります」


 采女たちは顔を見合わせ、静かに頷いた。


 そして——翌日。


 御前試合が始まる。



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